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けいちゃん

清洲城 (2021/03/14 訪問)

新幹線も近くでみられました。

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けいちゃん

犬山城 (2021/06/06 訪問)

国宝天守!歴史も感じて景色もいいし、食べ歩きもいい感じに楽しめますね^_^

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けいちゃん

名古屋城 (2021/03/07 訪問)

早く天守に入れるようになるといいねー^_^

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けいちゃん

岩崎城 (2021/06/27 訪問)

子連れで手軽にいける城でした。階段の下から見上げた姿もいい感じでした^_^

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赤い城

吾妻川沿いの要害 (2021/10/10 訪問)

登城口近くに駐車場が無く、近くの家電量販店の駐車場に駐めさせてもらいました。
登城口から石段を登ると神社があり、そこから土塁上を進みます。
藪の堀を横目で見ながら進むと二郭と三郭の間に。
ここには土橋があり、その両側の堀も観察できます。
本丸と南曲輪の間の長い堀を歩き、三日月堀を経て本丸に。
本丸虎口は枡形になっていて石垣も残ります。
また、本丸は高い土塁にも囲まれていました。
一通り土塁上を歩き、二の丸、三の丸、北曲輪まで歩きました。
それぞれ曲輪は畑になっていました。
白井長尾氏の本拠で、江戸時代には白井藩が立藩されました。
しかし短命に終わり、江戸時代初期に廃城となってしまいました。

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けいちゃん

小牧山城 (2020/09/27 訪問)

城好きに目覚めた城!?
妹が生まれる前日に登ったね^_^

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いんげん丸虫

村史跡 (2021/10/24 訪問)

南北400m東西200mの広い城跡です。
西面の巨大な横堀が素晴らしく圧倒されます。北で折れ曲がって大きな二十掘りとなってます。
この地方での中心的な存在で武田勢も重要視したらしい。
小型車なら中心部の今木八幡神社まで行けます。

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カズサン

滝桜鑑賞の後に登城、広い濠高土塁が圧巻 (2012/04/29 訪問)

 平成24年4月の連休群馬県太田金山城、高崎城、沼田城を終えて福島県三春の滝桜を是非見たいと大回りして滝桜朝駆け2時間の大渋滞でしたが着けば交通整理宜しく順々に駐車場に案内されました、滝桜の周りには大勢の見物客、日本三大桜の一つ、凄いと言うか息をのむ思い素晴らしい千年を超える銘木、その後8年掛けて残りの日本三大桜を鑑賞しました。

 三春の滝桜から県道40号線を約50km程南下、三春城の麓を城に行かず滝桜へ道中、枝垂れ桜があちこち咲それは素晴らしい、県道40号線の山道、里山沿いにも家屋敷に一本桜があちこちに咲き田植え前の田園風情と良くマッチし山里の古き良き時代を彷彿させる情景に走行中堪能しました。

 棚倉城へはナビに従い内堀南の二の丸駐車場を利用。城跡は亀ヶ城公園と成ってる。
 
 駐車場から直ぐに広い内濠、本丸の二段高土塁が目に入り浮き浮きドキドキの城探訪の開始です、本丸南側に在る追手門外枡形に土橋から入り本丸内部を一周、北に在る北門内枡形を見て内濠外周を一廻り、途中に二の丸西側の崖状に在る二の丸石垣を見学、本丸土塁上を一周、幅広の土塁上に多門櫓跡、四隅に隅櫓跡、途中に外の土塁側で二段に成ってる武者走り?を歩いてみる。最近復元の茶室も外から見学。
 
 大身丹羽長秀の嫡嗣丹羽長重は関ヶ原合戦西軍につき領地を取り上げられたが慶長8年(1603年)大名に復活し元和8年(1622年)5万石で棚倉領主となる。当初赤館に入るが寛永元年(1624年)幕命に由り現在の地に平城の棚倉城を築城し未完のまま寛永4年長重は白河10万石で転封、白河小峰城は棚倉城の土の城と違い総石垣の城郭に大改修、その白河城も寛永20年(1643年)代が変わり光重は二本松城に転封し城を大改修石垣の城へ以後丹羽氏は二本松で11代継承するが幕末の二本松少年隊の悲話は語り継がれてる。
 
 関ヶ原合戦の西軍につき領地没収後大名に復活するが幕府の目は厳しく立て続けに棚倉城築城、小峰白河城の石垣大改修、二本松城の石垣大改修と仕置きに近い幕府監視が辛すぎる。
 しかし後世に百名城として小峰白河城、二本松城として残し棚倉城も土造りの名城として残し築城の名手丹羽氏の名前を後世輝かしく誇ってる。城好きには大変ありがたい。

