桜本数200本、私の行った頃にはソメイヨシノは終わっていて遅咲きの桜のみでしたが、ここも弘前城に負けないぐらいの桜の名城だと思います。桜の他、このお城の見所は堀の真ん中に土塁を築く事によって城内を迷路の様にして防御力を高めている点です。中土塁と呼ばれるもので現在では園路として活用されています。浪岡城の城主は南北朝時代に後醍醐天皇を助けた北畠氏の子孫浪岡北畠氏で築城は1460年頃と考えられています。1500年代前半が最盛期で県内に多くの神社を建てましたが、後半になると親族間の争いで勢力が衰え、1578年に津軽為信公に攻められ落城しています。
+ 続きを読む










