一応鉄オタということでにのまるさんたちに便乗して鉄道クイズやります。多分簡単。
1 ここはどこでしょう?
2 ここの近くに、豊臣秀吉が北条氏に勝つために築いた○○○城があります。〇〇○に入る文字は?
ヒント 一夜で築いたという伝説があります。
2問目は城オタなら絶対解けるので頑張ってください。
今日は高山行くので暇があったらまた投稿します。
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検索結果・・・「」を含む投稿
2023/01/21 06:39
鉄道クイズ (2022/12/16 訪問)
一応鉄オタということでにのまるさんたちに便乗して鉄道クイズやります。多分簡単。
1 ここはどこでしょう?
2 ここの近くに、豊臣秀吉が北条氏に勝つために築いた○○○城があります。〇〇○に入る文字は?
ヒント 一夜で築いたという伝説があります。
2問目は城オタなら絶対解けるので頑張ってください。
今日は高山行くので暇があったらまた投稿します。
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2023/01/21 00:09
見た。 (2022/12/31 訪問)
高嶺城から木戸神社の方へ下山したので、大内氏館へ行く前に行ってみることにしました。
周囲を可能なだけぐるっとまわってみましたがそれ以上のことはできず、ここですねーっと確認して見上げただけで終わってしまいましたm(_ _)m
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2023/01/20 20:27
2023/01/20 19:26
todo94さん,ご返信ありがとうございます。 (2023/01/14 訪問)
todo94さん,ご返信ありがとうございます。フライングのカズサンさんに気を使われたのでしょうか…。考える気が失せたか…?
ま,私としては,todo94さんが「暫く考えてみます」とのことでしたので,じっくり待つスタンスでいました。よって,この投稿にて解答します。
解答は,「出羽丸岡城」!
この城の最初の投稿がtodo94さんでした。一番最近の投稿はチェブさん。カルビンさんは鶴岡駅からのレンタサイクル情報を書き込まれていました。たぶん,チェブさんとカルビンさんはわかっていたのでは…と,推察します。
詳細情報は,先日のカズサンさんの投稿を参照ください。全くそのとおりで,北側の水堀を西側から撮影した画像になります。冬場の景色ということで,水堀の水位が上がり凍っています。これだけで印象が変わるかと思います。
実は,藤棚橋のある大手側(東側)は,全然除雪してなくて,吹き溜まり放置状態でした。土塁上を通って大手側に出ました。今なら,私がつけた道が残っているかと思います…<笑>。
なお,清正閣エリアは,ほとんど積雪がありませんでした。
にのまるさん,瞬殺でしたね…(ホントは私がこうなると思ってました)。実は,私もすぐわかりました。たぶん,野口雨情の歌碑から跨線橋を渡っている途中に見える景色かと思います。
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2023/01/20 19:04
柏野城 (2022/12/30 訪問)
【柏野城】
<駐車場他>柏野公民館横のごみステーション兼公園に駐車しました。
<交通手段>車
<見所>土塁・空堀
<感想>伊賀市の公式観光サイトによると柏野城の築城年代は定かではないが、福島宗雄によって築かれたといわれています。平成元年に市の指定史跡に指定されています。伊賀天正の乱にて織田軍の進攻により落城しています。
