深溝城は室町時代前半 深溝地域を支配していた三河大庭氏によって築かれました。(現地案内板による)
後に松平一族の五井松平家松平大炒助が入城を許され深溝松平家を名乗ります。
松平氏は後に各地に封じられた後、島原6万5000石に転封になりますが、お墓はこの地に残していきました。
すぐ近くに あじさい寺で有名な本光寺があり、廟所もそこになるのですが
東廟所の損壊が年々ひどくなっていっています。
深溝城は現在工場の敷地内で一部土塁が残っているようです。
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2023/06/11 19:31
深溝松平氏の城。近くには あじさい寺の本光寺と深溝松平家廟所(国の史跡) (2023/06/10 訪問)
深溝城は室町時代前半 深溝地域を支配していた三河大庭氏によって築かれました。(現地案内板による)
後に松平一族の五井松平家松平大炒助が入城を許され深溝松平家を名乗ります。
松平氏は後に各地に封じられた後、島原6万5000石に転封になりますが、お墓はこの地に残していきました。
すぐ近くに あじさい寺で有名な本光寺があり、廟所もそこになるのですが
東廟所の損壊が年々ひどくなっていっています。
深溝城は現在工場の敷地内で一部土塁が残っているようです。
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2023/06/11 19:07
乳母の身代わり伝説のある蒲郡の出世城 (2023/06/10 訪問)
久々に形原城跡に行ってきました。
形原城の歴史は平安時代末期 新羅三郎義光(甲斐武田氏の祖)の孫清光の弟
下司次郎師光(もろみつ)によって築かれたとされています。(現地案内板による)
その後、形原松平氏の城となり6代 家信の時代に徳川家康に従って上総国五井5000石から
下総佐倉4万石にまで出世しています。
蒲郡の出世城ともいえる城なので、ご縁がありますようにとお賽銭(5円)を投入させていただきました。
鳥居の裏には家信の乳母 お妙の塚もあります。
幼いころ素行の良くなかった主君の身代わりとなって刺客の手にかかったそうです。
家信の頑張りの影にはこの乳母の存在が大きかったのではないでしょうか。
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2023/06/11 18:53
荒川が天然の堀 (2023/06/05 訪問)
この日の目的は花園城でしたがその前に登城。
久しぶりでした。
東武の鉢形駅から歩いて20分くらい。
月曜日だったので歴史館は休館でした。
ちょっと駆け足での登城となりましたが諏訪神社から復元四脚門を見学、お馴染みの馬出と空堀をへて二の丸、本丸へ。
やはり100名城なのでちゃんと整備されていますね。
逆に堀底へ降りにくい。
史跡の保存と観光の両立は難しいですね。
本丸の北側には荒川が流れ、天然の堀になっています。
このあたりの荒川は結構な急流なので攻めるのも難しそう。
それでも秀吉の小田原攻めで開城、恐るべしです。
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2023/06/11 18:42
三河譜代 牧野氏による今橋城の支城 (2023/06/10 訪問)
このたび牛久保城は10年ぶりの訪問になります。
現地案内板によると 享禄2年(1529年)一色城主 牧野成勝が今橋城主 牧野信成の
命を受けて築城したとあります。
今橋城というと、今の吉田城のことですね。
町中の高台に造成されていて完全に市街地化していますが、一部土塁が残されているようです。
かつては北側に二重の堀がめぐらされていて、周囲に家臣屋敷 寺などもあったようですので
それなりの防御力を備えていたと思われます。
古い画像データが喪失してしまいましたが、近くの長命寺には山本勘介の遺髪塚(墓所)
一色城跡には あの今川義元の胴塚もあります。
是非 合わせて訪問していただきたいですね。
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2023/06/11 18:00
2023/06/11 17:38
2023/06/11 15:40
一曲輪(本丸)古城址 (2023/05/31 訪問)
13年振りの逆井城3度目の登城、逆井城一巡編、模擬復元二層櫓編の続きで古城跡逆井氏時代の城跡?と言われてる一曲輪・本丸の探訪を投稿します、一曲輪・本丸は西二曲輪の木造模擬復元二層櫓、井楼矢倉、復元主殿などに比べて目立たないかも知れませんが土の城の構造を十分に楽しませてくれる、遺構がたくさん残っております。
