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ぴーかる

マイベストおおさか

イオさん祝辞ありがとうございます!大阪の城巡り(大阪以外でも)において先達のイオさんの投稿がすごく役立ち習う事が多くありました。特に移築門の存在とその場所、遺構が無い城跡で「これだけではつまらないので」のあとの追加で近隣の史跡紹介をして下さって私自身も城巡り楽しめました。あと、USJは同感です。ホグワーツ城は分かってはいても見れば城びと遺伝子で何故かときめきますよね。

 今回、大阪コンプリートを記念して、大阪府の百・続百名城以外の城びと城マイベスト10を作成してみました。

1位[根福寺城]
唯一の満足度MAXの根福寺城、規模はやや小ぶりながら大阪で見た唯一の畝状竪堀群があり、大堀切・2重堀切は見応えがあります。埋もれた石垣跡を探す楽しみもあります。

同率2位4城(五十音順)
[烏帽子形城]
楠木七城のうちの1つ。主郭を取り巻く深い堀が見所、尾根を遮断する堀切も見応えがあります。主郭の礎石建物跡も見所。
[上赤坂城]
楠木七城のうちの1つ。登城口の木戸跡から楽しめ、登城道がかつてのままなので各木戸跡の土塁や堀切、横矢が楽しめて、やられる場所がよく分かります。山頂の大阪一望の眺望も素晴らしい。
[野間城]
石垣の残る麓の居館跡から詰め城まで楽しめます。主郭の櫓台と思われる土壇と主郭背後の大堀切は見応えあります。
[丸山城]
能勢氏の中世詰め城。街道を押さえる位置にあり、小ぶりながら主郭を取り巻く帯曲輪、竪堀、主郭背後の堀切は見応えあります。

同率6位4城(五十音順)
[池田城]
単郭楕円形の平山城だが大堀切、曲輪壁の切岸の高さは当時の雰囲気を想定できる。城跡内は公園化されてはいるものの模擬櫓や庭園等があり地元の方の憩いの場として賑わっていて十分活用されていることに感銘した。
[千石堀城]
遺構の見応えよりも歴史的背景から選択しました。本願寺衆数千人が籠城したのだからきっと丘陵地全体が城跡だったのであろう。北側主要部の広い曲輪は見所。
[高槻城]
築城の名手高山右近の居城跡。城跡内には遺構が残っていないが、公園は地元の子供たちの遊び場として賑わっていました。移築城門が2棟近隣に残っており唐門は見事です。
[地黄陣屋跡]
ここも能勢氏江戸期の陣屋跡。白木陣屋跡と迷いましたが、残る石垣、大手門跡の食い違い虎口石垣は美しい。建造物が無くなっただけで江戸時代の能勢地方の中心的建物の雰囲気が良く残っています。

10位[高安城]
本当はランク外なのですが、夢とロマンではぶっちぎりの1位、一応10位という形にしました。帝都平城京を守る朝鮮式山城なので、当時の規模は大宰府を守る大野城に匹敵するかそれ以上なのは予想できる。信貴山城の松永久秀に潰されることなく、巨大石垣城門跡がどこかに埋まっている事を期待したい。

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しんちゃん

桜井松平氏の本城。アスファルトの高まりに名残が残る。 (2023/07/02 訪問)

桜井城は文明3年(1471)松平氏の支配下に入り、6代 70年もの間
桜井松平氏の居城となりましたが、天正18年(1590)家康の関東移封に従い
城主六代家広が武州松山城に移り廃城になりました。
本丸のあたりが城址公園になっており神社が隣接しています。
縄張りらしい縄張りも無いのですが、余湖クンのホームページにあった
縄張りを参考に城の東側の宅地を見に行ってみると、アスファルトの形が
明らかに宅地側の方が高いので、この内側の宅地のあたりが二の丸だったと思います。
三の丸のあたりも微妙に高地にありますね。
時代が経っても地形に名残が残っていて、なんとなくニヤリとします。

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しんちゃん

国道1号線からのアクセスも良好。登録100城目。 (2023/07/02 訪問)

