発掘調査後、埋め戻された城址。住宅地だから仕方ないのですかね。
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2023/05/07 08:55
住宅地の中の城址 (2023/05/05 訪問)
発掘調査後、埋め戻された城址。住宅地だから仕方ないのですかね。
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2023/05/07 07:22
2023/05/07 06:14
(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:葛尾城 (2023/04/19 訪問)
村上氏居館(城びと未登録 長野県坂城町)から転戦。坂城神社北駐車場(36.47053、138.18124)に駐車し、葛尾城登山口(36.469905、138.181049)から攻城しました。
築城年代は定かではないようですが、南北朝時代末期頃に村上氏によって築かれたと云われています。
村上氏は清和源氏頼信流で、1094年(嘉保元年)に源盛清が信濃国更級郡村上郷に流罪となり、その子為国が村上氏を称したことに始まるといわれています。
戦国時代の村上義清の頃には北信濃一帯に勢力を拡げ、1548年(天文17年)の上田原合戦、1550年(天文19年)の戸石城合戦と甲斐の武田信玄を二度敗っています。
しかし、1551年(天文20年)戸石城が武田信玄に与していた真田幸隆によって落城させられると、1553年(天文22年)には一族の屋代氏などが武田氏方に寝返るなど圧迫され、村上義清は越後の上杉謙信を頼って落ち、葛尾城は自落しました。
その後、義清は越後の援軍を得て葛尾城を攻め落とし、塩田城に入って再帰を計ったが武田氏に敗れ再び越後へ落ちていきました。
和合城攻城時に痛めた左ひざ痛の為、攻城は断念しました。
登城口付近の写真を撮って撤退しました。早めにホテルに入り左ひざのケアをします。
攻城時間は10分くらいでした。本日の城巡りは、ここがラストで本日の宿泊先に向かいました。
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2023/05/07 06:09
(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:村上氏居館(城びと未登録 長野県坂城町) (2023/04/19 訪問)
坂木陣屋(城びと未登録 長野県坂城町)から転戦。満泉寺駐車場(36.467386、138.182037)に駐車し、村上氏居館跡の石碑&標柱付近(36.466903、138.180943)に向かいました。
築城年代は定かではないようですが、村上氏によって築かれたと云われています。
村上氏は清和源氏頼信流で、1094年(嘉保元年)に源盛清が信濃国更級郡村上郷に流罪となり、その子為国が村上氏を称したことに始まるといわれています。
村上氏が村上郷から坂木郷に移った時代は明確ではないようですが、南北朝時代末期頃とみられ、そのときに居館と詰め城である葛尾城が築かれたと推測されています。
村上氏居館は現在の満泉寺一帯に築かれていました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=葛尾城に向かいました。
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2023/05/07 06:07
(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:坂木陣屋(城びと未登録 長野県坂城町) (2023/04/19 訪問)
中之条陣屋(城びと未登録 長野県坂城町)から転戦。村上義清公墓所(36.460484、138.185719)を確認後し、坂城駅前(36.462525、138.181347)に向かいました。
1618年(元和4年)幕府直轄領の5,000石の代官所として坂木村に陣屋が置かれたのが始まりのようです。
1682年(天和2年)武蔵国岩槻藩主板倉重種は50,000石で坂木に転封となりました。
重種は徳川家綱に抜擢され老中を務めましたが、家綱没後に失脚、また自身の家督相続に関する問題もあって10,000石を減封され、50,000石で坂木に転封となりました。
翌1683年(天和3年)重種は領地50,000石の返上を幕府に願い出ましたが、重種の嫡男重寛に30,000石、重良の嫡男重宣に20,000石をそれぞれ分知することで決着しました。重良は上総国高滝に陣屋を構えています。
1703年(元禄16年)板倉重寛もまた陸奥国福島に転封となり、再び坂木は天領となりました。
1754年(宝暦4年)中野陣屋に統合され坂木陣屋は出張陣屋となりましたが、1759年(宝暦9年)には廃され、後に焼失しました。その後、中之条陣屋が築かれています。
坂城駅北東側正面に案内板があります。
絵図よれば石垣が残っているようですが、よくわかりません。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=村上氏居館(城びと未登録 長野県坂城町)に向かいました。
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2023/05/07 06:00
(長野県&岐阜県方面城巡り)2日目:中之条陣屋(城びと未登録 長野県坂城町) (2023/04/19 訪問)
和合城から転戦。文化の館駐車場(36.446709、138.190358)に駐車し、中之條陣屋石碑(36.446864、138.189575)に向かいました。
1707年(宝永4年)江戸幕府によって築かれた天領の代官所です。
1759年(宝暦9年)に坂木陣屋が廃され出張陣屋となっていましたが、1767年(明和4年)に火災で焼失したため、その後、中之条に陣屋が築かれました。以降明治まで天領の代官所として続いたそうです。
