るの門を
見逃すなかれ
姫路城
ー画像なし(泣)ー
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2023/03/25 22:37
【かるた】
るの門を
見逃すなかれ
姫路城
ー画像なし(泣)ー
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2023/03/25 22:35
【かるた】金沢城の読み札
金沢城 平城じゃない 尾山城
海鼠壁 ワイドに広がる 金沢城
菱櫓 前田の匠 金沢城
噴水も プールも楽し 金沢城
一句目
写真だけ見て、完全に平城だと思い込んで行った金沢城
けっこうな丘にある平山城で、びっくりしたのが良い思い出です
尾山城の名前を知っていたら誤解しなかったのにと思います
上、中、下の全てに城と言う字を入れて遊んでみました
二句目
五十間長屋、三十間長屋の美しい海鼠壁を詠みました
三句目
一見しただけでは分からない80度と100度の角度をつけた菱櫓
目立たない部分ながら、前田家の職人の技術の高さを感じます
目立つ部分にしたいなら上五を「橋爪門」に替えても良いですね
四句目
兼六園には日本で1番で古い噴水があります
電気は使わず、上にある池との高低差を利用しているというのは驚きです
一方、プールは21世紀美術館の現代アート「スイミングプール」金沢城に行ったら、一度は寄りたい場所です
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2023/03/25 22:27
【かるた】水戸城の読み札
水戸城へ 毎日通学 大手門
水戸城へ 黄門様が お出迎え
再建された大手門はとても立派で
そこから続く道も美しく舗装され
まさに学問の道、という様相でした
ここを幼稚園から小中高と通学路にしている
地元のお子様達がとても羨ましいです
一枚目の写真は水戸城の薬医門、こちらも立派でした
二枚目は大手門脇の瓦塀のアップ、美しいです
三枚目は駅前で出迎えてくださった黄門様御一行
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2023/03/25 21:58
【かるた】新田金山城の読み札
関東の 誇る石垣 金山城
月と太陽 2つの丸池 金山城
金山城のめっちゃ格好いい石垣が大好きです
私にとってのNo.1
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2023/03/25 18:30
“小牧・長久手の戦いゆかりの地をめぐる”犬山「三種の御城印」②羽黒城 (2023/03/19 訪問)
“小牧・長久手の戦いゆかりの地をめぐる”犬山「三種の御城印」のうち犬山城の御城印を入手したのですが、3枚の御城印を収納できる「合戦帳」も頂きました。
当初は犬山城の御城印だけが目当てだったのですが、せっかく「合戦帳」を頂いたので、これに3枚とも収めないと!と思い、羽黒城も攻めて来ました。
羽黒城は羽黒駅からすぐでしたが、御城印を販売している酒屋さんは歩くにはちょいと遠くて難儀しました。御城印は、もっとお城の近くで売ってください。
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2023/03/25 17:36
国指定史跡 比企城館跡群の一つ (2023/03/22 訪問)
土造りの城の教科書と言われるが、築城者・年代が不明と記憶していた。発掘調査の結果、15世紀末~16世紀前半の関東覇権をめぐる、山内・扇谷両上杉氏と古河公方の三つ巴の抗争のなかで、山内上杉氏によって築城されたことが分かった、とパンフレットに載っている。
足早の見学だったが、土塁・堀・虎口などに横矢を掛ける縄張が分かる。勝手なイメージで尾根は細く急峻と思っていたが、大手口の尾根(出郭)と同様、東尾根・北尾根も緩く広い。整備・他活動の杉山城跡保存会の方々に敬意を表します。
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2023/03/25 16:45
伊勢未踏の城廻Ⅳ一之瀬城西の城跡 (2023/03/19 訪問)
一之瀬城東の城跡/一之瀬神社を終えて、西に約400~500mの所にある青木山の山頂比高50mに一之瀬城西の城跡がある、車はそのまま一之瀬神社前の駐車場に駐めて、案内指示版に従って北東方向から登っていく。
登城階段が備えてあり傍には手製の杖が備わってる。西に緩やかな尾根筋を一直線に登っていく、途中に一段の石垣が有り門跡なのか?説明版はなく良く分かりません、また同じくらい登って空堀、郭跡、広めの郭と空堀三段くらい、主郭の東側に堀切空堀・土塁、土橋階段を登って主郭へ、西側に4重堀切が連なり少し下がって二重の堀切があるようです。