山中城は戦国時代、西郷氏によって築かれたと伝わります。
この地域では最大級の山城で、東西400m、南北250mの広さがあり非常に見ごたえがあります。
国道一号線からのアクセスも良く、登城道からの道筋もわかりやすく
一部雑草が生い茂ってはいるものの、誰にでもお勧めできる山城です。
私は約10年ぶりに訪問しましたが、当時と今ではだいぶ印象が異なります。
10年の間で城に対する認識も変化し、スマホの地形図から地形を読みながら
山城を散策できるようになりました。
かつて山の中をウロウロしながら彷徨っていたころが懐かしいです。
今は左手の登城道は使えないようなので右手の舞木口から登ります。
いくつか曲輪を経て、馬出し、東曲輪、二の丸を通過して主郭にたどり着きます。
二の丸には土塁が残っており、小さな社と不思議な石積があります。
主郭からは街道を良く見渡すことが出来、そこから虎口を経て西端の堀切を見に行きます。
せっかくきたのだから腰曲輪を経由して物見曲輪を見に行きますが、その途中にも
堀切があります。
あとは東曲輪のあたりから北東尾根曲輪を見に行くのですが先端部は藪曲輪と化しています。
これで見るものは見たし帰るか‥。
ちなみにこの山中城で登録100城目になります。正直回っていくペースのほうが早いので
なかなか登録が追い付かないのですがコツコツ地味に載せていきたいです。


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しんちゃん

小さい社に公園。遺構は無し。時代の流れってやつ。 (2023/06/02 訪問)

安城古城は城というより居館跡といったほうが良いかもしれません。
平安時代から志貴庄の荘館があったという説もあり
鎌倉時代には地頭の館となり、安藤氏が居館としたといいます。
室町時代に和田氏五代の本拠地となり、永享10年(1438)の永享の乱の後
和田氏は安祥城を築き移転したため、安城古城は一度廃城になります。
時代が経って、天文9年(1540)織田勢が安祥城を攻めた時、松平側がここを前線基地の
一つとして兵を入れて戦ったと伝わっています。(現地案内板より抜粋)
現状は宅地の中に公園と小さな社がぽつんとあるだけですが
小さな城址にもいろいろと歴史が詰まっているようです。

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肉球

鎌倉時代から幕末まで使われたようです (2023/06/29 訪問)

鎌倉幕府成立の頃、八田知家の息子時家(時知ともいう)によって築かれ柿岡氏を名乗ったようです。
城跡主要部は柿岡小学校になっています。
城域の東端に諏訪神社が築かれ現在も残されています。
小学校の北側や諏訪神社の北側は窪地になっており堀跡かと思われます。
柿岡氏の後佐竹氏の家臣が城主となり江戸時代には立花宗茂の弟直次が五千石で稲葉正勝も五千石で入封したが
それぞれ転封されると幕府の直轄地として代官が派遣されたようです。

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イオ

USJで城めぐり? (2023/07/02 訪問)

子どもと城めぐりに行ってきました。クッパ城とホグワーツ城。…ええ、ユニバーサルスタジオジャパンです。言わずと知れたマリオシリーズとハリーポッターシリーズに登場する城ですが、どちらもとりあえずやった・観た・読んだことがある程度の私でも充分に楽しめるのは流石ながら、いろいろと小ネタも仕込まれているので(城めぐりと同じく)背景等を知った上で訪れるとより楽しいんだろうな、とも。

その他、最終日の「SPY×FAMILY シークレット・ミッション」に挑戦したり(ノーヒントでは解けず…)、ジュラシックパークで初めて最前列に座って全身ずぶ濡れになったり(マジで容赦ないです)、マリオカート勝負で子どもに負けたり、ミニオンが想像以上のハチャメチャさだったり、来年1月にクローズするスパイダーマンに最後(たぶん)に乗ったり、USJを満喫した一日でした。


# ぴーかるさん、城びと大阪府コンプリートおめでとうございます。私も締めは大坂城かと思ってました。でも、真田推しには大坂城から茶臼山にかけては遺構以外での見どころも見応えも充分ですよね。私はといえば、こんなUSJの城でお茶を濁してたりするので、和歌山も大阪もコンプはいつになることやら…。
 

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赤い城

札城 茨城県鉾田市 (2023/07/02 訪問)

