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にのまる

藤田氏15代の城 (2023/03/15 訪問)

18きっぷ2回目は烏山城(栃木県)へGO!のつもりで出かけたのですが、1本目の私鉄乗車中にきっぷを持って出るのを忘れたことに気づき……。
ただでさえ5回分使い切れるか微妙なところ、JR新宿⇔烏山往復5,000円超の自腹(追加出費)は痛すぎるので、池袋から東武線で行ける花園城に行き先変更しました。烏山城に備えてトレッキングシューズを履いていたので装備も問題ありません。

寄居町下車。鉢形城は駅の反対側です。
Googlemapを見ながら歩いていると途中の正龍寺に「北条氏邦の墓」と「大福御前自刃の地記念碑」の史跡が示されていたので寄ってみました。鉢形城開城の陰にこのような悲しいできごとがあったのかと、初めて知る逸話に、18きっぷ忘れてよかったのかもしれないという気持ちになりました。
藤田善導寺にも寄って、諏訪神社花園城登り口へ。おみやげボックスの地図・縄張り図をいただき、諏訪神社右の登城口から登りました。
カサカサの枯葉が積もる登城路を竪堀を鑑賞しながら登っていきます。途中からロープがあって助かりました。なかったら滑って転んで大変そう。
堀切3に到着し右手の三郭へ。東の曲輪(四郭)にも降りられそうでしたがやっぱり滑りそうなのでやめて二郭へ。……ですが、そう簡単には上がらせてもらえません。写真⑤のように手すりを設置してくださっているのですが、そこまで手が届かない!私がもう少し背が高くて手足も長かったら届くのに(´;ω;`)
ここで無念の敗退かと諦めかけたのですが、特に危険な場所ではないし、あと一歩進んで木の根っこに助けてもらえばきっと行ける!がんばって登りました。ふうっ……。
堀切4から本郭へも狭い崖で、welcome感ゼロ。大勢で攻めても渋滞発生になりそうなところばかりです。
本郭は上下2段に削平されていて、最後まで魅せてくれます。ありがたいことに立派な石碑がありました。ここまで運ぶのたいへんだっただろうな。
ゴールインの感動に暫し浸って下山開始。来た道を引き返すのではなく堀切5から下りました。ここの堀切も大きくてかっこよかったです。そしてやっぱりロープが頼りです。下山用の案内を設置してくださっているおかげで分岐トラップを楽しみ、竪堀鑑賞しながら下りられました。
下山途中で登ってきた道と合流しました。石積みのしっかり残る一画を見て、最後の下りです。
と、そこへ下から登ってこられる方の姿が!まさかこんなところに人がいるなんて思っていないでしょうから、びっくりさせてしまわないようにこちらからご挨拶し、少しお話しました。前回は雨で登りきれなかったのでリベンジに来られたとのこと。諦められないその気持ち、一周してよくわかりました。
諏訪神社に戻って終了です。

花園城は個人の方所有のお城だそうです。真新しい案内や頑丈なロープ、手作りのおみやげ(縄張り図)ボックス、整備等も有志の方のご尽力によるものと思います。ありがとうございます。
18きっぷを家に忘れるというミスが発端ですが、素晴らしいお城に行けてよかったです。

この日行けなかった烏山城は、日を改めて行ってきました。

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キンヤ

今は公園・野球場となっている大野氏の城 (2023/05/05 訪問)

織田信長の命により大野治定(伊賀守)がこの地に移り住み、その後大野定長(佐渡守)等の居城だったと伝わります。
大坂の陣で豊臣方の主将格で戦死した大野治長の出生地の説の一つでもあるようです。
治定が治長の祖父、定長が治長の父にあたります。
天正12年(1584年)、小牧・長久手の戦いの時、羽柴秀吉方の砦として利用されたそうです。

歴史的に興味深い城ですが、遺構は消滅しています。 
城跡は木曽川の河川敷にある大野極楽寺公園となっており、自然に囲まれた気持ちいい所にあります。
野球場の一画に大野城跡の石碑、城の詳しい由来文の石碑が建てられています。

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けむん

久保田城登城 (2023/05/04 訪問)

復興櫓の全景が、木々で、うまく撮影出来ません。佐竹歴史文化博物館が休館中のためか、歴史的な情報が取りづらいのかな。

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飛騨市

飛騨の城跡へ行こう!2023 専門家と巡る山城ツアーを開催!

