あきつじょう

秋津城

奈良県吉野郡

別名 : 下市城
旧国名 : 大和

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主郭
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ぴーかる

秋津城 (2023/11/19 訪問)

【秋津城】
<駐車場他>北東側の「墓地のトイレ」がある墓地の駐車場を利用しました。
<交通手段>車

<見所>堀切・曲輪
<感想>秋津城の秋津氏は朝廷に奉仕し淳和天皇の代(823~833年)の時に吉野郡に封じられます。南北朝時代には南朝方に属して戦います。永禄2年(1559年)に戦いによって落城したようです。
 東側からのルートは墓地の最上まで行くと主郭か堀切を挟んだ北の広い削平地に入り込めます。主郭の方は墓地があります。主郭南に3~4段段曲輪があり土居がある曲輪もあります。主郭の北側に大堀切がありその北側は広い削平地になっていて土塁遺構が見られます。更に北に進んで竹林の方まで行くと竹林も段になっており、曲輪段かと思われます。最北は藪化していますが最北の東側に5~6mくらいの切岸とアーチ状に削った遺構があり下に曲輪が見えます。虎口または駒返しの遺構かと思います。

<満足度>◆◆◇

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秋津氏の城 (2023/10/05 訪問)

 秋津氏の城として伝わっています。説明板の近くから墓の中を登って行くと5分もかからないで主郭に行くことができます。主郭にも墓がありました。南側と北側に曲輪と思われる削平地が展開しています。帯曲輪らしき地形もありました。堀切と土塁を見ることができます。

近鉄吉野線下市口駅から徒歩約20分で行くことができます。

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イオ

墓地の上の城址 (2023/01/07 訪問)

平安前期に吉野郡に封ぜられた秋津氏の居城で、城山と呼ばれる下市八幡神社の裏山に位置し、築城時期は不明ながら南北朝期までには存在していたようです。

国道309号の戎神社前交差点から南東に進むと広い墓地があり、墓地の駐車場に駐めさせてもらって登城開始。墓石が建ち並ぶ西側斜面を頂部まで上って行くと主郭に至ります。主郭も墓地になっていますが、南辺に土塁が遺っています。土塁の南側は一段下がって南北二段の副郭になっていて、副郭の周囲には土塁をめぐらせています(かなり低くなっていますが)。副郭の南辺切岸の下には帯曲輪も見られました。
主郭の北側には堀切を挟んで北曲輪が広がっています。堀切はなかなかの深さがあり、西側は竪堀となって落ち込んでいました。北曲輪はほぼ自然地形ですが、西辺に土塁らしき土盛りが続いている箇所がありました。

この日は前日までの天気予報では雨交じりの予報だったのを何とかここまで持ちこたえてくれていましたが、秋津城登城中についに降り始めたため、もう一城訪れる予定を切り上げてここまでとしました。ところが、次に向かう途中に立ち寄るつもりの下市八幡神社のことも忘れてそのまま帰ってしまい、八幡神社の城跡碑は見落としてしまいました…。切り上げた分の城のこともあるので、遠からずまた訪れることになりそうです。
 

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 秋津氏
築城年 不明
主な城主 秋津氏
遺構 曲輪、土橋、堀切
再建造物 石碑、説明板
住所 奈良県吉野郡下市町下市字本町