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カズサン

9年前の初登城桜満開花盛り (2012/04/28 訪問)

 平成24年4月の連休太田金山城、高崎城を終えて関越で一路沼田へ、車は人出も多く少し駐車場を探し回りましたが何とか臨時の駐車場に停める事が出来ました。
 
 早く登城したかったのですがやっと今回の初登城、駐車場の関係で二の丸グランドから攻城、二の丸土塁の桜は満開か散り気味、高崎城と違い標高差の違いでまだ桜が楽しめました花見客も大勢、本丸内堀横を通って本丸へ花壇にチュウリップ、花が咲き誇り沼田城址公園は植物園の模様、本丸跡、鐘楼、真田時代の復元想像図は薄く擦れてるが当時関東には唯一の5層天守が描いておりそれも金箔瓦と成れば真田氏の当時の勢いが感じられる、発掘発見されて復元整備された西櫓台、石垣も見事、城跡の先端捨曲輪からは谷川岳方面新潟県境の山々の残雪が見事に眺望出来ます、桜と残雪絵になるシーンです。
 歴史はさて置き沼田城跡の桜と花の情景と雰囲気に大満足の初探訪でした。

 投稿が今月二回とダブりますが9年前の古い写真を見て頂ければ幸いです。

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イオ

一日とことん彦根城(第三郭) (2021/10/03 訪問)

(続き)

中堀と外堀の間の第三郭には武家屋敷や町屋が配され、内町と呼ばれていました。現在でもあちこちに武家屋敷や城下町、外堀の痕跡が見られるようなので、自転車でめぐってみました。

旧池田屋敷長屋門
佐和口の東に位置する中級武家屋敷で、池田氏は伊賀者として召し抱えられたとされます。長屋門内部は無料公開(土日祝の9時~17時)されていて、馬屋があるとのことながら馬屋というより……トイレ? もしや「厠」を「厩」と見間違えた!? とも思いましたが、馬の排泄物が流れ込む仕組みになっているとのことで、やはり馬屋だったようです。説明板がなければわかりませんでしたが、珍しいものを見ることができました。

旧鈴木屋敷長屋門
中堀の南端付近に位置する中級武家屋敷で、鈴木氏は大津蔵奉行や書物奉行などを務めたようです。主屋などは取り壊されましたが、江戸末期に建てられた長屋門が現存しています。外観のみで内部は非公開です。

金亀会館
藩校弘道館の講堂を外堀南端の現在地に移築したもので、藩校唯一の現存建物です。保存・活用に向けて建物調査が実施されており、現在は外観のみで内部の見学はできません。

宗安寺
井伊直政が転封に伴って上野国から移した寺院で、夢京橋キャッスルロード沿いにあります。赤門と呼ばれる表門は佐和山城大手門の移築、本堂は長浜城の御殿を拝領して再建したものです。また、本尊の阿弥陀如来立像は、大坂夏の陣の際に淀君の念持仏を持ち出したものと伝わり、墓所には夏の陣の若江の戦いで井伊直孝隊との激戦の末に討死した木村重成の首塚があります。朝鮮通信使の彦根における宿所としても知られています。

城下町の屈折(どんつき)
城下町には道の屈折や斜交は定番ですが、彦根でも随所に見られます。この日は彦根幼稚園の西側、説明板が設けられた旧白壁町のどんつきに行ってみました。

外堀跡
彦根城の外堀は戦後のマラリア対策で埋め立てられて道路(昭和新道)となり、往時の姿はほとんど遺されていませんが、護国神社前(彦根観光センター裏手)に外堀跡(と説明板)が見られます。また、金亀会館の南にある外馬場公園は外堀を埋め立てたもので、金亀会館との間の水路は外堀の名残と思われます。外馬場公園から西に徒歩3分行くと、外堀の土塁(藪御土手)がなかなかの規模で遺っています。

おまけ・近江ちゃんぽん
まだ近江ちゃんぽんを食べたことがなかったので、近江ちゃんぽんの元となった彦根チャンポン発祥の店、「麺類をかべ本店」で昼食にしました。どう見てもスナックそのままの店内に入り、チャンポンとミニチャーハンのセットを注文。和風だしのスープはガツンとくるようなインパクトはありませんが、野菜と相まってほのかな甘みのある優しい味わいで、いくらでも食べられます。大盛にすれば良かった…。彦根のちゃんぽんは「をかべ」が発祥ながら、店によってそれぞれ特色があるようですので、当面は彦根での昼食はちゃんぽん食べ比べになりそうです。

