木内内則著「中世播磨250の山城」に東姫路最大の城と微妙な紹介があり、気になってました。山城探索の季節ではありませんが、行って参りました。
赤松則村(円心)の次男 貞範が姫山に城を築くも2年後に、4kmほど東の庄山城を築き移動。現在の姫路城は、人工的に守りをかためてますが、南〜西側の徹底ぶりに比べて、北〜東は急斜面を利用してわりとあっさりな造りです。貞範の時代は、自然地形主体の守りでしょうから、南〜西に不安があり、近くのそそりたった庄山城を築いたのでしょう。その後、庄山城には、嘉吉の乱で山名氏の家臣が入り、赤松政則が播磨を奪回すると家臣の小寺氏が入り、最後に三木城の別所一族の別所重棟が占領したと。この流れの中で城が拡充されていったのでしょう。
先人のレポートを参照して、城山中学校テニスコート奥にあると言う登城口を目指しました。近くの住人に登城口を尋ねることができ、ゴミステーションから狭い川の向こうに回り込んだところに登城口があると指差して教えてもらいました。尋ねてなければ、発見はまず無理。
城域は、南に開いたコの字型。東尾根の先端に本丸があり、西尾根の付け根に三の丸。コの真ん中の棒部分に二ノ丸。登城道は、本丸の北側の狼煙台に至ります。二ノ丸に石垣がありました。所々に、パウチされた縄張り図と現在位置をマークした表示があります。しかしながら、尾根に郭がたくさん続き、木も繁茂していて、しばしば、自分がどこにいるかわからなくなります。
三の丸や本丸からは、見晴らしが良く、姫路城も見えました。本丸には大きな山ももの木があり、食べ頃でした。誰もおらず食べ放題です。大手道は、南側の小学校裏にあるのですが、登れる状態ではありませんでした。
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