上記駐車場に城跡までの案内板があります。城跡入口の獣よけ柵を開けた所から城跡になりますので登る必要はありません。伊賀甲賀特有の単郭式の丘城で主郭は3方の土塁で囲み、西側背後は高土塁、その後ろに空堀があります。主郭の北東部に腰曲輪、北側にも空堀、空堀の北に曲輪があります。主郭北西部に北と西の空堀を分ける土橋があります。
<満足度>◆◆◇
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2023/01/20 17:32
100名城スタンプリベンジ (2023/01/20 訪問)
前回川越城に行ったのはいつだったか。行った直後に100名城スタンプラリーが始まり、悔しい思いをした事を覚えています。
近場という事でずっと後回しになってしまいましたが、今回河越館と一緒に攻城して来ました。
西武新宿線の本川越駅から徒歩で、まず喜多院に行きました。喜多院では江戸城紅葉山の別殿を移築したという、徳川家光誕生の間と春日局化粧の間を見学しました。川越にいながら江戸城の建物を見ました。
喜多院を後に川越城方向に向かいます。富士見櫓の櫓台は環境整備工事で登れませんでした。今年の3月17日までらしいので、これから行かれる方はご注意下さい。本丸御殿に向かって行く道が少し登っているので、やはり本丸は他の場所より高い所だったんだなと実感しました。
本丸御殿を見学し、スタンプを押して無事に目的を達成しました。見学者も少なく静かでしたので、畳に正座して目を瞑ると、江戸時代にタイムスリップしたような感じがしました。
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2023/01/20 10:58
⑪【関ケ原の26人】(6)京極高次 (京極高次と大津城) (2022/10/25 訪問)
(6人目)は「京極高次」です。
関ケ原当時の居城であった「大津城」を訪れてきました。
大津城は琵琶湖に面した場所にありました。現在の「京阪びわこ浜大津駅」のあたりに四重五階の天守があったようです。駅前にはかつてここに城があった事を示す石碑と縄張図がありました(写真①②③④)。大津城は関ケ原後に廃城となり、その資材は彦根城や膳所城の普請に使われたようです。駅前からは琵琶湖遊覧船も出ていました(写真⑤)。今度来た時はゆっくり琵琶湖を回ってみたいな~と思いました。
京極高次は、西軍に付き北陸方面を大谷吉継とともに行動していましたが、関ケ原へ向かう途中で、突然吉継と離れ大津城へ帰還します。高次の妻は浅井三姉妹の次女(淀の妹)「初」です。まさか豊臣の縁者が裏切るとは思ってもいなかったので大坂城では動揺が走ります。初は高次の説得に向かいますが、高次は東軍に付く事を決意します。
これを知った石田三成は、立花宗茂の3,000と毛利元康・毛利秀包(元就の8・9男)筑紫広門の12,000(2-3万とも)を向かわせました。しかし2週間の籠城戦の末なかなか落ちません。そこで最後は秘密兵器、大友宗麟が臼杵城で使った国崩し(大砲)を取り寄せ砲撃! 驚いた高次は降伏し城を明け渡したのが、関ケ原本戦当日の9月15日でした。宗茂はこれから関ケ原へ向かい明日16日には到着すると三成へ知らせを出すも、入れ違いで敗戦が決したとの報が入ります。宗茂と元康・秀包・広門らの軍勢は、何と1日の差で本戦に間に合いませんでした。そして彼らは失意の内に大坂城へ引き揚げます。
立花軍はわずか3,000ですが、その強さは蔚山(ウルサン)の戦いで実証済み。あの時は、他の諸将が尻込みする中、単独で朝鮮・明連合軍30,000を相手に勝利し加藤清正の救出に成功しました。家康もそれを知って「立花の3千は1万以上に匹敵する」と西軍最強の精鋭部隊と位置付けていたようです。よって、この立花軍らの大軍勢を釘付けにした事を高く評価し、高次は若狭小浜82,000石へ加増転封となりました。
私は駅前の歩道橋の上(当時の天守に近い場所)から琵琶湖を眺めながら考えてみました(写真⑥)。高次はなぜ大谷吉継を裏切り、豊臣をも裏切ったのでしょうか?
