飯山市と木島平村の境界、標高863mの山城です。
主郭には土塁が半周していて、三方の尾根にそれぞれ
堀切が配置されています。特に南へ伸びる尾根には1kmちかくに
わたり堀切遺構が点在しています。
南の林道に登山口の看板があり、車も停められます。
獣道のような道をほぼ直線に30分位登ると尾根に着きます。
結構キツイので別の尾根麓から登ったほうが良いかもしれません。
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2022/11/03 18:52
2022/11/03 14:13
【島津VS大友:最終決戦の城巡り】 (第8回)鶴賀城②(戸次川合戦の地) (2022/09/22 訪問)
「鶴賀城①」からの続きです)
鶴賀城(利光山)を下り、川沿い(国道10号線沿い)を歩くと、ここで合戦があった事を示す標柱が立っていました(写真①)。まさにこのあたりで激戦があったものと思われます。そしてそこから500m程東の所に、戦死した「長宗我部信親」の墓がありました(写真②)。
1587年(天正14年)12月11日、豊臣秀吉から命を受け、「仙石久秀」を軍監とした四国連合軍「長宗我部元親・信親、十河存保」6,000が豊後に到着し、「大友義統(よしむね)」(宗麟が家督を譲った嫡子)と合流します。鏡山城まで進んだ所で軍議を開き、義統は鶴賀城に籠城する利光宗魚を助けてほしいと久秀に嘆願します。存保は同意しますが、長宗我部親子は秀吉本隊が到着するまではここを動いてはならぬと秀吉様から命を受けていたはずと反対します。実は、この仙石と長宗我部は1年前まで四国で戦っていた敵同士、最初からお互いを信用していませんでした。
翌12日、鶴賀城を包囲する島津兵は伊集院久宣が率いるわずか2,000。意外と少ないと悟った久秀は、救援すべく川を渡る事を決意します。(実はこれが罠!また島津得意の「釣り野伏せ」です! 島津家久18,000の兵が回りに潜んでいました)。鶴賀城を囲んでいた島津兵2.000は南にいったん逃げます(これはおとり)。長宗我部親子と存保は逃がすまいとこれを追いますが、ここで隠れていた家久の兵が一斉に現れ両者(仙石軍と長宗我部・十河軍)を分断。仙石久秀はこの大軍を見て真っ先に北へ逃げました。取り残された長宗我部親子の最後尾にいた元親の方は何とか逃げる事ができましたが、信親と存保は逃げきれず結局討ち死にしてしまいました。
信親は失った長宗我部家の信用を秀吉から取り戻そうと積極的に前へ出ましたが、それが結局あだになってしまいます。なぜ信親は土佐のためにならぬこの戦にそこまでしたのでしょうか? そして最愛の嫡男を失った元親の悲しみはいかばかりであったのでしょうか? この後、四国に逃げ帰った仙石久秀は、秀吉から命令違反を責められ讃岐を没収、長宗我部元親は信親の死に免じて土佐を安堵されたとの事です。
戸次川合戦の内容を、また遊びで写真図を作ってみました。よければ御覧下さい。(写真④)
次は大友館へ向かいます。
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2022/11/03 13:57
女城主の山城 (2022/10/09 訪問)
訪問時は上の駐車場への道が工事中で通行止めだったこともあり、岩村歴史資料館の駐車場を利用。
スタンプもここにあります。
また、復元された藩主邸もあります。
登城路を登り一の門、土岐門と進んで行きます。
追手門にはかつて三重櫓が建っていましたが今は石垣が残っています。
八幡曲輪からさらに登るとお馴染みの六段壁に。
6段になった石垣はやはり圧巻でした。
桝形となった虎口の先が本丸となります。
本丸の裏門は3種類の石垣がある埋門も残っていました。
標高771メートルのところにある山城、眺望も良いはずですがこの日は生憎の曇天。
ちょっと残念でした。
信長の叔母が一時期女城主を務めた城です。
やはり下から歩いて登るのが正解ですね。
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2022/11/03 10:16
正法寺山荘 (2022/09/25 訪問)
【正法寺山荘】
<駐車場他>城跡内に8台程度の駐車スペースあり。
<交通手段>車
<見所>石垣・屋敷跡
<感想>現地説明板によると正法寺山荘は関一族の武将、関盛貞(織豊時代の関盛信の曽祖父にあたる人)が永正年間(1504年~)の初めに築いたそうです。戦国時代にあってもこの砦へは連歌師が訪れ、詩歌や茶の湯が行われたそうですから関氏の拠点亀山城の保養所的な役割の砦だったかのように思います。当時は周辺にも寺院が建ち並んでいたそうです。
城跡は3方向に小野川が回り込むように流れており、西方向は山になっています。広い削平地に郭は石垣で方形に仕切っています。石積みの虎口や石段や暗渠・石組井戸も見られます。石は角が取れた丸みのあるもので脇にある小野川から集めたものと考えます。全体を小野川に沿うように土塁で囲んでいます。