主郭西1の堀切に降り、隣の郭へ上る、西2の堀切と連なった堀切、郭を望む、写真に撮ったが連なりが良く分からない。南北とも谷に落ち込んでいて急峻である
下城して縄張り図にある東麓の寿宝院跡、向井将監屋敷跡を訪ねるが良く分からない石垣が残ってるあたりかなと写真は撮っておきました。石垣から東へ一本の桜が5分咲き状態、地元の方に聞くとあそこの桜はいつも早いとおっしゃっていました。目に優しく癒される桜を早々見る事が出来ました。
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2023/03/25 15:18
伊勢未踏の城廻Ⅲ一之瀬城東の城跡 (2023/03/19 訪問)
大台町の三瀬砦三瀬館を終えて東方に在る一之瀬城を目指し、紀勢自動車道大宮大台ICから玉城ICを降りて地道県道65線から県道22号線を通り度会町脇出の元一之瀬小学校辺りの道沿いに看板(一ノ瀬城/一之瀬神社)が有り良く分かります。
駐車場:一之瀬神社参道前、元一之瀬小学校南側に一段下がって駐車場完備、トイレも小学校側に完備。
資料:トイレ横参道横に一之瀬城の資料7ページをクリップで綴じてボックスに入れて有り、一部頂きました大変ありがたい、縄張り図も東の城跡、西の城跡もあり、一之瀬城を守る会ボランティアの方々に感謝です。お礼を兼ねて備えのノートに記入しました。
登城ルート:駐車場、参道、南階段を登り見張り台へ宗良親王御遺蹟石碑が立っている、急峻な崖に立っており尾根道の狭く東側が土塁、一之瀬神社を参拝、一之瀬神社の北裏に郭群が有り、周囲の西から北に横堀が走り外は土塁、内は主郭の切岸、北側に横堀を合わせ三重堀になっている、主郭北東に竪堀が落ち込み、その横に主郭への階段が取り付けられている、登ると第二郭が有り桝形の様になっている、一段登って主郭、北側に一段下がって第二郭、すぐ北は神社となっている、東側は急峻な崖、枡形、第二郭東横を下りて南側の竪堀、神社本殿横に、縄張り図には南側に三重堀があるが良く分かりませんでした。
こじんまりした城跡ですが城跡遺構がよく残っています、横堀、竪堀、土塁、切岸、三重堀、郭、枡形、見張り台と山城のサンプルのようです。
歴史は宗良親王の御遺蹟碑があるように南北朝時代南朝方、後醍醐天皇の宗良親王は延元元年(1336年)北畠氏に奉じられて南伊勢に赴き、愛洲氏に迎えられて翌年まで一瀬に滞在しました。その後東国を目指して伊勢大湊を出港し暴風に遭いながら遠江に上陸し井伊谷城に入りました。(いただいた資料より)
この後は西側の西の城跡へ向かいます。
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2023/03/25 14:45
周囲に微かに残る堀跡 (2023/03/22 訪問)
館跡は岩殿山息障院光明寺になる。山門前の案内によれば、天平年中(730年頃)の開創、または大同年中(806年頃)の開基と伝わる。境内地は源範頼の館跡といわれ県の指定史跡、本尊は不動明王像で県指定の重要文化財、地蔵堂は室町時代で重要建造物となっている。
参道入口手前、幼稚園側に駐車場がある。本堂裏手は遠慮したが西側は竹藪となり入れない。山門左手は堀跡が西へ延びている。東は消滅。境内西には北に向かう堀跡が確認できる。北側(道路)では水路なのか堀跡か分からないが、西の堀跡が来ている。北から東に回り込むと堀跡と思える水路が続く。
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2023/03/25 14:36
遠州海岸 (2023/02/23 訪問)
浜松駅から遠鉄バスで「東若林」下車。
遠鉄はIC対応ですがPASMOなどの交通系共通ICカードは使えません。しかしそこは郷に入っては郷に従え。チャージを積み増しというなど、その土地の慣習を知るのも旅の楽しみのひとつです。
バス停から海岸に向かって徒歩約20分で台場跡に到着しました。
説明板によると幕末に建造された三か所の台場のうちのひとつとのこと。砂地でさらさらした小山にのぼってみると、まっすぐに延びる防潮堤が見えました。これは行かずにはいられません。
気になるのは当時の海岸線ですが、地元のカズサンさんのご投稿により用水路のあたりだったとの情報をいただきました。ありがとうございますm(__)m
台場から海岸入口までは歩いて3分。防潮堤の上から振り返った台場が写真⑤です。都市化の中でこの場所が残された意味を考え、将来へ語り継ぐ大切さを思います。
海岸へ降りてみると、そこには得も言われぬ美しい光景が広がっていました。
自然のみがつくり出すことのできる風紋、夕日を浴びてキラキラ光る水面、釣り人の後ろ姿。
