一色城は愛知県豊川市牛久保町に築かれていたとされ、牛久保城とは200mほども離れていません。永享11年(1439)三河守護職一色氏の同族・一色刑部少輔時家によって築かれたとされています。時家は後に家臣・波多野全慶に討たれますが、全慶は時家の重臣・牧野古白(成時)に討たれ、一色城には瀬木城を次男・成勝に譲った古白が入ります。
古白は永正2年(1505)に今橋城を築いて移りますが、翌年今川氏との戦いで討死、永享2年(1529)一色城主の牧野成勝が牛久保城を築いて移ると、ほどなくして一色城は廃城になったようです。
境内には桶狭間の合戦で織田信長に討ち取られた今川義元の胴塚と、一色刑部少輔時家の墓があります。義元公の胴塚には、今川家の家臣が首を失った主の躰を急いで隠し、近くにあった手水鉢を目印に置いていったという伝承が残っています。当時の物かは不明ですが、義元公の胴塚の基部は確かに手水鉢の形状をしています。また城址とされる大聖寺には土塁が残っています。
この日は一色城と合わせて、牛久保城も訪問しています。
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