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POYO58

明智光秀ゆかりの地。 武田信玄、勝頼と信長との激戦地! (2021/10/23 訪問)

土岐高山城は明智光秀の先祖である土岐氏の城です。この城では、武田と織田の戦いの激戦地として有名です。現在は整備された門と展望台があります。近くには、お地蔵があったり、霊園があります。ぜひ行ってみてください。

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いんげん丸虫

古城 長野県長野市戸隠 (2021/10/24 訪問)

古城(ふるじょう) 各地にある名です。結構良い城跡が多い気がします。
詳細は不明。長い尾根を数本の堀切で断ち切るという単純な縄張りです。
小さな石積の遺構や土橋も確認できます。
遺構の状態は良くお勧めです。雰囲気も良かったです。
道路から直ぐに行けます。通行も多くないので路駐可能です。

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POYO58

森蘭丸の生誕地、再築城を防いだ城!? (2021/10/23 訪問)

美濃金山城は森蘭丸の生誕地です。美濃金山城は森氏一族の城です。最終的には森氏が取り壊し、再築城を防いだことで有名です。
ちなみに森蘭丸は本能寺の変で信長と共に戦い戦死した人です。
どのように壊したかを見てみるととても面白かったですが、今回特に紹介したいのは石垣です。美濃金山城には何箇所か石垣が残されています。これは、他の者が築城する前に入れないように石垣だけが残されていました。明智光秀ゆかりの地ではありませんが、面白い城です。ぜひ行ってみてください。

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肉球

北根代官所・埼玉県深谷市 (2021/09/11 訪問)

信濃の高島城主日根野高吉の弟吉時の系譜が江戸時代旗本として存続。
領地である北根付近を管理するため築いた代官所です。
代官は名主宇野氏。門と母家が残り子孫の方がお住まいのようです。

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肉球

武家屋敷もあるんです (2021/10/14 訪問)

かつては諏訪湖に面した浮城と呼ばれていたようですが現在は街中に埋もれています。
初めて訪れたのは40数年前の小学生の時。
それ以来幾度となく眺めてきましたが
観光客に観せる物にあまり変化が見られないように感じます。
本丸土戸門から南へ100メートル程のところには1855年築の武家屋敷志賀家住宅が現存しています。
あまり修復はされていないようですが長屋門、母屋、土蔵があります。公開はされていません。
ここの長屋門も修復されずにトタンに覆われています。
立派な観光資源にもなると思いますので、なるべく早い保護活動がされることを願います。


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イオ

一日とことん彦根城(第一郭・未訪部分) (2021/10/03 訪問)

(続き)

出曲輪から引き返し、水手御門から井戸曲輪へ向かいます。昨年もこちらを通りましたが、やはり井戸曲輪の高石垣は見応えがありますね。井戸曲輪を出ると、今度は西の丸東辺の石垣がずっと先まで続いているのが見えます(立入禁止ですが)。そのまま黒門山道を下り、黒御門の前を素通りして北に進むと山崎曲輪に至ります。ここからは未訪の領域です。

黒御門の内堀沿い南側は腰巻石垣であるのに対して、北側は往時は松原内湖に面していたためか石垣になっていて、山崎曲輪の周囲ではなかなかの高さがあります。山崎曲輪の南西隅には山崎御門があり、西側の内堀に面していますが、かつては内堀に架かる橋で長橋口に続いていたようです。

山崎御門から南側の内堀沿いはまた腰巻石垣になり、大手御門まで続いています。しばらく行くと道の両側に石垣が見えてきて、米蔵跡の門かと思いきや、それだけでなく山側は西の丸北端の大堀切へと続く登り石垣でした。米蔵跡は現在では梅林となっていますが、往時は幕府の預り米を収める米蔵が建ち並んでいて、松原内湖から内堀まで船で搬入し、内堀に面した埋門状の水門を通じて運び込んでいたんだとか。

米蔵跡の南からは、大手山道が天秤櫓側の大堀切に続いていて、登って行くと天秤櫓からの攻撃で何度も討死しそうな気分になります。券売所を出ると、大手御門の石垣と鐘の丸に続く登り石垣がそびえ立っています。さすが大手門。重厚な造りです。