大掾氏一族の札氏の居城です。
安福寺の墓地から奥に二手に分かれる坂道があり、左手の坂道を登ります。
少し登ると鳥居があり、脇に空堀があります。
さらに進むと神社が建っています。
その手前にも深い空堀がありました。
どうやら先ほどの空堀と繋がっていて曲輪を囲んでいるようです。
時間が限られていたので深入りはしませんでしたが二重堀となる部分もあり、見どころのある城だと思います。
この札氏も南方三十三館誅殺事件でターゲットとされましたがなんとか逃げ切リました。

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テンちゃん

諏訪原城 訪問 (2023/07/04 訪問)

吉田町の小山城に引き続き訪問しました。
2年くらい前に木を伐採する費用を捻出するクラウドファンドに応募していましたが、今回が初めての訪問になります。
もっと大掛かりに伐採されていると思いましたが意外と少なめでした。この後、諏訪原城築城450年の企画展をやっている島田市立博物館にも行ってきました。
予定では田中城にも行くことにしていましたが、暑さと疲労で熱中症のリスクを感じたので予定変更して撤退しました。
やはり夏場の登城はきついですね。

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カズサン

再訪高梨氏館別名中野小館とも (2023/06/19 訪問)

 中野陣屋・中野県庁記念館を終えて、東に約400m程の所に高梨氏館が在る、平成30年4月以来5年振りに立ち寄り再訪問しました。

 駐車場は南側に整備されて駐車場が有り利用した。トイレは館内に在り。

 昭和61年から平成4年に掛けて発掘調査の上、同成果を基に復元整備された高梨氏の中世方形城館跡東西約130m、南北約100mの大きさで周囲に土塁と堀を回らす。
 南側の堀と土塁、復元太鼓橋を眺めて大手虎口より入城、大手虎口は大変珍しい土塁で、元在った築地塀を土で覆い大土塁としたと築地塀断面図看板が虎口に在る、中に入り各解説板を見るがアルミ板の表示は風雪劣化により大変見ずらい。
 内部から東方向を眺めて、山々は鴨ヶ嶽城方向かな?、土塁周囲には木々が高く茂っている、発掘整備された庭園跡、井戸跡、建物跡は地表展示されている、東虎口と左右の土塁と堀を眺めて、南西角の土塁と堀を観察し西虎口に架かる橋を見て終了。
 夏場でも安心して探訪できる高梨氏館・中野小館です。
 

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テンちゃん

小山城 訪問 (2023/07/04 訪問)

小山城へ行ってきました。模擬天守の上から見ると三日月掘りの形状が良くわかります。
御城印もあります。
この後は諏訪原城へ向かいます。

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todo94

14年ぶりの再訪 (2023/05/04 訪問)

14年前も宇土古城とセットで訪れていましたが、いままでポチっていませんでした。晴れて宇土城、初投稿です。前回は石垣と小西行長の銅像をチェックしてそそくさと退散してしまいましたが、今回はしっかりと一回りしてまいりました。

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しんちゃん

江戸城でやらかした後からのリバイバル・ストーリー (2023/07/02 訪問)

羽城は大浜陣屋ともいい、家康の母方の実家である水野家の陣屋です。
享保10年(1725)水野忠恒が江戸城内で刀傷沙汰をやらかし、松本7万石→佐久郡7000石に
所領を減らされます。
その後、水野忠友は明和5年(1758)西三河領6000石の加増を受けます。
大浜陣屋はこのころに築かれたのだと思います。忠友・忠成の二代で勝手掛老中の役を務め
加増を受け天保元年(1830)には5万石の大名にまで復帰しています。
羽城(大浜陣屋)は道沿いに陣屋跡公園として整備され非常に訪問しやすいのですが
駐車場がありません。‥と思ったら目の前にド〇ーがあるじゃないですか。
駐車場を使わしてもらいましょう。
陣屋跡を見学し終えたら、そのまま帰る‥じゃなくてド〇ーに寄って
何か買って帰るとします。駐車場の義理は返して帰ります。

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しんちゃん

東条城なう。憎きはシロアリか世知辛い世の中か。でも今でも素敵だ東条城。 (2023/07/02 訪問)