雑念に満ちた日常から解き放たれ、暫し心地よいときを過ごせました。
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2023/03/25 13:31
国指定史跡 比企城館跡群の一つ (2023/03/22 訪問)
説明板に、築城は山内上杉氏・扇谷上杉氏らによる関東の動乱を背景とした15世紀後半という考え方が有力。その後、武田氏・後北条氏・岩槻太田氏・越後上杉氏の間で幾多の合戦が繰り広げられる。天正18年、前田利家・上杉景勝の包囲され落城、徳川の関東入国後は松平氏が入ったが、慶長6年(1601)に松平氏の移封に伴い廃城、と書かれている。
城跡の東入口から入ると、右に下草の刈られた小曲輪があり、堀を挟んで曲輪四へ。三ノ曲輪へは低い位置に土橋がある。堀底を北に行くと方形の枡形状虎口跡にでる。右に行けば根小屋へ、左は惣曲輪を通り、兵糧倉跡・本曲輪へ行く。
本曲輪は兵糧倉側虎口・二ノ曲輪側虎口の間が二ノ曲輪方向へ突き出ている。南寄りに神社?の基礎部が残り、参道を下がれば笹曲輪があり、堀状の道は西下の當選寺寄りの散策路に出る。二ノ曲輪は本曲輪の出っ張りを囲む形だが画像では伝わらない。三ノ曲輪は細長く狭い曲輪だが、周囲の堀はよく残る。西下(市野川)に岩室観音堂が建つ。背後の切通状の道が通行出来れば、惣曲輪の西端に出られそうだ。
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2023/03/25 11:46
三池氏の平時の居館というが (2022/11/13 訪問)
鎌倉時代の能吏であった中原氏の一族とされる三池氏は鎌倉時代のごく初期にこの地の地頭職を得たらしく大間城はその時以来の「平時の居館」だという。もっとも16世紀にはこの地に「平時」はなかったような気もするが(汗)。
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2023/03/25 08:30
2023/03/24 22:38
白鹿城 (2023/02/26 訪問)
【白鹿城】
<駐車場他>白鹿谷登城口前<35.500426, 133.051724>に3台程度可能。
<交通手段>車
<見所>竪堀・堀切・曲輪
<感想>1泊2日尼子十旗攻城の旅2日目6城目。第一の城、白鹿城の築城年・築城主は定かではありませんが、戦国時代には尼子氏の家臣の松田氏が城主となっています。白鹿城の戦いでは城主の松田誠保は籠城しよく耐えてましたが、毛利軍は荒隈城の向城を築城、吉川元春が真山城を占拠して攻城し、1563年に落城し廃城となりました。
登城口が城跡の北西端部分にあたります。曲輪の切岸下の山道を回り込むように進むと右手に竪堀群が表れます。左手に入り込むと北西の曲輪群があります。竪堀群の奥が堀切になっており、南西方向に向かって右手に曲輪群、左手はすり鉢状の谷になっていて谷底は曲輪になっているようです。堀切の北側から切岸を登って、井戸跡のある曲輪、上段に月見御殿の曲輪、月見御殿の北側奥が本丸になっています。本丸から北東側にかけて小さな連郭が連なっており、東側にスロープの道が残っています。当時のものならば大手道かと思いました。月見御殿の南東側に一の床から三の床といわれる連郭が連なっており、特に一の床曲輪が広いので、ここが主郭、本丸跡は大手曲輪のように私は感じました。尼子十旗第一の堅城といわれるだけあって見応えある城跡でした。
<満足度>◆◆◆
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2023/03/24 21:48
2023/03/24 21:33
筏問屋田代家と。 (2023/02/23 訪問)
二俣城の西の曲輪を経て天竜川河畔に下り、そのまま徒歩で鳥羽山城へ向かいました。
かつては二俣川が注ぎ、振り向くとそこは天嶮の城……のはずなのですが、あまりののどかさに“戦場をイメージする”というお題を忘れてしまいそうです。
鳥羽山城へはわんぱく広場に接続する遊歩道から登りましたが、本丸搦手口に向かうなかにも随所に石垣が見られ、公園整備によって城址が守られていることを実感しました。
本丸広場には城の最終形態を今に伝える枯山水庭園。大手門や東門跡には石垣遺構もたくさん見られ、二俣城と好対照な様相を楽しみました。
帰りは遠州鉄道西鹿島駅まで2㎞ほど歩きます。
車道沿いを下山し始めるとすぐに「天竜川筏問屋 田代家」への大きな案内が目に入りました。車道脇の山道を入っていった先にあるようです。
遠州鉄道は本数も多いので寄り道しても全く問題ありません。車道を歩くより楽しそうなこともあり、行ってみることにしました。この山道は江戸・明治期の鹿島から二俣への鳥羽山越えの道で、村人や旅人が利用していたのだそうです。当時の石積みも見られ、昔の旅人気分を味わえました。
