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❴かるた❵ 名古屋城の読み札 (2023/03/30 訪問)

天下普請 豊臣恩顧で 名古屋城

まぼろしの 小天守一つ 名古屋城

上記の二つの読み札としました。

名古屋城は天下普請の城で、加藤清正を中心とした豊臣恩顧の武将によって築かれたお城です。
豊臣恩顧の武将によって築城させて、徳川に歯向かうことの無意味さを自覚させた徳川家康で有ります。

名古屋城は、小天守をもう一つ造ることになっていました。
しかし、その直前に豊臣秀頼との和睦が成立し小天守は造られませんでした。


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10Q-Nobu

太宰府絶対防衛線 その2 (2023/05/01 訪問)

水城から徒歩で大野城登山口までは結構距離ありました。
遺構が山の中に広く分かれてあるので、低山ですが見てまわるには登山装備がオススメです。
車なら太宰府から上まで上がってこられます。
周りを一望できる眺めの良さからも、ここに防衛線を築いた理由が分かります。

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10Q-Nobu

太宰府絶対防衛線 その1 (2023/05/01 訪問)

太宰府政庁を守る古代山城の繋がりを見るテーマで、水城から大野城を歩いてみた。
水城は城と言うより長大な土塁ですが、作られた年代を考えると、白村江の敗戦がいかに衝撃だったかうかがい知れる。

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ゆいと

置塩山にはたくさんの楽しさがある (2023/04/30 訪問)

置塩城のある山は置塩山です。山は18丁あります。登れば登るほど楽しくなります。本丸跡からのながめもとてもよいです。なのでぜひ兵庫県姫路市夢前置塩山に行ってみてください。

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ゆいと

少しの跡の坂本城(播磨) (2023/05/01 訪問)

坂本城(播磨)は少ししか跡が残っていません。もし坂本城(播磨)の跡がと残っていたらどんなに素晴らしいか見たかったです。

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カズサン

主郭部天守台・本丸・西の丸 (2023/04/10 訪問)

 玉石垣は掛川市のHPでの横須賀城の解説版では玉石積み石垣と記載されています、北の丸跡から本丸の南東角の虎口より入り、天守台、本丸、西の丸、本丸南下を探訪、本丸には横須賀城の立体模型が解説文と一緒に地表展示されてる、また初登城以来見ている最後の城主西尾氏の子孫、子爵西尾忠方氏書の横須賀城址碑は存在感が在ります。
 南下曲輪、南下桝形門跡越しに南を見ると遠州灘、宝永4年(1707年)の地震の隆起で入江、湊は機能を失うが、現在は2km程南に太平洋を望む事が出来ます。
 天守台には4層4階の層塔型天守が聳えていたとか古絵図で窺える事が出来ますが、相当想像を膨らませる必要は有りますが、佇んで暫し眺めるとよい探訪かと思います。
 
 横須賀城のパンフレットは本丸南下枡形虎口にある案内板掲示には資料ボックスとしてありませんが、掛川市でパンフレットを「掛川三城ものがたり」掛川城・高天神城・横須賀城のセットで発行しています、掛川城、同観光案内所で入手できます。また掛川市HPで8ページのPDFでアウトプットする事も出来ます。
 
 

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あみりん

大友氏の自然要害臼杵城。 (2023/05/01 訪問)

大分駅から、ソニックにちりんに乗り、臼杵城へ。
土砂崩れ防止防護策がつけられている石段を登り二の丸へ。
快晴で汗をかきながらも、良き城巡りとなりました。お堀に鯉とデカい鴨が水浴びしてました。

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カズサン

主郭周辺玉石垣と高切岸 (2023/04/10 訪問)

 横須賀城の主郭部は本丸に天守台を設け西に西の丸、本丸南に南下曲輪、その下に南下枡形の構造でした、横須賀城古絵図を見ると、天守台には四層四階の層塔型天守が聳え四方海上を睨んでいた様です(御天守想像図は本丸南下虎口の案内板掲示板の写真付き散策マップ?の下に載っています)、また南下枡形門の北側玉石垣上には二層の櫓門が枡形横幅いっぱいに設けられていた(古絵図によると)。
 
