あおやぎじょう

青柳城

長野県東筑摩郡

別名 : 青柳館
旧国名 : 信濃

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5曲輪辺りから冠木門、本丸方面を望む
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カズサン

車で登れ山城の各部位が残り眺望は絶景 (2016/10/30 訪問)

 牧之島城を終えて城郭放浪記さん、余湖図コレクションさんの情報で車で登れるとの情報も有り、一度国道19号線を南に戻り安曇野方面の国道403号線を北上、JR坂北駅を起点に坂北小、碩水禅寺を通り山の上に開墾された畑の中道を通り公園を案内する塔が建ってる進むと獣除けゲートが有り開閉し進むと専用駐車場とトイレ、道は舗装されあまり狭くない。

 その顔面に模擬櫓城門がお出迎え本曲輪までは下がって行く、帰りこの道を上がるのかと思うとしんどい、二重堀、大堀、竪堀、切岸を楽しみながら各曲輪が尾根筋に控え、5曲輪辺りから本曲輪先を見ると下がって上がる辺りに冠木門先にチラッと石垣の見える本曲輪、本曲輪からは北アルプスの山稜がクッキリ城下と合わせ絶景の眺望、桜の頃残雪を被った北アルプスを想像すると圧巻な眺望な事でしょう。 気分上々堪能しました。

 青柳氏は武田氏、上杉氏、小笠原氏の攻防の中で耐え天正15年(1587年)小笠原氏に松本城で謀殺されたとの事。

 城下には普段の生活拠点として青柳氏館跡が有り現在寺に成ってる、青柳氏菩提寺碩水禅寺は門前石垣造りで見所、城下は青柳宿として見所です。

 また筑北村図書館を訪ね資料を尋ねるが青柳宿の資料で城跡の資料は有りませんでした。

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トーダイ

クルマで上がれます (2017/07/18 訪問)

坂北村全部と本城村の大部分を本領としていた青柳氏の城であった。青柳氏滅亡後、
武田信玄は川中島への拠点として改修、天文22年(1553)10日間泊まっている。
武田氏滅亡後は小笠原貞慶が、また、川中島への拠点とした。天正11年(1583)
4月から1年間小笠原貞慶と上杉景勝との間で、青柳城と麻績城の取り合いが4回
繰り返された。山城には武田・小笠原の改修により、各時代の特色が残っている。
(案内板より)

登城入口<36.430087,138.017269>から道標に惑わされながら約4キロ走り、青柳
城址公園駐車場<36.428536,138.036191>にようやく到着、一から五の郭のほか
二重の堀切(X2)、石垣跡など見どころが多い、素晴らしい山城です。

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Shanqí89

山城の楽しみを味わえる山城 (2017/05/02 訪問)

搦め手の山の上まで自動車で上がれます。
そこからは模擬櫓門をくぐって、城の主要部まで何本も切られる深い堀切や竪堀、切岸、目隠しの土塁など、山城の防御施設が体験できます。ここの堀切は深い!!
主要部に入ると、横矢のかかる曲がりや桝形虎口、石垣などの近世城郭の遺構も見られます。
そして何よりここからの北アルプスの眺望がすばらしい。

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歩きやすい、いい城址 (2017/11/17 訪問)

坂北駅より登城しました。青柳城址公園となっていて車でも櫓門近くまで行けます。公園となっていて歩きやすい。予想したよりもコンパクトな城域でした。竪堀が明瞭に残っているところもあり楽しめる城址です。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 青柳氏
築城年 戦国時代
主な改修者 武田信玄、小笠原貞慶
主な城主 青柳氏、松林氏(小笠原氏家臣)
廃城年 慶長元年(1596)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、堀切、竪堀、石積
指定文化財 県史跡(青柳氏城館跡)
再建造物 模擬櫓門、模擬冠木門、石碑、説明板
住所 長野県東筑摩郡筑北村青柳字東山
問い合わせ先 筑北村建設産業課
問い合わせ先電話番号 0263-67-2002