青柳館(城びと未登録 長野県筑北村)から転戦。青柳城址公園駐車場(36.428504、138.036451)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、建暦年間(1211年〜1213年)頃に青柳氏によって築かれたと云われています。
青柳氏は伊勢神宮の麻績御厨預職としてこの地に根付いた一族と云われています。
青柳氏は信濃守護小笠原氏に従っていましたが、1553年(天文22年)武田氏が苅谷原城を攻略し、川中島方面に侵攻したとき、青柳氏は武田氏に属し、その後、麻績城主となって麻績氏を称します。
1582年(天正10年)武田氏が滅亡し織田信長が本能寺の変で倒れると、一時越後の上杉景勝に従います。
しかし、徳川家康の援助を受けた小笠原貞慶が松本に復帰すると、青柳氏は再び小笠原氏に従います。
天正11年(1583年)上杉景勝が青柳に侵攻すると、小笠原貞慶とともに上杉軍と戦ったが大敗し青柳城は落城しました。
しかし、景勝は急遽陣払いをして越後へ戻ったため、再び青柳氏が青柳城主となりますが、1587年(天正15年)青柳頼長は小笠原貞慶によって松本城で謀殺され、青柳氏は滅亡します。青柳氏滅亡後は小笠原氏家臣の松林氏が在城しました。
現在は青柳城址公園として整備されています。駐車場からの入口に模擬櫓門が設けられています。
堀切、竪堀、石垣、土塁が確認できます。
攻城時間は40分くらいでした。次の攻城先=出浦城に向かいました。
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