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じょーうん

肥前北部の有力国人の館 (2017/07/02 訪問)

鞠智城から30分ぐらい山手に行った所にあります。
国史跡指定を記念して近くのあんずの丘に、隈部親永公の銅像があります。

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須賀の城じぃ

20170923浦賀城+多々良城 (2017/09/23 訪問)

今回の散策は、北条時代の古城浦賀城と、三浦一族の多々良城。本来は、怒田城から回る予定でしたが、早朝雨があったので午後からスタートにしたので、行ったことがある怒田城は取止め、午後から回ろうと考えていたら、wataさんから同行したいと連絡があり、怒田城址の先の久里浜台の入口の久比里坂バス停で待ち合わせにしたが、久里浜から歩いた方うがよかったかも。

① 左上:浦賀湾を挟んで東西にある叶神社ですが、もともとの浦賀町が東西に分かれた際に(江戸時代)、神社がなくなってしまった東に、西にあった叶神社を勧進したようです、左下:力強い筆ですね、中:拝殿の下にあった東叶神社の地図。⑭の辺りがトップで本丸になります、右下:城址の地図ですが、この辺りを国土地理院の地図を見直してみると、東叶神社の恵仁志坂を登ったところに喫茶店があり、そこから北側に道があり、東林寺の東側を東浦賀2丁目(和光台?)に抜けている。山頂の奥ノ宮の裏側にも歩いた後があり、これを行くと東林寺の東側の道に繋がるかもしれない

② 上左:観音崎に向かう途中にある鴨居港、上中、上右:山城ガールさんがリポート*1 の中に紹介されている醍醐不動院へ立ち寄る。和田氏は、昔はこの和田川の満ち引きで戦勝を占ったとあります。今日は海に流れていました、下左:次は三浦大介の4男義春が館としていたといわれる港の入口にある、下右:八幡神社#義春が鎌倉鶴岡八幡宮を勧請したようだ。西徳寺の浦てには岡もあるので、山城を形成できる可能性もある
*1:山城ガールさんのリポート 「いざ!多々良城へ!」の巻 http://yamajirogirl623.cocolog-nifty.com/…/05/post-273b.html

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須賀の城じぃ

20170919小田原城 +総構 (2017/09/19 訪問)

今日の散策は台風の来襲で3日遅れで、小田原へ。小田原七福神と山城巡りということで、北条氏のお城を巡ぐっている最中ですが、宗家の小田原城へやってきました。もちろん過去に別件では来たことがありますが、今回は北条五代の小田原城の総構(そうがまえ)を巡ってきました。

① 左上:見ずらいですが、薄緑のラインに沿って防衛ラインがあって、今回は中央の①北条早雲像から②12時方向から~⑥8時方向へ反時計回り、左下:その防衛ラインを取り巻くように豊臣側が陣取ります、中下:その防衛ラインが総構(そうがまえ)、一応出会った順にいうと、右上右:山ノ神堀切#明神ヶ岳が見える、中上:稲荷森、右上左:小峰御鐘ノ台大堀西堀、右中:小峰御鐘ノ台大堀東堀、右下:実は一夜城の方向

② 左上左:早川口遺構を回り、左上右:総構と七福神巡りを終え、小田原城へ。銅門を遠望、左下:大手門に繋がるを朱色の学橋、右上:二ノ丸広場ですが、江戸時代には上洛する際の御屋敷があったみたいですが地震で崩壊して、今残っているのは櫓櫓だけみたい、右中:常盤木門は、常盤木門SAMURAI館というイベント開催中、右下:八幡山古郭東曲輪からの城の眺めが素晴らしいというので行ってみたが、ちょっと違う場所だったみたいですが、電線に架からないっていいね!
#常盤木門SAMURAI館というイベント http://www.city.odawara.kanagawa.jp/kanko/odawaracastle/event/samurai.html

③ その他ですが、上左:小田原駅西口の北条早雲像#これは初めて見ました、下左:小田原高校は山歩き仲間のゆーさんの母校ですが、上中:近くに競輪場があって、レースの模様が結構流れて聞こえちゃいますね、下右:小田原城に隣接する報徳二宮神社へ回って御朱印を頂きましたが、宝船バスツアーがあって、ここも組み込まれているそうです、上右:歩いていると昼が遅くなる傾向が高いのですが、本丸の茶屋で北條うどんというのを食べました。梅干しは合うのか合わないのか?

