久しぶりに城活しました‼︎
お堀や庭園が素敵で、もちろん天守閣も良かったです☺️
ひこにゃんにも会えました🐱
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2023/07/07 07:12
2023/07/07 06:59
2巡目の続日本100名城のスタンプラリー66城目 (2023/05/05 訪問)
5月4日、雨の中、八代市立博物館未来の森ミュージアムに向かいましたが、スタンプ置き場は警備室になったようですね。せっかくなのでミュージアムの特別展も拝見してまいりました。翌日、朝駆けにて攻城。立派な石垣は黒ずんでいますが、石灰石でできていて、磨くと真っ白な石垣になるのだとか。北の丸は今回初めてチェックしました。松江城という別名も今回初めて知りました。次回は、古麓城をメインターゲットにしたいと思います。
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2023/07/06 23:49
実際に住んだら周囲は土塁しか見えない。居心地はどうなのか。 (2023/06/26 訪問)
新宮支城は甲賀郡中惣遺跡群の一つとして国の史跡に登録されています。
東側の道路からアクセスでき、木のクイに新宮支城の標識があります。
登り口はいささか急で、小雨の天候もあり黄ロープが無ければ足を
滑らせてしまうかもしれません。
このあたりの土は黄色く、粘土質なのか雨の日はとくに滑りやすいようです。
本郭は周囲を高い土塁で囲い、東側の虎口から西側の奥手にかけて
土塁の高まりがより高くなっているようです。
主郭の周囲を高い土塁で囲うのはこの地域の城郭の特徴ですが
新宮支城の土塁はその中でもかなり高い方です。
主郭の北側に小さい丘のような郭があり、その間に堀切があるのですが
もともと主郭と一つの地形で堀切を削り取った土で土塁を盛ったのではないかと
考えました。そうだとすれば、地形を変えてしまうほどの
当時の地侍の執念には頭が下がります。
補足‥甲賀・伊賀の地層は古琵琶湖層群といい、良質な粘土の産地で
古来から信楽焼や伊賀焼など焼き物の産地でもあります。
雨の日にこの周辺を訪問して足元が危ないなと感じたのはそのせいかもしれません。
関東ローム層や九州のシラス台地など土の城は自然の影響を受けやすい
ので訪問時は注意を払いたいと思います。
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2023/07/06 23:17
甲賀郡中惣遺跡群の一つ。六角氏が潜伏の可能性は? (2023/06/26 訪問)
村雨城は甲賀郡中惣遺跡群として国に史跡に認定されています。
寺前城とセットで扱われており左手の道路からアクセスすることができます。
二の郭らしき扁平地を経て本郭に入ることが出来、
虎口は西側に設けてあり、周囲を高さ4mの土塁で囲ってあります。
寺前城より防御力が強く造られているようで、ひょっとしたら
近江守護六角氏がこの地に避難してきたときに、この城で
御厄介になっていたのかもしれません。
主郭の南西側にも郭があり両側に土塁がそびえたちます。
二重掘切を経て寺前城とつながっているようですが、この時期は
藪がひどく、この日はここで退散しました。
また秋冬あたりに、ここを訪問したら二重堀切を通じて両城を堪能したいと
思います。
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2023/07/06 22:38
2023/07/06 22:05
小雨の中、訪問。しかも藪曲輪‥これはキツい。 (2023/06/26 訪問)
寺前城は甲賀郡中惣遺跡群として国の史跡に指定されています。
元亀元年(1570)甲賀武士団は織田信長との野須川の戦いに敗れ、軍門に下り、
その後の羽柴秀吉の兵農分離によって終焉を迎えます。
正式なルートは村雨城から入り込むようですが
このたびは直接入り込んでいます。(あまり行儀が良くありませんが)
主郭の周囲を土塁で囲まれていますが、
主郭そのものは酷い草ボウボウでヤブ曲輪と化しています。
なんとか散策はしましたが、村雨城へのルートも藪に覆われ通過できそうも
ありません。国の史跡なのに‥とにかく甲賀は藪がキツすぎる。
からくも北西の虎口から脱出し、堀切を確認しながら
北東に回り込むと東郭につながる道があるようです。
そのまま元来た道から退散しますが、小雨がふっていたこともあり
靴もズボンも濡れてしまいました。
甲賀の城攻めは季節を選んだほうが良さそうです。
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2023/07/06 21:52
歴史案内活動【7月8日(土)10:00~12:00】 (2023/07/08 訪問)
こんにちは、躑躅ヶ崎歴史案内隊のEこと上田絵馬之助です。
暦は7月、2023年も気がつくと折返しを過ぎました。
躑躅ヶ崎館こと史跡・武田氏館跡は現代では武田神社として信玄公を祀ってますが、
毎年6月30日は半年分の祓いをする神事「夏越の大祓(なごしのおおはらえ)」で
その前後に境内に「茅(ち)の輪」が設けられてます。
作法に従って3回くぐると半年分の穢れを祓い
これから来る夏を乗り切っていこうというものです。
神事の日でなくても効果はあるのかどうかですが
信じたものの勝利、です!
