城跡は東根小学校となっていますが、塀が石垣風となっているなど、雰囲気はありました。日本一を誇る大ケヤキが時に移ろいを見守ってくれています。
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2023/08/14 11:39
大ケヤキが見守っています (2023/07/12 訪問)
城跡は東根小学校となっていますが、塀が石垣風となっているなど、雰囲気はありました。日本一を誇る大ケヤキが時に移ろいを見守ってくれています。
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2023/08/14 09:27
高い石垣 (2023/08/03 訪問)
10年ぶりに訪れました。が,いつものごとく仕事の合間で
同行者に無理を聞いてもらい駆け足登城となりました。
高い石垣を見ながら裏門から入場しました。
入ってすぐの所から古写真に残る裏門付近で発掘調査が行われていました。
このような風景を見ると復元されるのかと淡い期待を抱いてしまうのは私だけでしょうか。
古写真は茅葺き屋根のようですが元々は瓦葺きだったようなので私はどちらの姿でもOKです。
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2023/08/14 09:16
酷暑の中訪れました (2023/08/07 訪問)
近くに残る武家屋敷の町並みは雰囲気がとても良かったです。すごく暑い中でしたが、湧き水に囲まれた四明荘で涼を堪能しました。綺麗な水が豊かな街でした。
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2023/08/13 22:48
練馬城址公園 (2023/08/06 訪問)
「練馬城跡地のとしまえん跡地にハリポタ城が建設され、そこに練馬城が復活する」という話を聞いてから数年が経ちました。
そういえばどうなったんだ?と様子を見に行くと、駅前や公園入り口はとしまえん時代とあまり変わっていませんでしたが、「東京都立練馬城址公園→」の案内が新たに設置されていました。
人の波につられて“ハリーポッターとしまえん”(ワーナーブラザーズスタジオツアー東京)の敷地に入ってしまいましたが、ここに練馬城の遺構はありません。ハリポタ城内に入るのも予約制のようでしたのでそそくさと立ち去り、石神井川沿いの川辺の散策ゾーンを進むときれいに整備された練馬城址公園に着きました。
が、名前のほかにそれらしいものは見あたりません。お手洗いも海鼠壁じゃないし。。。
ということで、サービスセンターにて聞き込み開始。
大変貌を遂げた一帯から石神井川を挟んだ緑の残る土のエリア。現在工事中で入ることはできない区域を練馬城跡として整備中とのことです。現存土塁や地形を生かして、歴史を感じられるゾーンになるそうです。
屋外で歴史を感じられる施設というと古墳が浮かびますが、どんなふうになるのかな?
完成予定は令和11年だそう。ずいぶん先でちょっとびっくりしましたが、楽しみに待ちたいと思います。
現在は、西武線の豊島園駅に近いエントランス広場の「としまえんの思い出コーナー」の【この土地の歴史】のところで練馬城について触れられています。としまえん開園当初のマップで城跡妄想してしまいました。
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2023/08/13 22:40
「どうする家康」全国巡回展 (2023/08/01 訪問)
NHK放送技術研究所で開催されていた巡回展に行ってきました。かつて5年ほどこのビルの中で働いていたことがあったので少し懐かしかったです。
エントランスでの開催だったのでパネル展くらいかなと思っていたのですが、衣装、小道具等の展示あり、美術や衣装デザインの裏話その他ありで、大河ドラマ館の要素がばっちり盛り込まれていました。
興味津々だったのが、セリフが聞けるボタン。
“弱きウサギが狼を喰らうんじゃ”とか
“えびすくい〜”とか、
大音量で会場内に響き渡る🫨
松潤のビデオメッセージもよかったです。
お土産にいただいた「家康年表」もドラマのお供に便利そうです。
江戸城下には大河ドラマ館はありませんが、単発の企画展が駅前などでもあるようなので、情報をゲットできたら行ってきたいと思います。
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2023/08/13 21:40
