本日 お隣の自治体 田原市の田原城に行ってきました。
田原城は天文12年 戸田宗光が築城し、高縄城から移ってきました。
その後、今川氏の怒りを買い田原戸田氏は滅びます。
時がたって慶長6年 戸田尊次が1万石で入城。寛文4年 三宅康勝が1万2000石で入城。
その後代々三宅氏の居城として明治時代を迎えます。
江戸時代の縄張りや遺構をある程度留めていて、大手の桜門の前には
石垣と堀の代わりの袖池が広がります。門を入って右手に三の丸があり
今は護国神社が鎮座します。復興コンクリート造りの二の丸櫓は展示館として機能しており
内部に田原城の模型が展示されています。
この模型によると、通常は南東部の腰郭から三の丸を経由して出入りをしていたようで
複雑に折れ曲がった登城道にいくつもの小さい門が設置されていたようです。
近世城郭としては比較的小規模ですが、石垣や土塁、空堀など必要十分な防御設備を
備えていたようです。ここはさすが戦国戸田氏が本城にしていただけはあるようです。
二の丸には田原市博物館が設置されており、郷土の英雄 渡辺崋山の展示が常設してあります。
二の丸と本丸の間には大規模な空堀があるのですが、向かって左の空堀には石の階段と通路が
設置してあって、そのまま進むと門があって、そこからも出入りできます。
その昇降用の石段の周辺の石垣に刻印をいくつか見つけました。
イタズラなのかなとも思ったのですが、いささか古びた同じデザインの刻印が
あることから、名古屋城建造の際に余った石を吉田城にお裾分けしたさいに
田原城にもお裾分けがあったのかもしれません。
吉田城も田原城も天守台用の櫓の石垣は、この近辺で取れるチャートの石垣ですが
刻印のある石とその周辺の石は花崗岩です。そう思うと少しテンションが上がります。
本丸は現在、巴江神社になっており、神社の石碑の書体は東郷平八郎元帥によるものです。
蒲郡にある竹島の橋のところにある鳥居の扁額の書体も東郷元帥によるものですが
このあたりに来られたことがあるのは間違いなさそうですね。
本丸の周囲は1m位の土塁で囲まれ櫓台らしき高台もあり、土塁の跡も残っています。
なかなか見どころの多い城郭です。
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