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TMN97

掛川城 (2023/03/03 訪問)

掛川城、改修工事中…
御城印で 普請中 の限定版がありました。

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TMN97

諏訪原城址 (2023/03/03 訪問)

諏訪原城址

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TMN97

横須賀城址 (2023/03/03 訪問)

横須賀城址

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TMN97

相良城 (2023/03/03 訪問)

相良城

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TMN97

小山城 (2023/03/03 訪問)

小山城

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ぴーかる

若き毛利元就の居城 (2023/02/11 訪問)

【猿掛城】
<駐車場他>毛利弘元公墓所前に3台程度あり。<34.680291, 132.660487>から教善寺内に入って行きます。
<交通手段>車

<見所>堀切・櫓台
<感想>1泊2日安芸高田の山城攻めの旅2城目。猿掛城の築城年は定かではないが、毛利氏の吉田郡山城の支城として、1500年に嫡男の毛利興元に家督を譲った毛利弘元が幼い次男の毛利元就を連れて隠居するために入城したか築城した城です。毛利弘元はこの城で没し、毛利元就はこの城で元服し多治比毛利氏として分家となります。1523年に元就が宗家を継いで吉田郡山城に入ったのちの城の詳細は詳細は不明ですが戦国末期まで使用されたと思われます。
 登城口は駐車場から教善寺へ行った所に案内があります。登り始めてすぐ寺屋敷跡の連郭が数段あります。そこから主郭の腰曲輪までは特に遺構はありません。主郭は長方形の長い曲輪で北東端に土の櫓台が残っています。主郭北東端から先は高い切岸下に腰曲輪が2段あり、その先は山化しています。主郭南西端から先は深い堀切があり降りるのに一苦労します。堀切先が連続堀切が数条あり尾根曲輪が続いています。行き着いた先に物見曲輪があります。進入口の2か所を堀切で仕切っています。
 主郭に登って来た道の教善寺へ降りることはできませんという案内札があったので来た道を戻らず、物見曲輪から毛利弘元公墓所へ着くルートで下山しました。このルートは途中道がロストしていますので注意を。教善寺の北西側に出丸跡があります。

<満足度>◆◆◆

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小城小次郎

オフ会の「しめ」の城 (2022/11/03 訪問)

過去の写真をひっくり返しても夕闇の写真しかないのは、市街地の中にあって現存建物を持つ近世城郭がオフ会の「しめ」の場所になりやすいからなのだろう。そういう意味では土浦城も似たような境遇にあるような。

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トク

春の吉野ヶ里遺跡 (2023/03/03 訪問)

春の陽気に誘われて、吉野ヶ里遺跡を訪れてきました。
神埼駅を降り、卑弥呼の銅像前から歴史公園へ向かう道には、菜の花が咲いていました。

歴史公園内は思ったより広く、竪穴式住居、物見櫓、祭殿、墳丘墓などが再現され、出土品なども展示されていて、ゆっくり歩いて見て回っていたら2時間もかかってしまいました。でもだんだん自分も弥生人になったようなタイムスリップしたような感じがして結構楽しめました。

園内のレストランで吉野ヶ里の弥生人が食したという定食があったので食べてみました(写真⑩)。古代米(赤米)のおにぎりに有明海で採れたあさりの貝汁とむつごろうの燻製などでした。
(はたして卑弥呼も食べたのだろうか?🤔)
 

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姫街道

鳥瞰図を見ながら巡ると楽しい (2023/03/03 訪問)

整備や変革が進み、どう見学しようか迷っていたら、大きな城内に鳥瞰図看板があり、それをもとに城巡りを楽しんだ。高石垣がある本丸ばかりに意識がいくが、何気に土塁と水堀が巡る3の丸が良かった。

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トク

㉗【関ケ原の26人】(14)池田輝政 (吉田城はなぜ後堅固?) (2023/02/10 訪問)

(14人目)池田輝政「吉田城」の続きです。
なぜ輝政は後堅固にしたのでしょうか? 私は鉄櫓下の豊川沿いの腰曲輪に立ち考えてみました。

ここから見上げると石垣は結構高いですね~、高さ12.7mあるそうです(写真①)。当時はさらにこの上に塀があったと考えられるので、トータル20m近くあった事になります。さらに近づけば櫓や狭間などから鉄砲で一斉攻撃されるので、ちょっとここから攻めるのはまず無理ですね。豊川に高石垣と鉄櫓、吉田城は確かに後堅固(完璧)です!