神事だけあって。はい。
前置きはこのへんにしておいて、
7月の週末8日の土曜日に
武田神社境内の歴史案内活動を行いますのでお知らせします。
夏を迎える境内つまり武田氏館跡は
青い空の下きらめく陽光に木々の緑が照り返る
目に鮮やかな彩りの季節です。
暑さは我々甲冑武者にとって大敵ですが
余りに暑いと胴鎧と兜を外し、
三具と呼ばれる籠手(こて)、佩楯(はいだて)、臑当(すねあて)の軽装で
皆様をお迎えします。
また、5月からのCOVID-19の5類移行に伴い、
感染防止対策を一部緩和し、
甲冑ガイドとの記念撮影を再開しています。
ガイドともども無料ですので
気軽に声をかけてください。
日時:令和5年7月8日(土) 10:00頃~12:00頃
参加ガイド:局長・大塚與左衛門
◆武田神社境内に今日も残る数々の城郭の痕跡を、個性豊かな甲冑ガイドがわかりやすく楽しく案内します。
◆案内時間は10分~30分、ご都合に応じて調整できます。
◆ガイドは無料です。
◆バスツアーなどの自由時間にあわせた案内も可能です。
◆雨天、COVID-19感染拡大状況等により中止の場合があります。
◆案内活動は武田神社様の承認のもとに行ってますが、当隊そのものは武田神社様とは無関係の有志団体なので
活動に関する武田神社へのお問い合わせはご遠慮ください。
問い合わせ、連絡は当隊公式ツイッター(https://twitter.com/KoufuSamurais)へお願いします。(E)
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2023/07/06 20:56
にのまるさんクイズ,正解で安堵です。 (2023/05/05 訪問)
にのまるさんクイズ,正解できて安堵しました。
あんなに自信満々で外したら,👀も当てられないです。
さて,裾花川を挟み,葛山城と睨み合う旭山城ですが,こちらは公共交通とは無縁です…<泣>。
葛山城を下山し,「たたら」バス停から長野駅前へ向かう途中,GWイベントでバスは迂回中。
停車予定ではない「山王小学校前」で降車しました。(駅から歩くより)300mほど距離を得しました。
しかし,ここから相生橋で裾花川を渡り,徒歩約60分で登城口到着。
気温は,連日の30℃超え。展望台曲輪ではハチが周回中。
本丸西側は土砂崩れが発生したらしく,進入禁止措置が取られていました。
そうそう,7/7~7/11で遠征に行ってきます。
投稿は休みますが,みなさんの投稿は閲覧させていただきます。
ご容赦くださいませ。
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2023/07/06 17:55
渡辺基綱 (2023/07/06 訪問)
JR信太山駅からだらだらとした坂道を15分くらい歩くと石碑に行くことができます。近くに旧伯太藩武家屋敷の石碑もありました。
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2023/07/06 17:50
2023/07/06 17:44
安楽寺 (2023/07/06 訪問)
千石堀城跡より徒歩15分くらいで、安楽寺を経由して近木川福永橋近くにある説明板へ行きました。
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2023/07/06 17:41
せんごくの杜 (2023/07/06 訪問)
水間鉄道名越駅より徒歩にて約10分でせんごくの杜の駐車場に行くことができます。
そこから登城しましたが、歩いて行くと「千石堀城跡」の朽ちかけている木の標識がありました。こちらではないのでは?と思いましたが入って行くと展望台の標識があり登って行くと薄くなって読むのに難渋する説明板がありました。さらに進んでいくと空堀と思われる地形があります。戻って北側の山へ入って行くと所々縄張り図が木に取り付けてありありがたかったです。根来八幡宮の跡らしき場所を見つけると位置関係もより把握できて散策できました。空堀跡等残っていますが、夏季で草が多く倒木もあり難渋しました。さらに昨日降った雨の影響で足元が悪く、暑さに加え藪蚊の攻撃にあい早々に撤退しました。
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2023/07/06 13:55
