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相模台城(千葉県松戸市)  駅近に眠る激戦の舞台となったお城 (2023/08/05 訪問)

松戸駅東口を出て、イトーヨーカドーの前を右に進み、ココカラファインの入っているマンションの横にある階段を登ると、松戸中央公園があり、その周辺に広がる台地が相模台城の跡とのことです。
相模台城は、小弓公方 足利義明が討死した、天文七年(1538)の第一次国府台合戦の舞台としても知られています。
松戸中央公園には、大正から終戦にかけて旧陸軍工兵学校が設置されていたようで、正門門柱や歩哨哨舎が公園の南側に残っていましたが、城の遺構は確認できませんでした。
正門門柱から公園を出て、右側に進むと「地獄坂」という坂があり、空堀の名残りのような谷になっていました。(城の遺構か?)
坂を下ると、左側に相模台公園の入口があり、木々が生い茂る急な階段を登った先に、公園があります。そこは曲輪のような地形になっており、土塁と思しきものがありました。
下総国なのに相模台という地名になった由来は、鎌倉幕府の十五代執権 北条高時が居住していたことからきているとのことです。

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小城小次郎

新しい強右衛門 (2023/01/21 訪問)

長篠城といえば鳥居強右衛門・・と言っても言い過ぎではないだろう。自らのテーマソングを口ずさんでいたとは思えないが(笑)新しい強右衛門像を鮮烈に印象付けた大河ドラマの演出は評価してもよいのではなかろうか。

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織田晃司

♪宮島さんの神主が おみくじ引いて申すには〜 (2013/08/04 訪問)

今日のカープは勝ち勝ち勝ち勝ち

対岸の宮島・厳島神社の神主が城主を務めた桜尾城。
後に毛利氏家臣・桂元澄か城主に
子孫の桂太郎が山ごと買取り桂公園に

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織田晃司

広大な熊谷氏の屋敷も (2023/08/04 訪問)

今はアパートの裏に石垣が残るのみ…

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織田晃司

熊谷氏と吉川氏の古の縁 (2023/08/04 訪問)

毛利家家臣・熊谷氏の居城。
三入高松城の数ある登山道の内、今回東側の可部ゴルフパーク奥の桐原登城口より登城。

それぞれの登山道からも遺構が確認できるため全て見ようと思えば何度かアップダウンを繰り返すようになります。
今回は夏の暑さと体力温存の為、主郭まで行き、帰りも同じルートで帰るのみ…

熊谷氏の娘・新庄局と吉川元春の婚姻により熊谷氏と毛利氏は強固な信頼関係を築く。
そのお二人のご子孫のコンサートの為、体力温存

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二の丸 (2023/08/11 訪問)

 二の丸には興味ある遺構があります。埋御門之跡と南蛮たたき鉄砲狭間です。埋御門は緊急時の脱出路として作られましたが、江戸後期には下御深井御庭への通路として利用されていました。脱出路としては木曽路へ行くルートが構築されていたようです。南蛮たたき鉄砲狭間は練塀に設けられた鉄砲狭間のようです。練塀とは粘土や砂利を固めてつくられた土塀ですが、南蛮練塀はさらに石灰や油を混ぜて強度をより上げたもので、この技法を「南蛮たたき」というそうです。織田信秀、織田信長ゆかりの那古野城の説明板も二の丸にあります。
私が行った時間には二の丸広場では名古屋おもてなし武将隊の服部半蔵忍者隊のショーが行われていました。この日も暑くて城内で抹茶ソフトクリームを購入しましたが溶けるのが早いです。

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夏まつり(南西隅櫓特別公開) (2023/08/11 訪問)

 名古屋城夏まつりが開催中で西南隅櫓が公開されていたので行って来ました。何回も来ている名古屋城ですが、隅櫓内の見学は昨年の東南隅櫓に続いて2回目です。江戸時代には11基の隅櫓が存在していたようですが、残っているのは3基(西南、東南、西北)だけです。東西11.8m、南北13.5m、高さ14.1mという大きめの隅櫓で2階建てに見えますが、一層目の屋根をつけていないため内部は3階建てになるという珍しい形式です。
この日は休日で開門と同時に行ったのですが、すでに多くの方が見学に訪れていました。西南隅櫓見学の後、本丸御殿へ行ってみると20分待ちとのこと、すでに数回見学したことがあるので今回はスルーしました。
 名古屋城は外堀もかなり残っています。この日は県庁東側の外堀周辺を散策してきました。

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関東八家成田氏 (2023/08/10 訪問)

石碑と標柱がありました。遺構はないようです。

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常光院 (2023/08/10 訪問)