中之条陣屋は「文化の館」の西側に築かれていたそうです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=坂木陣屋(城びと未登録 長野県坂城町)に向かいました。
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2023/05/06 23:43
【かるた】明石城の読み札
・三重櫓 二基を一目で 明石城
・明石焼き あとまわしにして 明石城
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2023/05/06 23:42
【かるた】篠山城の読み札
・高虎流 次々投入 篠山城
・角馬出 人々憩う 篠山城
・刻印が チャームポイント 篠山城
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2023/05/06 23:38
【かるた】竹田城の読み札
・天と地の 境目の城 竹田城
・天空へ 羽ばたけそうだな 竹田城
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2023/05/06 22:04
河井継之助 (2023/05/05 訪問)
長岡駅前に石碑、アオーレ長岡前に石碑と案内板がありました。遺構はないようです。
戊辰戦争で激戦地であった城ですが、残っていないのは残念です。それまでの江戸時代は平穏に過ごしていたかというと、火事(三蔵火事)があって城郭すべてが全焼したり、水害により城内まで浸水したことが5回もあったり、地震(三条地震)で被害が出たりと大変だったようです。
私は長岡藩といえば、司馬遼太郎の「峠」という小説で知った河井継之助が印象的で新政府軍を相手にガトリング砲を放って奮闘する姿を思いうかべます。
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2023/05/06 21:56
2023/05/06 21:44
与板陣屋 (2023/05/05 訪問)
寛永十一年(1634年)に長岡藩初代藩主牧野忠成の次男康成で、1万石で入封しましたのが与板藩の始まりとされています。牧野氏は元禄二年に小諸に移封されました。その後、天領を経て、井伊氏の庶流である井伊直矩が二万石で入封し、井伊氏が明治まで治めました。文化元年(1804年)井伊直朗のときに城主格となり3年の歳月をかけて与板城(與板城)を完成させたとのことです。戊辰戦争で焼失したとのことです。冠木門が復元されています。また徒歩圏内の本願寺新潟別院には移築された大手門があります。近くには与板歴史民俗資料館と直江兼続像ありました。
本与板城から与板城へ行く途中にありました。同じ与板城の名があり与板城の周辺観光で投稿させていただきました。
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2023/05/06 21:27
直江兼続 (2023/05/05 訪問)
上杉景勝の重臣直江兼続の居城です。直江氏は本与板城を拠点としていましたが、信綱の時代に与板城に移したと考えられています。
八坂神社の裏から登城したのですが、道は概ね整備されていて主な場所は歩きやすいと思います。誤算は実城(本丸)が立入禁止となっていたことです。後で長岡市のHPを確認すると
「頂上実城跡地の「城の一本杉」に倒木の危険があるため、令和5年3月13日(月)より、安全を第一に考え実城跡の城山稲荷神社周辺を立ち入り禁止にさせていただいておりますが、管理者の申し出により、安全確保のため城の一本杉を伐採いたしますので、ご理解いただきますようお願いします。伐採作業は5月8日(月)より5月12日(金)までを予定しております。」
と書いてありました。事前に確認していなかったので少しショックでした。
ただ、この城の魅力は実城を越えた後にあります。実城、二の丸、三の丸の間にある堀切、その後も千人溜まで尾根に堀切があります。千人溜前の大堀切は広すぎで私のカメラでは収まりません。三の丸の東側にも曲輪が展開していて先には堀切を見ることができますが、藪と倒木で少し難渋しました。おせん清水も藪になっていてわかりにくい状況でした。季節的なこもあるかもしれませんが、諸先輩の方々の写真と比べると全体的に藪や倒木が多くなっていることがわかります。大河ドラマ「天地人」の放送から時間が経過したこともあるのでしょうね。のろし山へは思っていたより時間がかかりそうでしたので行っていません。
実城に入れなかったのは残念でしたが、全体としては遺構がよく残っていて見ごたえがありました。
本与板城より徒歩にて登城口へ行きました。
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2023/05/06 21:05
直江景綱 (2023/05/05 訪問)
上杉謙信の重臣直江景綱の居城です。
登城口から主郭までは道も整備され歩きやすいのですが、他の方も述べられているようにそこからは倒木や藪になっている場所もあり少々難渋します。堀切がよく残っていて見ごたえがあります。南郭の先にも堀切があるのですが、やはりわかりにくくなっていました。何とか辿り着きましたが倒木等にてやはりわかりにくくなっていました。倒木や藪が多いのですが、遺構はそれなりに残っていて見ごたえはあります。
JR長岡駅前からバスに乗り与板警察署前にて下車。徒歩10分くらいで登城口に行くことができます。
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2023/05/06 20:37
新城カードGET! (2023/05/06 訪問)
新発売になった城カードの天守バージョンを目当てに福山城へ。
福山城は既に伏見櫓バージョンが出ていたので、まさか2枚目が出るとは!!
