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Tokyobay

土塁で囲まれた本丸の各出入り口に見どころ (2022/10/17 訪問)

観光的には中土橋通りから登城するのだろうが、大手門跡から旧三の丸を抜けて黒門跡経由で二の丸に入るのが本来のルートと言える。全体的には公園として整備されてしまっているものの遺構はそれなりに残っており、土塁で囲まれた本丸の各出入り口に見どころが点在するが、特に帯曲輪門跡に見応えがある。ちなみに、二の丸には秋田犬との触れ合いコーナーがあり楽しめる。

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赤い城

近くには目黒川 (2022/11/06 訪問)

地下鉄の中目黒駅から徒歩で10分くらい。
目黒学院が館跡とされています。
近くには桜の名所、目黒川が流れます。
武蔵七党横山氏の一流である目黒氏の館跡です。
もちろん遺構はありません。
背後は小高くなっていて館を守っていたと思われます。
周辺を少し歩いて見ましたがやはり城を感じる部分を見つけることはできませんでした。

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カルビン

はちはく(サザンスカイタワー八王子 3F) (2022/11/20 訪問)

本日は天気予報が雨だったので、降りだす前に軽く八王子城の御殿を見てきました。

八王子城のガイダンス施設に立ち寄った際に、特に集めている訳ではありませんが八王子城の御城印の情報(ここでの配布・販売は無し)があり、八王子駅南口にある桑都日本遺産センター 八王子博物館にて対応しているとの事だったので、雨も降ってきたし屋根付きの施設と言う事で行ってきました。


現地はサザンスカイタワーの3Fの結構な広さの区画で、入場無料な上に撮影OKという大盤振る舞いです。

ここでは八王子城と滝山城の御城印が販売されておりますが、購入の際には必ずその2城を見学済であるエビデンスの提示(写真や100名城スタンプ等)が必要になるのでご注意を。

現在八王子城ガイダンス施設とはちはくの2ヶ所の課題をクリアすると先着で北条氏照の御朱印が頂けるそうなので、お時間あれば行ってみてはいかがでしょうか?(~12/11迄)


珍しくお城以外の情報記事書いてみました。。。

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小城小次郎

石垣を必要としなかったのだろう (2022/05/03 訪問)

古図では本丸に「山城」と記されている通り、現地に行くと確かに山の上だと実感できる。石垣がないのでワンランク低く見られがちだが土の城の粋を集めたこのお城には城壁としての石垣が必要なかったのだと思う。

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T-Shionoya

二の丸にハマった広島城訪問 (2005/11/27 訪問)

過去のお城巡りの振り返り第22弾は、広島県広島市の広島城。

広島湾に流れ出る太田川を水堀とした、その河口部の三角州に築かれた近代城郭。

築城時は現在と違い海が近く、厳島神社や瀬戸内航路に繋がる地。
陸路は京都と福岡を結ぶ山陽道が通り、北へは出雲や石見銀山に通じるエリア。

1589年に毛利輝元が築城を開始し、吉田郡山城から本拠を移転。
関ヶ原の後は福島正則が引き継ぎ、一説ではこの時の拡張整備で山陽道(西国街道)を城内に引き入れた模様。
その後は明治まで浅野氏12代が城主を務めました。

現在、三の丸から外側の城郭は失われたものの、内堀内の本丸と二の丸は天守と櫓が復元され広島城跡公園に。
広い本丸は元々北の上段が御殿、南が馬場だったようで、下見板張りのシブい天守は南小天守と東小天守を持った連立式だったとのこと。

実際に訪問すると、本丸は大本営時代の名残が濃く、城の雰囲気は薄い印象。
一方で小島のような馬出構造の二の丸が、武士の時代の城らしさを感じさせてくれた広島城でした。

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イタさん

山名城から尾根歩きで (2022/11/17 訪問)

