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侍ホリタン

2023年春桜の名城を訪ねて11 (2023/05/03 訪問)

桜本数200本、私の行った頃にはソメイヨシノは終わっていて遅咲きの桜のみでしたが、ここも弘前城に負けないぐらいの桜の名城だと思います。桜の他、このお城の見所は堀の真ん中に土塁を築く事によって城内を迷路の様にして防御力を高めている点です。中土塁と呼ばれるもので現在では園路として活用されています。浪岡城の城主は南北朝時代に後醍醐天皇を助けた北畠氏の子孫浪岡北畠氏で築城は1460年頃と考えられています。1500年代前半が最盛期で県内に多くの神社を建てましたが、後半になると親族間の争いで勢力が衰え、1578年に津軽為信公に攻められ落城しています。

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侍ホリタン

2023年春桜の名城を訪ねて⑩ (2023/05/02 訪問)

去年の紅葉シーズンに続き2回目の訪問です。
桜本数、52種類約2600本、ソメイヨシノの他に遅咲きの桜も順を追って開花して行くので半月ぐらいは桜が楽しめます。私が訪問した時は関山(カンザン)、普賢象(フゲンゾウ)、八重紅枝垂(ヤエベニシダレ)、鬱金(ウコン)、東錦(アズマニシキ)等が見頃でした。4月21日から5月5日まで桜祭りが実施されていて四の丸では、出店が沢山出ており多くの人で賑わっていました。次回はソメイヨシノの開花時期に訪れたいです。

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スミヤキ

水戸学の道 堪能する (2023/04/06 訪問)

4月6日の「城の日」、近年お城の復元整備が進められている水戸城に行ってきました。
水戸城は、北の那珂川と南の千波湖に挟まれた台地の先端に築かれた天然の要害です。台地東端の下の丸から西に向かって本丸、二の丸、三の丸が配置され、それぞれが空堀で仕切られた連郭式平山城で石垣を一切使わない土造りの城です。
水戸徳川家35万石の城下町に相応しい、見応えのある町並みとお城です。現在城跡は、学校などが多く建ち並ぶ文教地区になっていますが、学校の塀が白壁なっていたり、門が冠木門の造りであったり趣があります。その町並みに2019年に荘厳な大手門、2020年に二の丸角櫓が復元され、公開されてます。

「水戸学の道」という水戸駅北口から、水戸城を巡る散策ルートがあり、案内板がルート沿いに多数設置され、観光案内、寄り道スポットを紹介しています。一周 2.6km、徒歩約2時間、たっぷり堪能できます。
観光案内所や弘道館などで周辺グルメやお土産品情報も盛り込んだ散策マップも配布されているようなのでそれ1枚あれば、事足りてしまいますね。

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キンヤ

小牧・長久手の戦いで秀吉軍に付いた村瀬氏の城 (2023/04/29 訪問)

天文15年(1546年)に将軍足利義輝の家臣であった村瀬作左衛門(村瀬作右衛門とも)によって築かれたと云われます。
天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いの際、村瀬作左衛門は羽柴秀吉軍に付いて、池田恒興たちと軍議を開き戦いましたが、徳川家康軍に敗れて、池田恒興、森長可たちとともに討死し、大留城は廃城になったとされます。

かつては東・北・西側は堀が巡らされ、南側は今と同じく玉野川(庄内川)が流れていたようです。
現在の子安神明社一帯が城跡です。
子安神明社に入ると、遺構かどうか分かりませんが土壇があり、その上に城址碑が建てられています。
以前は子安神明社の東側と北側に空堀が残っていたそうですが、今は道路や宅地となり残念ながら空堀は見られませんでした。
でも、子安神明社北側背後には埋められたと思われる堀跡がありました。

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カズサン

移築横須賀町番所 (2023/04/10 訪問)

 横須賀町番所は東大手門外に建っており、維新後の建物解体移築の中、元の所に残されおり、民家として昭和51年まで使用されていた処、家主より寄贈を受け一時保管し、民家としての増改築部は取り外し、昭和55年現在の掛川市大須賀支所敷地に復元移築した。(横須賀町番所より抜粋)
 移築横須賀町番所は横須賀城から東に約1.7km程の県道69号線沿い大須賀支所入り口付近にあります、県道69号線は国道150号線より北の通りです。

 もう一つの現存旧城門が横須賀城から北西に約400m程の撰要寺に旧城門(不開門)移築されて山門と成っています。(住所:掛川市山崎1305)
 撰要寺の移築門は、まだ訪ねて居らず、機会をみて北東側にある大堀切を下からの観察と併せて訪ねたいと思います。
 

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肉球

伊豆木陣屋・長野県飯田市 (2023/04/28 訪問)

関ヶ原の戦い後に廃城になっていた伊豆木城の南麓に小笠原長巨によって築かれた陣屋です。
小笠原氏は幕末まで領地替えもなくここを統治したようです。
清水寺と同じ懸造りの書院が残り内部も見学できます。観覧料300円
書院裏手には蔵も現存しています。
大手橋を過ぎた所にあった門は飯田市内の専照寺に移築されいます。
駐車場は菩提寺の前にあります。