桜の展望台 河津城 (2023/02/20 訪問)
本佐倉城と佐倉城を訪れた翌々日は伊豆の河津桜観賞へ。
2月後半の城郭巡り第3段は、その時に寄った静岡県賀茂郡河津町の河津城。
河津川河口の小さな平野を見下ろす標高約180mの山に築かれた詰の城。
蔭山の字名が残る、麓の姫宮神社付近に蔭山氏の館があったとのこと。
築城時期は定かでないが、鎌倉公方足利持氏の七男といわれる広氏を祖とする蔭山氏の城。
伊勢宗瑞の伊豆平定時には火攻めが行われ、兵糧米で消火を試みたのだとか。
その後、小田原北条氏に仕えた蔭山氏ですが、秀吉の小田原征伐では戦わずして降伏します。
現在は河津城跡公園となっており、河津桜を展望する名所。
以前は西側に土塁が残っていたという本丸には米俵のモニュメントがありました。
訪問時、河津と今井浜を結ぶ小さな峠道からスタートすると、分岐点からは山城らしい急斜面に。
山頂手前の東屋は、城郭遺構とは別でしょうか。
更に登ると冠木門と柵が設置された二の曲輪と1段高い本丸に到着し、眼下には河津川沿いの桜並木。
城としての見どころは特にないものの、好展望の河津城が私の城郭巡りの150城目となりました。
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2023/08/13 21:38
新しい見どころが続々誕生している (2023/01/22 訪問)
二の曲輪北馬出にぽつんと建っていた門の周囲に塀が出来たのでこの曲輪のハイブリッドな機能がちょっとわかったような気になった。主郭横堀の薮も払われ、高い切岸に守られた精悍な城の姿も拝めるようになった。
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2023/08/13 19:19
2023/08/13 18:37
大野城 (2023/07/15 訪問)
【大野城】
<駐車場他>大野極楽寺公園第一駐車場に駐車
<交通手段>車
<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾10城目。大野城の築城年は定かではありませんが、大野治長の祖父大野治定が織田信長の命で築城したものとされる城です。小牧長久手の戦いの時、秀吉軍の砦として利用される時に大野治久(大野治長の叔父)は堀秀政・岡田監物らと争いになり戦後所領を没収されます。廃城年は定かではありません。
近代まで土塁が残されていたようなのですが、河川改修工事で撤去または埋められてしまったようで現在は石碑しかありません。行ってはいませんが樹冠タワーはブラタモリでタモリさんが木曾三川を眺めた所かも。
<満足度>◆◇◇
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2023/08/13 16:45
大きなお城ですね❗ (2023/08/13 訪問)
二ノ丸の周囲のお堀と三ノ丸の周囲のお堀の間に、県庁や中学校(その名も城内中学校)などがあらビックリ‼️
城内の静岡おでんもおいしかったです。
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2023/08/13 15:51
②つづき
石垣復旧PR館を出て、引き続き山下曲輪を野面積みの石垣を鑑賞しながら一周して大手門まで戻り、見返り坂から三の丸、二の丸、本丸へ進みました。間近で見上げる高石垣は迫力があります。その分、上から見下ろしても力強さを感じました。
工事のため通行できないところもありましたが思った以上に広範囲を見てまわることができました。ただ、ずっと雨だったので靴の中までぐじゅぐじゅで……天守の中に入るのは遠慮しました。
ここで四国城めぐりは終了です。
大雨のため予讃線に若干の遅延がありましたが岡山乗り換えで無事帰京しました。
今回は
100名城スタンプ……大洲城・宇和島城
(松山城・湯築城・高松城・丸亀城はフライングスタートの2冊目)
続100名城スタンプ……河後森城
厳選24城スタンプ……宇和島城・松山城・丸亀城
城カード……丸亀城・松山城・宇和島城・高松城・大洲城
計15個のミッションももれなく達成することができて……ホッとしました。
ニッポン城めぐりのポチはかなり忘れていますが(-“-)
おわり
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2023/08/13 15:47