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須賀の城じぃ

20170904八王子城+松姫古道 (2017/09/04 訪問)

今日の散策は八王子城。町民も城に篭ったため多大な死者が出た呪いの城です

① 左上:宗主氏政の弟で、八王子城の城主氏照の墓。小田原征伐後に切腹している、左中:この日曇ってて涼しいのですが、暗くてカメラ泣かせですが、八王子城址の資料館であるガイダンス施設、左下左:管理棟と呼ばれる城址の入口には武者姿の方が何かされていました、左下右:橋のところに、通行止めの看板ですが、ガイド付きでないと行けないエリアだそうです#この危ない橋の先には傷んだ地蔵堂がありました、中上:ガイドに頼らずに回れるところだけ回ろうと出かけますが、古道を曳橋へ#工事中でしたが、渡れます、中下:虎口、右上:冠木門から入り御主殿跡(居館)へ、右下:一番奥から振り返った写真ですが結構広いです

② 左上左:御主殿から右手に降りれるので、御主殿の滝へ、左上右:太鼓曲輪尾根分岐を探しましたが踏み跡は見つけられず、管理棟へ戻って、八王子神社と本丸跡を目指す、左下:小宮曲輪は南側にショートカットがありそこを登る、右上:城山の本丸跡へ、裏手も崖になっている#が、八王子城は豊臣方の北側の絡め手(下恩方町)の奇襲で突破されたようです。落城は山中城のようにわずか半日、右下左:八王子神社(跡)、右下右:長めのいい松木曲輪

③ 上左:柵門跡に戻り、松竹バス停方面へ降りて行きます。いわゆる松姫古道を辿ります、下左:標識の裏に”松姫古道クラブ”と書いてあります、下中:三叉峠は、氏照の墓を急登してくるとここに合流します、この後薄暗い尾根道を歩いて、上中:向山砦は眺望がいいです、上右:大六天も眺望がよく、下右:秋葉神社経由で心源寺へ#ここは武田信玄の娘である松姫が、織田信長の軍勢から逃れて来て出家した心源院。その後八王子の信松院で生涯を終える。小菅村に松姫峠があるがそこを取って逃亡したかは怪しいらしい

八王子城跡オフィシャルガイドは、http://hshiro.fuma-kotaro.com/

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yaguchi776

曲がり角にちょこんと (2017/12/24 訪問)

お城EXPOの帰り道

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須賀の城じぃ

20170118誰も歩かない鎌倉を行く?住吉城@小坪 (2017/01/18 訪問)

 上左、上中:逗子マリーナの正覚寺の奥には鎌倉時代のお城があった住吉社がある、上右上:トンネルがあるがここ数年で出口はふさがれていている、振り返ると偶然の造形かどうかわからないが江の島と富士山が見える。ちょっと余談になるが、一緒に歩くなら、下左:正覚寺の先を登ってトンネルの先を134号線を超えて、シーサイドコート望洋邸辺りを歩いて、小坪2にはこういう空き地がある。景色が良い!下右:またこのころのドラマのロケ地の旧華頂宮邸を訪れた

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須賀の城じぃ

20080302土肥城 (2008/03/02 訪問)

時系列でいうと、段だらウォーキンングを始めたのが2007年12月末で、1月には衣笠城址を歩き、3月に幕山から土肥城址を歩いています。ろくに自分で計画を立てれるレベルじゃなかったんですが、目的の山への取付きと、経路と高低差から難易度を検討してる頃ですね。

 上は20080302の記事で、上右:幕山梅林の梅を見てから、山頂に周回路がありますが、そこを一周歩いてたら、キジに会いました#逃げないのでびっくり、上左:幕山を下りてしとどの窟へ行って、上中:城跡の碑から下山しましたが、途中猿の軍団に囲まれて、怖い目にあいました。下は20100314の記事で、湯河原から城山登山口までバスで行くという楽な登山。城山からは幕山梅林へ回りましたが、ハイキングコースが崩れたりしていて、最初の楽があだに?

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須賀の城じぃ

20150909山形七福神と霞城@日本100名城 (2015/09/09 訪問)

山形に仕事で行った時に蔵王を登ろうと思ったら雨で、傘さして七福神巡り。ここは寺社だけでなく町のはたごなどにも七福神があった。それから経路上に山形城があり寄ってみた

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須賀の城じぃ

20170826山中城@日本100名城 (2017/08/26 訪問)

山中城址行のバスは事前に調べたら1時間に1本だと思ってましたが、土日は朝の内は30分に1本になってて、しかも特急で楽々到着。北条が秀吉の征伐に備えて強化したというのが山中城ですが、いまや日本百名城ではありますが、韮山城が百日持ったのに、実はたった1日で落城したのがこの山中城。