16世紀初頭に築造されたとは思えないほど遺構が明瞭に残されていて納得の国史跡で見応えあります。夏場に伸びきった雑草がそのままで来訪時期を間違えたのが少し惜しかった。城跡に桜が植えられているのでその時期はすごくいいと思います。
<満足度>◆◆◇
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2022/11/03 01:10
知立古城址と池鯉鮒宿 (2022/10/21 訪問)
短時間だが知立城址に立ち寄った。現在は住宅地で西町児童公園に城址碑と案内板のみが建っています。遺構らしきものは見当たらなかった。知立神社の神主を務めていた永見氐の居城で、今川義元に仕えていたが、永禄3年(1560年)桶狭間の戦いで織田信長によって落城となりました。天正年間に刈谷城主水野忠重によって御殿が建てられ、将軍上洛時の宿泊施設となっていましたが、元禄12年(1699年)の大地震により倒壊しました。案内板にある17世紀後半(江戸時代前半)の池鯉鮒宿(品川宿より39番目の宿駅)の宿並図にある、本陣、脇本陣、問屋場跡は時間の都合で確認出来なかったが、敷地三千坪の雰囲気を味わって来ました。
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2022/11/02 23:18
関係した武将に近江の香りが漂っている (2022/06/04 訪問)
現在はミニ動物園等もあって休日には多くの家族連れで賑わう公園になっている。このお城の主だった多賀氏にしても、このお城を攻めに来た米原氏にしても苗字が近江系なところに京極というか尼子らしさをちょっぴり感じる。
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2022/11/02 22:09
石垣は近年積み直されたものらしいが。 (2022/10/09 訪問)
33号線沿いに駐車場があり、道路をはさんだ先に登城口があります。
すぐに石垣も見られ期待が高まります。
少し登ると御殿場があります。
ここにも石垣がありました。
まずは東側に進み、堀切を見学しました。
引き返し主郭を目指しました。
御殿場から20分ほどで山頂部に着きます。
山頂部が主郭で見事な天守台があります。
後で調べると近年に積み直されたものらしいですが苔むしていて雰囲気もあります。
本丸には石が転がっていて矢穴の残るものもありました。
信長にも縁の城で武田氏との美濃攻防の際に拠点となったようです。
マムシ注意の看板が沢山立っていますが山城ですから当たり前ですね。
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2022/11/02 22:07
御城印を求めて再攻城 (2022/08/30 訪問)
高取城に行った後御城印が以前買えなかった大和郡山城を攻城。前回は天守台を眺めただけだったのですが、今度は水堀や空堀などに注目しながら楽しみました。大和郡山城の本丸周辺内堀の内側の方は石垣が築かれていて内堀の外側は土塁で囲まれていました。どうしてこのようにしたのかはわかりませんが面白かったです。石垣の積み方などもじっくり観察した後、柳田文庫に行き、御城印を買いました。とりあえずひと満足しました。
ですが、その翌月。お城のスタンプ帳が欲しくなり、買いました。これまでは持っていなかったので御城印帳の裏に貼って、スタンプ帳を買ったら切り取って貼ろうと思っていたのですが、注意を読んでみると、直接押さないと無効になることがわかりました。それを見て僕は大ショックを受けました。
ということで、スタンプ帳を制覇するためにスタンプを押しに行きました。この前(10月中旬)に近江八幡城へ友達と行き、スタンプデビューをしました、またその日に電車でお城のスタンプ設置場所までいき、安土城、観音寺城、大垣城も揃って手に入れました。これからも再攻城頑張って行きたいです。
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2022/11/02 21:47
行ったら戻らぬ赤木の城へ 身捨てどころは 田平子じゃ (2022/10/11 訪問)
道の駅「九郎兵衛の里」からレンタサイクルを利用することを考えていたのですが、第2火曜日で休業。スタンプは隣接する紀和町役場で押せますがレンタサイクルは無理。熊野市駅13:05発の特急で帰京したかったので朝田さんスタイルも無理。「行く日」と「帰る日」しかない一泊二日で来てしまったので無理無理尽くし。
となると思いつく手段は全行程タクシー移動の一択です。そんな、歩兵としての矜持に悖ることを…とためらいも少々ありましたが、ここまで来て登城をあきらめるわけにはいきません。第一交通さんに相談&交渉し「赤木城・丸山千枚田・九郎兵衛の里(紀和町役場)・鬼ケ城・その他おすすめの場所」をまわって12:30に熊野市駅に戻ってくるというルートでお願いしました。結果、ものすごく楽しくて濃い城旅(+その他)となりました。
