させじょう

佐世城

島根県雲南市

別名 : 金剛山城
旧国名 : 出雲

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昌官忠

(中国地方と兵庫県)遠征3日目:佐世城 (2026/05/13 訪問)

三刀屋じゃ山城から車で15分くらいで、金剛山佐世城址入口(35.317152、132.943810)に着きました。

1326年(正中3年)佐世七郎左衛門清信が築城して以来、9代佐世伊豆守正勝まで276年にわたる居城でした。
佐世氏は佐々木頼清(湯頼清)の子清信が大原郡佐世郷を領して佐世氏を名乗った事に始まるそうです。
以来、8代佐世伊豆守清宗まで尼子氏の家老衆として、12万石を領していましたが、1565年(永禄8年)より毛利氏に属し、防州山口に移住しました。
その後、数々の軍功により、1594年(文禄3年)再び佐世城主に迎えられました。
佐世氏は、代々文武共に優れ、特に書画、詩歌の遺品が多い。また敬神崇仏の念も厚く、神社、仏閣を造営するなど、大きな業績を残したそうです。
正勝公には嗣子がなく、1601年(慶長6年)逝去と同時に、甥に当たる防州山口の佐世丹羽守元量が後職に任じられたため、佐世家は断絶しました。

城は佐世川の西岸の城山に築かれており、現在は公園として整備されています。
周辺には川も流れており天然の堀の役割をしていたのでしょう。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=大西城(尼子十旗⑩)に向かいました。

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しんちゃん

ツイた (2025/06/28 訪問)

佐世城は尼子氏の家臣・佐世氏によって築かれました。尼子十旗ではないのですが、8代清宗は12万石を有する、かなり有力な家老であったようです。地元の老人達がゲートボールをやっている公園の裏手の高台が城址であり、比高もそれほど高くありません。
侍屋敷や物見櫓跡を経由して井戸跡の標識のある郭にたどり着きます。この上の郭が頂部で城址の説明や佐世氏の系譜の書かれている案内板がありました。
縄張り図を見ると南西側も城址の様なので、ちょっと覗いてみることに。ゲートボール場からそのまま道が続いていますが、すこし藪化している。東側の城址のある丘と堀切を挟んで向かい合っています。
立入禁止とも書いてないので入って見たら何か踏んだ。フンだ・・しかも柔らかいやつだ。道の真ん中に落ちているし熊のモノだと思った。
実際、この周辺は熊の痕跡が多い。春先からあちこち辺鄙な所を回って、熊が人里のすごく近くにいることを実感していた。案の定、今はあちこちで熊と人とのトラブルが絶えない。熊対策は環境省じゃムリだろ・・
ただ、ここで踏んづけたモノは、ひょっとすると熊以外のモノかもしれない。さっきのゲートボール場で会った爺さんたちの顔が脳裏に浮かんでくる。まさかとは思うが・・野生動物のモノなら仕方が無いで済ますことが出来るが、人のは無理です。
次の日のお城EXPOの武将ガチャでは「桔梗」さんをゲットできた。運がついたのだろうか・・靴を洗わなかったら「ガラシャ」さんをゲットできたのかも。でもやっぱり無理だ・・

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赤い城

一部が公園に (2024/06/02 訪問)

帰省の際、少し時間があったので立ち寄り。
木次線に沿った県道24号線を少し入ったところに公園があります。
車でも登れますが公園はゲートボール場にもなっていました。
この日は利用者もいなかったので駐車させてもらいました。

公園から登る道が着いていて少し登ると侍屋敷跡の曲輪や物見櫓があります。
さらに少し登ると城櫓跡の削平地に。
説明板と佐世家の家系図が立っています。

どうやら主郭はこちらではないよう。
南西側にもう一つピークがありそちらのようです。
が、おそらく私有地で先に進むのは断念しました。

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小城小次郎

稀有な家柄なのではなかろうか (2022/06/04 訪問)

佐世氏は近江源氏佐々木秀義の子・義清を祖とする出雲佐々木氏の末裔。ぎりぎりまで尼子に属しながら毛利にも重用され、かつ毛利が関ヶ原で領土縮小となる中でも佐世の本領を失わなかったという稀有な家柄でもあるようだ。

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城郭情報

分類・構造 平山城
天守構造 不明
築城主 佐世清信
築城年 正中3年(1326)
主な改修者 佐世氏
主な城主 佐世氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、横堀
再建造物 石碑、説明板
住所 島根県雲南市大東町下佐世