① 左上:山中城址の地図#本番は箱根峠から来るので、駒形神社~本丸~西ノ丸~田尻の池~宗閑寺~南部。山中城址バス停に戻り旧街道かな?、右上左:西坂の一部に石畳が残っています、右上右、右下:岱崎(たいさき)出丸、左下:一ノ堀、すりばち曲輪#山中城側は一ノ堀~すりばち~岱崎出丸と来るのを想定していましたが、いきなり岱崎出丸を攻め取られています

② 左上:東海道ですが、左中:三ノ丸堀を越えて、左奥が西ノ丸で、西ノ丸畝堀(うねぼり)~西ノ丸堀と考えたようなのですが、中上:実際にはいきなり二ノ丸へ攻められて、中下:あっけなくこの橋を渡られ、右上:本丸へ侵されたようです、右下:天守跡

③ 左:天守下にある駒形神社、今回は下見なので宗閑寺の入口を確認して、三島大吊り橋へよって、右下:三島へ戻って、モリマサさんに教えてもらった老舗そば屋飯嶋で美味しいそばを頂く

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須賀の城じぃ

20170806平山城址周辺の城址巡り (2017/08/06 訪問)

企画では、日野七福神+城址+新選組を巡る散策なんですが、散策のポイントである城址の平山城、川辺堀之内城、高幡城などの情報がほとんどない。これも平山季重が頼朝に従った武将で記録等少ないんでしょうね。それから城址と七福神を結ぶ”路”があるのか?そういうわけで存在や接続が不安な付近を見て来ようと来たわけですが、暑くて予定の半分でギブアップしました。

① 上左:京王堀之内からバスで東京薬大経由で平山城址公園へ。綺麗な地図があり整備されているよう?、上中:多分最高点なので城址なのかと思ったが、標識は全くない#駅名にもなっているのに史実がはっきりしないのだろうか?、上右:コース的にはこの平山季重神社から七福神の宗印寺へ回りたいのだが、標識の裏手に細い道があり抜けれそうだ#その先も公園の方に回ればかなり最短で宗印寺へ行ける、下左:平山城址公園駅に行き、平山氏の館跡を確認できた、下右:実際には歩くんですが、1駅だけ電車で隣の南平駅まで移動して、暑い中、長い長い道を川辺堀之内城のあった堀之内緑地へ

② 上左:平らな様子は、平場かとも思われるが、踏み跡がないので足元は柔らかい。またも確証ないまま先へ、上右:バス通りへ出ると日野七福神の延命寺、下左:裏手に日枝神社があり涼む、下中:境内のムクノキの大木、下右:高尾から流れてくる浅川の土手の道を歩いていくと、前方に高幡不動の山。あそこに高幡城がある

③ 高幡橋で高幡不動に向かう予定でしたが、暑くて…、上左:前方にふれあい橋が見えて来たので、高幡城はパスして、下左、下右:ここはフランケンシュタインの恋でロケ地になっている場所、上右:橋の中央辺りで上流を見ると、堰があって歩いて渡れるかも?、下右:高幡不動駅から分倍河原経由京急川崎で帰宅

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須賀の城じぃ

20161016大船玉縄辺りの散策 (2015/12/08 訪問)

鎌倉の紅葉は12月に入ってから。丁度そのころ、紅葉と城址とかん太村と田谷の洞窟を行きました。

① 上左:大船駅から玉縄城址までは割合に情報も多い、上右:龍宝寺には古民家があって、そこに城址の模型があったし、下左:簡単な地図も掲示されている、下中:しかし肝心の天守には入れない、下右:整備が定期的に行われており、ボランティアが募集されている

② 左:この辺りには長屋門の民家などがいくつかあって、その先に七曲り坂の史跡が再構されている、右:ここは北条氏の城だが、地図を見ると結構大きな構えですね。右下右:清泉女学院の裏門#武者祭の写真がはってました

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須賀の城じぃ

20150506、20170319七沢城 (2015/05/07 訪問)

大山支尾根の鐘ヶ嶽北尾根+見晴Aだ?Bだ?+浄発願寺跡などのキーワードがあり、一部を行ったことがあるビビ♪さんの参加もあり、無事行って帰って来れました。

① 2015年清川村役場からの福神山のVルート経由で来ましたが、鐘ヶ嶽の北尾根は凄い急登で驚きました。左:山頂は七沢城の狼煙台みたいな存在だったようです、右:浅間神社は山頂のすぐ下にある神社

② 今年3月見城(みじょう)へ広沢寺(こうたくじ)から。上:広沢寺温泉の前の神社から登りだして、鐘ヶ嶽と館の間の連絡の役割をしたみたいです。下左:七沢付近の地図、七沢のお館は七沢リハビリーテンション病院施設内にあったようです。

