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御器所西城(夏の名古屋市散歩) (2023/08/19 訪問)

 佐久間盛政生誕の地として伝わっている城です。城びとには未登録の城址です。尾陽神社となっていて遺構はないと思われます。説明板が鳥居近くにあり、神社の石碑の側面に御器所西城址と彫られています。
ちなみに尾陽神社は徳川義直(初代尾張藩主)と徳川慶勝(14代・17代)が祀られている神社で、明治になり創建されました。
 名古屋市昭和区にあり地下鉄鶴舞線荒畑駅より徒歩約10分で行くことができます。

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山崎城および山崎砦(夏の名古屋市散歩) (2023/08/19 訪問)

 佐久間信盛が居城としていたこともある城と伝わっています。城びとには未登録の城址です。安泰寺付近が城址です。遺構はないと思われますが、西側にある名鉄名古屋本線が走っている場所はかっての堀跡といわれています。説明板はありませんが、案内標識と東海道荒崎呼続町線の道路に石碑に山崎城の名前がありました。
 名古屋市南区にある城址で名鉄名古屋本線呼続(よびつぎ)駅より徒歩5分くらいで行くことができます。


 山崎城の北西約500mにある砦で佐久間信盛の築城と伝わっています。こちらも城びとには未登録です。信盛が山崎城へ入った際に築かれたと思われます。現在は白毫寺となり、遺構はなく石碑も説明板もありません。
白毫寺は「年魚市潟勝景」で知られる地で、埋め立てられる前はこの辺りまで海が迫り、遠浅の干潟があったと伝わっています。「年魚市」は「あゆち」と読み、「愛知」の語源になったと伝わっています。

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志賀城(夏の名古屋市散歩) (2023/08/19 訪問)

 織田信長の傅役を務めたと伝わる平手政秀の居城です。城びとには未登録の城址です。志賀公園として整備されていますが、遺構はありません。石碑、説明板がありました。
 名古屋市北区にあり地下鉄名城線黒川駅より徒歩10分くらいで行くことができます。

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しんちゃん

もう暗くなってきたので、滑り込みポチっと (2023/08/11 訪問)

革嶋城は革島氏によって築かれたとされ
革嶋神社一帯に築かれていたとされています。
南側にささやかな公園があり、革嶋城公園の
プレートがあります。
革島氏は西岡被官衆の一人で、かつて西岡と呼ばれた
地を治めた、室町幕府に被官した有力土豪達のことを
ことを指すそうです。
西岡は京都盆地西部の西岡丘陵から桂川右岸を指すそうです。
地理的に足利将軍家とのつながりも深そうですね。

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安井城(夏の名古屋市散歩) (2023/08/19 訪問)

 豊臣秀吉の正室・おね(ねね)の養父である浅野又右衛門長勝の居城です。城びとには未登録の城址です。山神社、お福稲荷神社の南西が城址と伝わっていますが、住宅街になり遺構はありません。山神社鳥居近くに山神社の説明板があり安井城についての記載があります。長勝は妻の妹婿杉原定利の娘、おね・ややを養女に迎えています。ややは長勝の姉婿の子安井長吉(のちの浅野長政)を婿養子としてします。
名古屋市北区にある城址で、地下鉄名城線黒川駅より徒歩約20分で行くことができます。

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しんちゃん

周囲の坂がすごい (2023/08/11 訪問)

枚方城は枚方小学校の周辺が城跡とされています。
このあたり一帯、周囲に対し明確に高台にあるので
非常にわかりやすい。
城主の娘が豊臣秀吉の愛妾になって近くの御茶屋御殿に
住んでいたというので寄ってみます。
路がすごく狭い、大きい車だときついですねココ
しかも一方通行ではないので次から次へと対向車が
やってくる。大阪だなあ‥。
御茶屋御殿跡からの眺めはなかなか良いです。
淀川が良く見えますね。

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おっつん

公園 (2023/08/19 訪問)

深谷城跡は公園や公共施設になっています。公園外構は模擬石垣や壁などで城址らしい外観となっています。

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しんちゃん

願得寺 (2023/08/11 訪問)