腹ごしらえも済んだので、城めぐり再開。昭和新道(外堀跡)を越えて、第四郭の足軽組屋敷に向かいます(続く)。
 

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赤い城

牡丹寺で有名な正蓮寺 (2021/10/10 訪問)

渋川駅から徒歩で15分、正蓮寺が城跡で駐車場もあります。
境内に石碑があり、お寺周囲には堀跡かもしれない水路が廻っていました。
別名は寄居城で真田幸隆が白井城攻めのために築いたとされます。
この寺、牡丹寺とも言われていて本堂裏手に牡丹園があります。
シーズンに行って見たい。

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カズサン

乾櫓と東門の初登城 (2012/04/28 訪問)

 平成24年4月末からの連休に太田金山城を終えて出張で何回となく訪ねてる高崎市の高崎城に初登城、車は何処に駐車したかは記憶がはっきりせず分かりませんが東門近くの公共施設駐車場を当時は利用。

 高崎城の本丸に在った乾櫓と東門が音楽センタ通り南の外濠の土塁上に乾櫓が移築され隣接西に東門が移築されて居ます、同場所の北隣接地に模擬石垣などで高崎城の案内板などを掲示し城の雰囲気を醸しています、外濠の土塁上を南北に歩き満開のツツジと濠を眺め天気は晴天、気分はルンルン、城内はイベントで賑わって居ましたが私の周りは城探訪で人無し静かなものです。

 また高崎城は故郷井伊谷城出身井伊直政が家康関東移封後箕輪城を与えられ現在の箕輪城に大改修しましたが家康の命、経済の要所である高崎に高崎城を大改修築城、西の利根川支流烏川を西の外濠とし東に本丸、二の丸、三の丸外周を大土塁と外濠防御、現在外濠、土塁がぐるっと残ってる様です、古写真には明治期練兵場と成り石垣櫓台上に御三階櫓が写されてました、破却は惜しまれます。
 直政は関ヶ原後佐和山城へ彦根城築城を計画するが関ヶ原の鉄砲傷で2年後の慶長7年(1602年)亡くなり惜しまれました。

 

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ぴーかる

寺戸城 (2021/07/25 訪問)

【寺戸城】
<駐車場他>駐車場はなし。正面にコンビニがあるので買い物ついでに寄れます。
<交通手段>物集女城跡から徒歩

<感想>JR・京阪・阪急 3電鉄利用のラスト旅9城目。寺戸城は室町時代に竹田氏の居城だったそうです。遺構は残っておらず、現在は家一戸分程の公園の片隅に説明柱があるのみです。地形的には東側より少し丘陵になっています。

<満足度>◆◇◇

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朝田 辰兵衛

山口ポチっとな③ (2021/10/11 訪問)

築山館の南側にほぼほぼ並列というカンジです。大内氏館内の龍福寺には立ち入りませんでした。土塁の高さは,約1mです。

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いんげん丸虫

大昌寺山城 長野県長野市戸隠 (2021/10/24 訪問)

鬼女紅葉の伝説がある大昌寺の裏山にあります。
長方形の主郭に大きな堀切、寺側の斜面には約100mの横堀があります。
大昌寺の駐車場を利用して寺の左手お墓の前の林道を配水施設まで行くと
城の南東から訪城できます。

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肉球

本丸・二の丸以外の見所 (2021/10/15 訪問)

前日訪れた天守閣内部が工事で少しガッカリ。
消化不良を解消するために街中の遺構を散策しました。
市役所の展望台から天守閣を眺め北総堀土塁へ
そのすぐ近くには総堀を埋め立てた後に湧き出た北馬場柳の井戸。
武家屋敷高橋家・こちらは土曜日、日曜日だけの開館。
その後お城の東側にだけ残る総堀へ。北門跡脇には北門大井戸があります。
こちらの画像は最近投稿のヒロケンさんと重複するので省きました。
総堀ぞいを南へ歩くと東馬出し跡にもビルの横に東門の井戸があります。
縄手通〜中町通り〜大手門跡〜西堀公園井戸〜西総堀公園。
西総堀公園には整備される前の総土塁の案内があり勉強になります。
その近くには保護されるのを待っているかのような90石新井家の門が残されています。
松本市内ではバブル崩壊後に武家屋敷や武家屋敷門が何棟か解体されたようで残念です。

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カズサン

関東には珍しい石垣の城 (2012/04/28 訪問)