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肉球

竹佐陣屋・長野県飯田市 (2023/04/28 訪問)

1681年尾張徳川の分家筋の松平義行によって築かれた陣屋跡です。
のちに領地替えにともない美濃国高須に陣屋を築き高須藩となりますが
幕末までここの陣屋は残り今は石垣が僅かながら残っています。
陣屋門が少し離れた光明寺へ移築されています。

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todo94

2022年度最後の一日⑥ (2023/03/31 訪問)

「まむしづか」は知らなければまず読めないでしょうし、IMEの変換でも出てくるものではありませんでした。めぼしい遺構はないのかなと思いましたが、説明板の中の図の現在地を確認してみると、後背の茂みは馬出の土塁にあたる感じになりますかね。ちょっとあっさりとしすぎていますが、これが2022年度最後の攻城となりました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)1日目:大井城 (2023/04/18 訪問)

志賀城から転戦。佐久公民館駐車場(36.274320、138.479677)に駐車し、登城口(36.274164、138.481817)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代に大井氏によって築かれたと云われています。

駐車した佐久公民館駐車場に岩村田陣屋跡の標柱がありました。
城は湯川の西岸にある河岸段丘に築かれていました。北から南へ石並城・王城・黒岩城と並んで合わせて大井城または岩村田館と称されています。
現在は王城が公園として残されており、南の道路の対岸に黒岩城が見えます。
攻城時間は20分くらいでした。
本日の城巡りはここがラストで、ここから佐久平駅に戻りレンタカーを返却して、宿泊先のホテルがある上田駅に向かいます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)1日目:志賀城 (2023/04/18 訪問)

平賀城から転戦。雲興寺駐車場(36.249953、138.529219)に駐車し、登城口(36.250233、138.529656)に向かいました。

築城年代は定かではないようですが、笠原氏によって築かれたと云われています。
1540年(天文9年)頃から甲斐の武田氏が佐久へ侵攻し、1545年(天文14年)頃には郡内の諸城は武田氏によって陥落し、残すは志賀城の笠原新三郎清繁のみとなっていました。
1546年(天文15年)武田信玄自ら佐久へ侵攻すると、上野国菅原城主高田憲頼父子が援軍として志賀城に駆け付け守備を固めます。
さらに関東管領上杉憲政は金井秀景を大将として援軍を送ったが、小田井原で武田の家臣板垣信方や甘利虎泰などと合戦となり大敗を喫してしまいました。
この合戦の大敗によって籠城兵の士気も下がり、城は陥落、城主笠原清繁をはじめ高田憲頼父子などが討死しました。
落城後、城内に立て籠もっていた女・子供は捕虜として甲斐へ送られたそうです。

志賀集落にある雲興寺参道入口に志賀城への道標が出ています。
志賀城へはお寺の東側から墓地へと続く道を登っていけば山頂まで整備された道が付いていますが、倒木が多く途中で予定時間も過ぎた為、断念しました。
参道に石積の通路があり、曲輪にも所々石積が残されています。
攻城時間は70分くらいでした。次の攻城先=大井城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)1日目:平賀城 (2023/04/18 訪問)

伴野城から転戦。付近に駐車スペースはなく、城山保育園付近(36.228943、138.503629)に路駐しました。
そこから5~6分歩いて、平賀不動尊東側登り口(36.226932、138.506399)から攻城しました。

築城年代は定かではないようですが、平賀義信によって築かれたと云われています。
平賀氏は新羅三郎義光の子義盛が平賀に館を構えて平賀冠者を名乗り、その子義信によって平賀城が築かれたと伝えられています。
義信の長男惟義は伊賀国守護を務めて大内冠者と呼ばれ、二男平賀朝雅は北条時政の娘を娶り京都守護職を務めるなど、源頼朝に従って要職を務めました。
1400年(応永7年)大塔合戦では佐久郡の他の国人領主とともに、守護小笠原長秀と戦っています。
その後、小笠原氏系の大井氏と争うようになり、1446年(文安3年)大井氏によって滅ぼされたそうです。

主郭は山頂から西へ張り出した尾根の頂部にあって、南東に本丸・北西に向かって二の丸・三の丸と連なっています。
攻城時間は45分くらいでした。次の攻城先=志賀城に向かいました。

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くらのり

岡山城 (2023/05/01 訪問)

別名「鳥城」「金鳥城」と呼ばれ、国指定の史跡です。豊臣秀吉の身内並みに厚遇されて大大名となった宇喜多秀家が、秀吉の指導を受けて築城。完成までに8年の歳月を費やした岡山城は、旭川を天然の外堀に活用。
天守閣の壁に黒漆塗りの下見板を取り付ける特徴が、外観が黒く「鳥城」と呼ばれ、秀家は岡山城を戦の施設としてだけではなく、領国内の商人や職人を集めて治世の府として城下町の整備を整えました。
秀家に代わって城主となった小早川秀秋、岡山城を拡張し、その外に寺町を配置。
岡山城は歴代城主の下で岡山の街並みの発展を見続け、近代都市の礎となったのです。

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にのまる

赤い城さんのクイズ

真壁城、同じアングルの写真をさがしてみました。
外曲輪南虎口西側のⅣの堀から北側の中城庭園方向を見上げたところですね!
このあたり、すごくかっこよくて何枚も写真を撮りました。
遠くに見える山は加波山?