一年半の歳月 (2023/06/25 訪問)
城びと先人お二人に倣って最短&きつい、畑コースで登城。山体はこのあたりに多い、柔らかい流紋岩質凝灰岩。城域の山頂部及び南東のピーク(三草山城の説明板がたっているところ)は、硬めの流紋岩溶岩が残り、高みとなっています。
木が茂り気味ですが、本丸の石垣を認識。ぴーかるさんが指摘するように、本丸下の道に転がる石は、石垣からの転落石と思われます。本丸から東に二段の郭があり、切り岸がしっかり残ります。雑木林に突入していく私をハイカーたちは怪訝に見てます。
本丸西切り岸には土塁もあり、「土塁保存のためここから絶対に登らないでください」と掲示があります。ぴーかるさんが2021年12月に登城された際の写真には木にくくりつけられてましたが、現在は落下。
本丸西側には先に行くほど広がる郭群が続きます。郭の南側に切り岸がよく見られます。
畑登山口あたりに、新しく大きな寺ができており、畑登山口への道(=寺への道)も広く付け替え られたようです。古い標識につられて進むと行き止まりになってます。インパクトある建築物に気をとられていると、登山口を過ぎて、関係者以外立ち入り禁止ゾーンに至ってしまうのでそこも注意です。
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2023/07/06 11:57
【信濃・竹佐陣屋】長野県飯田市 高須藩松平家陣屋 (2023/06/19 訪問)
住所:長野県飯田市竹佐1006
駐車場:飯田市竹佐1015の田府髙屋集会場を利用させて頂きました。(35°28'29"N 137°45'54" h=600m)
移築門:長野市飯田市久米311の光明寺山門、山門下に参拝者駐車場あり、同利用。(35°28'60"N 137°46'49"E h=590m)
城びと会員の肉球さんが5月3日に投稿されて初認識、調べると肉球さん紹介の山本陣屋からすぐ近く、中央道を東に越え約600m程の国道153号線沿いから山本郵便局を北に約150m程の所に在る、グーグルマップに依る。
今回の上越市直峰城主体の城廻の行きか帰りに寄ろうと企画しました。もう少し投稿が早ければ5月2日の日帰り南信濃城廻に加えたのですが致し方ありません。
史跡マークの跡地には案内板、標柱も無く、ネットでヒットした「甲信越のお城・信濃竹佐陣屋」の内容をお借りして歴史を記載します。
竹佐陣屋は尾張徳川家の分家、高須藩松平家の陣屋です、竹佐陣屋は天和2年(1682年)に松平義行により築かれた、義行は尾張徳川光友の次男で、天和元年(1681年)に信濃伊那・高井・水内郡内で3万石を与えられ、竹佐に陣屋を構えた。
元禄13年(1700年)、信濃高井・水内郡内の所領15,000石を美濃高須に移され居所も高須へと移したが、伊那郡内の所領は変動なく、采地陣屋として明治まで存続した。
上越市の帰り、飯山城、中野陣屋、高梨氏館(中野小館)に寄って、上信越道、長野道、中央道経由走行、途中の松本城、松代城に寄りたい衝動を抑えて、駒ヶ根SAで遅い昼食。
駒ヶ根SAで道路情報を確認、6月2日の台風2号の影響で愛知、静岡の山間地は線状降水帯の被害で土砂崩れが多発しており、国道151号線の道路通行状況をスタッフの方にお聞きし、相互交通は有るものの鳳来寺の三遠南信道まではOKを確かめた。
中央道飯田山本ICを降りて国道153号線へ、飯田市市街方向に進み、山本郵便局を過ぎて北に入る集落道狭い、約150m程で田府髙屋集会場に着く、集会所前のエリアに駐させて頂きました、同時間集会なしで無人。
集会所からやや南東に集落道を約100m弱で畑と成り、「高須藩松平家陣屋跡」の横長看板が令和2年12月海津市有志と記され建ってる、看板の頭に家紋が描かれており「24花弁菊輪三つ葉葵」、敷地は畑に成っており、南側と東側に石垣が確認できる、しかし6月中旬過ぎで草も茂り石垣も覆われて良くは見えない。
南東角は肉球さん投稿写真で確認済みでこの場所と分かる、草も茂りこのあたりで終わり、次の移築門の有る光明寺へ。
光明寺は竹佐陣屋跡から東へ直線約1.5km程、道なりで約4km程の山中にある、ナビに従い山本小学校北側を通り久米川沿いを通り久米集落へ道が狭く離合は困難、分岐に光明寺の案内指示板あり、山門下の整地された参拝者駐車場を利用。