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須賀の城じぃ

20150405片倉城 (2015/04/05 訪問)

 片倉城にはかたくりの散策で、ここ片倉から高尾の梅ノ木平、そしてかたくりの里へと回った時に寄りました。左上:JR側から来ましたが、住吉神社んぼ看板で入って行き、左下:二の丸からは、丹沢の方とかも見えます、右下:城の鳥瞰図はこんな感じらしく、橋とか堀とか堅牢な城の様子がわかります。カタクリは咲くのが遅くて、4月に入ってましたが、咲き出したばかり

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須賀の城じぃ

20150131戸倉城 (2015/01/31 訪問)

武蔵五日市の払沢の滝の氷結を見に行って、ついてに七福神巡りをしたら、北条氏の戸倉城に出会った。

① 七福神を掲載しておきます。左上から、徳雲院/寿老人、下町地蔵堂/恵比寿天、正光寺/弁財天。右上から、光厳寺/布袋尊、大悲願寺/大黒天、番場地蔵堂/毘沙門天/玉林寺/福禄寿

② 左:滝の前にある散水の井戸は凍っていましたが、払沢の滝は凍っておらず、右:瀬音の湯に寄ってから七福神巡り開始、

③ 下:光厳寺は、上左:三島神社の奥に見える城山#貯水池の上の方にありますが、結構きつい坂道の上#行った時雪が降った後でした

PS
以上で過去の訪問記事から起こした城を行くは、ストックがなくなりました。でも実際には写真がないけど訪問した城は、高崎城、首里城、松本城、大阪城、二条城、和歌山城など行ってるんですが、デジタルデータがないので、再訪出来たら、またアップしたいと思います。

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須賀の城じぃ

20141103鎌倉史跡散策。一升枡・五合枡 (2014/11/03 訪問)

何度か行ってますが、鎌倉時代の遺構で、長谷の大仏トンネルの上にある長谷配水地にある一升枡と、極楽寺の成就院の裏手の霊山山にある五合枡の遺跡。世界遺産などを狙ったことがあるようですが、朽ち果てています。

① 左:鎌倉大仏の先のトンネルを登り、左へ行きますと配水池。配水池の裏手へ回ります、右上:すぐ山へ入るとチョット長いアプローチですが、孟宗竹の竹藪を越えたあたりで、右下:平坦な土地になります。ここが一升枡。整地されて遊歩道まで作成されていました。平坦地に行くまでに左手へ降りれそうな道があるので、崖のどこか住宅地から登ってこれるような近道があるかもしれません

② 左上左:文頭で”成就院の裏手の”と書きましたが、この日は3回目ですが、実は極楽寺1の奥の方からしか入れたことがありません、左下:劇やぶですが、左上右:登り切ると海が見える善計に出ます、右:数年前に来た時には、擁壁工事をしていて、右手から海岸方面の道路に降りれました#今回は未確認ですが、帰りにその道路へ降りましたが、は入口はなかった

③ 上左:コッホ医師の記念碑らしい、降りは成就院の方向へ行って、左手へ行くと、下中:成就院の西側、極楽寺前のお墓に降りてくる#間違ったら戻る方がいい

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須賀の城じぃ

20140420奥牧野城 (2014/04/20 訪問)

奥牧野って知らない人が多いと思いますが、秀吉が征伐に来る前は、関東一円を治める大大名の北条氏の支配下エリアで、隣国は甲斐や駿府。奥牧野は秋山川の側にあって、甲斐武田氏との備えになります。現在は近くに、やまなみ温泉や東尾垂の湯、秋山温泉がありますし、甲相国境のハイクも楽しめます。

 上左:藤野駅から奥牧野バス停まで行って、下左:吊り橋を渡って、上中:少し行くと、標識があって、上右:右手へ行く路が見えるので、そこを登ると、下右:祠が残されています。この辺が平城の場所?

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須賀の城じぃ

20140118江戸城@日本100名城 No.21 (2014/01/18 訪問)

20140118江戸城@日本100名城 No.21
この日は東京タワー~スカイツリーへタワーtoタワーということで、増上寺から東京タワー、そして大手門を経て、日本橋から両国経由スカイツリーの途中に、江戸城へ。

① 左上:桜田門から入り、左下:二重橋へ、右上:桔梗門からさらに北へ回って、右下:大手門から城址へ

② 城址内には昔の番所などの施設が残されています

③ 上左:富士見櫓、上右:江戸城の見取り図#確か松の廊下も書いてあった、下左;天主台は天守閣跡かな?、下右:その向こうには大手町の高層ビル群

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須賀の城じぃ

20121208+20131214等川越城 (2013/12/14 訪問)

