いわでやまじょう

岩出山城

宮城県大崎市

別名 : 岩手沢城、岩出山要害、臥牛城
旧国名 : 陸奥

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本丸と金丸をつなぐ虎口跡
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ぎりょう

男前の政宗公と城下を望む (2023/11/23 訪問)

所用で大崎市岩出山の町中に出かける機会がありました。城山も紅葉が進んでいるようなので久々に登城することに。中世から使われていた本丸、金丸跡を散策しました。祝日ということもあり、私の他にも数名の先客がありましたが、その後、ガイドに伴われた十四五名の街歩きらしいグループも。
ここ岩出山は、伊達政宗の仙台築城まで12年間伊達家の本拠地であり、藩政時代は政宗四男宗泰が初代となる一門岩出山伊達家が配され、要害として維新まで続きます。芭蕉「おくのほそ道」の旅、一宿の地としても有名です。
城址は草刈りもされ、きれいな状態でしたが、近年の豪雨で本丸北端部が崩れてブルーシートが掛ったまま。北側の展望台も立ち入り禁止の状態が続いてますがその他は見学OK。早い時期の改修をお願いしたいですね。
金丸跡にある政宗像は、昭和39年に仙台城から岩出山城に移された二代目政宗像です。仙台城址の政宗像は昭和10年に政宗没後300年の記念に青年団が寄付を募って制作した初代政宗像がありましたが、太平洋戦争中の昭和19年に戦況悪化による金属徴収で供出されてしまいます。戦後の昭和28年に二代目の像が制作されますが、セメント製で、扇子を持ち平服姿であったため「政宗平和像」と呼ばれていました。さらに昭和39年に初代の騎馬像が復元されます。この像は昨年3月の地震で破損しましたが、一年がかりで修復され、今年3月に仙台城に復帰したことは周知のとおりです。
岩出山城跡の二代目政宗像は昭和39年に仙台市から旧岩出山町に寄贈され、以来金丸から大崎耕土を見渡しています。男前の政宗とともに城下を望み季節の移ろいを感じることができました。

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ぎりょう

有備館夏季企画展「家康と政宗展」が開催中 (2023/08/16 訪問)

6月20日から開催している企画展を見に有備館を訪問しました。KHK大河ドラマで「どうする家康」を放映中ですが天正19年(1591)8月18日、奥州再仕置で従軍していた家康がここ岩出山(当時は岩手沢)に足を運び、榊原康政とともに岩出山城の縄張・普請を行っています。修復の具体的内容の記録はありませんが9月22日には終了の通知が政宗に届いており最大34日間の工事だったようです。また「伊達家家譜書上」には「本丸は権現様(家康)、二ノ丸から曲輪は榊原式部大夫(康政)の縄張」の記載があるという。(以上は企画展リーフレットによる)また、家康は城下の実相寺を宿舎としましたが、寺には家康が使用した茶碗が二つ伝来しており、本企画展でも展示されています。
奥州仕置以前、ここは大崎氏の重臣氏家氏の居城でしたが、当時は山上の主曲輪や西側の天王寺曲輪周辺が中心だったと考えます。江戸時代を通じて一門の岩出山伊達家(政宗4男宗泰が初代)の要害屋敷となる二ノ丸なども、この時の改修工事なのでしょうか。
この日も気温32℃、城址には登らず見学後は有備館の庭園を散策しました。宮城県北も連日の猛暑ですが、ホッ、と一息つくことが出来ました。岩出山城の詳細については過去の投稿を御覧ください。
企画展は9月18日(月)まで。 旧有備館まで JR陸羽東線有備館駅 東北自動車道古川IC 鳴子方面20分 10km

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おっつん

通行止 (2023/07/17 訪問)

下の駐車場から階段を徒歩で上がりましたが通行止看板があり本丸までは行きませんでした。

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三浦の晃ちゃん

ちょっと、がけ崩れがありました。 (2023/05/08 訪問)

伊達政宗公が、仙台に城を築く前、12年間の居城です。たぶん、豊臣秀吉公が天下人だった時期だと思います。現在は、城山公園になっています。本丸まで、車で登れます。ただ、何らかの災害の影響らしく、がけ崩れのようなところがあって、立ち入り禁止に、なっているところがありました。
また、本丸跡には、銅像が立っていますが、これは、元々、青葉城址(仙台城址)に、あったものが、現在の銅像と入れ替えで、移ったものです。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 氏家氏
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な改修者 伊達政宗
主な城主 氏家氏、伊達氏
遺構 曲輪、土塁、横堀
再建造物 石碑、説明板
住所 宮城県大崎市岩出山字城山42-2(城山公園)
問い合わせ先 岩出山総合支所産業建設課
問い合わせ先電話番号 0229-72-1215