畝状竪堀群と2重横堀の融合
(2023/03/19 訪問)
【広瀬城】
<駐車場他>車道入口<36.201959, 137.217003>を東南方向へ車1台通れる砂利道を進み、行き着いた所に城跡説明板があり2台程駐車できます。
<交通手段>車
<見所>畝状竪堀群・堀切
<感想>日帰り強行飛騨山城攻めの旅4城目。広瀬城は別名田中城ともいい、現地説明板によると室町時代に広瀬利治が築城したとあり広瀬氏の本拠地でした。江戸時代に書かれた飛州志には「旧称広瀬ノ城卜云う。広瀬宗城家臣田中与左衛門之を守る」とあります。1583年に三木自綱は広瀬氏の城を攻め取りますが、1585年に金森長近が飛騨に進攻し三木自綱を攻め滅ぼします。
ゲートを開けて中に入った左手が連段となって曲輪があり、奥に進むと田中筑前守墓碑があります。城跡は山全体に地形に沿って広がりをみせる曲輪群があり、中心を南北に大堀切で仕切って東西に分けています。中心の大堀切から東側に大きい曲輪が2つあるのでどちらかが主郭だと思います。中心の大堀切から西側には表面観察できる畝状竪堀が多く残り、北側の南北に長い曲輪の最北には畝状竪堀群と2重横堀が混ざり網目状に堀が施され圧巻の見応えです。名付けて畝状竪横堀群と言っても過言ではないです。最西の大きい曲輪は周囲を畝状竪堀で囲んでいます。北側は杉が植林整備がされているので大きい畝状竪堀群が圧巻です。曲輪南側も同じような規模だったようですが、南側は灌木の落葉の堆積でかなり堀が薄くなっていました。その曲輪の最西に大堀切があり畝状竪堀と合流して見応えあります。畝状竪堀の多さと見応えは見てきた中でも上位ランク、少し特異な縄張りも散策していて楽しかった。かなり見応えある城跡でお勧めです。
<満足度>◆◆◆
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