㊽【関ケ原の26人】(19)藤堂高虎 (藤堂高虎陣跡(藤堂高刑と湯浅五助))
(2022/12/01 訪問)
(19人目)「藤堂高虎」の続きです。
関ケ原の藤堂高虎陣跡と大谷吉継の墓を訪れてきました。
藤堂高虎は、脇坂・朽木・小川・赤座の4諸将を調略し、大谷吉継を追い込みました。しかし、ここで美しい話があったのでそれを御紹介します。
大谷吉継は「もはやこれまで」と最後に自刃します。その時、家臣の「湯浅五助」に介錯させ、「我の病み崩れたこの醜い顔を敵にさらしてはならぬ!」と命じて死にました。五助は山中をさまよい、ある場所に吉継の首を埋めます。その時、その場所を通りがかったのが高虎の甥「藤堂高刑(たかのり)」です。高刑は「それは吉継の首であろう」と問い正します。五助は吉継の言葉を伝え、「私の首と引き換えにここに埋めた事を秘してほしい」と頼みます。高刑は約束し五助の首を取りました。
高刑は五助の首を高虎に差し出し報告します。その詳細を高虎から聞いた家康は、高刑を呼び出し「吉継の首が埋められた場所を知っているであろう」と問い正しました。しかし、高刑は約束を守り頑として言いません。最後に家康は、言えば大手柄になるにもかかわらず、言わない高刑を褒め称え、自分の槍と太刀を与えたという秘話がありました。
しかしその15年後、高刑は大坂の陣で長宗我部盛親と戦い討死してしまいます(何と皮肉なものです)。今ある大谷吉継の墓は、その翌年の1616年に藤堂高虎によって首が埋められていた場所に建てられたものです。そしてその傍らには湯浅五助の墓もありました。これで五助は永遠にこの地で吉継に仕える事ができたのでした。高刑もあの世で安堵した事でしょう。
私は高虎の陣跡から吉継の陣跡へ行き、そして吉継の墓まで行く途中でだんだんと日が暮れてしまい、薄暗い不気味な山道を迷いながらも(だいぶ遠回りして)、歩いて何とかたどり着き(しかもその間、またまったく誰にも会わず)、そして着いた所にこの説明が書かれていたのを読んで、しばらく吉継と五助の墓の前で呆然とし、あまりにも美しい話だったのでちょと感動して座り込んで泣けてしまいました(歩き疲れと重なりしばらく動けなくなってしまいました(泣笑い😭))。
次は、高虎最後の居城「津城」へ続きます。
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