こきえじょう

小木江城

愛知県愛西市

別名 : 古木江城、古川城
旧国名 : 尾張

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しんしんちゃん

織田氏と一向宗徒との確執 7月上旬にはハスの花が咲く (2024/03/10 訪問)

小木江城は織田信長が長島の一向宗徒と戦うために弟の信興に築かせた城です。元亀元年(1570)9月より石山本願寺と信長の間で石山合戦が勃発し、長島城を落とした一向宗徒は11月16日に小木江城を襲撃し21日に落城、信興は死に追い込まれます。
「信長記」には櫓に上がって自害したとされており、地元では城外で討死したと伝わっているようです。遺構は特に残っておらず城の鎮守の富岡神社のみが残っています。信長と一向宗の長い戦いはこの後、10年にわたって続きました。
近くの道の駅の開発が進んでいるようですが、周囲は森川花はす田となっていて7月上旬には見事な花を咲かせてくれそうです。

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小城小次郎

一向一揆を睨みながら、一向一揆に飲み込まれた (2023/04/13 訪問)

城跡にある神社境内には土盛りがあるけれどもこれを土塁と言う人がいないので遺構ではないのだろう。長島一向一揆衆を睨んだお城だったが信長包囲網で信長が動けない中一揆勢に囲まれ信長の実弟・信興は城と運命を共にした。

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ぴーかる

小木江城 (2023/05/03 訪問)

【小木江城】
<駐車場他>道の駅立田ふれあいの里に駐車しました。城跡碑がある富岡神社内にも1台くらいなら駐車できそうです。
<交通手段>車

<感想>日帰り木曾三川ちょこ城南下の旅7城目。小木江城は古木江城ともいい、1567年頃に伊勢長島の一向一揆の抑えと攻略の拠点として織田信長の弟の織田信興よって築城されたとされます。1570年に石山本願寺と信長の戦いが本格化すると長島の一向一揆も蜂起して古木江城を襲撃します。織田軍は後詰めの援軍が出せずに古木江城は落城、織田信興は落命します。城もその時廃城となったようです。
 現地に遺構は残っていないようで富岡神社に石碑と説明板があります。しかしながら瀬戸川から見た雰囲気は城跡感が残っています。

<満足度>◆◇◇

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橋吉

織田信興最期の地 (2022/10/30 訪問)

古木江城は、伊勢長島の一向宗の抑えとして永禄年間に織田信長の4番目の弟・織田彦七郎信興によって尾張国海西郡(現在の愛知県愛西市)に築かれました。

「道の駅立田ふれあいの里」に隣接する川を挟んですぐ西にある富岡神社は城の鎮守として置かれたと考えられています。
クルマ数台とめられるスペースはありますが、道が狭く舗装されていないので、クルマの運転に不慣れな方はもちろん、二輪車でもダート走行が不安な方は、道の駅に駐車して歩いて来られるのがよろしいかと思います。

鳥居横に史蹟碑と案内板が置かれています。
神社の北には蓮田があります。
このあたりは蓮根栽培が盛んなことに加えて、近年はその美しい花を観光資源として売り込んでいます。
当時、蓮田があったかどうか分かりませんが、存在していれば馬や兵の進行を足止めするのに一役かったと思います。

神社の周囲は、数段の石垣が囲んでいますが、近年土止めとして設けられたものであり、遺構はまったく見つかりませんでした。
それどころか城の範囲も不明だそうです。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 織田信興
築城年 永禄年間(1558〜1570)
主な城主 織田信興
廃城年 元亀2年(1571)
遺構 消滅
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県愛西市森川町村仲