古橋城については詳細が良くわからないのですが
三好氏の城とも、三好氏に攻撃を受けた織田方の城とも
言われています。
ともかく願得寺周辺が城跡らしいので行ってみました。
由緒正しいお寺のようで正面築地塀、長屋門、太鼓楼、正玄関
客殿、書院が文化財指定されているようです。
重要文化財ということですかね。
本堂・鐘楼・山門は大阪府の指定文化財らしいです。

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しんちゃん

写真暗くてゴメン (2023/08/11 訪問)

寺戸城は南北朝の時代に竹田氏によって築かれたとされ
応仁・文明の乱では東軍に属し応仁3年(1469)には
西岡被官衆が寺戸城に陣替えとなり西岡の戦いが繰り広げ
られました。
城跡は市街地と化していて公園の一角に寺戸城跡の標柱が
建っているのですが公園の中からしか寺戸城跡の表示が見えません。
願得寺宝菩提院跡の案内板も建っていますが、
近くの消防団の軒先に釣鐘がぶら下がっているのが
なんとなく意味深ですね。

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しんちゃん

堀切が立派。 (2023/08/11 訪問)

交野城は別名・私部城(キサイヘ)とも呼ばれる城で
大阪のこのあたりでは非常に良く遺構が残っています。
築城主は河内の実力者安見宗房の一族である安見右近とする説
が有力ですが、それ以前に鷹山弘頼が居館を築いていたという
説もあるようです。
西から二郭、本郭、三郭と横並びに続き
三郭は宅地化していますが二郭と本郭の間には巨大な堀が明瞭に残ります。
本郭周辺は宅地化しており侵入は憚られます。
二郭に大きな看板があるのでそこから訪問し、本丸を堀越しに
じっくり眺めます。
堀底に井戸跡もあるようなのですが確認は出来ませんでした。
この暑さの中で特に苦労もなくこうして遺構を拝めるのは
本当にありがたいです。
この後に淡路と徳島ではヤブ地獄(複数)と下り坂地獄を味わうことに
なりますが、好きでやっているんだから仕方が無いっていえば
仕方が無いですわ‥。

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しんちゃん

移築した門は気持ちよく見せてもらえました。 感謝。 (2023/08/11 訪問)

長尾陣屋は江戸時代、久貝氏によって築かれた陣屋だそうです。
城郭放浪記さんの情報によると瑠璃光寺の東側一帯とありますが
遺構は無いですね。
陣屋の門が津田の円通寺にあるというので訪問します。
気持ちよく案内していただき、仏像も拝観させていただきました。
有難うございます。
門を眺めていると南無阿弥陀仏~ とリズム良い読経が聞こえてきます。
私もつい、つられて南無阿弥陀仏とつぶやいてしまいます。
ぽくぽくぽくぽく‥

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しんちゃん

三箇城は地味だが城主の人生は奥が深い (2023/08/11 訪問)

三箇城の比定地として三箇菅原神社や大畑の廃慶岸寺跡が
あげられますが、今回は勉強不足で三箇菅原神社しか
訪問していません。城址碑が神社の境内にひっそりと建っています。
城跡ははっきりしませんが城主の三箇頼照はなかなか波乱万丈の人生を
送っている人物です。
wikiの情報によりますが、三好長慶に仕えている時にロレンソ了斎の説教を聞いて
キリスト教に改宗を決意したとあります。後に京で実権を握った松永久秀に
伴天連追放令が出された際にはヴィレラやフロイスを保護したと有ります。
主君の三好義継にも仏教への改修を命じられますがこれを拒否、
堺に逃れ、後に織田信長に従いキリスト教への信功も取り戻します。
本能寺の変の際には明智に味方しますが破れ、筒井順慶の元へ逃れます。
その後、秀吉に許されますが天正15年(1587)の伴天連追放令の際には高山右近や
オルガンティノ神父らと小豆島に潜伏します。
オルガンティノを永原の信者代表に引き合わせたのち、彼の記録は途絶えていますが
時代の荒波の中で己の信仰を貫いた信念のある人物のようです。

