ある域に達すると必要以上に華美なものが抜け落ちるのはヒトも城も同じようです。
函館・五稜郭。幕末動乱期に「見せる城」の需要は皆無で、求められたのは砲撃への耐久性。真っ先に標的になる天守は無用の長物でしかなく、土塁が多いのも石垣より衝撃を吸収しやすいため。
一方で対人戦への備えもあります。星形の縄張りは、常に横矢を意識して塁線をことごとく曲げた中世の山城を体系的に発展させた形と言えるかもしれません。
1869年5月12日。箱館(函館)湾に侵入していた新政府軍の艦砲射撃が五稜郭に着弾。それまで射撃角度を決めあぐねていたとのことですが、最後は郭内の奉行所屋上にあった太鼓櫓が標的に。
旧幕府軍は慌てて櫓を取り外したようですが、一度着弾してしまえば要塞としての機能は著しく低下したとみられ、その後、戦況はいよいよ不利になったとのこと。
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