本城部にあたる第一郭はこれでひとめぐり。大手門橋から内堀を渡って、第二郭に向かいます(続く)。
 

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todo94

古代山城 (2021/10/04 訪問)

高松城で城カードをゲットした後、徒歩で琴電屋島駅に向かってアプローチ。琴電屋島駅からコミュニティバスで屋島に赴きました。運賃100円ですので山上の駐車料金より安いかと思います。復元された城門を初めて拝むことが出来て満足です。展望スポットを順次回って城門の石垣を遠望することも出来ました。平日と云うことで観光案内所が閉まっており、リーフレットを戴けなかったのが残念でした。帰路は屋島寺から徒歩で下山し、献血ルームオリーブへと向かいました。

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じゅんじん

大雨復旧中 (2021/10/03 訪問)

コロナ封鎖もあけ久々に訪問。大雨の影響で崩落した箇所があり復旧工事中でした。整備も大変だあ。

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じゅんじん

整備が進む (2018/12/30 訪問)

県下最大級の山城です。3年前ですが以前に比べかなり整備が進んでいました。ありがとうございます。

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赤い城

猿ヶ京城 群馬県みなかみ町 (2021/10/10 訪問)

名胡桃城で「みなかみ町山城マップ」というパンフレットを手に取り予定を変更し登城。
城跡には猿ヶ京温泉のホテル湖城閣が建っています。
ホテルの駐車場に車を停め、ホテルの入口に進むと両サイドに堀切がありました。
土塁も残っています。
いつものように堀に降り、赤谷湖の方に進むと折れも良く見ることができました。
猿ヶ京の地名は上杉謙信が名付けたとされています。
ここで宴を開いた際に夢を見たと。
食事をしようとしたら歯が八本抜け、家臣から関八州を手にするという縁起の良い夢ではないかと励まされたそうです。
この日も申の年で申の日、謙信も申年生まれで申が三つ揃ったことによるそうです(パンフレットより)。
ちなみにこの温泉ホテル、混浴だそうです。

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カズサン

織田信包柏原陣屋 (2012/06/11 訪問)

 平成24年6月三木城を終えて柏原陣屋へ、前回は知識も無く太鼓櫓を見て無かったので綺麗に成った長屋門、御殿車寄せを是非観覧探訪と車を走らせました。
 車は前回も世話になった柏原自治会館前の無料駐車場を利用、そこから大手通りの突き当りに陣屋が在ります。

 慶長3年(1598年)織田信長の弟織田信包が3万6千石で入り4代続き嗣子なく廃絶、途中天領に成り元禄8年(1695年)大和松山藩織田信雄の流れ織田信休が2万石で転封以後明治まで継承される。

 長屋門、御殿も一部残っている、遺失部分は地表に平面表示で遺構を表してる、大手道西に約300、400mの所、太鼓櫓が大歳神社に移築され残ってる。
 前回の登城時より長屋門、土塀、御殿、表面表示、通りが綺麗に整備されて居ました、大切に守っていきたい文化財です。
 通り、城下町の家並みは古き良き風情を残してる。

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カズサン

三木城は肥後守の産地 (2012/06/11 訪問)

 最近の登城投稿も一段落し過去ものですが平成24年6月の三木城初登城を投稿致します。
 車で廻り駐車場は三木城の西の丸に当たる図書館前の無料駐車場(現在はみき歴史資料館)を利用。
 
 直ぐにに本丸に在る三木城主別所長治騎馬像が目を引きます、少し高まった天守台跡、三木合戦絵図のパネル展示がまた目を引きます、本丸、西の丸を見て北西面の崖に模擬土塀が造られて居り美囊川方面に降り土塀撮影、三木城を降りて雲龍寺を参拝し別所長治夫妻の墓を拝む。
 別所氏の離反で上月城の尼子勝久、山中鹿之助が命を落とす事に成り、三木城の兵糧攻め、落城後の鳥取城の兵糧攻めに歴史は刻まれていきます。
 
 美囊川沿いの三木市観光協会に寄り資料と物産を品定め、そこで懐かしい肥後守を見つける秀吉が別所氏を滅ぼし三木城は秀吉弟秀長が治める所と成り、鍛冶職人を堺から引き鍛冶産業を発展させたと(売店の人の話)そこで小学生時代に世話になった鉛筆削り小刀肥後守に久しぶりに対面、小刀肥後守が三木市の産物と初めて知りました、懐かしさのあまりキーホルダーの肥後守を購入よく切れます。

