間門城は間門浅間神社の背後に築かれていました。
神社左手も郭になっていた可能性があり間に堀切があります。
神社左手の階段から登っていき
神社背後に左手から回り込んでいきます。
山の神の祀られている郭の先に堀切があり
その先にも郭があります。
藪化が進んでいて、土塁などの詳細は不明ですが
草刈りなど整備がすすめば訪れやすくなるものと
思われます。
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2023/07/31 11:31
2023/07/31 11:22
天下の名城のライトアップ (2023/07/06 訪問)
昼間に見る天守は天下の名城、大阪城です。
その美しさ、大きさは圧巻です。
昔は夜は火を灯しているくらいの明るさでしたでしょうから当然、現代のライトアップされた城の姿などは拝むことは不可能かと思います。
ですので、今の時代の特権を利用して城跡、天守を臨みます。
さすが夜でもその大きさや美しさは素晴らしい物があります。
昼間になかったライトに照らされた美しさと、闇のある石垣、堀の凄みみたいな物は逆によるだから味わえる雰囲気ではないかと思います。
大阪城には夜でも人は多くいらっしゃいました。
城好き、そうでないに関わらず、やはり大阪に来たら一度は訪れたい場所です。
いかなる人も惹きつける魅力は、天下の名城だからこそでしょうか。
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2023/07/31 10:18
沼津城散策。城あとさんぽ。 (2022/01/09 訪問)
せっかく沼津に来たので、城跡や石垣めぐりを
しながら散歩をしてみます。
公園の北側に城岡神社があります
静岡県沼津市大手町3丁目5−17
散策中に見つけた松浦酒店‥すごいですね
ラブライブはまだ勢いがありそうなので、このまま
元気に営業を続けてほしいです。
グーグルで見てみると推しはあいかわらずのようですね。
安心しました。
沼津市街の中でも川べりに近い川郭町はかつては沼津城の外郭に接した
狭い町だったそうです。
こんな所にも町があったんですね。
それともお城が後からできたんでしょうか?
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2023/07/31 10:02
狩野川は青かった (2022/01/09 訪問)
戦国期から江戸初期まで沼津城は区別のため三枚橋城と呼ばれています。
安永7年(1778)水野忠友が新たに沼津藩主となり
一時、開墾地となっていた沼津の地に新たに縄張りを行い
紆余曲折を経て安永8年(1779)9月に城が完成したとあります。
狩野川にかかる、あゆみ橋を北西に向かっていくと中央公園があり
そのあたりが本丸ですね。その周囲に二の丸、三の丸と広がり
城域はなかなか広いです。
周辺にはかつての三枚橋城の石垣が残されていますが、
新しい方の沼津城のものでしょうか。
三枚橋城石垣‥沼津リバーサイドホテル前
静岡県沼津市上土町100−1
35°05'49.7"N 138°51'29.6"E
35.097132, 138.858214
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2023/07/31 09:32
田峯城 (2022/01/29 訪問)
断崖絶壁とはここのこと。
でも写真では伝わらず。
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2023/07/31 09:23
2023/07/31 09:14
2023/07/31 08:44
尾根上を歩くハイキングコース (2021/03/06 訪問)
朝比奈城の案内板やwikiには朝比奈氏は岡部氏にならぶ戦国武将と書かれて
おりまして‥止駄郡殿村にあり、今川家の功臣朝比奈某の築く所にして、
永禄年中まで朝比奈家代々の居城なり‥
要は朝比奈氏の城ということです。
私は茶畑ルートから攻めまして、尾根上に続く、いくつもの堀切を
わたって先の曲輪エリアまで到達しました。
曲輪には土塁が残っています。
ちょっとしたハイキングコースとして楽しめました。
高低差がそれほどないので茶畑から入ってからは楽ですよ。
あまりの暑さにバッテリーが死んで判日有給をとっているところです。
JAFまだ来ませんね。
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2023/07/31 08:24
籠城戦23日‥武田軍相手に奮闘 (補足)酷いことをすれば返って来るようで‥ (2021/03/05 訪問)
花沢城は今川の城です。
武田氏の今川領進行の際、城将小原肥前守透資良は
がんばって持ちこたえましたが、永禄13年(元亀元念)
正月27日に陥落しました。
城の西側から登城道が続いていて、すぐに一ノ曲輪につきあたります。
西に三ノ曲輪、東に二ノ曲輪があり
二の曲輪より尾根上を南にいくと六ノ曲輪に突き当たります。
目だった遺構はないですが良く整備され
気持ちよく散策できると思います。
補足‥小原肥前守透資良は大原資良ともいわれ、かつての
吉田城代、小原鎮実と同一人物とされています。