(ここで私はある理由が思い浮かびました😯!)
輝政の父の池田恒興は、小牧長久手の戦いの時、夜陰にまぎれ木曾川を渡り、まさかの背後から犬山城を攻め落とし落城させました。犬山城は背後に木曽川その上の断崖絶壁の上に築かれています。敵もまさかここから攻めてくるとは思わなかったので手薄だったのでしょう。輝政も後々その事をおそらく聞き、またここも川から本丸までが近いので、「意外とここは弱点(盲点)になるかもしれない!」と思ったのではないでしょうか?(これはあくまで私の推測ですが・・)。

(でも待てよ🤔? 私はそこで新たに2つ目の疑問が?)
輝政の父の恒興は、犬山城攻めの直後に長久手で輝政の兄(元助)とともに討死しました。つまり輝政にとって家康は父と兄の仇(かたき)です。そして秀吉から吉田城を与えられ、田中吉政と同様に家康との戦を想定し、このように城郭を整備していたものと思われます。その一方で、家康の次女「督姫」を自分の正室に迎えています。そして最終的には東軍につきました。(え~!父や兄の仇の娘と結婚?)(その一方で着々と舅(しゅうと)と戦をする準備?)(でも結局は東軍に?)何かこれって矛盾が多すぎませんか?

池田輝政という男は一体何を考えていたのでしょうか?
次は(姫路城)に続きます。
 

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イオ

松ノ木城(岐阜県海津市海津町松木) (2023/02/04 訪問)

松ノ木城(城びと未登録)は、築城時期など詳細は不明ながら織田信長・信孝らに仕えた吉村氏の城で、賤ヶ岳の戦いの後は徳永寿昌の居城となりましたが、関ケ原の戦いでは東軍として今尾城の市橋長勝らと福束城や高須城、駒野城、津屋城を攻略し、戦後は高須城に居城を移したことにより松ノ木城は廃城になったようです。

所在地もはっきりしないようなので、比定地のひとつとされる御靈神社を訪れました。明瞭な遺構はもとより石碑も説明板も何もありませんが、参道脇の駐車スペースに車を駐めて周囲を歩いてみると、参道脇の水田は水堀か泥田だったのかもとか、神社境内は水田の中の微高地だったり、境内の北側には空堀や土塁っぽい地形があったり、南側の池は水堀の名残? などと、痕跡と思えなくもない地形が見られました。…といっても、そもそも比定地のひとつでしかないので、全くの見当違いなのかもしれませんけど(笑)
 

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todo94

京阪沿線② (2024/02/18 訪問)

樟葉台場から京阪本線を使っての転戦です。枚方小学校がその故地とのこと。先人の方々に倣って御茶屋御殿跡にも脚を伸ばしてみました。ここからは淀川を望むことが出来ました。

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姫街道

南門から政庁舎への道が凄い (2023/03/02 訪問)

奈良時代に13m、平安時代には23mあったとの事。その道を通るだけで、すでに政府に圧倒されたのが理解できる。奈良時代に、これだけの道を作らせる力があった事が凄い!
南門が復元された事で全体のサイズ感がわかりやすくなっていると思う。

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赤い城

久米城 茨城県常陸太田市 (2023/02/24 訪問)

ここは絶対に行った方が良い城です。
地元の管理人さんが10年以上かけて整備され、とても歩き易い山城です。
駐車場があり、縄張図や杖、訪城ノートがおいてあります。
登城口から登ると段になった曲輪が綺麗に見えます。西の城の堀切からパラダイスがスタート。
順路に沿って進むとまずは崖の上の二重堀切。
落ちたらひとたまりもありません。
戻って西の城を見上げると堀切が。
ここに進んで行きます。
堀切と虎口、土塁が綺麗に残ります。
さらに北の出城に進む尾根上には堀切、なかなかのものです。
北の出城の先にも堀切、下には竪堀もあります。
戻って東の城に。
城内最大の堀切があります。
本丸を見学した後南の出城へ。
二重堀切を見学し、進みます。
南の出城下には横堀もあり、さらに二重堀切、山の神へと進めます。
この周辺はかなり魅力的、ずっと見てられます。
登城は2回目ですが本当に大好きな城。
行って欲しい城です!