飛騨市には中世の山城が数多く残っています。
今回のツアーでは、中世の山城や庭園を専門家の解説付きで巡ります。

日時・コース等
Aコース:5月21日(日曜日) 定員20名
行先:傘松城跡・江馬氏館
講師:中井 均氏 (滋賀県立大学名誉教授)

Bコース:5月28日(日曜日) 定員20名
行先:古川城跡・小島城跡 
講師:内堀 信雄氏 (岐阜市ぎふ魅力づくり推進部 文化財保護課 主幹)

Cコース:6月10日(土曜日) 定員20名
行先:小鷹利城跡・野口城跡
講師:加藤 理文氏 (日本城郭協会 理事)


参加費
各コース お一人様2,000円

ご予約
【インターネット】
濃飛バス受付サイト https://www.nouhibus.co.jp/hida_yamashiro/
【電話】
濃飛バス ツアーデスク 0577-33-0131 (土日祝9時00分~17時00分)
トラベルセンター 0577-32-3267 (平日9時00分~18時00分)

※先着順となりますので、お早めにご予約ください。

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カズサン

先端帯曲輪と横堀周辺 (2023/05/02 訪問)

 7年振り2度目の登城で、本曲輪東先端に帯曲輪が有り下を覗くと切岸・横堀が見えるので、1の堀南側から下に降りて本曲輪の南に在る張出帯曲輪、切岸、南から東に流れる横堀・土塁、東の上段帯曲輪、下段帯曲輪を観察探訪しました。
 クヌギ林の新緑若葉が光に輝き木漏れ日の射す土塁・横堀・切岸を観察、まだやぶ蚊も居なく落ち着いての探訪と成りました、いい季節です。
 縄張り図を見ると東尾根筋南、北と多段の帯曲輪が連なって落ち込んで市場口虎口まで連なってる様子ですが本曲輪東の上下二段の帯曲輪と横堀まで、更なる下の帯曲輪には行きませんでした。
 

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駿府城

カラーコーンの案内表示が新しくなりました!

駿府城天守台発掘調査現場マニアの方はお気づきかと思いますが、カラーコーンの案内表示が新しくなりました!
以前は背景が白でしたが、現在は黒になっています。

遠くからでもより見やすく、分かりやすくなったとの声をいただいております。
こちらの案内表示は現場作業員の手作りで、1つ1つ丁寧に心をこめて作られています。

こちらのカラーコーンはどこにどのような遺構があるのか分かるように3色(緑・赤・黄)に色分けされています。
色は時代ごとに分けられており、緑は慶長期(江戸時代)、赤は天正期(戦国時代末期)、黄は今川期を表しています。

発掘調査現場にお越しの際は、カラーコーンの案内表示に注目しながら見学してみてください♪

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カズサン

連郭式で5つの空堀と曲輪が見所 (2023/05/02 訪問)

 日帰り伊那路城散歩の5城目、4城目の阿島陣屋を終えて、松岡城へ天竜川の西岸で岡島陣屋からは直線で約7~8km程、二度目の登城となります。
 前回は平成28年5月2日で奇しくも同じ月日と成りました、前回はNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」放映の前だったと思いましたが、西側の広域農道から入る辺りに松岡城の看板が立ち、松岡城の5の曲輪に建つ松源寺の駐車場はアスファルト舗装され、資料ボックスも設置されて奇麗になっています、勿論「松岡城跡おさんぽマップ」をゲットとしました。

 松岡城は伊那地方特有な天竜川に伸びる舌状段丘で西から5の堀、5の曲輪と始まり曲輪と空堀が東の本曲輪まで4の、3の、2の、本曲輪と連なります、本曲輪から天竜川、伊那郷を見下ろす景観は絶景です、南アルプスの残雪も見物です。

 松源寺には井伊直政の父直親(亀之丞)が今川氏に命を狙われ逃れ松源寺を頼って約10年過ごしたと言われています。松源寺に近い駐車場に「亀之丞(井伊直親公)ゆかりの里」の案内板が設置されてます、これも大河ドラマ直虎効果かも?
 松岡城は南北朝時代松岡氏が築き、小笠原氏、武田氏、徳川氏に地域支配者が変わると夫々に従属し、天正13年徳川方の高遠城を小笠原氏が攻めたとき松岡氏も加担した、天正16年(1588年)家康より改易を命ぜられ、廃城となった模様。
 

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イオ

【かるた】松本城の読み札と絵札

漆黒の 国宝天守 松本城

純粋な黒を漆黒と表現しますが、松本城天守は文字通りの漆による黒。「なぜ城」でも描かれていましたが、あの巨大な天守の漆を全て塗り直し続けているなんて…。そのご苦労あってこその国宝なんだなぁ、と。

アルプスに 天守聳える 松本城

北アルプスを借景に聳える天守も素晴らしいですよね。朝田 辰兵衛さんご所望の北アルプスの冠雪と天守のコラボ画像は、うちにはこの程度のものしかありませんが…。
 

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todo94

4月の新潟 (2023/04/15 訪問)