 山名城址の入口から尾根に付けられた遊歩道を西へ向かう。遊歩道は石碑埜路(いしぶみのみち)と名付けられ、至る所に万葉集の歌碑が建てられている。金井沢碑の分岐からやや下り、下がりきった所からが主要な跡になる。
 説明板に根小屋城は永禄11年(1568)、或いは13年に、武田信玄が山名・鷹の巣の間に新城を築き、信州佐久郡の望月甚八郎・伴野庄の伴野助十郎を入れ守らせた。鷹の巣とは寺尾にある茶臼山城址のことで、北条氏康・上杉謙信に対する狼煙台として築かれた・・・等々が書かれている。
 下りきった鞍部には右回り、左回りの道がある。ここにも万葉集の歌碑があり、その裏は堀跡らしく思える。右回り・左回り共に堀切の底を歩くようだ。右周りに行くと堀切の先に追手の標識があるが、どの辺りから上がってくる道があるのか。左には本丸に続く入口。先の右手には自然地形なのか竪堀のように切れ込んでいる。上は郭があるが、笹・木々が多く先に進むのを諦めた。本丸の虎口は右に直角に折れ枡形を形成している。本丸内からは一部で高崎市街が眺められる程度。枡形虎口の反対に坂虎口跡があり、下るにしても急斜面過ぎる上に枯れ葉が多く立木に捕まらなければならない。どなたかの意見で本当に虎口だったか疑問とあった。西に回り込むと堀切がある。堀の左は狭い郭のようだが、下草・木が多く分からない。東の鞍部に向かうが横堀の底らしい。
 予備知識なく、井戸跡・土橋跡などまだ観るべき場所があったのが後日分かった。山名城説明板同様、簡単な縄張図でも載っていればもう少し堪能できたか。

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イシテル

西播磨の山城「落ちない城:白旗城」 (2022/11/19 訪問)

「西播磨山城11」の投稿です。
まずは登城口に「落ちない城 白旗城」とタイトルのある説明板が目を引きます。
「落ちない城」であるから受験生向けに上郡町の何か所かで白旗城の絵馬が販売されており、
ふもとと山頂の絵馬掛所で願掛けするのだそうです。
獣除けの柵の中に入りほどなく進むとふもとの絵馬掛所があり、それを過ぎると登りとなります。
尾根までは踏みしめる足元の石や山肌に散らばる石、立っている大岩も青く、また周りの杉の木も
幹が青く、幻想的な青い森の中を進んで行きます。不思議な場所に居るような感覚に包まれました。
その途中には石垣や木に止められた大岩などがあり、ここで既に見どころ満載。
石垣は斜面に長く伸びており、登り石垣のような造りとなっているように見えます。
尾根に上がると様子は一変して、山城の領域と入って行く。
堀切があり、櫛橋丸跡や二の丸、本丸と山城の遺構を満喫しながら歩いていると広い三の丸に到着。
青い森の上にこんな広大な曲輪があり、またその先まで進むと、また堀切や竪堀も残っており、
最後まで飽きさせません。
山頂の広大な山城跡を十分に楽しんだ後、登ってきた幻想的な青い森、途中にあった石垣や大岩を
山下りの目線で見て下りると二重の楽しみを味わえる印象的な山城です。

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イシテル

西播磨の山城「名のとおり大岩が乱在する山城」 (2022/11/19 訪問)

「西播磨山城11」の投稿です。
麓の若王子神社に登城口があり、そこから30分ほど登ると本丸に着きます。
そこから進んで10分も掛からないところに三角点があり、その周りには名のとおり大岩が乱在して圧巻です。
頂上の三角点から少し下りると岩が楯の様にあるのが良く解ります。
本丸の周りには帯曲輪がいくつも見られますが、急傾斜と木々に阻まれて行くのを諦めました。
登城口のある若宮神社の前には舗装された駐車場とトイレがあります。
でもここに行くには、手前の鳥居をくぐり抜け、狭い道をとおり、獣除けの柵に着き、その扉を開けて、さらに神社前の
鳥居の下を潜って行きます。普通車なら通行可能ですが、小型車の方が無難です。

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ろっし

お城探訪 (2022/11/12 訪問)

夜に天守閣に入れると言うので行ってみました。

ここまでライトアップされると、少し怖い夜のお城もテーマパークばりに子供が多かったですね。

ほとんどの人が天守閣には入らずに外での写真撮影ばかりしてたので天守閣が貸し切りでした。

天守閣の中は、上の階に上がる程中は暗くお城らしいリアリティーさがあって良かった。

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イタさん

山上碑・根小屋城とセットで (2022/11/17 訪問)