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朝田 辰兵衛

御坂城散策 2/2(西尾根・東尾根)を。 (2023/02/24 訪問)

標高:1571m,比高:510m。ついに山城の最高所に行ってきました。海抜:1.5~2mが居住空間の自分にとって,すでに登城口で空気の薄さを実感。また,空気が薄くなるほど足が重くなるという感覚が,如実に伝わりました。
この日の天候は曇りのち雨。午前中勝負。結局,登城中は雨に見舞われることはありませんでしたが,富士山眺望は登りのタイミングで確認できただけでした。それでも,雨男にしてみれば上等,上等。一週間前の天気予報では一日中雨でしたので。
まだ富士山の見えない比較的下の方の登城道で,雨が降ると滑落リスクの高いポイントがありました。ここだけは慎重に山側にエッジを効かせながら,一歩一歩確実に。この難所を抜けると富士山が確認できます。貴重な瞬間ということで,味わいながら登城しました(実は足が重くなってきたともいう…<笑>)。
登城口~尾根中央鞍部までは,往路:約85分でしたが,復路:約45分。登城口までは公共交通機関を使い,甲府駅前から富士急バスを利用しました。7:50発。南口5番乗り場から,富士山駅行きに乗り「三つ峠入口」下車。所要時間は約60分。御坂トンネルを抜けたところに止まります。登城口は,ここから「御坂みち」に20mほど入ったところにあります。
帰りのバスは「三つ峠入口」12:24発。約10分遅れでバスは到着しました。次発は約2時間後。しっかりとタイムマネジメントしないと泣きを見ますので,ご注意ください。
見どころは,西尾根と東尾根の長大な空堀です。写真ではなかなか伝わりませんが…。
私の他にも登山者がいましたが,挨拶に返事も出ないほど息が上がっていたようでした。

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朝田 辰兵衛

御坂城散策 1/2(尾根中央鞍部・登城道)を。 (2023/02/24 訪問)

標高:1571m,比高:510m。ついに山城の最高所に行ってきました。海抜:1.5~2mが居住空間の自分にとって,すでに登城口で空気の薄さを実感。また,空気が薄くなるほど足が重くなるという感覚が,如実に伝わりました。
この日の天候は曇りのち雨。午前中勝負。結局,登城中は雨に見舞われることはありませんでしたが,富士山眺望は登りのタイミングで確認できただけでした。それでも,雨男にしてみれば上等,上等。一週間前の天気予報では一日中雨でしたので。
まだ富士山の見えない比較的下の方の登城道で,雨が降ると滑落リスクの高いポイントがありました。ここだけは慎重に山側にエッジを効かせながら,一歩一歩確実に。この難所を抜けると富士山が確認できます。貴重な瞬間ということで,味わいながら登城しました(実は足が重くなってきたともいう…<笑>)。
登城口~尾根中央鞍部までは,往路:約85分でしたが,復路:約45分。登城口までは公共交通機関を使い,甲府駅前から富士急バスを利用しました。7:50発。南口5番乗り場から,富士山駅行きに乗り「三つ峠入口」下車。所要時間は約60分。御坂トンネルを抜けたところに止まります。登城口は,ここから「御坂みち」に20mほど入ったところにあります。
帰りのバスは「三つ峠入口」12:24発。約10分遅れでバスは到着しました。次発は約2時間後。しっかりとタイムマネジメントしないと泣きを見ますので,ご注意ください。
見どころは,西尾根と東尾根の長大な空堀です。写真ではなかなか伝わりませんが…。
私の他にも登山者がいましたが,挨拶に返事も出ないほど息が上がっていたようでした。

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苗木遠山氏 (2023/03/02 訪問)

 比較的楽に登城できて、遺構もすばらしい山城だと思います。木曽川を天然の堀として高森山に築かれた城ですが、特徴は巨岩の上に石垣が組まれたところでしょうか。城址には大きな岩が多くあり、そのうちの一つが天守台の南にある馬洗岩です。周囲45mある花崗岩質の自然石とのことです。その説明には「かつて苗木城が敵に攻められ、水の手を切られたときに、この岩の上に馬を乗せ、米で馬を洗い水が豊富であるかのように敵を欺いたことが名前の由来、、」とありました。この岩にどうやって馬を乗せたのでしょうか、と突っ込みを入れたくなります(笑)。江戸時代に一万石の大名は多くいましたが、苗木遠山氏は唯一の城持ち大名であったとのこと。維持は大変だったと思われます。実際に幕末には藩の財政は破綻していたようです。
 地理的に近いこともあり何回か来ていますが、何回来ても飽きないすばらしい城址です。城跡からの景色もいいのですが、この日は少し曇っていて恵那山が見えていません。また落石のため帯郭、八大龍王周辺の散策路が通行止めになっていました。
 JR中津川駅から北恵那交通のバスに乗り苗木バス停下車して徒歩10分くらいです。

