いわでやまじょう

岩出山城

宮城県大崎市

別名 : 岩手沢城、岩出山要害、臥牛城
旧国名 : 陸奥

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雪の庭園
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ぎりょう

仙台藩伊達家の正月膳 (2022/01/15 訪問)

年末からの大雪で城跡の探訪もかなわず一月も早や15日、久々の投稿です。
久しぶりに晴れた週末、地元の大崎市岩出山を訪問した。岩出山城(藩政時代の岩出山要害)は過去に投稿しているが、館下町にある史跡名勝旧有備館および庭園でミニ企画展「伊達家の正月膳」が開催されており訪問した。
旧有備館は仙台藩岩出山伊達家(御一門14,640石)の学問所跡で書院造の建物と庭園が残り、四季折々に美しい姿を見せてくれる場所。城址の北側、堀を兼ねた内川のほとりに位置する。
企画展では仙台藩十三代藩主慶邦時代の記録により複製された正月膳が展示されている。担当者の説明によると献立は初代藩主政宗から230年間ほぼ変わらず、本膳から三ノ膳までの三汁十六菜という豪華なもの。特に目についたのは、本膳に付いた「白鳥のお汁」、三ノ膳の「鮭子籠」、御向に付く「石焼料理鯨」など。現代人は誰も食したことがない白鳥はどんな味がするのだろうか。また「鮭子籠」は塩鮭の腹に筋子を納めたもので現在は製法がわからない仙台藩の鮭加工品らしい。政宗の時代から鮭は特産品として「塩引」、「子籠」を将軍や、幕臣、大名家、公家へ数多く贈っていたという。
連日の雪で城山には登ることはできなかったが、白い綿帽子姿の有備館に久々に心和むひと時を過ごすことができた。

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ぎりょう

仙台藩二十一要害を訪ねて 岩出山要害 (2021/10/02 訪問)

地元大崎市で、伊達政宗公岩出山入部430年を記念して、有備館秋季企画展「絵図から読み解く岩出山の城と町」を11月28日(日)まで開催している。それに付随して10月2日に「岩出山城探検」のイベントがあり参加した。前日までの台風16号の影響が心配されたが当日は朝から快晴で晴れ男の面目躍如。と言うわけで仙台藩二十一要害訪問の四ヵ所目は岩出山要害となった。
岩出山城は14世紀中頃より奥州探題大崎氏の執事氏家氏の居城だった。天正18年(1590)、当主氏家弾正が病死し氏家氏は断絶、伊達家臣小成田総右衛門が城代となる。同年奥羽仕置により大崎氏が改易となり、この地を襲封した木村伊勢守の家臣が配されるが、葛西・大崎一揆が発生し城は一揆勢に占拠される。天正19年(1591)一揆鎮圧後、仕置軍として下向していた徳川家康・榊原康政によって改修され、政宗に与えられ、仙台開城までの12年間居城とした。慶長8年(1603)政宗四男宗泰が拝領し、以後、明治維新まで岩出山伊達家(御一門14,640石)の城・要害として続いた。
今回の企画展に展示されている「岩出山城絵図」(作成年代不詳 仙台市博物館蔵)や貞享5年(1688)の「岩出山要害惣絵図」(宮城県図書館蔵)を見ると、城(要害)は現在地元で城山と呼ばれる金丸、本丸、西に続く天王寺館、現在は公園化され原状を留めない西側の曲輪、西側から南側に空堀をともなう高い外郭部と、それに囲まれ、近世は二ノ丸や居所と呼ばれる低地部で構成されている。
中世は本丸を含めた山上の曲輪群が活用され、近世には中央の低地部に主要な建物群を移し要害としての機能を移したものと考えられる。
企画展には年代の異なる要害絵図や要害館下町絵図もわかり易く展示されている。特に鳥瞰図で描かれた要害絵図には、在りし日の要害の姿や仙台藩御一門岩出山伊達家の権威を彷彿とさせられた。
緊急事態宣言も解除されました。「旧有備館および庭園」の名称で国の史跡および名勝に指定されている有備館に期間中多くの方々が訪れ岩出山城(要害)について理解を深めていただき、さらに城址を散策していただきたいと思います。

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昌官忠

週末パス東北遠征 (2019/07/13 訪問)

東北新幹線の古川駅で陸羽東線で有備館駅に向かうところ、乗り間違えて逆方向の小牛田駅に着いてしまいました。乗り間違えに気づき引き返しましたが、予定より1時間ロスしました。
岩出山駅で降り岩出山城まで徒歩15分弱、岩出山城を見学後、徒歩10分で有備館。有備館の庭園を眺めて近くの有備館駅に向かいました。
現在本丸跡は城山公園になっており、土塁と空堀が確認できます。また西の腰郭跡に伊達政宗公の像があります。攻城時間は45分くらいでした。

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カズサン

奥州仕置き後政宗の居城 (2016/04/11 訪問)

 平成28年4月中旬福島浜通り、宮城南部浜通りの城郭を廻り夕刻に古代城多賀城跡を終えて古川駅前のビジネスホテルに泊まり朝食を早々に済ませ岩出山城に初登城。
 車は頂上本丸に停められるとの情報で頂上本丸駐車場を利用、本丸、政宗の像の在る曲輪、本丸西下の二の丸、SL広場、北方面はブルーシートが掛けられ踏査は止め、城下の有備館は災害復旧完了したとの事、パンフレット頂いて終了。
 
 岩出山城は小田原征伐後秀吉の奥州仕置きがされ政宗は拠点の米沢から岩出山に移される、パンフレットによると秀吉の命で東北に来ていた家康によって岩出山城を修復され政宗の新しい居城とされた、関ヶ原合戦後の新領地仙台に築城までの拾数年を岩出山を拠点とした。 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 氏家氏
築城年 応永年間(1394〜1428)
主な改修者 伊達政宗
主な城主 氏家氏、伊達氏
遺構 曲輪、土塁、横堀
再建造物 石碑、説明板
住所 宮城県大崎市岩出山字城山42-2(城山公園)
問い合わせ先 岩出山総合支所産業建設課
問い合わせ先電話番号 0229-72-1215