さばえじんや

鯖江陣屋

福井県鯖江市

別名 : 鯖江城
旧国名 : 越前

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ぴーかる

鯖江陣屋 (2023/08/19 訪問)

【鯖江陣屋】
<駐車場他>駐車場はなし。JR鯖江駅前駐車場に駐車しました。
<交通手段>車

<感想>越前ちょこ城巡りの旅6城目。鯖江陣屋は1720年に越後村上藩から間部詮言が5万石で入封したのに始まる。それまでは鯖江は幕府の代官所が置かれている程度の場所でした。兄の間部詮房は6代将軍徳川家宣の側用人を務めて権勢をふるったが、8代将軍吉宗の時に老中職を解任され越後村上藩5万石に転封されます。間部詮言は兄の兄の間部詮房の養嗣子に入り家督を継いだあとに鯖江に左遷されます。現在でこそ、めがねの町として栄えていますが当時は寒村だったようです。
 上記コインPに駐車して、松阜神社に現存移築した受福堂御門に行って、次に万慶寺に移築現存した御用屋敷門に行って、説明板のある陣屋跡公園に行きました。南北に走るJRの路線から陣屋跡のある西側から高地になっていて坂を上がっていきます。陣屋の場所は高台にあったようです。

<満足度>◆◇◇

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昌官忠

2022夏の青春18キップ14日目:鯖江陣屋 (2022/08/02 訪問)

三留城からの転戦です。市民ホール駐車場(35.946433、136.184702)に駐車しました。
願かけ地蔵公園横の説明板(35.945327、136.185169)まで徒歩2分くらいで、ここから鯖江藩家老植田家長屋門(35.944821、136.187180)までは徒歩3分くらいでした。

1720年(享保5年)間部詮言によって築かれました。 越後国村上城主間部詮房が没すると弟詮言が養子となり鯖江に入封して陣屋を築きました。
1840年(天保11年)詮勝のとき老中に就き、同時に城主格となり幕府から築城の許可を得たがこれは実現しなかったようです。

現在は市街地となっています。
萬慶寺に移築された城門が唯一の遺構のようですが、レンタカー返却時間が迫っている為、パスしました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=小丸城に向かいます。

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イオ

移築建物めぐり (2022/06/05 訪問)

江戸中期、越後国村上から鯖江に移封した間部詮言が幕府代官所跡に設けた陣屋で、間部氏のもとで明治まで存続しました。鯖江藩は七代・間部詮勝の老中就任を機に城主格となり、幕府から築城許可を得て天守建造を計画しましたが、実現はしませんでした。

鯖江陣屋近くの歴史の道(奇数月は東側、偶数月は西側の道路脇に駐車可)に車を駐めて登城開始。歴史の道西側の古町公園には鯖江藩陣屋の説明板が設けられています。古町公園から南西に徒歩2分の屋形町児童公園あたりにかけてが陣屋跡とされ、児童公園には陣屋内にあった稲荷社が移築されています。南に徒歩7分の萬慶寺は藩主・間部氏の菩提寺で、裏門として陣屋の御用屋敷門(赤門)が移築されています。東に徒歩5分の松阜神社には陣屋内にあった受福堂御門が移築されています。受福堂は藩祖・間部詮房と鯖江藩初代・詮言を祀っていましたが、廃藩により萬慶寺に移築された後、かつての松阜御殿跡地の松阜神社に再移築されたんだとか。松阜神社から北に徒歩1分には鯖江藩の家老職を代々務めた植田家の長屋門が現存しています。

また、幻となった築城計画では天守の設計図まで作成されていたようで、その設計図に基づいて作成した天守の模型が鯖江市まなべの館に展示されているようですが、時間の都合もありまたの機会に。
 

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間部詮言 (2022/05/21 訪問)

 JR鯖江駅より徒歩で散策しました。
御用屋敷門が万慶寺裏門として、松阜神社境内に受福堂御門が移築されています。また家老植田家の長屋門も残っています。

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城郭情報

分類・構造 陣屋
天守構造 なし
築城主 間部詮言
築城年 享保5年(1720)
主な城主 間部氏
遺構 移築門(万慶寺、松阜神社)
再建造物 説明板
住所 福井県鯖江市桜町、本町