 常光院が跡地で、低くなっていますが土塁や堀が残っています。

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光恩寺 (2023/08/10 訪問)

光恩寺が跡地です。山門前と寺の背後に浅くなっていると思いますが空堀が残っています。

 城とは関係ありませんが、寺の隣には日本公許登録女性医師第1号となった荻野吟子女史生家の長屋門が移築されています。当時女性には国家試験の受験資格がなく、その道を切り開いた方ということで寺では「合格の門」として正月に開放しているようです。

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城之内公園 (2023/08/10 訪問)

東武鉄道小泉線西小泉駅から徒歩で約15分、城之内公園が跡地です。水堀や土塁が残っていています。

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神光寺 (2023/08/10 訪問)

 東武小泉線本中野駅から徒歩約15分、神光寺周辺が跡地です。寺の入り口近くには説明板があります。北東部に低くなった土塁と思われる土の高まりがありました。この寺には県指定天然記念物の大カヤがあり、その説明にも中野城のことが書かれていました。

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榊原康政 (2023/08/10 訪問)

 館林駅より徒歩にて登城しました。土塁が各所に残り土橋門が復元されています。市内各所に遺構があるようですが、今回は散策していません。城沼を堀として活用した平城ですが、多く残っていればすばらしい景観だったのではないかと思います。

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古城天満宮 (2023/08/10 訪問)

 古城天満宮付近が跡地とのことです。遺構はないと思われます。

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大雷神社 (2023/08/10 訪問)

秩父鉄道持田駅より徒歩にて登城しました。ゆっくり15分くらいでしょうか。久伊豆神社大雷神社合殿周辺が跡地です。背後に土塁が少し残っているように見えます。

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カズサン

再訪飯山城本丸桝形石垣と本丸 (2023/06/19 訪問)

 9年振りの再登城(初登城H26年4月)、先の7月2日に「再訪飯山城整備は如何にとチョイ寄り」投稿しましたが、写真も多く残っており、未投稿写真で構成した投稿を致します。

 本丸の北側に石垣が残っており、北西角に本丸門枡形虎口石垣が見所です、本丸内部の写真も合わせ掲載します。
 

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にのまる

雨の公園散策 (2023/05/29 訪問)

屋島城からはJRではなく琴電を乗り継いで高松に戻り、“高松築港駅のホームから鞘橋を見てみたい”という5年前の自分の願いをかなえてあげました。
ホームすれすれにある石垣にはがっちりネットが張られ、内堀の説明板もありました。
18時近かったので玉藻公園は翌日まわしのつもりでいたのですが、なんとなく西門に向かうとまだ開いている!!
日の出~日没が開園時間らしく、西門の開門時間は年間8パターン。(東門は2パターン)
この日の閉門は18:30で、まだ40分近くあったのでそのまま入園しました。
【平日・閉園時間間近・雨】というお城独占の好条件が揃った40分。
青天下とはまた違った趣のある石垣をゆっくりと味わいました。
そして念願の桜御門。
2階展示室は曜日も時間も限られており入れませんでしたが、堂々と構える姿はドキドキするくらいかっこよかったです。
国宝(当時の国宝保存法に基づく)指定内定の翌年に空襲により焼失してしまったという悲運の門はそれを支える石垣にも焼け焦げた跡が残ります。門の復元にあたって割れ・ヒビを接着して再利用したり、割れた石を加工したり、また新しい石材と交換したりなどして、石垣の修理だけでも6年の歳月が費やされているそうです。
ここのほかにも空襲の跡の残る石垣が随所に見られます。かつての建造物が復元され新たな歴史を刻み始めたお城の歩みを平和な世の中でずっと見られたらいいなと思いました。
入園チケットのデザインも移築現存の艮櫓の写真から天守台~桜御門~月見櫓まで見渡せるものに変わっていました。
月見櫓は改修工事中。大手にあたる東門が閉門時間を過ぎていたため旭橋をわたれなかったなどもありました。また、公園内を歩いただけでは理解しきれない部分も多いですが、堀で泳ぐ魚に心を奪われていた前回よりは考えながら見られたのではないかと思います。

赤い城さん
国替えお疲れさまでした。
置き土産のように関東のすべての登録城に足跡を残してくださったので今後の登城に役立たせていただきます。ありがとうございました。
四国には今後も行くことがあると思いますので情報をお願いいたします。

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ぴーかる

伏屋城 (2023/07/15 訪問)

