更木陣屋からの転戦です。大弘法師堂入口(35.496785、136.998632)清水川公園に到着。車は清水川公園の駐車場に駐車しました。
そこから、清水寺二天門脇の登城道口を通り、近道を使って主郭(山頂)まで徒歩30分弱、下りは20分くらいです。
近道も本道も主郭への残り150mで合流します。
加治田城の築城時期は不明でのようですが、戦国時代の永禄年間(1558年 - 1570年)には、美濃佐藤氏の居城であったようです。佐藤忠能・忠康父子が築城したとも伝えられています。
佐藤氏は初め美濃斎藤氏に従っていたが、のちに尾張国の織田氏に内応。そのため1565年(永禄8年)に、堂洞合戦や関・加治田合戦において斎藤氏に攻め込まれるが、織田氏の支援も得ていずれも撃退しています。しかし、関・加治田合戦において佐藤忠康が戦死したため、織田信長の命により斎藤道三の末子・斎藤利治が城主となったそうです。
1582年(天正10年)本能寺の変において利治が死去すると、斎藤利堯が跡を継ぎ織田信孝の家老となりましたが、同年7月には東美濃での勢力拡大を狙う森長可との間で加治田・兼山合戦が起こり、奮闘し城を死守。しかし、その後(1582年~1583年)、利堯の城主としての活動が見えなくなり、その所領は森氏が統合したようです。
その後、東美濃全域並びに中濃の一部にまで版図を拡大した森氏は、領内に多すぎる城の保全の煩雑さを考慮し加治田城を廃城にしました。廃城後、城下町は宿場町として昭和初期まで栄えたそうです。
登城道は城址が近づくにつれ歩き難くなりますが、途中にある近道も含めて問題なく主郭に着きます。帯曲輪、堀切等が確認できます。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=堂洞城に向かいます。
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