川越城は初めて来た121208から3度近くを歩いているが、初めて来た時に七福神巡りをするついでに城址の付近を通り、翌年川越城本丸御殿に入ったが、川越城はもともと扇谷上杉持朝が、古河公方・足利成氏に対抗するため、江戸城とともに築城させたもので、戦国時代には北条綱成が進出して来た。小田原征伐で前田利家に攻め落とされた。しかし北条氏の時代のものがどの程度残っているか中々わからない。たぶん徳川時代(家康が国替えで江戸入りした後)の日本100名城の川越城となる。

① 121208のもので、Facebookのオフ会で散策することになって、少し早めに来て七福神を廻った。左:川越城本丸御殿横の富士見櫓跡、右上:中ノ門堀跡、右下:メンバーには川越駅で合流の筈が、七福神を巡り切れず、時の鐘で再び会うことにしたが、地元の遠藤先生の気配りで古民家の見学と川越山車を見学できた

② 左:翌年には、川越城本丸御殿に入場して、左下:地図も見つけたけど、右上:現在の地図と化され合わせたものを見つけたけど、大手門って川越小の西側ですね、右下左:川越高の校庭ですが、三ノ丸から八幡曲輪になっていたようですね、

③ その後何度か来てますが、ポイントは、上左:大正浪漫通りのいせやさんはかんぴょう巻が、上右:平蔵さんは秋田名産品が売りで#遠藤先生の奥様が店主、下左:時の鐘の側のいも恋、下右:蔵里ではCOEDOビールとお酒の丸打ち(≒角打ち)が楽しめます#立ち飲み

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須賀の城じぃ

20170511三崎城址、新井城址、長井城址、和田城址、大田和城址、芦名城址@三浦一族の歴史散策3+三浦半島二大霊場大開帳奉拝 (2017/05/11 訪問)

3回目の今回は、京急の1Dayパスで移動。3回乗れば元が取れるものですが、倍以上はもうかったという結果に。

① 左:この日は三崎から油壷、荒崎、和田、太田和、芦名(大楠)と大回りしましたが、左:まず津久井浜の津久井義明のお墓のある東光寺へ、中:三崎市役所のそばにある三崎城址。地図などもあってよく整備されています、右:三浦一族の最期の地になった油壷にある新井城址ですが、現在は東大の研究所の中にあって、中には入れません。右下にあるのが最後の城主である三浦道寸の墓

② 上左から3つ:バスを乗り継いで荒崎にある長井城址へ。城跡は城山展望台になっている、上右:和田BSへ戻り、義明の孫の和田義盛の神社から、s高路を登って、下:平塚農高初声分校の前にある和田城址の碑

③ さらにさらにバスを乗り継いで、自衛隊のある太田和へ。中上:現在は老人施設になっているが、左上、中下:ここの裏が大多和城址。構造などは分からない、右上:最後は大楠へ。城址の碑と庚申塔の上に小学校がありそこが芦名氏の館があったようで、右中:個の丘が城址か?、またこの日は三浦半島二大霊場大開帳奉拝も開催されていて、いくつか御朱印を頂きました

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須賀の城じぃ

20170309大矢部城址、平作城址、郷山城址、小矢部城址、神成(かりがね)城址@三浦一族の歴史散策2 (2017/03/09 訪問)

この回はこのトピックの主催者のwataさんと同行して、割合に近場近場を巡って6箇所を巡りました。

① 大矢部城址は衣笠城にも近く重要な支城だったんですが、戦中には弾薬庫になっていて、現在は公園墓地とあまり管理はよくなく、なんの標識もありません。上:公園入口の近くの駐車場から、少し斜めになった階段を登ります、上中:鉄塔があり、そのあたりが平場になっているように思えます、下左:この木がごっちゃっとしている先は急降りになって、自然の要塞になっていたんでしょうか?、この後少し遊び心で衣笠城址を回って、裏手にある太平洋戦争時の高射砲基地跡を通って

② 上左:横須賀PAを通って#この辺りの情報は山城ガールむつみさんからの情報、上右:しょうぶ園のある平作城址の辺り#写真は高台にある妙昭寺、そこからは歩いて歩いて、下左:衣笠中側の郷山城址、下右:衣笠十字路側の小矢部城址へ回る

③ 最後は、上:妙真寺にある神成(かりがね)城址へ。今日回った所は衣笠城址以外は何の説明板のない支城です、下:その他の情報ですが、三崎街道のある元気パン#揚げパン食べてみてください。wataさんから五徳付きのアルコールランプセットを頂きました。もちろんビール缶で作った手製アルコールランプを使います

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