大野城からの転戦です。説明板前(35.370654、136.851907)に路駐しました。
1532年(天文元年)越前守護富樫氏嫡流の富樫頼定が犬山城主の織田信康(信長の叔父)に仕え尾張国葉栗郡松倉を領した際に築城したようです。
このころ、頼定は坪内姓を名乗ります。1548年(天文16年)に織田信秀により松倉城は強化されます。
織田信長の死後、頼定の曾孫の坪内利定は羽柴秀吉と不和となり、1584年(天正12年)の小牧・長久手の戦いでは徳川家康側につきます。
しかし、池田恒興の軍勢に攻められ、やむを得ず松倉城に自ら火を放ち金山城に身を隠しますが、暫くして徳川家康に仕え、再び松倉城に入りました。
1600年(慶長5年)坪内利定は徳川家康の会津征伐に鉄砲隊を率いて参戦しました。
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、鉄砲隊を率いて功績を挙げました。この功績により6,500石を治める大身旗本となり、拠点を松倉城から新加納陣屋に移っため、松倉城は廃城となりました。
堤防側に説明板、内陸側に祠(樫大神)があります。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=前渡坪内陣屋(城びと未登録 岐阜県各務原市)に向かいます。
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