この御人、かつて龍拈寺門前で東三河の豪族から預かっていた
人質を串刺しにして処刑しており、おおいに恨みを買っていた
人物であります。花沢城落城後、鎮実は高天神城の小笠原氏助(与八郎)
を頼って落ち延びましたが、すでに徳川氏に帰属を決めていた氏助に
よって妻子ともども惨殺されたと言います。
やはり戦国の世とはいえ、あまりにもひどいことをすると
後々ロクなことにはならないということでしょう。
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2023/07/31 00:31
今川→武田→徳川→武田→徳川(廃城)の争奪戦 (2021/03/06 訪問)
持船城は元は今川の城で今川義元の妹婿である関口親永らが
城主を務めたとあります。
関ヶ原の合戦の後、武田と徳川の争奪戦が繰り広げられ
天正10年(1582)家康に攻められ降伏、この時に廃城になったと
されています。
城址に至るまでの景色がなかなか良く、JR東海道新幹線がすぐ下を走っています。
登城道を登るとすぐ本丸にたどり着き、そこから
大堀切を経て二の丸に至ります。
武田の手に渡った割には遺構が少し物足りないような‥
激しい争奪戦が繰り広げられているから重要度は高いはずなんですけどね。
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2023/07/30 23:48
玄広恵探 最期の路 高山寺~玄広恵探の供養塔 (普門庵跡) (2021/03/06 訪問)
花倉の乱で敗れた玄広恵探(今川良真)は高山寺へ逃げ込みますが
そこにも追手が押し寄せ、普門庵に逃れそこで自害します。
享年20歳ですが、当時は数え年なので今の年齢でいえば19歳でしょう。
普門庵も今は跡地になっていて、玄広恵探の供養塔が建っています。
義元自身、大河ドラマなどでは桶狭間の合戦の周辺でしか出番がなく
玄広恵探が日の目を見ることはほとんどありません。
義元が恵探の夢や幻を見たという逸話も残っているようで
庶兄とはいえ身内を手にかけた後ろめたさのようなものが義元の
心の中にあったのかもしれないですね。
玄広恵探の供養塔 (普門庵跡)
静岡県藤枝市本郷889
34°54'59.0"N 138°12'09.1"E
34.916387, 138.202534
高山寺
静岡県藤枝市本郷
高山寺‥2022年の12月28日に火事にあって本堂や母屋4棟が
全焼してしまっています。
なんてことですか、また燃えてしまったんですね。
住所は藤枝市の本郷とだけ記載しておきます。
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2023/07/30 23:24
玄広恵探 始まりの地 遍照光寺城 (2021/03/06 訪問)
花倉の乱の当事者、今川義元の庶兄 玄広恵探は
幼いころに出家し遍照光寺(現・偏照寺)に預けられました。
遍照光寺の東に今川館跡があります。
偏照寺には今川氏家公、範氏公の墓があり
背後の山が遍照光寺城として詰めの城になっています。
登城道は無いので直登になりますが、フェンス沿いに登っていくと
北側に堀切が走っているのが見えるはずです。
山頂の尾根沿いに扁平地が広がっていて
主郭のエリアは思いのほか広そうです。
西側にも郭が段々に連なっていて、主郭を南側に歩いていれば
西の郭への降り口はなんとなくわかるのではと思います。
今川館
静岡県藤枝市花倉110-1
34°53'48.2"N 138°14'05.9"E
34.896708, 138.234974
遍照光寺城(藤枝市花倉)現・偏照寺
静岡県藤枝市花倉397-1
34°53'50.3"N 138°13'55.2"E
34.897315, 138.232002
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2023/07/30 22:05
吉岡城(宮城県黒川郡大和町吉岡) (2023/07/30 訪問)
今日は大和町教育委員会主催の郷土史講座に参加しました。この地は藩政時代に奥州街道吉岡宿があったところ。2016年にスケートの羽生結弦くんが出演して話題を呼んだ映画「殿、利息でござる!」のモデルとなった町です。今日は「吉岡宿を起点とする中山越出羽街道についてー街道を往来した人と物ー」という演題で、自身が所属する古文書を読む会の菊地優子氏が講演しました。猛暑にもかかわらず多くの地元の方々や歴史ファンが参加されていました。
この地は中世から交通の要衝であった場所で、元和2(1616)年には伊達政宗の三男宗清が17歳で配され、下草城から吉岡城に移りました。宗清が寛永11(1634)年に死去すると城(館)は廃され、現在は「城内」の地名のみが残っています。
城址は街中の最高所、保健福祉総合センターがある舘下地区にあり、城址碑が建っています。またその南西側には城内大堤公園があり隅櫓が復元されています。吉岡城は古絵図が残っておらず想像の域を出ませんが、城址碑が建つ上段の平場が主曲輪、一段低い大堤公園の付近がニノ曲輪であったのでしょうか。それぞれに土塁の痕跡や虎口跡と思える場所がありました。
