【松岡城】
<駐車場他>松源寺・松岡城跡駐車場10台分程あり。
<交通手段>車
<見所>空堀・堀切・土塁・切岸
<感想>日帰り飯田・伊那地方河岸段丘平山城の旅5城目。現地説明板によると松岡城は南北朝時代に市田郷の領主松岡氏によって築城されたとされます。戦国時代に大改修が加えられたと考えられ、1588年に徳川家康によって松岡氏は改易され廃城となりました。
城跡は天竜川によって削られた河岸段丘の城で、南東端の谷から北西側の丘陵地に連郭の曲輪が5つあります。各曲輪は空堀で遮断していて曲輪と同じ5つの堀があります。北と南が深い谷になっています。北西側の丘陵地と城を遮断する「5の堀」は深い幅広で見応えがあります。主郭は最奥の南東端にあり広大です。主郭虎口跡から大手道もそのままの遺構のようで、主郭には直線に段状になった所があります。建物があったと思われます。虎口跡や主郭内部に石列が残ります。主郭には帯曲輪が巻いていて帯曲輪からの主郭切岸は見応えあります。主郭の南東斜面は谷のやや緩斜面になっていて、ひな壇状の小さい曲輪や竪土塁で防御を固めています。現地縄張り図にある畝状竪堀群は見るために降りましたが、表面観察では見受けられませんでした。城跡は公園整備されていて非常に散策しやすく、堀底に降りてスケールの大きさを楽しめます。いい城跡でした。
松源寺は井伊直政の父、井伊直親が9歳から10年間避難先となったお寺で当時は現在ある位置より2㎞程西方にあったそうです。
<満足度>◆◆◇
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