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いんげん丸虫

大築城 長野県長野市戸隠 (2021/10/24 訪問)

荒倉キャンプ場の西の山頂にあります。舗装された林道から30分位登ります。
主郭には巨岩が点在しています。土塁のように利用してたのかな。
20年前に書かれた縄張り図に照らすと北の堀切等は分かりにくくなってますね。

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新ろくべえ

衣笠城に行ってきました (2021/10/24 訪問)

[注意]
この城では蜂がいました。気を付けてください。
(その為城の主郭には行っておりません。
ご了承願います。)
衣笠城に行ってきました‼
この城は平安時代後期~鎌倉時代前期にかけて使われていた城です。
川と川に挟まれ、東に出た半島状の丘陵一帯が城で、まさに天然の要塞です。
源頼義(源頼朝の先祖)に従っていて前九年合戦の役に出陣した、
村岡平太夫為道が戦功によって三浦の地を与えられ、所領となった三浦の地の、
中心にあり、要害堅固のこの地に、両川を自然の堀とし、康平年間(1058~1064)に
築城されたといわれています
その後は為継、義継、義明の四代にわたり三浦の中心地であった
そして1180年に源頼朝の旗揚げによりこの城に平家側の大軍を迎えての攻防戦は、
衣笠合戦と言われている。
丘陵の一番裾が衣笠城の大手門で、緩やかな坂を登り、滝不動に達します。
そして居館は水の便のよい下の写真の一番の付近で、あると言われています。
そして一段上には不動堂と大善寺城があったと伝わり、さらにその裏山には、
衣笠城最後の拠点の詰の城で、金峯山蔵王大権現を祀った社があったといわれている。
その最後の拠点の、最も高いところが物見櫓と呼ばれるところに、
大岩がありその西が急峻な谷になっている
要害の地形を利用し一部に堀や土塁が残っている。
〔城情報〕
・築城年   1058~1064(康平年間)
・種類    山城
・築城者   村岡平太夫為道
・主な城主  村岡氏
・主な遺構  堀、土塁
・看板、石碑 あり

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小城小次郎

お城の適地だったとは思う (2021/08/09 訪問)

源頼朝が陣を敷いた伝承を残す場所に豊島氏一族の滝野川氏が居館を構えたが、太田道灌の豊島氏討滅によって館もろとも歴史の闇に消えた。遺構も何もないが蛇行する旧石神井川がお城の適地だったことを示しているように思う。

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沖縄県中城村のふたつのグスク(城) (2021/10/25 訪問)

中城村護佐丸歴史資料図書館で過去に開催した、
★『中城城跡新たな発見』
★『もうひとつのグスク 中城村の新垣グスク』
ふたつの企画展を、沖縄県立博物館・美術館で開催することになりました!

中城グスクと新垣グスクにおける発掘調査から、新たに分かった事実を紹介すると共に、両グスクに関する資料を
あわせて公開いたします。

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期間:2021年11月30日(火)~2022年1月10日(月)
開催場所:沖縄県立博物館・美術館
入場料:常設展示室 大人530円 高大生240円 県内小中高生無料
*常設展示室〈歴史部門〉「中城城跡展」→有料
*エントランスホール「新垣グスク展」→無料
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◆展示解説会◆
日時:2021年12月26日(日)
場所:沖縄県立博物館・美術館

・午前の部:10:00~11:30
 (解説者:中城村教育委員会 渡久地真)
・午後の部:13:30~15:00
 (解説者:中城村教育委員会 新城卓也)

【お問合せ先】沖縄県立博物館・美術館
       098-851-5401 担当:山本

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イオ

一日とことん彦根城(第一郭・再訪部分) (2021/10/03 訪問)

関ケ原の戦いでの功により石田三成の旧領を与えられた井伊直政が佐和山城に替わる居城として計画し、家督を継いだ井伊直継が天下普請により築いた城で、豊臣氏や西国大名への抑えとしての役割を担いました。明治になって天守や櫓は破却される予定だったところ、明治天皇の彦根行幸に随行した大隈重信の上奏によって保存が決まり(諸説あり)、現在に至ります。