東条城なうです。
かつてあった櫓も楼門もありません。地元の方いわく、シロアリにやられてしまって
撤去してしまったとのことです。
そのあと櫓の再建の費用を行政側が出してくれなかったとのこと‥。
それぞれ事情があるとは思いますが‥。西尾城の二の丸には櫓が新たに再建されて
整備も進んでいるというのに。(しかも建築基準法の問題で入ることが出来ないそうです)
それでも吉良氏発祥の由緒正しい城であることに変わりはありません。
史跡認定されていなくても、城好きにとって重要な城だと思います。
東側の登城口を登ると帯曲輪を経て三の丸に至ります。
そこから左手に折れ、神社になっている二の丸の現存土塁を確認したあと
虎口を経て本丸に到達します。
かつて徳川家康の父、松平広忠が岡崎を追放された際に東条城の吉良持広が保護して
伊勢に逃がしたといいます。
後に吉良義昭が三河の一向一揆と結託して東条城で松平家康と戦います。
東条城は広忠、家康と親子二代にわたって縁があったようです。
‥‥いずれ城内にあるトイレもなくなってしまうようですが、
地元の方が花見の場所に重宝しているようなので、なんとか残してほしいと思います。
行政のかたも宜しくお願いします。

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しんちゃん

在りし日の東条城。櫓も楼門も今となっては懐かしい。 (2013/07/20 訪問)

東条城は承久3年(1221)足利尊氏の祖、足利義氏が築き、三男の足利吉継を入れました。
それ以降、東条吉良氏の居城となります。
このたび掲載した写真は約10年前のものになります。
私、城歴は10年になりますが最初の2年で百名城や今でいう続百名城は7割がた回ってしまいました。
そのあと、その他の名城や、無名な城などを回って今に至ります。
名だたる城は最初の2年でほぼ回ってしまっているのですが
いかんせん写真が古い!しかも比較的マイナーな城に至っては写真がイマイチな上に
記憶がほぼ残ってない。
というわけで比較的近場の城に至っては、もう一度訪問して写真を撮ってきています。
いろいろ新しい発見が会ってよいのですが、中にはちょっと残念なふうに変わってしまった
城もあったりします。
諸行無常と言いますか‥考えてみれば戦国の土の城の土塁や堀など
なんとか残っているだけでも奇跡のようなものなのかもしれません。
東条城もかつては櫓や楼門があって、なかなかよい雰囲気を出していたのですが‥。

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朝田 辰兵衛

最寄りバス停は「たたら」です。 (2023/05/05 訪問)

長野駅前7番乗り場から。駅前のロータリーからは外れています。戸隠中社(とがくしちゅうしゃ)行の73番系統で。
土休日は6往復しか運行しておりませんでした。ご注意ください。
最寄りバス停は「たたら」です。漢字で書くと「鑪」。ほとんどひらがな表記されてますのでご心配なく。料金は,片道470円。
バス停周辺は三差路となっており,バスは左へ。葛山城へは直進となり,山へ登っていく感覚となります。
帰りのバス時間を意識せねばならなかったですが,要所要所は散策できました。

さて,にのまるさんクイズ④についてですが…
松本城を西側から眺望しています。写真は残っていないのですが,松本市内在住の友人から連れてってもらったことがあります。
桜の名所です。ズバリ「犬甘城(いぬかいじょう)」。
たしか,カルビンさんが以前,投稿されていたかと思います。
いかがでしょうか…?

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にのまる

ありがとうございます(・∀・)/

ぴーかるさん、お忙しい中ご返答くださりありがとうございます。
簡単すぎましたか(;'∀')
離れて眺めると、やっぱり天守っていいなぁと思います!(見つけやすいし💦)

写真④の松本城を見ているお城、解答を引き続き募集します!
どなたかおねがいします……🥺

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にのまる

江戸末期の原型ほぼ完存の国史跡 (2023/04/22 訪問)

米子城訪問を終え、米子駅(ねずみ男駅)から鳥取行きの山陰本線に1時間揺られて到着した由良駅はコナン駅。
(「時計じかけの摩天楼」「天国へのカウントダウン」「業火の向日葵」はよく見ていました(・∀・)/)
コナン君たちの出迎えにホクホクしながら歩き、途中、由良藩倉跡に寄ってから由良台場へ。
幕末に築造されたフランス式砲台は藩の財政難のため、資金も労働力も民間に頼っていたそうで、日本の隅々まで時代の大きなうねりの中にあったことを思います。
きれいな緑の芝の敷かれた台場跡は「市民の憩いの場」(←城郭用語!?)
「八角形を二つに割った」「長方形の2隅を落とした」と表現される六角形の稜堡式城郭は4門の砲座跡が海に向かっており、近づいてみるとその大きさに圧倒されてしまいました。
さまざまな時代を経て今があることを思いながら土塁の上をひとまわりしました。
初めて訪れた土地の土塁の上で沈む夕日を眺める贅沢なひとときを持てたことに感謝。