 ところでリニア中央新幹線の岐阜の駅は同じ中津川市内ですが、中津川駅と恵那駅の中間にある美乃坂本駅付近になります。この駅が開業すれば東京方面の方は岐阜県東農地方の城(苗木城 岩村城など)には日帰りで比較的簡単に来ることができるようになるのではないでしょうか。

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イオ

尾張徳川家御連枝 (2023/02/04 訪問)

南北朝期に氏家重国が築いたとも、戦国前期に大橋重一が築いたとも云われ、織豊期には高木盛兼の城となっていましたが、関ケ原の戦いでは西軍についたため、東軍についた松ノ木城の徳永寿昌と今尾城の市橋長勝らに攻められて降伏しました。戦後は徳永氏が城主となって修築し城下町を整備しましたが、改易により幕府領となり、小笠原氏を経て尾張徳川家御連枝の松平義行が入って高須松平氏で明治を迎えました。高須松平氏といえば幕末の高須四兄弟が有名ですが、初代の義行は尾張徳川家二代・光友と三代将軍・家光の長女(千代姫)の子であり、本家にあたる尾張徳川家の藩主を五代も輩出した大変な名門だったんですね。

駐車場はなさそうなので、城跡公園の東側に路駐して登城開始。城跡公園は三の丸跡に位置し、東側に高須城跡(関ケ原の戦い)の説明板が立てられています。公園北側の高校敷地が二の丸跡で、さらに北の大江川沿いの企業敷地が本丸跡のようですが、遺構は見られません。公園の南には三の丸と城下を隔てる水堀が東西に続き、朱塗りの主水橋(往時は板橋)が架けられています。主水橋の南詰は殿町ポケットパークという小公園になっていて、水堀跡を親水公園的に整備し、主水橋や高須城と城下町の説明板が設けられています。ポケットパークの東端で水堀跡は南に分岐して続き、かつては武家屋敷と町家を区画する水堀だったようです。

城跡公園から南東に約1kmには歴史民俗資料館があり、高須城や高須松平氏の展示もあるようなので見学したかったんですが、開館時間前だったため大江川に架かる橋から眺めるだけに留め、またの機会に。また、桑名市の六華苑には高須城(陣屋)の御殿が移築されているようなので、こちらもいずれ…。
 

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todo94

2月最初の攻城 (2023/02/18 訪問)

休日に所用が重なり2月最初の城めぐりがこんなに遅くなってしまいました。京都まで新幹線。東福寺で京阪に乗り換えて橋本駅から向かったのが、鳥羽伏見の戦いの史跡でもある樟葉台場。大河ドラマ「新選組!」の頃からずっと行きたいと思っていたスポットなので漸く念願が叶いました。

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赤い城

遅くなりましたがクイズの答え

またしても微妙なクイズとなりすみません。
にのまるさんのご解答通り唐沢山城で正解です。
千騎口の写真でした。
巨岩を利用して入口を狭め、攻め込まれにくくしています。
まるで房総の城のよう。
ここまで行った方は少ないですかね。
NHKの最強の城シリーズでも紹介されていましたね。

唐沢山城は個人的には関東で一番の城だと思っています。
他にも北城先の二重堀切、南城の尾根上の遺構など見どころはたくさん。
竪堀も多く施されています。
石垣だけではもったいない城だと思います。

栃木も良い城多く、那須氏の城は佐竹との睨み合いもあり、烏山城、伊王野城、黒羽城など見どころある城も多いです。
鹿沼周辺や足利周辺などそれぞれ特徴もあります。
那須氏の他、宇都宮氏、壬生氏、佐野氏などが北条や上杉の影響を受けながら存続しました。
平城は堀が深く、山城は堀切も多い、そんな感じです。
写真3枚め以降はおすすめの城を一部紹介しています。

未登録城はあまり行けてませんが下南摩城や小俣城はおすすめです。
北関東3県は魅力度では下位争いの常連ですが城の魅力度では上位だと思います!

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