 横須賀城の特徴である、玉石積み石垣は本丸南下側の正面と左右面、一段下がった南下枡形門の正面と左右面、本丸に南東面の正面と東虎口に積まれている、玉石の曲面、石積郭の曲面が穏やかでかわいい、城主も余程石垣に拘ったのでしょう、玉石は近くの天竜川、大井川、太田川から産出された事でしょう、説明文では天竜川と記されていました。
 北側、東側の裏手は土塁で高切岸に成っています、北の丸側から眺めると高い切岸は圧巻です、時期的に染井吉野桜は終わって居ましたが、チラホラ名残の桜が目を楽しませ、新緑若葉が目に眩しく光ってる良い城探訪でした。
 

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あみりん

夕方散策大分府内城 (2023/04/30 訪問)

宿泊先から、ほど近い街中のお城。
本丸跡は駐車場になり、寂しい面影でした。
お堀は現在でした!

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あみりん

ゴールデンウィーク第一弾は中津城へ! (2023/04/30 訪問)

大阪南港からサンフラワーに乗船してやってまいりました、大分県。今回は乗り鉄も楽しみながらの城巡りです。
駅から、15分程よい距離感。福沢諭吉の生家近くの中津城。こじんまりながら、良き立地で坂もなく、城の中もじっくり見学しました。

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イオ

【かるた】二本松城の読み札と絵札

少年隊 銅像哀し 二本松城

石垣も山上の土の遺構も見応えありますが、二本松城というと二本松少年隊の銅像が真っ先に思い出されます。少年隊の悲劇もさりながら、後方の母親の像がもう…。
 

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ゆいと

大切にされてきた龍野城 (2022/06/11 訪問)

龍野城はたくさんの建物が残っているのでとても大切にされてきたのがわかりました。龍野城が大切にされていなかったらこんなに素晴らしいものが見れなかったかもしれません。龍野城の周りにはたくさんの歴史の建物があります。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)1日目:芦田城 (2023/04/18 訪問)

長窪城から転戦。城址駐車場(36.263496、138.318479)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、鎌倉時代に芦田氏によって築かれたと云われています。
鎌倉時代の芦田氏は滋野氏の分流でしたが、村上氏によって滅ぼされました。
その後、依田光徳が城主となって芦田氏を称し、依田系芦田氏の居城となりました。
1541年(天文10年)芦田信守のとき、武田信虎、諏訪頼重連合軍が佐久へ侵攻し、諏訪頼重によって芦田城は落城しました。
その後、諏訪氏は武田信玄によって滅ぼされ、芦田氏もまた武田氏に従い信濃先方衆となり、武田氏に従うと春日城を居城としました。
芦田信守は三方ヶ原合戦で活躍し、遠江国二俣城に入城しましたが、1575年(天正3年)に没しました。
信守の子が依田玄蕃信蕃で、二俣城で死去した父信守に変わって二俣城を守備し、徳川家康に攻められ半年に及ぶ攻城戦を戦い抜いて降伏開城、高天神城へと退きました。
武田氏が滅亡し織田信長が本能寺の変で倒れると天正壬午の乱が勃発します。
上野から侵攻した北条氏によって東信濃一帯は北条方となり、甲斐の若神子で徳川軍と対峙していました。
このとき依田玄蕃は佐久で挙兵して各地でゲリラ戦を展開し、北条方の糧道を断つことに成功したが、岩尾城攻めで討死しました。
依田玄蕃の子は松平姓を賜り、松平康国と称して60,000石で小諸城主として抜擢されました。

主郭は山頂にあって高土塁が巡る方形の曲輪で、その一角に木の宮社が祀られています。
舗装された道が主郭のすぐ下まで続いていますが、駐車場に向かう道は狭いです。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=望月城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)1日目:長窪城 (2023/04/18 訪問)

丸子城から転戦。林道入口(36.274194、138.268858)から林道に入り、その先の搦手口付近に駐車しました。

築城年代は定かではないようです。
戦国時代には大井氏の属城でしたが、1543年(天文12年)甲斐の武田信玄が攻略、大井氏は捕らえられ以降、武田氏の北信、東信攻略のための拠点として活用されました。