 駐車場が完備された山上碑・古墳入口からが便利。入口から石段を上れば山上碑がある。上野三碑と呼ばれ、完全に残るものでは最古らしい。一帯の山域は高崎自然歩道(部分的に関東ふれあいの道と重複)でよく整備されている。
 案内板には源義家の孫、新田義重の子、義範がこの城に拠って山名氏を称し、以後八代にわたり当城を護ったと言う。築城方法から弓矢から鉄砲の時代なった頃に修復されたようだ、等と書かれている。
 城址は遊歩道から右に入るが、入口辺りは城域の西端になるようだ。初めに堀切が見え、西斜面を上がれば木々の生い茂った小さな郭がある。戻り東に行くと少し大きめの堀切がある。この堀切から右手に本丸入口が設けられている。図では堀切の先から北に遺構があるらしいが、落ち葉・木々が多く踏み込むのを躊躇した。本丸よりも東の二の丸が広い等とあるが、事前知識がなく確認出来ず。本丸の西の郭に上がってみるが、狭い郭が確認できる程度だが、堀底からの高さは実感できる。本丸南下から東には、平地・堀切らしき場所もあり、おそらく二の丸下辺りと思われる所の高低差がすごい。
 

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チェブ

城びと未登録のお城攻め「和田城」と「和田塚」の巻き。 (2022/11/13 訪問)

私、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を観て、巴御前のイメージが変わりました。
木曽 義仲さんの妾だった巴御前。その後、和田 義盛さんにお預けの身となります。
和田合戦で義盛さんが亡くなると、 越中で 弔う日々を過ごし91歳の生涯を閉じたそうです。

鎌倉での、巴御前に触れたくて、幸せに暮らしたであろう「和田城」にお邪魔しました。
「和田城」は、神奈川県 三浦市 初音町に石碑と説明板が民家の前にありました。
道路の反対側は学校です。路駐して写真を写して移動。学校を右手に見て左折すると、三浦野菜の広大な畑が広がってました。
道は狭く、農機具小屋があったので、畑の為の道かもしれないと思い退陣しました。

北条 義時さんVS和田 義盛さんの和田合戦。
敗れた和田一族が眠る 「和田塚」にも行きました。
鎌倉市の由比ヶ浜地下駐車場に、車を停めて歩きました。5~10分くらいです。
江ノ電に『和田塚駅』があったので、公共機関でもアクセスは良いです。
ドラマの影響か、たくさんの方々が手を合わせてました。

因みに、ドラマの中で『巴が作った 握り飯です』の義盛さんのセリフが印象的で、由比ヶ浜でおにぎりを食べてみました。
和田合戦の最中に、浜で食べるシーンもありましたし。
この日、強風波浪警報の由比ヶ浜は、砂まじりの おにぎりに なりました。
トンビも狙いを定めてますので、穏やかには食べる事ができません。

女武者と描かれる巴御前。
男勝りというより、芯の強い女性だったのでしょう。
巴御前の印象が少し変わった「和田城」攻めでした。

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BUGTI

三好長慶が畿内を支配した城 (2022/11/19 訪問)

芥川山城と言うが山の名前は三好山である。古文書には芥川城とあるようだが、町中の西国街道沿いに別の芥川城という居館もあり、さらにややこしいことになっている。東の曲輪群にはいくつもの曲輪とわかる平場が残っていて、屋敷とかがたくさんあったのではと思わせる。西の曲輪群は本丸からの眺望も良くてハイキングの人で賑わっていた。大手の石垣と東の曲輪にある竪土塁は見どころです。広い城址ですが、割と苦労せず登れて気楽に山城を楽しめる良い城だと思います。

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カズサン

登城路 (2022/11/03 訪問)