赤木城は噂に違わぬさすがの石垣。青空と山々の緑に映える堂々とした姿から伝わってくる権威。ドライバーさんに1時間のフリータイムをもらって山裾の南郭まで素のままの藤堂高虎の縄張りを存分に堪能してきました。特に印象深かったのは主郭枡形虎口のかっこよさ。保存整備の素晴らしさに感謝です。
大満足で見学を終えたのですが、朝からずっと心に引っかかることがありました。熊野市駅に着いた時から、赤木城があまり推されていないように感じていたのです。現地には解説板も設置され整備も行き届き、駐車場もお手洗いも完備しています。ライブカメラもあります。それでも何かが違うのです。
「こんなに素敵なところなのに、なぜ?」と感じていた自分の愚かさに気づいたのは、饒舌なドライバーさんが赤木城に関しては「一揆……」とひとこと言われたきりだった時です。城目線、築城者目線、勝者目線でしか私は見ていませんでした。しかし、この地に暮らす方々にとっては悲しく苦しく重い歴史を孕む城。嬉々として訪れる観光客に複雑な思いを抱かれたのかもしれない、本当は伝えたいことがたくさんあったのかもしれないと思いました。
役割を終え長い眠りについた城が数百年の時を経て呼び起こされ「名城」として新たな役割を与えられた。その場所に導かれた意味を時間をかけて考えてみたいと思います。
わざわざ行くのが大変すぎるお城ですが、わざわざ行ったおかげで気づいたり考えたり学んだりすることがたくさんありました。
行く前はこれが最初で最後になるのではと思っていましたが、今は再訪したい気持ちが強いです。歩いてみるか電チャリで駆け抜けるかは🤔
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2022/11/02 20:42
2022/11/02 20:11
現存月見櫓周り (2022/10/23 訪問)
77年振りに木造復元桜御門見学探訪、艮櫓周り、復元修復天守台を廻って、内堀遊覧・鯛のエサやりも体験したいと気をそそりましたが、予約で埋まってる盛況さ、残りの月見櫓周りを探訪と、三の丸北の石塁越しに月見櫓・続櫓・水手御門・渡櫓を眺める、北の丸に回るが、北の丸月見櫓改修工事案内とフェンスガードが有り北の丸に回れない、工期は令和4年9月12日~令和5年7月10日と成って居ました。フェンス越しに北の丸側の月見櫓・続櫓・水手御門・渡櫓を見学撮影、戻って西出入り口旧二の丸黒鉄門跡を出て、二の丸北側城塁、三の丸北側城塁、此処は海に成って居て海水が石垣まで浸水していた。
西面の月見櫓・続櫓・水手御門・渡櫓を眺め撮影、水手御門は藩主が御座船に乗る時に使用したとか、雁木石段が付いている。
三重三階月見櫓も現存で見応えが有ります。
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2022/11/02 19:11
沼ノ入城 長野県中野市 (2022/10/29 訪問)
標高800mの山城です。
間山峠と間山古峠の間の尾根、約300mに大小10もの堀切があります。
細い尾根で両側が急斜面なので堀切しかありません。
主郭は10m四方の狭い平場となってます。
県道須坂中野線を獣避けゲートを開けて入り、間山峠の標識近くに
路駐して登城出来ます。鉄塔がある山は保守点検の道がしっかりと
している場合が多いので助かります。
間山峠までつづら折りの道があり20分位で城跡に行けます。
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2022/11/02 18:43
百万石の憂鬱③ (2019/08/21 訪問)
「わたくしにお任せくださりませ」ーー。大河ドラマ「利家とまつ」(2002)で松嶋菜々子さん演じるまつ(のちの芳春院)が繰り返した台詞。残念ながら流行語大賞は逃しましたが、耳には残りました。
そんなふたりの銅像が前田家創業の地とされる石川県七尾市の小丸山城の跡地に佇んでいます。現在は公園として整備されていますが、曲輪や石垣、空堀が遺構として確認できます。能登の国主となり七尾城に入った利家ですが、政治経済の便を考慮して山を降り、七尾湾を望むこの小高い丘に城を築きます。
まつの働きは前田家をたびたび窮地から救ったそうで、賤ヶ岳の戦い後、利家が秀吉に詫びを入れる地ならしをしたほか、利家亡き後、嫡男・利長が家康から謀反の言いがかりをつけられた時にはいち早く本質を見抜き、家中の議論を時間の無駄と断じて自ら江戸に人質として赴いたといいます。これは後に諸大名が正室を江戸に常駐させる仕組みの基礎となった決断。
さてこの銅像。一見、利家から数歩身を引いて控えるまつですが、寄り添う馬はどちらかと言うと、まつに重きを置いているように見えるのは私だけでしょうか。「加賀は女性でもった」と言われるそうです。なるほど、確かにそうなのかもしれません。
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2022/11/02 18:41
百万石の憂鬱 (2019/08/20 訪問)
鼻毛は伸ばし放題で、江戸城中で立ち小便--。
