ひじやまじょう

比自山城

三重県伊賀市

別名 : 比自山砦
旧国名 : 伊賀

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堀にかかる土橋
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しんちゃん

主郭から北側に遺構が良く残っている。 (2024/10/05 訪問)

天正伊賀の乱の激戦地・比自山城の投稿ラストです。伊賀勢(忍者)の城としては最大級で、想像していたよりも遺構が残ります。主郭を北上していった、やや西手には二重の堀切や土橋などの遺構が明確に残っています。正直、藪がしんどくて主郭にたどり着くのに一苦労ですが、たどりついてしまえば、移動にはさほど苦労はしません。この城を落とされた時点で伊賀勢の命運はほぼ尽きていたような気がします。そういえばカエルの祠ってどこにあったんだろう?

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しんちゃん

藪を抜ければパラダイス (2024/10/05 訪問)

比自山城は第二次天正伊賀の乱の際に伊賀衆が籠り丹羽長秀らをさんざんに手こずらせた堅城です。大規模な縄張りを持つと言われますが、その内容は不明な点が多く、イヤな予感と期待が混ざり合った心境でやって来ました。
主郭周辺、特に北西に遺構が良く残ります。ただし、主郭にたどり着くまでには藪を突破しなくてはなりません。メガネやゴーグルをされてない場合は多少遠回りでも安全なルートを見つけて攻略すると良いと思います。
主要部にたどりつくと堀切が南北を隔てています。北側が主郭と思われ、周囲に土塁が残りますが、南の郭から攻めていきます。南の郭には一部突出して南方に突き出している箇所があります。それ以外に特に何とて無いので、堀を越えて主郭に入ります。
主郭の北側にも郭があり、城域が広がっています。そこから戻って北西を目指すと堀切が郭の周囲を囲み北西にも郭がひろがっています。
堀は二重で、上の郭に向かう土橋もついています。ネイティブで謎のイメージが強い城だったので、その遺構の見事さのギャップに一本取られたかんじです。はやく藪を刈って、史跡認定しましょうよ。

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しんちゃん

未開の遺構を残す城 (2024/10/05 訪問)

比自山城は「道標なく未整備」の城とのこと。イヤ~な予感がするねえ。地形図を見て西蓮寺の北の民家の合間から進んだけど、西蓮寺の墓地の脇から行った方が楽です。道しるべの矢印が落ちてたり、倒れてたり先行きが怪しい。西に進んで二つの池の間を通って城址に向かいます。
土塁のある郭はヤブに覆われていて、なんとか主郭への道をさがして進む。半分強引に主郭のある扁平地にたどり着くと間に堀切が有って南北に城跡が分かれています。おそらく北側が主郭だと思いますが、まずは南を訪問します。

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天正伊賀の乱 (2023/02/04 訪問)

天正伊賀の乱のときに伊賀衆の拠点となった城のひとつで、本能寺の変の後にも伊賀を追われていた浪人たちが立て籠もったとされています。堀切や土塁を見ることができます。
 以前に伊賀に来た時に行こうと思っていましたが、登城口がわからず断念しました。城びとの「あ」さんや「YAICHI」さんの投稿を見て登城された方がいることを知り、また「東海の名城を歩く」にも掲載されていたので思い切って登城してきました。西蓮寺のお墓の北から登城しました。最初は倒木はあるものの道らしき場所があり、「意外と楽勝かも、、」と思いましたが、道はしばらくすると不明瞭になりなり登城路を探すのに少し難渋しました。甘かったですね。Google mapの位置情報を頼りに2つの池の間を抜け、主郭へ向かいました。思ったより藪でない場所が多かったです。城域に入ると藪は予想よりありませんでしたが、空堀には倒木などもあり少し残念でした。諸先輩方が登城された後に少しは手入れされたのかプレートも古いものも残っていましたが、新しいものが木に付けてありましたね。縄張り図とにらめっこしながら城域と思われる場所を行ったり来たりしましたが、今一つ把握できません。帰りは「ふるさと芭蕉の森公園」の方へ降りようとしましたが、道に迷ってしまい沼地へ出たりして難渋しました。結局、出てきた所は長田保育園でした。こちらからの道の方がわかりやすい気もしますが、、、。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 福喜多将監・百田藤兵衛
築城年 天正9年(1581)
主な城主 福喜多将監・百田藤兵衛
遺構 曲輪、土塁、堀切
住所 三重県伊賀市長田字比自山