【伏屋城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡説明板前に少しだけ停車しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第1弾8城目。伏屋城は一夜城とも呼ばれ美濃攻略のため信長に命じられた木下藤吉郎秀吉の築城とされます。築城年は永禄年間(1558~1569年)となっていますが、稲葉山城が落城したのが1567年なので墨俣城築城~1567年の間に築城されたと考えます。築城方法も墨俣城と同じく川の上流から資材・木材を流して陸揚げして短期間で築城したとされます。土塁のある平城で補給基地・砦の役割をしていたかと思われます。現地は説明板と説明板の裏手藪の奥に土塁が残されています。

<満足度>◆◇◇

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イオ

とことん江戸城・番外編(小石川後楽園) (2023/06/23 訪問)

一連の東京出張もこの日でようやく最終日。さすがに4週連続ともなると疲れもあり、今日は真っ直ぐ帰ろうと思っていたんですが、いざ仕事を終えると、次はいつ来られるかわからないんだから…と、つい小石川後楽園に寄り道してしまいました。

小石川後楽園は、江戸初期に水戸徳川家初代藩主の徳川頼房が江戸中屋敷の庭園として築造し、二代藩主の光圀が完成させた回遊式築山泉水庭園です。水戸徳川家の江戸中屋敷(明暦の大火後は上屋敷)は小石川後楽園に加えて東京ドームや後楽園ホールなど、現在の東京ドームシティ全てを合わせた広大な敷地を有していたようです。さすがは徳川御三家。

小石川後楽園は唐門(令和2年復元)により内庭と後園に分けられ、唐門の奥には琵琶湖に見立てた大泉水を中心とした後園が広がっています。光圀が好んだ梅林のほか、稲田や花菖蒲田、藤棚に紅葉林、一つ松や枝垂桜など季節の花木が楽しめ、円月橋や得仁堂、西湖の堤など中国の風物があるかと思えば、大堰川に渡月橋、音羽の滝や通天橋、清水観音堂に小廬山など京都に見立てたものや、木曽川や龍田川など各地の名所も取り入れられて、見どころ盛りだくさんです。また、都心のど真ん中にありながら静謐な空気に包まれており(時折ジェットコースターの歓声が聞こえてきますが)、私のように歩き回って写真を撮りまくるおのぼりさんだけでなく、ベンチに腰掛けて穏やかに本を読む人を幾人も見かけるなど、都会のオアシスとなっているようです。年間パスポート1200円で一年中来園し放題なら安いものですよね。

江戸城に関連していえば、水戸徳川家江戸屋敷に神田上水の分流が引き入れられて、飲料水、生活用水だけでなく庭園の泉水に活用された上で、水道橋下流の神田川をまたぐ巨大な懸樋によって城内に給水されました。現在も園内の神田上水跡は満々と水をたたえています。

さて、小石川後楽園をひとめぐりして東門を出たところで、西側築地塀の石垣をまだ見ていないことに気付きました。西門から出れば近かったんですが、もう退出してしまったのでやむなく南辺外周を西に向かうと、小石川後楽園展示室なる建物があり、覗いてみると小石川後楽園や水戸徳川家に関する資料が展示されていました。無料・無人の小さな展示室なので、時間がのある方はふらっと立ち寄ってみるのもいいかと思います。
で、本題の西側築地塀の石垣ですが、西門の脇に説明板があり、説明板脇の築地塀に沿って北に進むと、築地塀下部の石垣にあるわあるわ、探すまでもないほどに多くの矢穴や刻印が見られます。説明板によると鍛治橋門北側の外堀から出土した石垣石を転用したものなんだそうで、こうして江戸城ゆかりの庭園に江戸城の石垣石が用いられているのは嬉しいことですね。

…ということで、今回のとことん江戸城はここまで。昨年の取りこぼしの多くを回収できたとはいえ、今回行けなかった上野東照宮や寛永寺、増上寺に加えて、一般参賀でしか行けない皇居部分もありますし、次はいつになるやらわかりませんが、とことん江戸城はまだ続くことになりそうです。
 

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赤い城

新居の最寄り。 (2023/08/05 訪問)

久しぶりの投稿となりました。
7月下旬に讃岐国へ移住、まだ城廻りにはなかなか行けない感じです。

とりあえず新居から最寄り(徒歩25分)の城に行ってきました。
琴電水田駅からは徒歩で30分、近くに駐車場はなさそうです。
法寿寺が二郭、通路となっている堀切を挟んだ墓地が主郭です。
主郭の虎口部分に碑があり、さらに進むと説明板も立っています。
主郭は土塁で囲まれています。
主郭の先の堀は薮、近いしまた冬に来ようかな。

皆さん、引き続きよろしくお願いします。

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