2025年最後のお城巡りとなりました。近くのお寺に城門が残されています。石垣も橋の麓にありました。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2026/06/28 11:59
2024/11/10 21:34
僅かな遺構が息を潜める長島城 (2024/06/08 訪問)
前回投稿した桑名城とセットで訪れた三重県桑名市の長島城。
伊勢と尾張の正に国境。木曽三川下流域の輪中堤に囲まれた中州の1つ長島。
その中央部に、輪中内を流れる川を堀として利用し築かれた城。
鎌倉期の館を1482年に土豪の伊藤重晴が城塞化したことが始まりとされるが、1570年には長島一向一揆の拠点に。
信長の一揆鎮圧後は滝川一益や織田信雄など、江戸期は菅沼氏、久松松平氏、増山氏が城主となりました。
現在は小学校と中学校になっており、両校の校庭が二ノ丸、1段高い校舎などの立つ部分が本丸でしょうか。
また絵図から中学校の正門付近が本丸水之手門と推測されます。
訪問時、まずは大手橋で一部が江戸期からの遺構という石垣をチェック。
続いて両校の周囲を回り、最後に大手門が移築された蓮生寺へ。
城の姿形はほぼ失われているものの、僅かな遺構がひっそりと息を潜めていた、私の城郭巡りの185城目でした。
+ 続きを読む
♥ いいね
15人が「いいね」しています。
2024/10/18 05:44
公共交通のみで(東海&関西遠征)4日目:長島城 (2024/09/25 訪問)
近鉄長島駅から徒歩10分ちょうとで、蓮生寺大手門前(35.093779、136.701124)に着き、その後、長島中部小学校説明板前(35.092373、136.698899)に向かいました。
長島城の起源は、1245年(寛元3年)に藤原道家が館を築いたことにさかのぼるそうです。
その後、1482年(文明14年)北勢四十八家の一人、伊藤重晴によって城が再建されました。
1570年(元亀元年)一向宗・願証寺の住職・証意(蓮淳の曽孫)によって伊藤氏一族が追放され、長島一向一揆の拠点となりました。
その後、織田信長によって攻略されたのちは、滝川一益の居城となりました。
「賤ヶ岳の戦い」後、織田信雄の居城となりますが、1586年(天正13年)の天正地震で天守が倒壊するなど甚大な被害を受けたため、信雄は清洲城に移っています。
江戸時代に入ると、菅沼氏が20,000石で当地に封じられ、長島城を改修し藩庁として用いました。1621年(元和7年)菅沼氏が移封されると、長島藩は廃藩となり、長島城も一時廃城となります。
1649年(慶安2年)久松松平家の松平康尚が那須藩より10,000石をもって入り、長島藩が再興されます。
1702年(元禄15年)には、4代将軍家綱の生母の弟増山正利の子の正弥(まさみつ)が常陸下館より20,000石で移され、以後8代続き明治維新に至ります。この間に城郭は順次拡大されたが、天守は築かれませんでした。
1872年(明治5年)廃藩置県と共に廃城となりました。
蓮生寺の大手門、長島中部小学校で説明板を確認しました。
深行寺にある奥書院については、時間の都合で見学を諦めました。
攻城時間は移動も含め15分くらいでした。次の攻城先=願証寺には、ここから徒歩で向かいました。
+ 続きを読む
♥ いいね
12人が「いいね」しています。
| 分類・構造 | 平城 |
|---|---|
| 築城主 | 藤原道家 |
| 築城年 | 寛元3年(1245) |
| 主な改修者 | 伊藤重晴、菅沼定仍 |
| 主な城主 | 伊藤氏、滝川氏、菅沼氏、松平氏、増山氏、織田氏 |
| 廃城年 | 明治5年(1872) |
| 遺構 | 移築門(蓮生寺)、石垣、堀 |
| 指定文化財 | 市史跡(旧長島城大手門) |
| 再建造物 | 石碑、説明板 |
| 住所 | 三重県桑名市長島町西外面 |
| 問い合わせ先 | 桑名市埋蔵文化財整理所 |
| 問い合わせ先電話番号 | 0594-24-2597 |