琵琶湖畔の彦根山(金亀山)に築かれた平山城で、本丸を中心とした丘陵部を内堀で囲んだ第一郭、内堀と中堀の間に藩主庭園や重臣屋敷を置いた第二郭、中堀と外堀の間に武家屋敷や町屋を配した第三郭(内町)、外堀と芹川(大外堀)の間に足軽組屋敷を設けた第四郭(外町)で構成される惣構の巨大城郭です。

彦根城には一昨年、昨年と登城していますが、昨年は家族と一緒で思うようには見て回れなかったので、今日は一日かけてとことん彦根城です。いつものように表門橋から内堀を渡り、表御門の登り石垣を見上げつつ城内へ。この辺りは何度も来ているので、さらっと流すつもりが、天秤櫓内から佐和山城を見渡したり、城兵気分で登城路を見下ろしたり、やはり天秤櫓はスルーできませんでした。

太鼓門櫓も何度も通っているはずが、ぴーかるさんと同様に、門前の岩盤を組み込んだ石垣はこれまで特に意識していなかったので、今回しっかりと確認。昨年までは工事中だった櫓内にも初めて入ることができました。

本丸に着くとまずは天守内へ。一昨年は多聞櫓から附櫓を経て入りましたが、耐震診断の結果、現在は附櫓と多聞櫓の公開は中止されており、昨年6月からは天守台横の玄関棟の鉄の門扉を潜って地階から入るようになっています。梁を見上げて大津城からの移築の痕跡を探しつつ、急な階段を二回登るともう最上階です。やっぱりちょっと小ぶりだよね…と思う一方で、その小ぶりな天守にあの巨大な姫路城大天守をも上回る数の破風をこれでもかと詰め込んだところに、比類ない華麗さを感じるんだろうな、とも。一昨年の登城時は台風で剥落した漆喰の修復工事で天守に足場が組まれていましたが、今回は天守の周囲を回って、角度によって表情を変える天守の姿を存分に堪能することができました。

西の丸は一昨年も行っているのでスルーのつもりが、三重櫓の三階まで上がったばかりか、北端の大堀切を越えて出曲輪まで行ってしまいました。一昨年はここから観音台の脇を下り、西の丸北東の登り石垣を見上げて、黒御門を出て玄宮楽々園に向かいましたが、今回は水手御門まで戻って井戸曲輪に下り、未訪の山崎曲輪や米蔵跡、大手門に向かいます(続く)。
 

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AJ

いきものばかり (2016/10/17 訪問)

東京港十三号埋立地。その一角にあるのが「お台場」。ペリー再来航に備えて品川沖合に築かれた砲台場の一部で、「第三台場」が国指定史跡公園として整備されていることはご存知の通り。写真は隣接する第六台場。約1世紀にわたって立ち入り禁止となっている魅惑の生き物天国です。

厳密には都が管理する野鳥保護区。夕暮れ時には数種類の群れで帰宅ラッシュさながらに混み合います。手付かずの自然に不慣れな都民の目には少々不気味に映るかもしれません。写真は首都高一号線からレインボーブリッジを徒歩で渡る途中に撮影したものです。

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マダム卑弥呼 

篠山城 (2021/10/24 訪問)

気持ちいい一日を過ごせました。城より城下町も良かった~

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赤い城

整備されすぎ感もあるが。 (2021/10/10 訪問)

ご存知真田の名城。
般若郭が駐車場になっていて脇から堀に降りることができます。
深さもあって見応えあり。
戻って案内所でスタンプとパンフレットをゲット。
馬出しから三の丸、二の丸と進みます。
各曲輪の間の堀切は薮で降りれない。
曲輪は整備されすぎ感があるけど堀の藪は刈って欲しい。
二の丸と本丸の間の虎口や木橋が復元されています。
ささ曲輪からの見晴らしは良く、沼田城を見下ろす位置にあります。
名胡桃城の戦いで北条氏のものとなったものの真田の城のイメージが強い続100名城です。
案内所のパンフレットにみなかみ町の山城我紹介されているものがあり、これを見て予定変更、猿ヶ京城に向かいました。

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