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トク

51【関ケ原の26人】 (20) 山内一豊 (山内一豊と高知城) (2023/06/10 訪問)

(20人目)「山内一豊」の続きです。
一豊が築城した「高知城」を訪れてきました。
高知駅前から「とさでん」に乗り(写真⑦)「はりまや橋」(写真⑧)で運賃200円を払い乗り換え券をもらって乗り換え「高知城前」で下車すると高知城が見えてきます。

高知城の登城口である追手門(写真③)の向側には「高知城歴史博物館」があります(写真⑨)。ここには土佐藩の歴史や山内家の資料などが展示されています。高知城を見学する前に、博物館を先に見学される事をオススメします(天守とのセット券もあります)。また3階からは高知城を眺められる場所とレストランがありました。私は高知城を眺めながらそこでゆっくりと遅めの朝食をとり、それから登城しました(写真⑩:3Fから見た景色)。

追手門の入口では一豊の銅像が出迎えてくれます。(写真①②:一豊様~!)何とも勇ましい顔です。

そして門をくぐり、板垣退助の銅像前を過ぎると、階段と高石垣がありその上に天守がそびえる、この下から見上げた姿に、私はすでに圧倒されてしまいました(写真④)。攻め入る気持ちで入りましたが、天守まで辿り着く前にここで戦意喪失してしまいました(笑)(さすが一豊様!お見事です)。

一豊は、すぐに掛川から土佐へ入国する事ができませんでした。「一領具足」と呼ばれる長宗我部の残党が一揆を起こし、入国を阻止しようとしたからです(浦戸一揆)。この一揆は、井伊直政の援護を受け、首謀者273名を斬首し鎮静化。やっとの思いで一豊は入国する事ができました。

浦戸城に入ってから3年後、本丸と二の丸が完成し1604年一豊は高知城へ移ります。いつ命を狙われるかわからず、5人も影武者を用意していたようです。だから高知城はこのような強固な作りにしたのかもしれません。しかしその翌1605年、一豊は天守が完成する直前に突然没してしまいました(享年61)。死因は不明とも、何とも皮肉なものです。

一豊はどんな思いで完成した天守を見る事なく、亡くなっていったのでしょうか? 私は高知城の天守に立ち考えてみました(写真⑥)・・・

本当は、この天守が完成したら、そこから高知の町を眺めながら、これまで支えてくれた千代に、一番感謝の気持ちを伝えようとしていたのではないでしょうか?・・・

次は、(山内一豊の妻(千代)の物語)に続きます。
 

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赤い城

相賀城 茨城県行方市 (2023/07/02 訪問)

群書類従に出てくるアウカ殿、相賀氏の城です。
相賀氏も南方三十三館誅殺事件により滅亡しました。
龍翔寺の駐車場に車を置かせてもらい、隣接する八幡神社へ。
石段を登ると城域となり、竪堀や堀底道に出会えます。
八幡神社が主郭ですがまずは堀底道を歩いて行きます。
主郭周りをぐるりと歩き、北に伸びる曲輪を歩きます。
途中堀切や土橋もいい感じでした。
三郭には神社が建っています。
三郭の先にも堀切があり、さらに曲輪がありましたが、藪で断念。
この先に説明板があるようです。
遺構もよく残り、この時季でも比較的歩きやすい城でした。

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todo94

14年ぶりの攻城 (2023/05/04 訪問)

14年ぶりの再訪です。初めて訪れた時には千畳敷を囲む環状の横堀が吉野ケ里遺跡のようにモルタルで突き固められていたことに幻滅してしまったものですが、歴史のある、そして見どころの多いいい城だなと思えるようになりました。初めての時にはスルーしてしまった三城にも足を伸ばすことができて満足です。

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