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はたけ

武田信玄公 (2023/08/08 訪問)

現在は武田神社になってます。
行って城跡と気づきました

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はたけ

どうする家康 (2023/08/09 訪問)

ちょうど大河ドラマの展示会もやってました。

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はたけ

やっと行けた (2023/08/08 訪問)

カッコいいです。
やっと来ることが出来て嬉しい

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モト

元忠の想いを想像しながら (2023/07/07 訪問)

鳥居元忠が命と引き換えに家康を天下人にするきっかけを作って自死した歴史ある伏見城です。
跡地に建っている模擬の天守が老朽化もあって立ち入り禁止になっています。
その朽ち具合が逆に非常に雰囲気を出しておりました。

しかし、私はこれも知りませんでした。
この天守が、かつてここにあった遊園地の1つだったという事を…。
元忠の死や家康、秀吉が滞在したりと歴史的にも多く登場する伏見城です、昔から伏見城と検索すると画像が出てくるこの天守に、これが城跡の確固たる建物だと思っておりました。
まぁ、天守の像にある程度似せた造りなのでしょうし、カッコは良いです。
しかもほんと朽ちた建物はかなり雰囲気が出ていると思いました。
雰囲気は充分に味わう事ができました。

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朝田 辰兵衛

赤い城さん,お疲れさまです。 (2023/06/11 訪問)

まだまだ落ち着かないご様子とお見受けしました。日常生活でいちばん違いを感じるのは,テレビのチャンネルかな…と予想します。電気の周波数が50Hzから60Hzに変わっておりますが,あまり感じることもないかと思います。電気製品の充電時間が早くなったな…ぐらいかと。天気予報で違いを感じるのでは…。西日本中心になるので,大阪や広島を中心に話が進んでいくという。
ミョーに孤独を感じることもあるのではないでしょうか。ここではいつでも「赤い城さんの居場所」がありますョ。

さて,庭瀬城から撫川城への転戦です。非常に近接してると思い調べたら,もともと一体の城だったとのこと。現存の知行所総門は,明治に入ってから移築されたそうです。

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シェル

相模台城(千葉県松戸市)  駅近に眠る激戦の舞台となったお城 (2023/08/05 訪問)

松戸駅東口を出て、イトーヨーカドーの前を右に進み、ココカラファインの入っているマンションの横にある階段を登ると、松戸中央公園があり、その周辺に広がる台地が相模台城の跡とのことです。
相模台城は、小弓公方 足利義明が討死した、天文七年(1538)の第一次国府台合戦の舞台としても知られています。
松戸中央公園には、大正から終戦にかけて旧陸軍工兵学校が設置されていたようで、正門門柱や歩哨哨舎が公園の南側に残っていましたが、城の遺構は確認できませんでした。
正門門柱から公園を出て、右側に進むと「地獄坂」という坂があり、空堀の名残りのような谷になっていました。(城の遺構か?)
坂を下ると、左側に相模台公園の入口があり、木々が生い茂る急な階段を登った先に、公園があります。そこは曲輪のような地形になっており、土塁と思しきものがありました。
下総国なのに相模台という地名になった由来は、鎌倉幕府の十五代執権 北条高時が居住していたことからきているとのことです。

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小城小次郎

新しい強右衛門 (2023/01/21 訪問)

長篠城といえば鳥居強右衛門・・と言っても言い過ぎではないだろう。自らのテーマソングを口ずさんでいたとは思えないが(笑)新しい強右衛門像を鮮烈に印象付けた大河ドラマの演出は評価してもよいのではなかろうか。

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織田晃司

♪宮島さんの神主が おみくじ引いて申すには〜 (2013/08/04 訪問)

今日のカープは勝ち勝ち勝ち勝ち

対岸の宮島・厳島神社の神主が城主を務めた桜尾城。
後に毛利氏家臣・桂元澄か城主に
子孫の桂太郎が山ごと買取り桂公園に

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織田晃司

広大な熊谷氏の屋敷も (2023/08/04 訪問)

今はアパートの裏に石垣が残るのみ…

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織田晃司

熊谷氏と吉川氏の古の縁 (2023/08/04 訪問)

