少し古い写真で申し訳ない。鯖江藩初代・間部詮言は無城格の大名でしたが、7代・間部詮勝は幕政で重きを成し大阪城代、京都所司代、老中を歴任します。老中就任中に築城の許可が出ますが、水野忠邦との対立が影響したのか実現には至っていません。
建設予定地は御達山(長泉寺山)と呼ばれる丘陵で現在は西山公園として整備されています。
国道417号線が県道229号線と交差する北側、別名つつじ通り(国道417)を堀代わりに東西に公園(曲輪)が配され間を鉄橋で行き来します。北西の展望所に天守が築かれる予定だったらしく、全体に城郭の雰囲気を残しています。公園東側には藤棚を備えた庭園が整備され、大名の城郭庭園に通じる趣と格式を備えています。陣屋跡は未訪問なので「いった」はおあずけにしておきますが、別名:鯖江城の由来はこの西山公園にあるのではないでしょうか。地元の方も残念だったらしく公民館に天守の模型があったりしますが(記憶)、ここに模擬天守が無いのは西山公園を市民のために解放した間部詮勝公に敬意を表してのことかもしれません。「嚮陽渓」とは詮勝公が安政3年(1856)に命名した名称ですが「日本の歴史公園100選」に選ばれる重要なファクターにもなっています。
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