GWは隔日でお仕事なのでお出かけ予定なしです。
【かるた】と溜まっている行ったお城の投稿、がんばります。

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いんげん丸虫

入山城 長野県千曲市 (2023/05/02 訪問)

村上氏関連、入山氏の要害の山城です。
水道施設から登城できるはずでしたが、
現在工事中です。

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いんげん丸虫

ピラミッド型 (2023/05/02 訪問)

ピラミッド型をした自在山の山頂に自在山烽火台
があります。
土塁に囲まれた主郭、竪堀として伸びる横堀など
が見れます。標高793m,比高400m。
険しくロープの張られた斜面もあります。
登山コースとして整備されてますが、キノコ山の
ようで9~11月頃は入山禁止ですね。立ち入り禁止
の看板が多くて少しイメージ悪いです。。
小型車なら麓の自在神社、そこまでの路肩に駐車
可能です。

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朝田 辰兵衛

赤い城さん,解答します。 (2023/04/16 訪問)

赤い城さん,茨城県クイズ,ありがとうございます。
「茶色」で「V字」のクイズだったら,小幡城しかわからなかったと思います。
画像奥に見える,緩やかでふたコブの稜線の山は,日本百名山の「筑波山」。
茨城県に筑波山と見間違う山は他にないと思います。
ということで,答えは「筑波山」と言いたいのですが,城郭名ですよね(←当たり前だろっ!)。
筑波山からの距離感から推察して,「真壁城」だと思います。
行ったことはないですが,土塁にかなり手が加わっているという,
がっかりな投稿で記憶に残っています。

さて,私の画像の場所は「板橋城」です。
長命寺の石段を,本堂まで登る途中に見つけました。
住職の趣味のエリアなのかな…?

そうそう,5/3~5/7で遠征に行ってきます。
投稿は休みますが,みなさんの投稿は閲覧させていただきます。
ご容赦くださいませ。

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にのまる

おめでとうございます🎉

赤い城さん、茨城県制覇おめでとうございます🎊
千葉県、埼玉県、群馬県、栃木県、茨城県コンプですねー❗️

700城到達もおめでとうございます🎈
あと2300城、がんばってください❗️

ではここで、おめでとうクイズです。
↓どこでしょう?

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yama1neko2

ご先祖様の墓参り

2021.12.11
ポカポカ秋の陽気に誘われて、ご先祖様の墓参り。
水ヶ城山は、すっかり山燃ゆる晩秋の景色に変わりました。
戦国時代の城主臼杵長景公の墓碑が水ヶ城を見つめています。
秋の古戦場、水ヶ城陣跡が目に浮かんできます。
栄枯盛衰を今もなお映そうとしているかのような気がしました。  

水ヶ城は標高280.8mの水ヶ城山から北へ伸びた尾根の標高212mの峰に築かれている。
永正2年(1505年)臼杵氏六代臼杵長景による築城(『豊後国史』)と言われている。
主郭は北西から南東へと長く伸びた曲輪で、南側に一段小高くなった土壇状の地形が残るが、上は削平されていない。
曲輪の中央東部にl字に窪んだ虎口状の地形が残されている。
水ヶ城城下の田篠台、江無田台住宅地の一角に大友系臼杵氏初代臼杵時直、六代臼杵長景、七代臼杵鑑速、そして耳川合戦で討死した臼杵統景の供養塔がある。

臼杵市江無田、鍛冶屋原の北讃岐園と言うところに長景公のお墓があります。
墓碑には
臼杵近江守長景
堅心院殿悟明宗圓大居士
大永7年12月3日
と記されています。

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10Q-Nobu

防御力が高い中学校 (2023/05/02 訪問)

景観が保全されていて、歩いてまわるのに心地いい城下町。
城は門が現存しているのみだが、石垣の積みが奇麗で見どころあります。
城跡の敷地は中学校になっており、城好きには羨ましい環境ですが、実際通っている在校生は何とも思ってないんだろうな。

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あみりん

思いがけず山登りな、佐伯城。 (2023/05/02 訪問)

最高な天気な中、思っていたより登山でした‼️
山頂からの景色は最高でした。
宿泊していた大分から特急にちりんで往復しました。
今回はたくさんの電車に乗り、充実の大分城巡りでした。
江戸時代の人々も歩いた道で山頂まで歩いたらしい。

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