 平成24年4月の連休に未踏の城廻りに出掛け一番目は群馬県太田金山城高速を車で飛ばし、太田金山城山頂の駐車場を目指し同駐車場を利用、連休と言う事も有り駐車場はそこそこの満車に近い状態。
 
 案内登城路に従い尾根筋を登って行くような感じで登城口からは山城の様子、堀切が西矢倉台西、西矢倉台下と有り遊歩道には山ツツジが咲き綺麗です、進んで行くといよいよ石垣の在るエリア、物見台下虎口の石垣、土橋には石街で補強、上には物見台、物見台下には岩盤を切り抜いた堀切、見所です、物見台下通路を通り竪堀木橋を渡り馬場曲輪へ復元っ建物が有る、西に物見台曲輪と連結しており物見台を見学、眺望は良好、子供たちが団体で登城して居ました、馬場曲輪から降りて有名な月の池へ月の池の上は大堀切に成ってる。
 
 いよいよ本城大手虎口、石垣の段曲輪が眼前に聳えてるここまで復元整備されたのかと感激のシーンです、各曲輪、土塁が石垣で覆われて居り、発掘調査の結果の建物復元、月の池より大きい日の池、上部からの石垣曲輪群の眺めも素晴らしい、詰めに新田義貞を祀って有る新田神社参拝、ここは実城本丸に当たる、人の出も多く出来るだけ人が映らない様にと苦心するが中々難しい。
 素晴らしい登城探訪でした。

 下城して麓に在る金山城ガイダンス施設を訪ね見学と資料を収集頂く、金山城の模型も有り大変勉強になります、先にガイダンス施設に寄って行けば良かったと後悔。

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higekam

三木の干殺しで悲劇的に開城した三木城の出城 (2021/10/26 訪問)

あの織田信長が攻めてくるとなって城を強化したと思われる、小城ながら大規模な土塁、堀切がある。実際に登城してみると、城主衣笠氏の戦いに臨む決意、信長に対する恐怖すら感じさせる規模だ。曲輪、土塁、堀切など遺構が良く残る山城ファン必見の城だ。

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イオ

一日とことん彦根城(第二郭) (2021/10/03 訪問)

(続き)

内堀と中堀の間の第二郭には、藩校弘道館や重臣の武家屋敷、藩主の下屋敷と庭園が配され、中堀には長橋口、船町口、京橋口、佐和口の4つの虎口が設けられていました。

さて、大手門橋から内堀沿いに北へ。以降の移動はそこそこ距離もあるので、車に積んできた折りたたみ自転車です。米蔵跡の水門や山崎御門を内堀越しに眺めながら北端の長橋口に向かいましたが、未整備で近づけませんでした(山崎曲輪から内堀越しに門跡の石垣を見ることができます)。

西に向かい船町口を出ると、幅の広い中堀が北と南東方向に広がっています。第二郭の中堀側は犬走のある石垣が続いていて、中濠東西通り沿いの説明板のあたりからは中堀越しに天守を仰ぐことができます。

南部の京橋口から中堀を渡って第二郭に戻ると、京橋口御門の両側にあった多聞櫓に続く雁木が見られます。雁木を横目に進んだ先には旧西郷屋敷の長屋門が続いています。旧西郷屋敷は現在は裁判所になっていますが、何の気なしにのぞき込んでみると、長屋門の内側には「交通事件受付」や「執行官室」の表記が。長屋門は非公開ですが、裁判所の庁舎の一部として活用されているんでしょうか?

内堀の鉢巻腰巻石垣を眺めつつ東側に回り、馬屋はスルーして東部の佐和口へ。これまで何度も通っていながら意識していませんでしたが、櫓門の礎石がしっかり遺っています。

そして、第二郭の締めくくりに玄宮園と楽々園へ。何度も訪れているので今回はさらっと流しましたが、玄宮園から仰ぐ天守はやはり絵になりますし、楽々園も保存修理を終えて公開される日が楽しみです。さらに少し足を延ばして金亀公園へ。金亀公園からは山崎曲輪の石垣や、楽々園と玄宮園の東側に回って裏手の石垣を見ることができます。

これで第二郭もひとめぐり。続いては、城下と外堀めぐりです(続く)。
 

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小城小次郎

さてお城はあったのかどうか (2021/08/09 訪問)

城めぐりアプリ等では筑土城と別々に登録されているが仮にそれぞれのお城が実在したとしてもスペース的には重なっていた(というより同じ場所だった)のだろう。さてお城はあったのかどうか。

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