毛利家家臣・熊谷氏の居城。
三入高松城の数ある登山道の内、今回東側の可部ゴルフパーク奥の桐原登城口より登城。

それぞれの登山道からも遺構が確認できるため全て見ようと思えば何度かアップダウンを繰り返すようになります。
今回は夏の暑さと体力温存の為、主郭まで行き、帰りも同じルートで帰るのみ…

熊谷氏の娘・新庄局と吉川元春の婚姻により熊谷氏と毛利氏は強固な信頼関係を築く。
そのお二人のご子孫のコンサートの為、体力温存

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二の丸 (2023/08/11 訪問)

 二の丸には興味ある遺構があります。埋御門之跡と南蛮たたき鉄砲狭間です。埋御門は緊急時の脱出路として作られましたが、江戸後期には下御深井御庭への通路として利用されていました。脱出路としては木曽路へ行くルートが構築されていたようです。南蛮たたき鉄砲狭間は練塀に設けられた鉄砲狭間のようです。練塀とは粘土や砂利を固めてつくられた土塀ですが、南蛮練塀はさらに石灰や油を混ぜて強度をより上げたもので、この技法を「南蛮たたき」というそうです。織田信秀、織田信長ゆかりの那古野城の説明板も二の丸にあります。
私が行った時間には二の丸広場では名古屋おもてなし武将隊の服部半蔵忍者隊のショーが行われていました。この日も暑くて城内で抹茶ソフトクリームを購入しましたが溶けるのが早いです。

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夏まつり(南西隅櫓特別公開) (2023/08/11 訪問)

 名古屋城夏まつりが開催中で西南隅櫓が公開されていたので行って来ました。何回も来ている名古屋城ですが、隅櫓内の見学は昨年の東南隅櫓に続いて2回目です。江戸時代には11基の隅櫓が存在していたようですが、残っているのは3基(西南、東南、西北)だけです。東西11.8m、南北13.5m、高さ14.1mという大きめの隅櫓で2階建てに見えますが、一層目の屋根をつけていないため内部は3階建てになるという珍しい形式です。
この日は休日で開門と同時に行ったのですが、すでに多くの方が見学に訪れていました。西南隅櫓見学の後、本丸御殿へ行ってみると20分待ちとのこと、すでに数回見学したことがあるので今回はスルーしました。
 名古屋城は外堀もかなり残っています。この日は県庁東側の外堀周辺を散策してきました。

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関東八家成田氏 (2023/08/10 訪問)

石碑と標柱がありました。遺構はないようです。

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常光院 (2023/08/10 訪問)

 常光院が跡地で、低くなっていますが土塁や堀が残っています。

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光恩寺 (2023/08/10 訪問)

光恩寺が跡地です。山門前と寺の背後に浅くなっていると思いますが空堀が残っています。

 城とは関係ありませんが、寺の隣には日本公許登録女性医師第1号となった荻野吟子女史生家の長屋門が移築されています。当時女性には国家試験の受験資格がなく、その道を切り開いた方ということで寺では「合格の門」として正月に開放しているようです。

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城之内公園 (2023/08/10 訪問)

東武鉄道小泉線西小泉駅から徒歩で約15分、城之内公園が跡地です。水堀や土塁が残っていています。

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神光寺 (2023/08/10 訪問)

 東武小泉線本中野駅から徒歩約15分、神光寺周辺が跡地です。寺の入り口近くには説明板があります。北東部に低くなった土塁と思われる土の高まりがありました。この寺には県指定天然記念物の大カヤがあり、その説明にも中野城のことが書かれていました。

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榊原康政 (2023/08/10 訪問)

 館林駅より徒歩にて登城しました。土塁が各所に残り土橋門が復元されています。市内各所に遺構があるようですが、今回は散策していません。城沼を堀として活用した平城ですが、多く残っていればすばらしい景観だったのではないかと思います。

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古城天満宮 (2023/08/10 訪問)

 古城天満宮付近が跡地とのことです。遺構はないと思われます。

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大雷神社 (2023/08/10 訪問)

秩父鉄道持田駅より徒歩にて登城しました。ゆっくり15分くらいでしょうか。久伊豆神社大雷神社合殿周辺が跡地です。背後に土塁が少し残っているように見えます。

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