宇土城は天正16年(1588)に肥後南半国の領主となった小西行長が
翌年から築城を始めたを伝わります。
関ヶ原の合戦の後、肥後の国一国の領主となった加藤清正が自分の隠居城とするため
普請を行ったとされています。今現在、現存している石垣は清正時代の物らしいです。
清正は隠居することなく没し、慶長17年、幕府の命により城は壊されました。
寛永14年(1637)の島原の乱の後、さらにこの城は徹底的に壊され今は本丸の
一部の石垣が奇跡的に残っています。これは破城の際のお目こぼしなのでしょうか。
城を破壊した人たちも命令でやったことなので、加藤清正の築いた見事な
石垣をすべて壊すのも忍びなかったかもしれません。
現地の城の絵から確認すると本丸の西側の墓地が二の丸。南の宅地が三の丸に
なりますが東の高校も堀の内にあり第四の郭の役を果たしていたと考えられます。
もしくは果たす予定だったのでしょう。北の広大な住宅地も家臣団や寺社、住民の家として
城の外郭として機能していたと思われます。
いまはバーチャルがはやりですが、やはり古城跡を巡るうえで欠かせない物は
想像(妄想)力でしょう。
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