まつおかじょう

松岡城

長野県下伊那郡


旧国名 : 信濃

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主郭
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ぴーかる

松岡城 (2024/04/20 訪問)

【松岡城】
<駐車場他>松源寺・松岡城跡駐車場10台分程あり。
<交通手段>車

<見所>空堀・堀切・土塁・切岸
<感想>日帰り飯田・伊那地方河岸段丘平山城の旅5城目。現地説明板によると松岡城は南北朝時代に市田郷の領主松岡氏によって築城されたとされます。戦国時代に大改修が加えられたと考えられ、1588年に徳川家康によって松岡氏は改易され廃城となりました。
 城跡は天竜川によって削られた河岸段丘の城で、南東端の谷から北西側の丘陵地に連郭の曲輪が5つあります。各曲輪は空堀で遮断していて曲輪と同じ5つの堀があります。北と南が深い谷になっています。北西側の丘陵地と城を遮断する「5の堀」は深い幅広で見応えがあります。主郭は最奥の南東端にあり広大です。主郭虎口跡から大手道もそのままの遺構のようで、主郭には直線に段状になった所があります。建物があったと思われます。虎口跡や主郭内部に石列が残ります。主郭には帯曲輪が巻いていて帯曲輪からの主郭切岸は見応えあります。主郭の南東斜面は谷のやや緩斜面になっていて、ひな壇状の小さい曲輪や竪土塁で防御を固めています。現地縄張り図にある畝状竪堀群は見るために降りましたが、表面観察では見受けられませんでした。城跡は公園整備されていて非常に散策しやすく、堀底に降りてスケールの大きさを楽しめます。いい城跡でした。
 松源寺は井伊直政の父、井伊直親が9歳から10年間避難先となったお寺で当時は現在ある位置より2㎞程西方にあったそうです。

<満足度>◆◆◇

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刑部

桜が散り終えた城 (2024/04/15 訪問)

残念ながら桜は80%くらい散ってしまい、いつもの城址巡りだけとなりました。堀切を4箇所抜けた先の本曲輪からの眺めは良かったです!

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しんちゃん

井伊直親をかくまった松源寺のある城。 (2023/11/12 訪問)

松岡城は松岡氏の城で河岸段丘を生かした台地上に築かれていて、西側に位置する松岡南城は出城であると言います。城域内には井伊谷の龍潭寺と縁の深い松源寺があり、この寺も土塁と堀に守られています。「女城主直虎」に登場した亀之丞(井伊直親)は今川に命を狙われた際に、この法縁で松源寺に逃げ込み10年を市田郷で過ごしたとされています。
城域は丘陵上に、堀で区切られた各郭によって構成されています。松源寺のある郭を五の郭として背後に五の堀があり、三の郭、二の郭、主郭の間にそれぞれ堀切が存在します。主郭西側から南側にかけ帯郭や腰郭が配されています。竪堀もあるようなのですが、それほど確認できていません。二の堀あたりで地元の子供たちの弓技大会が行われているようです。
矢の先端は竹をとがらせただけのようですが、危ないことには変わりないので距離を取っているとコントロールを外れた矢がこっちに飛んで来ました。子どもの放った矢とはいえなかなのスピードです。これが屈強な武士の放った矢なら回避は不可能でしょう。攻城感が出てきて結構なことです。こんなところで矢で射られて喜んでいる私は変態なのでしょうか?

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カズサン

先端帯曲輪と横堀周辺 (2023/05/02 訪問)

 7年振り2度目の登城で、本曲輪東先端に帯曲輪が有り下を覗くと切岸・横堀が見えるので、1の堀南側から下に降りて本曲輪の南に在る張出帯曲輪、切岸、南から東に流れる横堀・土塁、東の上段帯曲輪、下段帯曲輪を観察探訪しました。
 クヌギ林の新緑若葉が光に輝き木漏れ日の射す土塁・横堀・切岸を観察、まだやぶ蚊も居なく落ち着いての探訪と成りました、いい季節です。
 縄張り図を見ると東尾根筋南、北と多段の帯曲輪が連なって落ち込んで市場口虎口まで連なってる様子ですが本曲輪東の上下二段の帯曲輪と横堀まで、更なる下の帯曲輪には行きませんでした。
 

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 松岡氏
築城年 不明
主な城主 松岡氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 町史跡(松岡城跡)
再建造物 石碑
住所 長野県下伊那郡高森町下市田4407他