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ヒロケン

登城路崩落の為、通行止 (2023/08/13 訪問)

佐土原城は、標高約70mの丘陵に築かれた山城と、その麓に広がる平城で構成され、約二十七万㎡という広大な面積を誇っています。
現在、鶴松館が建っているいる場所は、江戸時代に平城の佐土原城があった場所ですが、背後の山全体が室町時代から江戸時代初期まで存在していた佐土原城です。
歴代の城主は、伊東義祐公や、島津家久公・島津豊久公がおり、戦国時代の日向国の中心でした。

平成8年の発掘調査で南九州では唯一となる天守の存在が確認され鯱瓦等が発掘されているとのことで、是非、天守台跡などを見たいのと、続・百名城のスタンプ目的で佐土原城を訪問しましたが、鶴松館のスタッフの方から、「登城路が崩落しているところがあったり、草が腰のあたりまでのびていて危ないから通行止めにしている」とのことを聞きましたが、諦めきれず「行けるところまで行っても大丈夫ですか」と尋ねたところ、大手道の登城口あたりなら大丈夫とのことで、行けるところまでまで行ってきましたが、やはり登城口を過ぎた辺りで登城路が崩落しており、ブルーシートが掛っていました。( ノД`)シクシク…

ですが、鶴松館に引き返しガイドさんの話が面白くついつい聞き、鶴松館もガイドさん曰く、柱穴・礎石・石組みなどの遺構から、想像し復元された館で二条城の御殿を模して建てたなど展示物の説明などを受け、目的は達成できませんでしたが愉しい時間を過ごしましたが、早く登城できることを願います。

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POYO58

三の丸、西の丸 (2023/08/17 訪問)

出丸から駐車場に戻り、昼食を済ませて反対方向へと向かいました。最初に見えてくるのは三の丸の大きな堀。畝にはなっていませんでしたが、十分深い堀でした。

西の丸に着くと障子堀が見れます。西の丸の物見台と西櫓台の間にある堀が最も見どころです。天気の良い日には富士山が見えるのですが、今回は不運なことに曇り。

次は北の丸へと向かいます。

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モリハン

多数の礎石 (2023/08/14 訪問)

 草刈りなどきれいに整備されており、城の立体模型もある。そして何より、かなり高い山城の主郭に多くの礎石かわ残っているのは珍しいです。

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TMN97

高岡城址 (2023/08/18 訪問)

高岡城址

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しんちゃん

下り坂地獄 (2023/08/13 訪問)

木津城はかつては三好氏の武将、篠原肥前守入道自遁の城で、
後に長宗我部元親の城になります。
元親の腹心、東条関之兵衛が守将を務めますが
天正13年(1585)内大臣になった豊臣秀吉の大軍の総攻撃を
受けます。豊臣秀長、秀次の連合軍は城郭大系によれば6万あまりとされ
堅固な天然の要害である木津城は八日間持ちこたえますが
水の手を絶たれ、関之兵衛は敗走、責任を取らされ弟の唯右衛門と共に
元親に首をはねられます。ひどい話です。
東側に登城道があるというので登ってみたのですが
廃屋近くにある道を使って登ったので道は途中で消え直登に近い
やり方で登ることになりました。どうやら、もう少し北のコンクリの
くぼみにある藪のあたりから登れば横堀につきあたる
らしいのですが、それどころでは無くなってしましました。
四国ではすぐにGPS圏外になり地形図が役に立ちません。
なんとか山頂あたりまで、よじ登りますが、ひどいヤブで進めません。
降り口を探して周辺をさまよいながら郭らしい箇所で
謎の石積らしいものを見つけましたが詳細は不明です。
結局直接山肌を下っていくのですが、さすがに6万の大軍をてこずらせた
要害。一筋縄ではいきません。
下りが急で、ブレーキが利きづらいので木をストッパー代わりにして
下っていきます。危険個所を避けながらなんとか下山。
正式な登城道からリトライしてみたいとは思いますが、
万一に備え、ロープでも準備しておきたいものです。

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しんちゃん

城址碑は日野神社にあり。 (2023/08/12 訪問)

