ひじやまじょう

比自山城

三重県伊賀市

別名 : 比自山砦
旧国名 : 伊賀

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天正伊賀の乱 (2023/02/04 訪問)

天正伊賀の乱のときに伊賀衆の拠点となった城のひとつで、本能寺の変の後にも伊賀を追われていた浪人たちが立て籠もったとされています。堀切や土塁を見ることができます。
 以前に伊賀に来た時に行こうと思っていましたが、登城口がわからず断念しました。城びとの「あ」さんや「YAICHI」さんの投稿を見て登城された方がいることを知り、また「東海の名城を歩く」にも掲載されていたので思い切って登城してきました。西蓮寺のお墓の北から登城しました。最初は倒木はあるものの道らしき場所があり、「意外と楽勝かも、、」と思いましたが、道はしばらくすると不明瞭になりなり登城路を探すのに少し難渋しました。甘かったですね。Google mapの位置情報を頼りに2つの池の間を抜け、主郭へ向かいました。思ったより藪でない場所が多かったです。城域に入ると藪は予想よりありませんでしたが、空堀には倒木などもあり少し残念でした。諸先輩方が登城された後に少しは手入れされたのかプレートも古いものも残っていましたが、新しいものが木に付けてありましたね。縄張り図とにらめっこしながら城域と思われる場所を行ったり来たりしましたが、今一つ把握できません。帰りは「ふるさと芭蕉の森公園」の方へ降りようとしましたが、道に迷ってしまい沼地へ出たりして難渋しました。結局、出てきた所は長田保育園でした。こちらからの道の方がわかりやすい気もしますが、、、。

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藪こぎしほうだい (2022/02/14 訪問)

YAICHIさんの「広大な城域に複数の曲輪、土塁、空堀が残りますが、道標なく未整備なので、気を付けていきましょう」を見て、行きたい城にノミネート。ちえぞーさんの「西連寺の墓地上部から登ると良いようです。が、私は裏手から登りました」を参照して、山の東側の西蓮寺から登城開始。
探索のだいぶあとになって、比自山城は、頂を目指して登って行けばなんとかなるものでなく、八ヶ岳状にいくつものピークが散在することがわかりました。西蓮寺から比自山山頂までに三つのピークを通過。いずれも土塁や堀を伴っていました。YAICHIさんのレポートの写真にある、比自山のプレートまでたどり着くのにずいぶん藪こぎもし、城域がとても広いのを体験することになりました。天正伊賀の乱終盤で、織田軍に対し数千人が立て籠っただけのことがあります。
来た順路で帰る気にならず、山麓までより近い西側に降りました。やはり道はなし。北側の旧大和街道を歩いて東側の西蓮寺に戻りました。途中に笠地蔵があり、その脇に道がありました。説明板に、「比自山観音寺へ続く山道があり、天正伊賀の乱の逃げ道の一つであったと考えられる」とありました。道はあるもののすぐに倒竹が先を塞いでます。或いは、東側やや北側の芭蕉の森からが良いのかも。
残念ながら、YAICHIさんの写真の蛙の祠に行き当たりませんでした。昨日の雨で足下が悪く、何度か滑って泥だらけに。

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YAICHI

伊賀衆VS織田軍最終局面 (2020/09/27 訪問)

比自山城は第二次天正伊賀の乱にて、伊賀衆が籠城した大規模な山城です。広大な城域に複数の曲輪、土塁、空堀が残りますが、道標なく未整備なので、気を付けていきましょう。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 福喜多将監・百田藤兵衛
築城年 天正9年(1581)
主な城主 福喜多将監・百田藤兵衛
遺構 曲輪、土塁、堀切
住所 三重県伊賀市長田字比自山