①石垣復旧現場 (2023/05/30 訪問)
3泊4日四国めぐりの最終日です。
もう……すごい雨ですが、あとは帰るだけなのでどうなってもいいわと覚悟を決めて丸亀駅から歩きました。
お濠の向こう、日本一高い石垣と日本一小さい現存天守が出迎えてくれます。下から見上げた天守が堂々として見えるのも高石垣効果のように感じました。
大手門と天守が一直線に見られるのは丸亀城と高知城だけ。城内に足を踏み入れる前からその魅力をたっぷり味わわせてくれます。二の門の補修跡や開閉可能な狭間も印象に残りました。
あやめ池、番所長屋、藩主玄関先御門、かぶと岩と見てまわり、石垣復旧現場に向かうと、この雨の中でも作業をされていました。
あまりにも規模が大きく被害も甚大で悲しくなるような現場ですが、出土した石や五輪塔などの展示もあり、石垣復旧PR館では自分で石垣を積んで構造を学べる「石垣つめるくん」など、楽しみながら石垣について学べるくふうがされていました。悲惨な現状をただ伝えるのではなく、丸亀城の魅力をアピールする前向きな取り組み。まさかここで「楽しかった!」という感想をもつとは思ってもいなかったのですが、楽しかったし、行けてよかったです。
2018年の西日本豪雨から5年が経過。復旧工事の完了は2027年度末の見通しだそうです。完了後の姿ももちろん見たいですが、今のこの期間の姿も心に留めておきたいと思いました。
つづく
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2023/08/13 12:43
2023/08/13 11:52
最上川舟運をおさえた中世山城 (2023/08/11 訪問)
遊佐町からの帰路は酒田・尾花沢経由としました。その途中大蔵村通過の際、道路脇の「県指定史跡清水城跡」の案内看板が目に留まり攻城することに。この城は最上氏の祖斯波兼頼の曽孫満久が文明8(1476)年に清水に配され、二年後に築城し清水氏を名乗りました。当時この地は最上氏領北端にあたり、北方の政治拠点の確保と最上川舟運の掌握が目的だったと考えます。
城地は最上川左岸に張り出す段丘と深い谷を利用した天然の要害。比高45mほどで最高所に東西65m、南北80mの本丸を置き、その南側に堀で囲んだ出丸、さらに東西95m、南北75mの広大な二ノ丸を連ねて、南側に広がる台地との接点は大規模な土塁と堀によって遮断する連郭式の構造。
城址に到着して先ず本丸を目指しますが、本丸防御の要であった出丸(馬出)は現在林になっており、堀切、土塁は時節柄草が伸びて判りにくい状態。さらに進むと深さのある堀切で画された本丸は広々として、北東隅にある四阿からは最上川がよく見渡せます。二ノ丸南側の台地には最上川の舟運をおさえ繁栄した清水氏の家臣屋敷や町家、寺院など城下町があったと言われていますが、現在は一面田んぼとなり跡形もないのが残念です。
清水城は元和8(1622)年の最上氏改易により廃城となります。最上川流域の中世山城の遺構を今に残す貴重な存在と感じました。
東北中央自動車道(国道13号線)舟形IC出口から11km(14分)。二ノ丸側に専用駐車場あり。
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2023/08/13 06:01
平家追討のための築城 (2023/07/16 訪問)
姫島に渡る前の攻城です。七社宮がその伝承地とのことで、平家追討のために源義経が築城させた豊前5城とのことです。黒田官兵衛の統治に従うことをせず、攻められて落城。遺構はなくとも歴史を積み重ねた城は感慨深いものがありました。
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2023/08/12 23:51
耳をすませば(江戸城おまけ。鉄道も好きなあなたへ) (2022/11/22 訪問)
これ海の音聞こえるよ、と私。すかさず真似をして、足元の安山岩に耳を当てる息子(当時5歳)。
昨年秋、東京都・豊洲の一角に現れた「403号蒸気機関車」。鉄道開通150年を祝し、芝浦工業大学附属高校の敷地横に復元されました。通勤・通学、週末は散歩や買い物で多くの人が通り過ぎるため、テツやレキジョに限らず、周辺は結構な賑わいに。
そんな人だかりから少し離れた場所でしゃがみ込む親子。別途展示されている2つの岩をペタペタ触り、しまいには抱き抱えたりする始末。ちなみに、機関車の展示台にも同じ築石がふんだんに使われている。これがどれほど贅沢なことか!