一曲輪の南に馬出、馬出にも堀か囲んでいます、一曲輪は土塁が西、南、東に在り、北は往時は飯沼に張り出し、現在は埋めてられて西連仁川に向いて土塁は有りません、北東角に横矢掛かりの張出が有り防備を固めています、一曲輪の周囲は内堀が囲み、北は飯沼が堀代わり、内堀の南底には鐘堀池が有り、逆井氏の奥方が北条氏との戦いで敗れて釣鐘を被ってこの池に飛びこみ自殺したと伝聞あり。
北東横矢掛りの南に復元櫓門と復元橋が架かって、中世、戦国期の城の雰囲気を醸しています、一曲輪は西二曲輪、東二曲輪の様に芝生広場は無く鬱蒼とした姿ですがよく整備清掃がなされていました、当日は馬出内部の草取り清掃をされて居ました。
気持ちよく城探訪観察が出来るのも地元保存会の方々のおかげです、ありがとうございます。
続きを、逆井城点描編と後ほど投稿させて頂きます。
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2023/06/11 13:24
東京 城巡りサークル 長篠城、設楽原 (2023/06/10 訪問)
長篠城、設楽原
サークルメンバ男女
6人ワンボックスで行きました
城、戦場にある史実ドラマをみんなで
共有しながら歩きました。
現地ボランティア様から
共有感謝申し上げます。
一泊2日で
1日目
関ケ原、小谷城、長浜城、
2日目
小谷城再度、国友、大垣城、岩村城、長篠城
・奥平氏
・鳥居強右衛門
・おつやの方、秋山虎繁
を感じながら訪問
大河ドラマ
どうする家康
今日のドラマ楽しみにしてます。
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2023/06/11 10:25
落ちない城・・ (2023/01/08 訪問)
「落ちない城」として有名になったが実際に落ちてないのかは横に置き(汗)、赤松円心が新田の大軍を引き付けたことに始まり、その後も赤松氏の重要拠点であり続けたという点で難攻不落の名城であったことに疑いはなかろう。
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2023/06/11 09:44
2023/06/10 21:27
水の都 城下町散策 (2023/06/10 訪問)
江戸時代は美濃国最大の城下町であったと伝わっています。美濃路の宿場町であり、揖斐川水運の湊町として栄えました。美濃路は東海道と中山道のバイパスで朝鮮通信使、琉球王使、お茶壺道中なども通行しました。市内には本陣跡や脇本陣跡、船町港跡、住吉燈台等がありました。大垣藩戸田家菩提寺である円通寺の山門は、雷火のため数回焼失していますが天保年間(1830-44)に再建されたものです。また松尾芭蕉が奥の細道の旅を終えたのが当地とのことで、奥の細道むすびの地として街には句碑が水門川沿いの「四季の路」に設置され「ミニ奥の細道」として整備されています。
大垣市は水まんじゅう発祥の地とも言われています。金蝶園総本家 大垣駅前本店さんにイートインスペースがあり水まんじゅうをいただきました。お土産としても購入しました。
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2023/06/10 19:50
大坂夏の陣 徳川秀忠の本陣 (2023/04/30 訪問)
【岡山砦】
<駐車場他>御勝山公園北側にコインPあり。
<交通手段>JR桃谷駅から徒歩
<感想>大詰め大阪府の城びとの旅5城目。岡山砦は大坂夏の陣で徳川秀忠が陣を置いた場所です。戦後勝利し岡山から御勝山とよばれるようになりました。古墳を利用した陣城で現在は前方後円墳の後円部分だけしか残っておらず、そこも柵がしてあり中に入ることはできません。夏の陣五月七日岡山口の戦いで、先鋒の前田勢が大野治長軍に崩され秀忠は前に前に進軍した時にここに本陣を置いたと思われます。確かに位置的に天王寺よりも大坂城に近く迫っています。秀忠の必死さが感じられました。
<満足度>◆◇◇
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2023/06/10 19:41
2023/06/10 17:58
岩殿山城 (2023/01/07 訪問)
毎年、新年限定御城印を目当てに行きます。
私が今まで行ったことのある山城の中では1番辛い思いをして毎年登っていますが、山頂からの眺めは最高です。
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2023/06/10 17:42
岡部氏館跡 深谷市普済寺 (2023/06/07 訪問)
岡部氏は武蔵七党の猪俣党で、猪俣六太夫忠綱が岡部に移り岡部氏を称したとする。源頼朝の挙兵に参陣し功績のあった岡部六弥太忠澄は、忠綱の孫にあたる。