遊歩道が整備されています。
主郭は山頂にあり東屋が建っています。北東の尾根が搦手で、こちらには堀切を設けて遮断しています。
居館は西麓の神社のある一段小高くなったところのようです。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=芦田城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)1日目:丸子城 (2023/04/18 訪問)

木曾義仲館(城びと未登録 長野県上田市)から転戦。丸子公園駐車場(36.321782、138.267501)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、城主は丸子氏で1183年(寿永2年)丸子中太が丸子氏の初見のようです。
1585年(天正13年)丸子氏は真田氏に属しており、真田軍と徳川軍が激突した第一次神川合戦における「丸子表の戦い」の舞台となっています。

現在は丸子公園として整備されていて、安良居神社から尾根伝いに彩りの森公園散策路があります。
二の丸とされる部分に展望台があり、切岸と浅い堀切が確認できます。
攻城時間の見積もりを間違えました。二の丸到達時点で予定時間なり、本丸に向かう途中で引き返しました。
攻城時間は50分くらいでした。次の攻城先=長窪城に向かいました。

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T-Shionoya

カワセミに会える泉頭城 (2023/01/28 訪問)

先週投稿した戸倉城に続いて訪問した静岡県清水町の泉頭城。

何度か訪れている柿田川公園が城跡と知ったのは数年前のこと。
大量に湧く富士山湧水やカワセミが見どころの公園ですが、今回は城跡として歩いてみました。

昔は今以上に多くの湧水ポイントがあったのでしょうか。その流れがつくり出した複数の谷を要害とした城。
柿田川は1kmチョットで伊豆と駿河湾を結ぶ狩野川に接続するため、水上交通には恵まれた地。
陸路も東海道が近くを通り、駿河から伊豆への玄関口。

1500年代中頃に小田原北条氏が築いたとされ、武田が侵攻してきた時期には戸倉城などと連携し戦ったとのこと。
秀吉の小田原征伐の際に廃城となりますが、生活環境の良さから家康の隠居地候補に挙げられていた城でした。

現在は西曲輪や船付曲輪跡が湧水を楽しむ柿田川公園となっており、本丸跡は駐車場、東曲輪や南曲輪は住宅地に。
知らなければ自然豊かな公園ですが、城跡として訪れてみると、貴船神社周辺は中世城郭の面影がないこともない状態。
住宅地にも城の名残の小さな段差が残っていました。

訪問中、第1展望台でしばらく待つと、1羽のカワセミが登場。
望遠レンズを忘れてしまいピントがイマイチですが、この日もカワセミに会えた泉頭城が私の城郭巡りの145城目でした。

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赤い城

久慈川蛇行部の台地上に (2023/04/23 訪問)

主郭を示す部分のそばの道路に駐車スペースがあります。
すぐ側に土塁が残っています。
道路を挟んで土塁の反対側が主郭のようです。
堀も残っていました。
城域は住宅地や農地となっていて遺構も多くは残っていないようです。
畑の中に南方三十三館誅殺事件で粛清された嶋崎氏終焉の地の石碑がありました。
関戸神社周辺までが城域のようです。
また、水郡線が走る部分は堀の跡のようです。

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朝田 辰兵衛

城輪柵のバーター,王道はこちら。 (2023/04/01 訪問)

城輪柵の手ごろなバーター。比高差なく,約3㎞です。鎌倉時代より古い歴史を持っているとのこと。また,大物忌神社の西側に隣接する酒田市北部農民センターもかつて城域だったとのことで,城輪柵との関係性がより深いのでは…と思いました。今後の調査・研究に期待します。

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三浦の晃ちゃん

施設は4時まで。 (2023/04/30 訪問)

城址の案内施設は4時までです。時間に注意が必要です。ただ、城内は、いつでも入られるようです。

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肉球

山本陣屋・長野県飯田市 (2023/04/28 訪問)

堀秀政の四男政成が家臣近藤家に養子に入り近藤政成と称した。が
若くして没し嫡子が幼少のため五千石と半減され
この地に陣屋を築き明治に至ったようです。
跡地には石垣が少し残されています。


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