 駐車場利用した愛発舟川の里展示室から日吉神社、参拝、元西愛発小学校跡地、疋壇城跡への車道を登り、2郭多段曲輪群下石垣、車道に虎口の様な開削道、本丸東側の大箱堀、本丸東側多段帯曲輪石垣、巨石も有り、4郭の元西愛発小学校跡地、4郭より本丸南側を眺め、本丸南東角の疋壇城跡案内板と城名石碑を眺めて、元小学校南東の階段道、疋田町通りに降り、疋壇城跡案内標柱を確認、傍に1台の駐車は可能。※郭の番号は余湖図コレクションさん疋壇城俯瞰図の番号を使用しました。(前回と今回の投稿)
 ルートの写真を投稿します。
 

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ぴーかる

最強の水障子堀 (2022/10/09 訪問)

【河村城】
<駐車場他>河村城址駐車場/河村城東側駐車場
<交通手段>車

<見所>曲輪・堀切・障子堀
<感想>1泊2日ついに小田原攻めの旅ラスト6城目。先達方の投稿を見て山中城以外にも障子堀が残る城跡があるのを知って行ってみたかった城です。河村城の築城は平安時代末期と古く藤原秀郷の流れをくむ河村秀高によって築かれたとされます。河村氏は南北朝時代には南朝方に付き北朝方の足利尊氏軍を2年間防ぎましたが落城して河村氏は甲州に逃れます。室町時代には山内上杉氏や大森氏の支配を受けて戦国時代には後北条氏の支配を受け現在残る改修が施されます。豊臣秀吉の小田原征伐の際に落城・廃城となったようです。
 上記東側駐車場に駐車しましたので東から西方向の順で攻めて行きました。広大な大庭郭、進んで幅広の堀切にありましたー!障子堀。蔵郭~近藤郭間のコンクリートの土橋お金かかっています。土橋・障子堀を生かす為に仕方なかったのでしょう。主郭~茶臼郭間の2重堀切が想像通りの最大の見応え。特にお姫井戸(湧き水)のある堀は水堀になっていて高さもあり最強の堀に感じました。水障子堀にハマった足軽が身動き出来ずにいる図を妄想してしまいます。障子堀だけではなく山中城にも共通する後北条氏の城構造の見られるいい城跡でした。雨が降ってきてこれにてこの旅終了走行距離約800㎞無事走破。

<満足度>◆◆◆

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カズサン

440年余の風雪に耐えて遺構見所満載 (2022/11/03 訪問)

 天気も良く文化の日ETC割の効く旗日日帰りで越前未踏の城廻り1城目疋壇城を目指す。
 疋壇城は城びと「あさん」の投稿により初めて知り、早速城郭放浪記さん古城盛衰記さん余湖図コレクションさんグーグルマップ等を開き調査、隠れた山城で比高も低く元小学校跡地、壕、石垣、櫓台も残ってるとの事、城びと行ってみたい城に登録して登城のチャンスを待って居ました。

 駐車場は愛発舟川の里展示室東隣の駐車場(35°36'07"N 136°06'01"E)を利用、既に5台で塞がっていたが10台は可能。

 登城ルートは、日吉神社下から元小学校に上がる車道を歩き、2郭下の曲輪群石垣、車道開墾出来た?虎口、本丸東側の箱堀、東側の帯曲輪群石垣遠望、元西愛発小学校跡地4郭平地に成って居る、本丸南側を眺めて、疋壇城案内板、城名石碑を確認、東の箱堀が食い込んでいる、南西角に櫓台、天守台か?その角に資料箱、パンフレットは無く、感想を書くノートと大正3年制作の疋壇城跡測量図、概要が良く分かる、西側は箱堀が北の日吉神社まで繋がってるらしい、更に西は北陸本線が走ってる、櫓台西に登城路、北西角と北面は石垣の櫓台、中心に疋壇城跡の石碑、本丸内部は畑の様、西、北は櫓台上の土塁、東は開いている、本丸北は2郭の間に大掘割、2郭方向を眺めるが樹木草で茂り良く分からない、北の櫓台上から東に降りて、東面の帯曲輪群石垣と箱堀を観察、元西愛発小学校跡地に戻り南東階段より疋田町通り降りる、そこには疋壇城跡案内標柱と車1台は駐車可能、石畳の水路沿いを町並みを眺めながら展示室駐車場へ。
 2郭3郭を見ていないので3郭の日吉神社に上がり見学と参拝、隣の2郭へは曲輪群石垣の下から登る、曲輪群は畑の様で石垣は後世の物なのかもしれない、草木が茂り良く分からないが本丸側から2郭側に伸びる土塁の間に石垣虎口、進むと本丸北側との大掘割に着く、本丸の北側は三段の石垣段圧巻の見上げ、西側には本丸南から続く箱堀が伸びている、その西は北陸本線が走って居る。
 
