まつおかじょう

松岡城

長野県下伊那郡


旧国名 : 信濃

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主郭よりの眺望
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しんしんちゃん

井伊直親をかくまった松源寺のある城。 (2023/11/12 訪問)

松岡城は松岡氏の城で河岸段丘を生かした台地上に築かれていて、西側に位置する松岡南城は出城であると言います。城域内には井伊谷の龍潭寺と縁の深い松源寺があり、この寺も土塁と堀に守られています。「女城主直虎」に登場した亀之丞(井伊直親)は今川に命を狙われた際に、この法縁で松源寺に逃げ込み10年を市田郷で過ごしたとされています。
城域は丘陵上に、堀で区切られた各郭によって構成されています。松源寺のある郭を五の郭として背後に五の堀があり、三の郭、二の郭、主郭の間にそれぞれ堀切が存在します。主郭西側から南側にかけ帯郭や腰郭が配されています。竪堀もあるようなのですが、それほど確認できていません。二の堀あたりで地元の子供たちの弓技大会が行われているようです。
矢の先端は竹をとがらせただけのようですが、危ないことには変わりないので距離を取っているとコントロールを外れた矢がこっちに飛んで来ました。子どもの放った矢とはいえなかなのスピードです。これが屈強な武士の放った矢なら回避は不可能でしょう。攻城感が出てきて結構なことです。こんなところで矢で射られて喜んでいる私は変態なのでしょうか?

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カズサン

先端帯曲輪と横堀周辺 (2023/05/02 訪問)

 7年振り2度目の登城で、本曲輪東先端に帯曲輪が有り下を覗くと切岸・横堀が見えるので、1の堀南側から下に降りて本曲輪の南に在る張出帯曲輪、切岸、南から東に流れる横堀・土塁、東の上段帯曲輪、下段帯曲輪を観察探訪しました。
 クヌギ林の新緑若葉が光に輝き木漏れ日の射す土塁・横堀・切岸を観察、まだやぶ蚊も居なく落ち着いての探訪と成りました、いい季節です。
 縄張り図を見ると東尾根筋南、北と多段の帯曲輪が連なって落ち込んで市場口虎口まで連なってる様子ですが本曲輪東の上下二段の帯曲輪と横堀まで、更なる下の帯曲輪には行きませんでした。
 

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カズサン

連郭式で5つの空堀と曲輪が見所 (2023/05/02 訪問)

 日帰り伊那路城散歩の5城目、4城目の阿島陣屋を終えて、松岡城へ天竜川の西岸で岡島陣屋からは直線で約7~8km程、二度目の登城となります。
 前回は平成28年5月2日で奇しくも同じ月日と成りました、前回はNHK大河ドラマ「おんな城主直虎」放映の前だったと思いましたが、西側の広域農道から入る辺りに松岡城の看板が立ち、松岡城の5の曲輪に建つ松源寺の駐車場はアスファルト舗装され、資料ボックスも設置されて奇麗になっています、勿論「松岡城跡おさんぽマップ」をゲットとしました。

 松岡城は伊那地方特有な天竜川に伸びる舌状段丘で西から5の堀、5の曲輪と始まり曲輪と空堀が東の本曲輪まで4の、3の、2の、本曲輪と連なります、本曲輪から天竜川、伊那郷を見下ろす景観は絶景です、南アルプスの残雪も見物です。

 松源寺には井伊直政の父直親(亀之丞)が今川氏に命を狙われ逃れ松源寺を頼って約10年過ごしたと言われています。松源寺に近い駐車場に「亀之丞(井伊直親公)ゆかりの里」の案内板が設置されてます、これも大河ドラマ直虎効果かも?
 松岡城は南北朝時代松岡氏が築き、小笠原氏、武田氏、徳川氏に地域支配者が変わると夫々に従属し、天正13年徳川方の高遠城を小笠原氏が攻めたとき松岡氏も加担した、天正16年(1588年)家康より改易を命ぜられ、廃城となった模様。
 

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ほりーないと

【城と生き物】 (2021/12/31 訪問)

本丸を歩く…キツネ城主様
一の堀に隠れながら、そ~っと撮影しました。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 松岡氏
築城年 不明
主な城主 松岡氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 町史跡(松岡城跡)
再建造物 石碑
住所 長野県下伊那郡高森町下市田4407他