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2023/07/30 21:49
軽海西城 (2023/07/15 訪問)
【軽海西城】
<駐車場他>さいがわ公園駐車場に駐車しました。円長寺前にも一時なら駐車できそうです。
<交通手段>車
<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾2城目。軽海西城の築城年、築城者は定かではありませんが稲葉氏が数代在城して、稲葉氏が東美濃に移住してからは西村勘九郎(のちの斎藤道三)も一時在城したそうです。1560年に織田家の家臣池田恒興の家老の片桐俊元が修築して居城としました。1589年には豊臣秀吉の家臣一柳直末が大垣城から移り6万石を領しましたが小田原征伐の山中城攻めで討死し城は廃城となりました。
現地は現在円長寺となっていて南面に土塁が残っています。土塁はかなり竹藪っていて、コンモリ部分がよく分かりませんでした。戦国時代には東方に軽海東城もあったそうです。
<満足度>◆◇◇
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2023/07/30 21:37
佐倉城 江戸の東の防御拠点 (2023/02/18 訪問)
2月後半の城郭巡り第2段は千葉県佐倉市の佐倉城。
千葉氏9代の本佐倉城から西に約4km。
同じ台地の西端、印旛浦に流れる鹿島川も要害となる比高約30mの鹿島山に築かれた土の城。
江戸の東の防御拠点として、江戸初期に徳川家臣の土井利勝が築城。
しかし元々は戦国期に千葉氏が築き始めていた城だったとか。
土井利勝以来、城主は堀田氏8代など頻繁に入れ替わり、8名の老中を輩出。
現在は佐倉城址公園となっており、梯郭式の本丸・二の丸・三の丸が緑の公園に。椎木曲輪が国立歴史民俗博物館、惣曲輪は中学校や高校となっています。
訪問時は大手門から入城し、椎木曲輪を経由し徐々に城の中心部へ。
復元された椎木門前の広い馬出は、堀の深さが本来は約2倍あったとのこと。
本丸から二の丸に掛けての立派な堀が樹木で存在感を潜めている印象でしたが、クランク状の三の門と二の門、本丸西側下に配置された2つの出丸はおもしろいところ。
最後は竹林のひよどり坂と武家屋敷通りを歩き滞在時間は約3時間半。
期待より城のオーラは小さかったものの、堅い虎口であっただろう佐倉城が、私の城郭巡りの149城目となりました。
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2023/07/30 20:58
ホテル建設時に大きく削られたらしい (2023/01/20 訪問)
西方院山城とともに古市氏が筒井氏に備えて築いたお城。日本を代表するクラシックホテルである奈良ホテルの敷地だがホテル建設時に10m以上も山を削っているらしく、現状からは城跡の明瞭な遺構を探すのは困難だろう。
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2023/07/30 20:56
明瞭な二重堀は15世紀のものらしい (2023/01/20 訪問)
かつては神社の裏側の鍵が壊れていた時もあったようだが今はがっちり施錠され、城内に立ち入ってよいのかどうかは判然としない(ので入っていない)。15世紀構築と推測される二重堀を残す貴重なお城なのだが。
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2023/07/30 19:14
2023/07/30 18:51
馬出しは 武田のものだと 信じたい ・かるたの読み札 (2021/02/20 訪問)
諏訪原城は武田氏によって築かれ、後に徳川の手に渡りました。
その際に改修を受けているはずなのですが
私は縄張りや馬出しは武田のものだと思いたいんですね。
武田流築城術と聞くとテンションが上がりますよね。
別に徳川を否定するわけじゃないんですよ‥
ただ馬場美濃守の縄張りと思いたいだけなんですけどね。
3度くらい訪れているんだけど、広いですねここは。
その割には馬出しの写真を撮り損ねていたりするんですよ。
また涼しくなったら行ってみたいですね。
なんといっても駐車場も入場料もいらないですからね。
近所に住んでいたら毎日散歩に行きますね。
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2023/07/30 18:18
勝間田城のおまけ、牧之原市勝田 (2020/02/20 訪問)
勝間田城のおまけ
本丸周辺の写真が足りなかったので、追加で掲載させていただきたいと
思います。
二の曲輪を介して遊歩道で本曲輪にたどり着きますが
途中、東尾根曲輪に先に着くと思います。
その先に串ダンゴのように堀切と土塁状の土盛りが続き
その先にも曲輪があるのですが、それは後の楽しみにとっておいて
先に本曲輪を片付けます。
本曲輪と北尾根曲輪、南曲輪はみな遊歩道で往来が可能で
南曲輪の先も城域に含まれていそうですが
とりあえずそこまでにして串ダンゴを片付けて帰りました。
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