貝塚市役所の西側にある要家住宅(貝塚市重要文化財)が畠中城址となります。
城址としての遺構はありませんが、元城主の子孫の方が居住している江戸時代の屋敷が残っています。
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2025/03/17 19:03
2024/11/02 05:26
公共交通のみで(東海&関西遠征)10日目:畠中城 (2024/10/01 訪問)
羽衣駅から電車で貝塚駅に着きました。そこから、徒歩20分くらいで、長屋門前(34.437105、135.353585)に着きました。
築城年代は定かではないようですが、土豪神前氏の屋敷を城郭とし、天正年間(1573年〜1592年)には根来衆などが籠もっていたそうです。
江戸時代は庄屋を務めた要家の屋敷となりました。
畠中城は要家の庄屋屋敷が本丸のようで、ボロボロの土塀で囲まれた居館城郭です。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=積善寺城へは、ここから徒歩で向かいました。
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2024/07/07 18:53
へいっ (2024/02/24 訪問)
畠中城は奈良時代には神前氏の先祖となる渡来人の館で、平安時代には当主・神前清実が源行家を匿ったとされています。戦国時代には根来衆の城として築造され、元亀元年(1570)の野田城・福島城の戦いで織田信長に敵対し落城、天正13年(1585)の豊臣秀吉の根来攻めの際にも攻撃を受け落城したとのこと。江戸時代には本丸跡が要家の庄屋屋敷となり、要家は岸和田藩より七人大庄屋の一人として列せられたそうです。
今でも誰か住んでいるようですが、要氏の子孫の方かどうかはわかりません。長屋門(南側)の写真を取り損ねたので、別の写真で代用します。北側の壁が少し倒れかかっているようです。江戸時代から使われているのであれば維持は大変だと思います。
「壁が倒れるぞー」「へー ほうかい」 などと言ってはいけません。
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2023/06/07 19:55
畠中城 (2023/04/30 訪問)
【畠中城】
<駐車場他>駐車場はなし。
<交通手段>南海電車
<感想>大詰め大阪府の城びとの旅2城目。畠中城は奈良時代百済からの渡来人である神前氏の屋敷のある場所に1543年頃根来衆の支城として畠中城を築城しました。1570年野田・福島城の戦いで落城し、1577年秀吉の根来攻めの際にも落城しています。江戸時代には神前氏の子孫の要氏が岸和田藩の大庄屋として存続します。
現在も私邸屋敷として広大な四方を土塀で囲んでいます。南東面が正門の長屋門があります。南海電車貝塚駅より徒歩15分くらい。
<満足度>◆◇◇
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分類・構造 | 平城 |
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築城主 | 根来衆 |
築城年 | 天文12年(1543)頃 |
主な城主 | 神前氏、根来衆 |
遺構 | 消滅 |
住所 | 大阪府貝塚市畠中 |