加賀藩3代目・前田利常の奇行にまつわる逸話をよく聞きます。もちろん全てを鵜呑みにできませんが、自ら“バカ殿”を演じることで幕府による減封・国替えの攻撃をかわしたという見方は一定の支持を得ているようです。
外様雄藩としてのプライドと自主規制のせめぎ合いは城造りにもよく表れている気がします。金沢城天守は17世紀初めに、そして代用の御三階櫓は18世紀中頃にそれぞれ焼失。その後再建されなかったのは幕府の警戒心を忖度したためだと指摘する向きがあります。
とはいえ、そこは百万石の大城郭。白を基調にした美しい意匠とは裏腹に、実質的な防衛ラインである門や櫓が放つ威圧感は尋常じゃありません。
中でも現存する石川門は搦手とは思えない重厚さ。また草木が生え放題の本丸南側、粗割石の高石垣は金沢の街並みとはどこか相容れない戦国臭さがあります。250年以上続いた徳川治世で溜まりに溜まったアンビバレントな感情が溢れ出ているように見えるのは私だけでしょうか。
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2022/11/02 00:49
鉄道開業150年パスを利用!東北シリーズその3 仙台城 (2022/10/23 訪問)
鉄道開業150年パスを利用して東北シリーズその3
宿泊は全国旅行支援で40%OFF♪
2日目は宮城県。
地下鉄国際センター駅から大手門跡を通って南にまっすぐ登城しようとしたところ、なんと工事中で通行止め!よって、道路の表示に従いとてつもなく(東北大学のキャンパスを通って)大回りさせられました。朝っぱらから超疲れました。
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2022/11/01 22:30
素敵な大堀切。 (2022/10/09 訪問)
公民館が駐車場になっています。
そこから数分で登城口に。
杖も用意されています。
しばらく登るとニの門跡があり、この辺りから城域に入ります。
まずは西出丸方面に進み、北側に進んで行くと見どころである大堀切があります。
更に進むと天神山城へ行けるようです。
この堀切、かなり深いです。
ここから主郭に直登、主郭には赤い鳥居の祠があります。
見晴らしもGood。
帰りは通常の登城路を降りて行きました。
土塁や井戸跡などもあり、見応えのある城です。
土岐氏の城ですが信長が武田氏と美濃で争った際に河尻秀隆を城番として置きました。
本格的に歩くと結構な時間もかかりそうです。
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2022/11/01 21:32
100名城スタンプラリー開始 (2022/10/22 訪問)
ここから100名城、続100名城スタート(^^)
Instagramで記録してますー
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2022/11/01 19:23
天守台・期待される復元天守閣 (2022/10/23 訪問)
備前・播磨城廻りの途中、JR児島駅・高松駅間を瀬戸大橋線を使い、77年振りに木造復元されて桜御門を見学、2階櫓資料室内部も見学し、東出入口周り太鼓門枡形、艮櫓探訪の後、平成26年に前年復元整備された天守台本丸を探訪済ですが、ついでに再探訪、三の丸側には天守閣復元イメージ図が天守台とマッチする様に掲示して有り、天守閣復元が待たれます。
南蛮造りの4層5階天守閣だったそうです、古写真も残って居り、発掘調査もされて資料もそこそこ残って居りますので早い実現を期待したいものです。
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2022/11/01 18:47
2022/11/01 12:56
水攻め再考 (2015/11/01 訪問)
日本三大水攻めのひとつが行われた場所として有名な備中高松城址(岡山市)。土木力を誇ったとされる秀吉軍ですが、巨大堤防を2週間弱で3キロつないだという話には疑問が残るようです。
実際、一番強度が求められたのは氾濫させた川の流れを沼地の最低部で受ける堤で、ここは今も形が一部残っています。それ以外は所々で水漏れを防げば十分だったというのが近年よく披露される見方だとか。
さらに、この奇策を思いついたのは大河ドラマで知名度を上げた軍師・黒田孝高(官兵衛)ではなく、土地を知る宇喜田家の家老だったと指摘する向きもあります。史実とエンタメの境界はいつの時代も曖昧なのかもしれませんね。ちなみに私はどちらも大事だと思いますし、どちらも好きです。
JR吉備線・備中高松駅からのんびり歩いて20分ほど。長閑な景色が広がりますが、歴史の一大局面とされる「大返し」がここから始まります。
本能寺の一件を伝える急使、京に引き返すことを決める秀吉、そして、それを追わないと決める小早川(毛利)。目の前の景色とはかけ離れた慌ただしい空気を想像してみてはいかがでしょうか。
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