天守閣最上階で、先日ご当地珍百景で1位を取っていた極小福山城もしっかり確認。
その後、駅の逆側の天満屋でやっていた「遊べる水族園」へ。
最後に生まれて初めてカブトガニやタカアシガニに触ることができて、童心に返ってこちらも大満足!
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2023/05/06 20:08
江戸城の門1 (2023/04/29 訪問)
今回は、江戸城の門を訪問した順に紹介させていただきます。(今更なんだと思われる先輩方が多いと思いますが、自分の自己満と思いさらっとお流しください)
1、田安門 田安門は、江戸城の北部に位置し、現存する門の中では最古の門です。御三卿の一家、田安家があったことから命名されています。(重要文化財)
2、清水門 浅野長昭公が建立した枡形形式の門で、田安門同様、御三卿の一家、清水家があったことから命名されています。
3、北ハネ橋門 北ハネ橋門は現在、高麗門のみで、平川濠と乾濠を隔てる門で、濠に架けられていた橋は、平常時にははね上げられており、緊急時にのみ使用されていたとされています。現在は、天守台に最も近く北の丸駐車場に駐車された方は、ここから天守台に向かわれています。(開門時間は9:00です)
4、乾門 江戸城の西の丸の裏門を明治宮殿造営に際して、現在の位置に移し、皇居の通用門としたのがこの門です。
5、半蔵門 半蔵門は伊賀忍者で有名な服部半蔵の組屋敷があったところでこの名が付けられました。この半蔵門から、桜田門にかけての桜田濠は、もっとも美しく、彼岸花の名所として有名です。
6、桜田門 桜田門は、高麗門と枡形と渡櫓門を備えた門で、「桜田門外の変」で水戸・薩摩藩浪士が、井伊直弼公を襲撃した場所で有名です。(重要文化財)
今回も、8日と29日の画像を織り交ぜて紹介いたします。残り5門は次回、紹介させていただきます。
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2023/05/06 18:28
2023/05/06 18:17
4度目の散策 (2023/04/28 訪問)
ほとんど市街地化されていますが所々に遺構が点在しています。
市役所の向かいにある駐車場に車を停め散策しました。
こちらは2時間まで無料でした。
桜丸御門・水の手門跡・本丸・移築された二の丸御門は
行くたびに見学してましたが
今回初は柳田家門・家老黒須家門・移築脇坂門・正永寺と柏心寺の総構え遺構でした。
柳田家門は柳田國男が養子に入った旧飯田藩士柳田家の門。
こちらは門だけが残されています。
脇坂門は二の丸跡に建つ美術館付近にあったものを
旧飯田測候所に移築されています。
仲の町付近は武家屋敷が建ち並んでいたようで
家老黒須家の門が残されています。
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2023/05/06 17:40
二つの黒田城 丘城と山城 (2023/05/05 訪問)
城びと先人が、山城の存在に触れつつも、丘城の方だけの訪問をレポートされています。また、山城への登山道も全く未整備と認識されていましたが、その後、整備された模様です。
丘城には、西側の鳥居列からアプローチするのが最短ですが、南から東麓を北側に回り込む道を採りました(古城盛衰記さんアプローチを倣い)。丘に登り始める前に、山側の獣対策のフェンス沿いに説明板があるのが目に入り、近づいてみると、山城への誘いではありませんか(写真④)。比高200mは良いにしても、移動距離が1108m😞。この日、黒田城は、最後に持ってきて、楽にこなすつもりで既に16時半。だが、知ってしまったので、登ることにしました。50m毎に官兵衛君が道と残り距離を示してくれます。ただし、山の上の方になると風で飛ばされ気味です。
だいぶ登ったところの平削地に説明板があります。平削地は尾根に沿ってけっこう長いです。更に行くと物見台の標柱があります。物見台の先は少し下りますが、最高所の天狗山山頂はまだ先です。
一時間程で往復し、丘城の黒田城も見学して本日の予定を終了しました。付近の山城はどれも、比高もさることながら、移動距離が長く攻略に時間がかかりました。
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2023/05/06 17:26
宇佐美定満 (2023/05/04 訪問)
上杉謙信の重臣宇佐美氏の居城です。遺構は残っていないと思われます。県立柏崎総合高等学校敷地が主な跡地で石碑と標柱、案内板がありました。学校敷地内ですが見学はできます。鵜川神社付近から鵜川の堤防へ出ると何カ所か案内標識があり校内にほとんど入ることなく石碑まで行くことができました。
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