そして見えてきたのが写真⑥の建物です。
玄関へまわってみると「徳川家康の朱印状 大久保彦左衛門の詫証文」の看板が。
目の前に突如現れた心躍るこの文字列。導かれたことにただただ感謝です。
田代家は浜松城へ敗走する家康を助けた功により下された筏川下げの朱印状や三河物語の大久保彦左衛門の詫証文が伝わる旧家で、三方原の戦いと天竜川のお話をうかがい、そのほかにもたくさんの先祖伝来の品々を見せていただきました。
幕末建築の屋敷内も見学させていただきましたが、竈や櫓(ろ)、帳場、電話ボックス、見事な彫刻の施された欄間など古民家好きには堪らないものだらけでした。
そして帰り際に「天竜川北鹿島の里 田代家物語と二俣城」「天竜川河畔絵図」を購入しました。二俣城、鳥羽山城についても詳述され、この冊子もよきめぐり逢いでした。
天竜川を渡り駅へ向かいながら鳥羽山城の遠景を望み、西鹿島駅ではずらりと並んだ松潤のポスターに迎えられ、浜松市街へと向かいました。
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2023/03/24 18:59
【かるた】熊本城の読み札 (2023/03/24 訪問)
甦れ 難攻不落の 熊本城
復興作業が続く熊本城。
しかし、現在復旧したのは写真の天守だけです。
その他の部分はまだ悲惨な姿をさらしたままです。
2022年 難攻不落!最強の城総選挙第1位。
よみがえってその雄姿をぜひまた見せてほしい
という気持ちを込めて詠みました!
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2023/03/24 18:47
梨。 (2023/02/25 訪問)
『実は千葉県の白井市出身なの。』と、ずっと同じ東京の端っこ友だと思っていたのに、突然の告白。
『白井市にもお城、ある?』の問いに速答できず、後日『お城を探す』で確認。
千葉県白井市の「名内城」、こんな理由で攻めてきました。
『東光院』という お寺さんが「名内城」の一部のようです。ここまでの道、かなりグネグネして見通しが悪いです。
、、、お城の周りだからでしょうか?
車を『東光院』の前に止めて写真を写し退陣しました。
今は季節ではないので閑散としてましたが、梨の産地のようで、看板や幟が目に付きます。
千葉県は梨の産地、トップ3に入ってます。
『私は茨城県の親戚が送ってくれるので、千葉県のは食べてない。今度、梨を買いに来るのも良いかも。』
と「名内城」、置いてきぼり。
写真3枚で、白井市出身の友達に伝わるかな~と心配になった「名内城」攻めでした。
*毎度の脱線、すいません*
あっ、トクさん、私は『島左近』が好きですよ。
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2023/03/24 18:40
㉜【関ケ原の26人】(ちょっと休憩)
前半の15人が終わりました。
これまで読んでいただき大変ありがとうございます。
これから後半の11人が登場します。そして最後の26人目は私(トク)が選ぶ「関ケ原のMVP(最高殊勲武将)」です。それはいったい誰でしょうか? みなさんよければ予想してみて下さい。
ではその前にちょっと休憩をいただき、「熊本城の最新状況」などをお伝えしながら、4月中旬頃より後半11人へ続く予定にしております。また引き続きよろしくお願いします😊。
(0)前書き1(関ケ原古戦場記念館)
(0)前書き2(陣跡めぐり方法)
(1)小早川秀秋
(2)吉川広家
(3)福島正則(敢闘賞)
(4)織田秀信
(5)島左近
(6)京極高次(殊勲賞)
(7)細川忠興
(8)小西行長
(9)宇喜多秀家
(10)竹中重門
(11)鳥居元忠
(12)田中吉政(好プレー賞)
(13)平塚為広
(14)池田輝政
(15)加藤嘉明
(16)
(17)
(18)
(19)
(20)
(21)
(22)
(23)
(24)
(25)
(26)関ケ原のMVP(最高殊勲武将)はたして誰?🤔
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2023/03/24 18:13
【かるた】福山城の読み札 (2023/03/18 訪問)
白黒は つけずにツートン 福山城
令和の時代,白黒つけない中間的立ち位置(ご近所の姫路城[白]と岡山城[黒]を意識)で,リニューアルされたツートンカラーの天守を詠んでみました。
(「みんなの投稿」からもエントリーできるようになったんですね!)
※続け,常連の猛者たちよ!
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