「高輪築堤」が世間の話題を程よくさらったのは今から3年前。山手線の新駅・高輪ゲートウェイ駅周辺の開発に伴い発掘された遺構は、新橋ー横浜間で日本初の鉄道が開業したとき(1872)のもの。品川の浅瀬に作られたため、当時は「海上を陸蒸気が走る」と名物になり、歌川広重が描いたほど。実はこの親子、前年に発掘現場を訪れているが、遠くから眺めただけだったため、実物を間近で見るのはこの時が初めて。
築堤の石垣には取り壊し予定だった江戸城の見附や櫓台の石垣なども転用されています。その後の複線化に伴い、遺構は遅くとも19世紀末には地中に埋もれたとみられますが、この度、そんな“聖遺物”が再び地上で日の目を見たわけです。
「きこえないよ」と息子。
そんなはずはない。100年以上も地中で潮の音を染み込ませた石なんだから。どれどれ、、、ほら聞こえた。もう一回やってみな。
「、、、あ、きこえた!」
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2023/08/12 20:46
松倉城 (2023/07/15 訪問)
【松倉城】
<駐車場他>駐車場はなし。<35.370586, 136.851907>の道路脇に停車できます。
<交通手段>車
<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾9城目。松倉城は越前守護富樫氏嫡流の富樫頼定が坪内氏を名乗り織田信康に仕え1532年に築城します。坪内利定の代では織田信長に仕え稲葉山城攻略に活躍します。信長の死後は徳川家康に付きます。関ヶ原の戦いで坪内利定は井伊直政の軍のもとで活躍して戦後6500石を与えられ旗本となり松倉城から各務郡新加納に新加納陣屋を建て拠点を移したために松倉城は廃城となります。
現在城跡地は木曽川河川敷になってしまっており遺構は残されていません。江戸時代に城跡地に樫の大木があり道しるべになっていたそうで坪内氏の墓碑もでてきたそうです。今は樫も枯れて墓地も移転、樫の大木跡地碑と城跡説明板も少しずらして設置してあります。
<満足度>◆◇◇
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2023/08/12 18:46
出羽で家名存続、生駒氏の陣屋跡 (2023/08/11 訪問)
ここは昨年、由利本荘市内の城館探訪の際、時間切れで攻城を断念した場所。以来ずっと気になっていただけに、猛暑が続いていますが自身の夏休み初日の朝6時に由利本荘市矢島町を目指して出発、午前9時には城址に到着できました。
この城は由利十二頭のひとり大井氏が応仁年間(1467~1469)年に築城したといいます。関ヶ原合戦の後、由利郡は最上義光が領し、その臣楯岡氏が配されると慶長7(1602)年に楯岡満広が城主となります。最上家改易後の元和9(1623)年には常陸国行方郡に転封していた元由利十二頭のひとり打越光隆が矢島3000石の領主として配されます。寛永12(1635)年に打越氏が無嗣廃絶となると、寛永17(1640)年に讃岐国17万1800石の生駒高俊は家中不取締りで改易となり、堪忍領として矢島1万石で入部します。その後は維新まで13代229年間にわたって生駒氏の陣屋として続き、戊辰戦争に際して生駒氏は新政府側に付き庄内藩の攻撃を受けると陣屋に火を放って撤退し「落城」したといいます。
城域は西側から延びる比高70mほどの台地の東端に主曲輪を置き、北、東、南側は切り立った崖、西側の藩学日新堂の跡地が二ノ曲輪と思われます。主曲輪(現在矢島小学校地)と二ノ曲輪とは大手門跡前にある水掘で区画していますが、これは中世には空堀で、近世の陣屋時代の遺構かと思いました。
元禄年間に描かれた絵図をもとに明治4年に聞書きした家中絵図が城址にあり、曲輪の西側が武家屋敷地となっていたようです。大手門に向けて東西に城内大路、南北に山本大路があり、それぞれの両脇に亀小路を始め、鶴、桃、櫻、柏、橘、楊、松、梅、椿、桂の各小路があり100軒ほどの家中屋敷が描かれています。城址の南側には館町、田中町の町人町が東西に延び城下町を構成しており、こじんまりした城址とそれをとりまく城下町の風情には心が和みます。
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2023/08/12 15:13
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