岡部氏館跡は菅原神社辺りに記されているが、南西300メートル強に普済寺があり、寺域が館跡とも言われる。普済寺は台地末端のように見え、菅原神社は台地下でかなり低地にある。参道の鳥居右には堀状の遺構があり、先で北に向かい東の堀状になり、さらに先で西に向かって北側の堀状(幅広な水路)になる。鳥居奥に菅原神社の社殿、鳥居斜め右に厳島神社が建ち、社殿の西から北にかけて堀状の遺構があるが、厳島神社が水に関係するため東の堀状を含め池跡かも知れない。内側には土塁跡らしきものも確認出来ない。館としてみれば、おおよそ西側半分以上の敷地は畑地になっている。
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2023/06/10 17:42
2023/06/10 17:24
東の外堀跡が微かに残る (2023/06/07 訪問)
深谷城の主郭周辺は城址公園と文化会館等の市の施設が建っている。室町時代中期の康正2年(1456)に上杉房憲が古河公方の侵攻に備えて築城したと伝わる。秀吉の関東攻めで開城するまで134年間、北武蔵における上杉方の拠点であった・・・。冨士浅間神社(智形神社)の社殿を巡る池と水路に往事の姿を留めるのみである、と案内に載る。
公園の入口は何カ所もあるが、南と西の大きな入口は石垣、土塀などが公園設備に伴い模擬復元されている。唯一案内の通り浅間神社入口に、外堀跡の標柱があり浅い溝が確認出来る。
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2023/06/10 17:19
笑い積み (2023/06/10 訪問)
久しぶりの大垣城へ行って来ました。昔から大垣は水が豊富で河川や沼沢を利用した平城でした。古大垣輪中の中に位置する低地に築かれた城で徳川家康は水攻めも検討したようです。在りし日の城は10を数える櫓があり水堀を幾重にも巡らせた堅城であったと伝わっています。開発により多くが壊され堀も埋められてしまい、残っていた天守閣なども空襲で焼け落ちてしました。それでも今は東門として移築されている内柳門、復元された天守閣(外観)等があり、また街には多くの水路があり少しは面影を感じることができます。この城で初めて笑い積みという石垣を知りました。「東海の名城を歩く」(岐阜編)には「天守石垣に見られ、」と記載されていましたが、今一つよくわかりません。関ヶ原の戦いの時にたらいに乗って城を脱出した「おあむ物語」も興味深いエピソードです。
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2023/06/10 16:38
遺構は本堂裏に僅かに残る (2023/06/07 訪問)
国済寺の境内が城跡になる。黒門(総門)・三門は市指定文化財、裏に上杉氏歴代の墓所がある。説明板には13世紀末、関東管領の上杉憲顕が新田氏を押さえるため、六男・上杉憲英に館を築かせた。以後3代にわたり居住。一辺170メートルの方形で、外郭を含めると28ヘクタール(東京ドーム20数個以上か)ある。康応2年(1390)に高僧峻翁令山禅師を招いて館内に国済寺を開山する。本堂裏には築山と土塁が残っています・・・。
館としての遺構は本堂裏に土塁と土塁状の築山が残る程度。庭の手入れ中で築山近くに寄れなかったが、北側のスーパー境に残る土塁より高い。築山の北側に窪んだ地形があり、堀跡ではとの意見もあるが、築山に伴う池ではと想像する。
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2023/06/10 16:15
堀・土塁が良好に残る (2023/06/07 訪問)
説明板の概要は、平安時代から室町時代におおける別府氏の居館跡であり、東西約100メートル、南北約90メートルの規模。跡地には建立年代不詳だが東別府神社がある。別府氏(藤原氏)の氏神、春日神社を勧請、明治42年に榛名神社を合祀し現在名になる。成田助隆の次男・行隆が別府氏を名乗り、その長男・義行が東部に居住し東別府氏となり、次男・行助が西部に館を構え西別府氏を名乗ると伝わる。
西別府館跡が西1㎞にあるため、城と言うより館の呼称が相応しい。神社鳥居がある南の堀跡はないが、東・北・西は良好に残り、土塁はほぼ残る。虎口が南・東・西と三ヶ所あり、改変されているだろうが南は左右の土塁がずれ、短い土塁が直角に残り特異な形状をし、枡形を思わせる。西は堀を渡り土塁下を南に10メートル行き虎口になる。東は平虎口だが、西虎口を含め当時の遺構か分からない。
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