午後に雨の天気予報だったので国境近くの城はあきらめ、この城から朝駆けいたしました。新潟県は九州の南北の長さに匹敵する海岸線を誇りますので、どうしてもロングドライブになってしまいます。4月の新潟では、坂戸城の実城付近に大量の残雪があったことが今でも記憶に残っていますが、海に近く標高も低い下越の地に雪は全く残っていませんでした。神明宮のすぐ上の居館跡周りの空堀が最も見ごたえがあるのではないかと思われます。福立までは脚を伸ばしてみましたが、サルクロはスルーさせていただきました。冬枯れの時期に機会があったらチャレンジしてみたいと思います。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:青柳館(城びと未登録 長野県筑北村) (2023/04/20 訪問)

麻績氏居館(城びと未登録 長野県麻績村)から転戦。青柳宿駐車場(36.430878、138.024354)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、青柳氏によって築かれたと云われており、青柳城の平時の居館のようです。
清長寺は1573年(天正元年)に青柳伊勢守頼長が父近江守清長の菩提を弔うために建立した寺で、青柳氏滅亡後に現在の位置に移してきたものだそうです。
善光寺街道の名所となっている切通しは、1580年(天正8年)に青柳頼長によって切り開かれたもので、その後三回にわたって切り落とされたそうです。

青柳宿駐車場➡①青柳宿説明板➡②青柳館跡碑付近➡③大切通し➡青柳宿駐車場の順番で巡りました。
 ①青柳宿説明板(36.430816、138.023918)
 ②青柳館跡碑付近(36.430706、138.026774)
 ③大切通し(36.433003、138.024132)
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=青柳城に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:麻績氏居館(城びと未登録 長野県麻績村) (2023/04/20 訪問)

麻績古城(城びと未登録 長野県麻績村)から転戦。「麻績(おみ)館跡」碑前(36.459207、138.045241)に着きました。

麻績城主服部氏の居館と伝えられています。

現在は宅地になっていて遺構はなく、麻績氏居館となっている 標柱があるだけです。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=青柳館(城びと未登録 長野県筑北村)に向かいました。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:麻績古城(城びと未登録 長野県麻績村) (2023/04/20 訪問)

麻績氏居館(城びと未登録 長野県麻績村)から転戦。信濃観月苑第2駐車場(36.462149、138.044407)駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、 鎌倉時代に新補地頭として入部した伊賀氏あるいは服部氏によって築かれたと云われています。

麻績古城は別名=虚空蔵山城といい、麻績城から南へ派生した尾根の先端に築かれています。
出発点で道を間違え、違う方向に登ってしまいました。案内標識がほしい。
主郭下の巨石を確認して撤退です。
攻城時間は30分くらいでした。次の攻城先=麻績氏居館(城びと未登録 長野県麻績村)に向かいました。

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生駒王子

GW (2023/05/06 訪問)

人が…多かったので、あまりゆっくり見学できず、
人が写らないように写真撮るのに苦労しました。

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三浦の晃ちゃん

伊達騒動の城 (2023/05/08 訪問)

山本周五郎さんの小説、「樅ノ木は残った」の関係のお城です。以前に、読んていたのですが、ここに来るまで、気が付きませんでした。
大きな建物は、最近の建築物ですが、隣に、江戸時代からの、隅櫓があります。

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三浦の晃ちゃん

ちょっと、がけ崩れがありました。 (2023/05/08 訪問)

伊達政宗公が、仙台に城を築く前、12年間の居城です。たぶん、豊臣秀吉公が天下人だった時期だと思います。現在は、城山公園になっています。本丸まで、車で登れます。ただ、何らかの災害の影響らしく、がけ崩れのようなところがあって、立ち入り禁止に、なっているところがありました。
また、本丸跡には、銅像が立っていますが、これは、元々、青葉城址(仙台城址)に、あったものが、現在の銅像と入れ替えで、移ったものです。

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びーこ

花巻城と神楽と大谷くん (2023/04/29 訪問)

イトーヨーカドーの目の前にある鳥谷ケ崎公園から橋を渡って登城開始。すぐに本丸公園に辿り着く。公園というだけに綺麗に整備されているが、城を連想させるのは復元された西御門と御台所前御門跡の石碑くらいか。案内図には堀跡や土塁、門跡が書かれていたが、素人目にはちょっと見分けがつかなかった。

花巻小学校の周りを歩いていると、どこからか太鼓の音が・・どうやら島谷崎神社からのようだ。鳥居をくぐって中に入っていくと、神楽奉納が行われていた。生で神楽を観るのは初めてで、しばし足を止めて見入ってしまった。ちょっと感動!