光明寺に入るが人の気配は無い、山門を表と裏から拝見、本堂に参拝、移築山門の瓦の紋を確認すると「六つ葉葵輪内に六つ花弁」を抱き込んだ紋に成って居ました、ネットで紋を調べて見ましたが良く分からず、徳川氏松平氏の紋のようですが、高須藩は24菊輪三つ葉葵の様です、水戸徳川家の分家筋に6葵葉の紋があるようですが良く調べきれませんでした。
情報ガイドは、甲信越のお城・信濃竹佐陣屋、グーグルマップが大変役に立ちました。
再び、城びと会員肉球さんの新情報に触発されて登城する事が出来ました、ありがとうございます。
この後は国道151号線に出て浜松へ、151号線に出る前に途中の伊豆木陣屋に寄って帰ります。
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2023/07/06 11:05
52【関ケ原の26人】 (20) 山内一豊 (山内一豊の妻「千代」の物語) (2023/06/10 訪問)
(20人目)「山内一豊」の続きです。
山内一豊と言えば、本人より妻「千代」の事を思い浮かべる人の方が多いのではないでしょうか? 大河ドラマ「功名が辻」でも有名になりましたよね! 私個人としてはゴクセンより千代役の仲間由紀恵さんの方が好きです(そんな事はどうでもよい!😩)。
高知城の追手門を入ると右手に千代の銅像があります(写真①②)。また本丸御殿には、実際に仲間由紀恵さんがドラマで着用したという着物も展示されていました(写真④)。
千代は郡上八幡城主「遠藤盛数」の娘と伝わっています。そう言えば岐阜城を訪れた時、一豊と千代が婚礼をしたという場所がロープーウェイの下にあった事を思い出しました(岐阜の写真⑤⑥)。
一豊がまだ信長の一家臣であった頃、馬揃え(出陣前の馬の検分)があるも一豊はいい馬を持っていませんでした。馬売りが連れてきた見事な馬を見て欲しいと思うもお金がありません。それを見た千代は父の盛数からもらった大切な10両(=250万円)を一豊に渡したとのことです。その見事な馬が信長の目を引き、一豊は信長から一目置かれるようになったそうです。また小山評定の時には、大坂の様子を一豊の元へいち早く知らせ、大坂に人質となっている自分の事は構わず家康様に忠義を尽くすようにとの手紙を書き、それが小山評定の最中に家康の目にとまったようです。これで妻子の事を心配していた他の諸将たちも家康につく事を決断できたとか・・・ 掛川城を差し出した件とこの二つの内助の功で一豊は出世できたようです。
一豊は当時としては珍しく側室を持ちませんでした(それだけ千代の事を思っていたという事ですね🤔)。しかし千代との間に男子には恵まれませんでした。一豊が1605年に没した後、一豊の弟康豊の子である忠義が家督を継ぎます。千代は見性院と名乗りしばらくは後見人となり、忠義の成長を見届けた後、京都妙心寺の近くに身を寄せ1617年に没したそうです(享年61)。
次は(21人目)に続きます。
【余談】二十四万石御膳
夜に「はりまや橋」にある店に入り、名物「二十四万石御膳」なるものを食べてみました。高知名物「かつおのたたき」「まぐろの刺身」「まぐろ丼」「土佐地鶏」などがセットになったボリューム満点の定食で大満足(大満腹)でした!😊(写真⑦)。
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2023/07/06 07:06
2023/07/06 00:51
①山下(さんげ)の丸 (2023/04/23 訪問)
2泊3日山陰城めぐり旅の最終日は鳥取城です。
仁風閣開館前に山下の丸をできるだけ見ておこうと早めに出かけました。
① 吉川経家像
城を背に城下を見守る姿がかっこよいです。
② 復元工事中の大手登城路
中ノ御門が完成した姿を見に行くのが楽しみです。
③ 仁風閣
100名城スタンプラリーを始めて10年目で90個目のスタンプを押しました。
④ お左近の手水鉢
悲しい伝承ではなかった。よかった。
⑤ 登石垣
登石垣のイメージと違うなと思ったら幕末に築かれたものだそうです。
⑥ 西坂下御門
1975年の大風で倒壊後復元された門
⑦ 表御門跡
櫓台に上ったりして鑑賞しました。
⑧ 巻石垣
芸術です。
⑨ 澤市場屋の古墓
エピソードいろいろ。
⑩ 昔の大手道
行きたいよー!!!