瓦林城は赤松則村の家臣貴志義氏によって築城されたとされ
後に瓦林正頼の時代に越水城の支城になったとされています。
日野神社の参道わきに城址碑がありますが、
南西約500mほどの位置にある極楽寺も城跡ではないかと
言われています。いずれも遺構らしきものは見当たりませんが
とりあえず両方回ってみました。

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カズサン

市役所屋上撮影挑戦と大河ドラマ館観覧 (2023/08/18 訪問)

 どうする家康浜松大河ドラマ館へ展示入れ替え前にプレオープン入場以来初めてグランドオープン中に観覧に出掛けました、二の丸北の駐車場は満車状態の様子で国道152号線には南からの入場車両で繋がってる、よって周辺のどうする家康大河ドラマ館提携の有料駐車場を利用、300円の駐車券がドラマ館のショップで駐車券提示し頂ける。
 周辺の駐車場利用でしたので先に浜松市役所に寄り、7月21日に浜松市役所屋上展望所よりフェンス越しの撮影で網が入った写真しか取れなかったので、コンパクトカメラ持参でフェンス網目よりトライ、しかし網の影が入りいまいち撮れない、スマホの写真機能を使って撮ると何とか撮れるが屋上の周辺コンクリ壁が入りすっきりした浜松城天守と天守御門が撮れない、後でトリミングしてみる。

 浜松出世パークの北西門より入場、大勢の人で賑わっていました、さすが夏休み効果なのでしょうか?どうする家康大河ドラマ館内は大勢の人で順々繋ぎの見学、閲覧、放映で見ていた浜松城CGの大型展示パネルもありじっくりと観察見学、シアターでは満席で立見も混んでいる10分から15分のシアターが5~6編ほど有り見ごたえ有り、あまり内部撮影出来ませんでしたが、ホォトスポットでは家康、瀬名、直政の等身大パネルが有り順番で撮影、さすが浜松は井伊直政が居る。
 ドラマ館入場で三つ折りのリフレットを頂けますが中に当選のラベルが有れば「クリアバック」が当たり頂ける、家内が当たりゲットするも、此処台風大雨お盆の物流混雑にて入荷難、後日郵送で自宅へ配送頂けるとの事。

 夏の暑い入道雲も空を覆い、入道雲と石垣・天守も夏の風物詩、暑く本丸・天守閣には登らず引き上げました。
 

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ぴーかる

竹ヶ鼻城 (2023/07/15 訪問)

【竹ヶ鼻城】
<駐車場他>羽島市歴史民俗資料館に駐車
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾ラストの13城目。竹ヶ鼻城の築城は応仁年間(1467~1469年)に竹腰尚隆によって築城されました。その後土岐氏や長井氏が入城しました。信長が美濃を攻略後は織田氏の支配に移ります。小牧長久手の戦いで織田信雄の配下の不破広綱が城主の時に羽柴秀吉によって水攻めに遭い落城します。関ヶ原の戦いの時は岐阜城主織田秀信配下の杉浦重勝が城主として籠城していました。八神城主の毛利広盛が援軍として二の丸・三の丸に詰めていましたが福島正則の降伏勧告に応じてしまったために落城しました。竹ヶ鼻城はその後廃城となったようです。
 城跡に遺構は残っていないようなので先にイオさんに倣って羽柴秀吉本陣の間島太閤山跡を訪れました。ここには小山が残されています。その後に羽島市歴史民俗資料館前の城跡説明板を撮影して資料館に行きました。資料館内は竹ヶ鼻城の資料・ブラタモリで放送していた木曽三川の輪中の資料が展示されています。映画館と古い映写機が十数台展示されていて興味が無くても十分楽しめます。
 北隣にある、はしま観光交流センターには葛アイス(味5種程)が販売されており夏場の城巡りの一服にはサッパリ最高です。
 この日のプランは終了し時間が少し余りましたが10城目の大野城跡で自家用車の運転席側のサイドミラーが急に故障してしまい気分がへこんでいたのでこのまま帰路に着きました。第2弾に続く…走行は事故無く400㎞無事走破。

<満足度>◆◇◇

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