昨年の10月西美濃未踏の城廻りで時間切れ取り残した、更木陣屋、長森城、伏屋城、松倉城を伊木山城、野口館メインの日帰り城廻りをすべて終えて、帰路にはまだ時間も有り、東海北陸道IC経由の途中に在る大野城に寄り登城する。
駐車場:木曾三川公園内大野極楽寺公園駐車場利用(満車状態でしたが1台の空きが有り駐車)
参考資料:グーグルマップに依る。スマホで情報ゲット。
大野城は既に登城した尾張の国に常滑市大野城、愛西市大野城と在り、此処一宮市大野城とで3城と成ります。
駐車場から西の野球場A面側へ移動約100m弱、A面球場と桜の里公園の間の散策路上北面一画に自然石に刻んだ「大野城跡」碑と磨かれた御影石「大野城跡」解説板が並んであります。
染井吉野桜が咲いたらさぞ見事な景観な事でしょう。駐車所側にエドコヒガンサクラ系か?少し咲いていましたので写真もアップします。
野球場は3面とも競技中で大勢の人で賑わっていました、桜の時期は超満員でしょう。
解説板には、天正12年(1584年)小牧長久手の戦いでは、下奈良、宮後、河田の砦と共に秀吉側の砦として利用された。元石清水八幡宮(京都府)祠官大野伊賀守治定が信長に召し出されてこの地に城館を築く。慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの前哨戦で東軍の先陣一柳直盛の兵を大野伊賀守治定の子大野才兵衛が案内し岐阜城攻めに加わった。と記されています。(抜粋)
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