神社から坂を下って、野生のつつじを堪能しながらまた坂を登っていくと、大手門跡が出現した。傍らには「時鐘 南部盛岡城楼鐘」が厳かに鎮座していた。岩手県指定有形固定資産で、現在の鐘楼は昭和54年8月に新築したものだとか。

大手門跡のすぐ隣に花巻市役所があり、大谷くんや佐々木郎希くんの垂れ幕が!本日2回目のちょっと感動!

最後は、大谷くんが学生時代に通ったという食堂へ。最近の昭和レトロブームも手伝って、食堂は大いに賑わっていた。なんだか懐かしい見た目と味のプリンパフェを頂いた。大谷くんも食べてたのかな〜?
なんだか城以外で楽しんでしまった、花巻城の登城だった。

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キンヤ

市街地に土塁と空堀が良く残された大変貴重な城 (2023/05/04 訪問)

鎌倉時代の1218年に小坂光善が築城したとされます。
その後、小坂光善は近江へ移り住みましたが、子孫の林重之の代に上条城に戻り、名字を「小坂」から「林」と改姓したと云われます。
1584年 小牧・長久手の戦いでは、羽柴秀吉軍に付き、池田恒興らが三河中入りの足掛かりとして上条城へ入城したとされます。
その後、1586年に廃城となりましたが、林重登が上条城跡に屋敷を構え、林金兵衛の代まで大庄屋として務めたそうです。

現在、本丸は月極駐車場となっており、南側に林金兵衛の碑があります。
周囲は立入り禁止となっていますが、駐車場や周りの道から土塁と空堀を見ることができます。
草ボーボーでしたが、土塁が南西から北西角の櫓台で曲がり北東にかけて残り、その土塁に沿って外側に空堀が巡っています。
本丸以外は市街地となっていますが、かつては本丸の周りを二の丸・三ノ丸の土塁・空堀で三重に巡らされた大規模な城だったようです。

尾張の平城では市街地に遺構が良く残された大変貴重な城だと思います。

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AIAI

松本城行ってきた (2023/05/06 訪問)

長野にある国宝現存十二天守にやっと行けた。


月見櫓の中は順路の一番最後でした。


小天守は順路外。隣接してても入り口分からず。


太鼓櫓の桝形、圧巻。階段が急勾配なので横向きして登る。


良い城であ~る。

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ぴーかる

続百名城 増山城の支城「孫次山砦」 (2023/04/02 訪問)

【孫次山砦】富山県砺波市増山
<駐車場他>道路脇<36.655271, 137.046604>に駐車しました。
<交通手段>車

<見所>堀切・竪堀・曲輪
<感想>1泊2日北陸山城攻めの旅2日目7城目。城びと未登録の孫次山砦は続百名城の増山城跡の最北東部に位置し、増山城の北側を守る出城としての役割があったようです。後で行った増山城があまりに巨大だった為となかなかの見所ある出城だったので、ここは別途投稿させていただきます。
 孫次山砦の築城は定かではありませんが、増山城の北の守りとして神保氏が築城したものと思われます。上記ポイントの山側に登れそうな踏み跡(添付写真)がありますのでここから登りました。または右手の谷から登り易そうな場所を見つけて直登してもよさそうです。写真の通り進むと左手に竪堀が表れますので、竪堀の堀底を登って後は北に向いて山を直登します。登りきった所が南北に伸びる尾根曲輪に出ます。北まで進むとやや広めの曲輪にあたり、こんどは東西に尾根曲輪堀切が伸びていて所々堀切で仕切っています。この場所から東へは少しだけ、西方向に尾根曲輪が続き、深い堀切の先にさらに7~8m高くなった削平地らしきものが見えますので頑張って堀切渡りをして登った所が主要部と思われます。少し鬱蒼とした中に城跡の説明板があります。主要部から更に西の尾根スロープを下って進み着いた先の南側が増山城のもう一つの出城の亀山城と繋がります。繋がりますが、接続曲輪が長方形にかなり深く削って低く、普通では降りられない造りになっています。亀山城からはもっと急な切岸になっています。この場所は相当削って手が入れられていて見応えあります。
 個人サイトの方の長大な竪堀がどうも見つけられなかったようです。経年落葉で埋まってしまったのかもですが、除いてもなかなかの見応えある出城で充分1城分の規模です。

<満足度>◆◆◇

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宗春

田峯城 (2023/05/02 訪問)

愛知県に帰省するにあたり、地元の友人と城攻めしてきました。その②田峯城です。

主郭には御殿がありますが、当時の物ではなく模擬御殿だそうです。物見櫓や門も模擬再建された物との事。若干の残念さはありますが、よく整備されています。

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