 案内板に由ると、疋壇氏により築城され敦賀と琵琶湖の流通・軍事要のこの地を治め朝倉氏の傘下とし活躍するが織田軍の進撃で疋壇氏の討死、落城となった、それから440年から450年経ち遺構を残している。
 
 敦賀運河、疋田町並みは別投稿致します。

 約1時間半探訪し後の城廻り時間が気懸りな状態でしたが見所満載の遺構を堪能しました。
 

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todo94

2巡目の続日本100名城のスタンプラリー52城目 (2022/11/03 訪問)

1月の浜松城以来、今年2個目のスタンプです。今回初めて、船入櫓跡や中門跡にも足を伸ばすことができました。三原駅構内で販売されていた三原プリンも買ってしまいました。三原といえば、八天堂のくりーむぱん。次に三原に来るときは、八天堂にも足を伸ばしてみたいものです。新高山城のスタンプをゲットする際に狙ってみようかな。

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ヒロケン

江戸時代の御役所 (2022/08/14 訪問)

高山陣屋は、金森重頼公が築いた下屋敷を改築した、江戸時代の御役所がそのまま現存する全国唯一の郡代・代官所です。
1692年徳川幕府は飛騨を幕府直轄領とし、それ以来、明治維新に至るまでの176年間に25代の代官・郡代が江戸から派遣され、幕府直轄領の行政・財政・警察などの政務を行いました。明治維新後は、主要建物がそのまま地方官庁として使用されています。(パンフより抜粋)

現在は、国指定史跡として高山観光の目玉の一つとして日本全国から集まる観光客を楽しませています。

え~この度は、「城ふぉとコンテスト」の「城びと審査員賞」を受賞させて頂き誠にありがとうございました。城びとフレンド皆様の、「いいね!」が一番多かったとのことで、率直に嬉しく思っています。(*^▽^*)
「城びとフレンド」の皆様、「城びとアンバサダー」の皆様、この場をお借りしてお礼申し上げます。

8月のお盆休み以来、何処にも行けていませんが(>_<)、此れからも城巡りを楽しんで、「城びとフレンド」皆様と城巡りの楽しさを共有していきたいと思っています。(*^▽^*)

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赤い城

子孫の方がお住まい (2022/10/29 訪問)

川越線の指扇駅から徒歩で20分。
永田医院に隣接します。
陣屋門が残っていて説明板が立っています。
中は民家、子孫の方がお住まいで永田医院を経営されているようです。
門のそばには水堀があり、陣屋を囲んでいます。
史跡の中に住む気分ってどんな感じなのでしょうかね。
羨ましいです。

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鎌ヶ嶽城 (2022/11/19 訪問)

 鴨ヶ嶽城の尾根を南へ歩いて行くと鎌ヶ嶽城に行くことができます。途中にある堀切は必見ですが、この曲輪の背後にある堀切も深く残っています。曲輪側の堀切の上層部には石積みもありました。東側にも堀切があります。鴨ヶ嶽城の支城というより出丸といった位置だと思います。

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高梨氏館の詰め城 (2022/11/19 訪問)

 高梨氏館の詰め城です。南北600mの尾根に曲輪を配置して、所々堀切により防御機能を高めているシンプルな縄張りです。見どころは豪快な堀切だと思います。いくつかあるのですが、中にはトラロープに助けてもらいながら昇降する堀切もありました。自分の腕では写真にすると迫力が伝わりませんが、堀切だけもかなり楽しめる城址です。案内板のある曲輪に井戸跡があります。湧き水というより雨水を貯めておいたのでしょうか。
 
 登城口はいくつかあるようですが、自分はカブトムシの小道より登城しました。道は整備され歩きやすく、この日は天候にも恵まれ何人かのハイカーとお会いしました。

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