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2023/07/05 23:53
西尾城。建造物編。 (2023/07/02 訪問)
西尾城その2です。
2020年6月に二の丸丑寅櫓と土塀の復元工事が完成しました。
この土塀は2か所の屏風折れを持つ珍しい土塀のようです。
つい最近できたばかりの丑寅櫓なのに建築基準法の関係で中に入れません。
そういえば岡崎城の東隅櫓も二階に入れないし
駿府城の坤櫓にいたっては二階と三階の床板をすべて取り外してしまっています。
いったい何があったのでしょうか?
建築基準法の関係だからと言われても何か腑に落ちません。
世知辛い世の中になったものです。
本丸丑寅櫓は問題なく中に入ることができます。
天守不在の今の西尾城にとって天守の代わりを果たす重要な建物です。
この先、西尾城がどのように変わっていくのかは解りかねますが
見守っていきたいと思います。
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2023/07/05 23:35
再建が進みつつある西尾城。この先の展開は? (2023/07/02 訪問)
西尾城は承久の乱で武功をあげ、現在の西尾市に進出した足利義氏が築いた西条城が
始まりとされています。
江戸時代は城主が次々と入れ替わり、大給松平氏6万石の城下町として
六代栄えて明治にいたります。
姫丸あたりにある西尾市資料館にある西尾城の模型を見ると、結構広いなと感じていた
本丸と二の丸が豆粒みたいで、かなりの城域を持っていたことがわかります。
今の錦城町、永楽町、中町あたりをすっぽりと覆う広さで東西、南北それぞれ
1kmぐらいはあったのではないでしょうか。
広大な外堀に鶴ケ崎門、追羽門、天王門、丁田門、須田門の五つの門を設け
守りも堅かったと思います。
天守は二の丸にあったと伝わり天守台と、その南側に丑寅櫓が再建されています。
天守の再建も計画されているとのことですが、大丈夫でしょうか?
無事に再建されることを願います。
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2023/07/05 22:40
緑キラキラ岡崎城。大河ドラマスポットなう (2023/07/02 訪問)
岡崎城に行ってきました。
国道一号沿いにあり、ものすごくアクセスが良いので
6~7回は訪問していると思います。
三の丸あたりが駐車場、その北側に浄瑠璃曲輪、そのあたりに義経を追って
やって来て入水したと伝わる浄瑠璃姫のお墓があったと思います。
再建された大手門(かつての七間門あたり)をくぐると二の丸にたどり着き
そこに三河武士のやかた(大河ドラマ館も併設)があります。
そのまま南に向かい太鼓門跡を抜けて東に青海堀を回り込むようにして
本丸にたどり着きます。
本丸にはいろいろ建造物がありますが龍城神社と天守閣の二つの建造物が
特に目を引きます。
本丸の南には風呂谷曲輪、西には坂谷曲輪に白山曲輪跡、そのあたりに
家康の胎盤(胞衣)を納めた胞衣塚(えなづか)があります。
石垣の発掘も盛んに行われているようで、南の菅生川沿いに(今では乙川らしいですが)
菅生川端石垣が左右400mにわたって残されています。
この近辺にある吉田城や西尾城の城域も広いですが
岡崎城は特に大きな城域を持っていて、東海道の重要拠点であったことを
うかがわせます。
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