うしくぼじょう

牛久保城

愛知県豊川市

別名 : 牛窪城
旧国名 : 三河

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城好きのメガネ

「牛久保城」 (2023/04/06 訪問)

<オススメ>★☆☆☆☆
牛久保城は、牧野成勝が築城したとされる。今川氏の支配下に入っていたが、後に徳川家康に服属する。1590年、牧野康成が徳川家康の関東移封に従って、上野国勢多郡大胡に移る。牛久保城は吉田城(続日本100名城)に入った池田輝政の支城となり、重臣の荒尾成久が城主となる。関ヶ原の戦いの後は、天領となり1700年頃に廃城となった。現在、遺構は消滅している。

<アクセス>
JR牛久保駅 徒歩10分

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しんしんちゃん

三河譜代 牧野氏による今橋城の支城 (2023/06/10 訪問)

このたび牛久保城は10年ぶりの訪問になります。
現地案内板によると 享禄2年(1529年)一色城主 牧野成勝が今橋城主 牧野信成の
命を受けて築城したとあります。
今橋城というと、今の吉田城のことですね。
町中の高台に造成されていて完全に市街地化していますが、一部土塁が残されているようです。
かつては北側に二重の堀がめぐらされていて、周囲に家臣屋敷 寺などもあったようですので
それなりの防御力を備えていたと思われます。
古い画像データが喪失してしまいましたが、近くの長命寺には山本勘介の遺髪塚(墓所)
一色城跡には あの今川義元の胴塚もあります。
是非 合わせて訪問していただきたいですね。

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チェブ

番外編「山本 勘助生誕の地」の巻。 (2022/05/06 訪問)

愛知県豊川市の「牛久保城」、 多くの方が、山本 勘助さんの生誕地、もしくは墓、がセットで投稿してあります。
私も、皆さんに習い生誕地にお邪魔しました。

12~13年前に、川中島合戦の古戦場を巡った時に長野県の千曲川沿いにお墓がありました。
愛知県で、勘助さんの名前に出会うとは( ゚∀゚)
皆さんの投稿のおかげです。皆さん、いつも ありがとうございます。
山本 勘助さんは、「牛久保城」の牧野氏の家臣だった時期があるそうです。

早い時間にお邪魔しました。地元の方に路駐の許可をとり(車はすれ違いできない道幅です。)石碑とヨレヨレの説明板を写し、失礼しました。
この時、枝等で車のサイドは傷だらけです。(それくらいの道幅です。)

武田家で活躍した山本 勘助さん、愛知県で誕生したとは。でも、この前、静岡県富士宮市でも誕生地があって、お邪魔できなかった事を悔やんだばかりです。
ミステリアスな勘助さんの人生を、書籍やメディア等で想像するの楽しくなってきます。

「ここに車止めてもいいですか?」の声がけに「いいら~。」と、気さくに御返事してくれた地元の方々。
ありがとうございました。『ら~。』と語尾が軽やかで、素敵な地方言葉でした。。

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チェブ

駅近のお城。と、山本 勘助。 (2022/05/05 訪問)

「吉田城」の後、暗くなってきたので 街中のお城探しです。
「牛久保城」は「吉田城」の前身「今橋城」だった頃、牧野氏の命で 築かれました。

「牛久保城」はJR飯田線の牛久保駅近くです。
踏切とマタニティクリニックがあり、小さな公園でした。入口に説明板があり、奥に「牛久保城」の石碑と祠がお祀りしてます。
少し坂を上がった場所ですが、説明板にある二重の堀の面影等々、宅地化により分かりませんでした。

何か手がかりがないか、『みんなの投稿』を開くと『近くに山本 勘助の生誕地』との情報。
この後、脳内は勘助さんは、静岡県富士宮市で産まれた説(これも、みんなの投稿で知りビックリ。)と、愛知県豊川市で産まれた説が戦い、すっかり「牛久保城」を忘れてしまいましたとさ。
すいませんっ。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 牧野成勝
築城年 享禄2年(1529)
主な改修者 池田輝政
主な城主 牧野氏、荒尾平左衛門(池田氏家臣)
廃城年 元禄13年(1700)
遺構 消滅
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県豊川市牛久保町城跡大手
問い合わせ先 豊川市市民部文化振興課
問い合わせ先電話番号 0533-85-3775