高次は、浅井長政の姉の子で、浅井家滅亡後、明智光秀や柴田勝家に味方するも、いずれも敗北。名門の京極家は存続のため高次の妹(竜子)は秀吉の側室となり、そして「初」を正室に迎えるなど、豊臣との縁者となって再興する事ができました。にもかかわらず・・・
宗茂ファンの私なのでちょっと複雑な気持ちですが、しかしこの部隊を釘付けにした高次の功績は家康にとっては非常に大きかったと思います。でなければ小早川も裏切る事はできなかったでしょう。よって私はこの京極高次に「殊勲賞」をあげたいと思います😊。
次は、(7人目)へ続きます。
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2023/01/20 07:13
2巡目の続日本100名城のスタンプラリー57城目 (2022/12/27 訪問)
にのまるさんのクイズ、鉄分多めの私向けと解釈してお答えさせていただきます。徳島城でいかがでしょう。列車はJR四国の気動車で間違いないと思うのですが。朝田辰兵衛さんのクイズは、正直、全く思い当たりません。降参です。
さて、中通島、頭ヶ島、若松島、漁生浦島、有福島、日島、桐ノ小島と新上五島町の離島めぐりと教会スタンプラリーを楽しんだ後は、奈良尾港よりジェットフォイルで福江島へ。五島氏庭園は冬期間は休館なのですが、2023年4月6日まで施設改修が続くそうです。スタンプ置き場の五島観光歴史資料館ではバラモン凧の動画をしっかりと視聴させて頂きました。朝ドラ「舞いあがれ!」のPRはさほどでもありませんでした。ホテルチェックイン前にピクミンブルームのビッグフラワーを咲かせて遊んでいたら、偶然、江川城の城址碑を見つけることが出来ました。ピクミンブルーム、すっかりお城めぐりの友になっています。
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2023/01/20 00:07
続き (2022/12/31 訪問)
登山道を経て到着した電波塔から主郭までは500メートルの表示。連郭式の大小の郭を通りながら進みました。
主郭(山頂部郭)虎口には鏡石が残り、内部には建物の礎石と大量の瓦。
礎石と瓦の組み合わせ、最高すぎです。ちりばめられたキラキラの宝石を見るよりも、土にまみれて散乱する瓦片を眺めている方が幸せです(多分)。
そしてここからの眺望の見事さよ!
大内氏館や築山館をしっかりと捉えることができました。
ここに限らずですが、山頂の郭まで登って遠くの景色を見ていると、籠城中に繰り広げられた眺望クイズ大会を思い出し、改めて感謝の気持ちでいっぱいになります。魅力をたくさん教えてくださりありがとうございました。
一旦主郭から下りて、井戸と石垣のある方へまわりました。井戸はポンプまわりが囲われ立ち入り禁止になっていましたが(そうでなければ見逃したかも)、水路も確認できました。
その先に現れた苔むした高石垣。もう守るべき主も攻めてくる敵もいないのに崩れてなおそこにあり続けようとする誇りが伝わってくるようです。一方、足元の地面には破城の痕跡と思しき数多の石が埋まったり転がったりしています。史料として城を守り伝えることの大切さを実感しました。
下山は山口大神宮方面ではなく、林道を木戸神社に向かうルートにしました。
途中の展望所からの眺めがとてもよかったですが、電波塔から国道に出るまで1時間くらいかかり、「山道の方が近道」という地元の方の声に納得でした。
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2023/01/19 21:55
関宿 鈴鹿関 (2023/01/19 訪問)
新所城は東海道と大和街道が交わる交通の要衝に建てられた城です。近くには東海道47番目の宿場町である関宿があります。当時の雰囲気を残しています。通り沿いには織田信孝の菩提寺である福蔵寺があります。また、古くは古代三関のひとつ伊勢鈴鹿関がありました。ゆっくり散策したかったのですが時間の都合でさらりと見て回りました。
昼飯に会津屋さんで山菜おこわ・そばをいただきました。
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2023/01/19 21:39
関盛信 (2023/01/19 訪問)
鈴鹿川を北に上ると鈴鹿峠から近江へ出る東海道が通り、加太川を上ると伊賀に至る交通の要衝に築かれた城です。
関宿の駐車場の道路を挟んで向かいの会社敷地内と思われる道から登城しました。いつのものかわからない石垣を見つけ、その後はテープやリボンを頼りに登って行きました。3カ所ある主要な曲輪群には行けたと思いますが、途中道に迷ったり直登したりと少しだけ苦労しました。竪土塁、堀切等あり、それなりに楽しめます。下山するときに道の迷い、よくわからない西の道路へ出てしました。
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2023/01/19 21:24
桜の名所 (2023/01/19 訪問)
三方を小野川に囲まれ天然の堀となり、背後は羽黒山が守る要害となる地にあります。土塁、石積み、井戸、石積みされた排水溝等を見ることができます。よく整備され概ね歩きやすかった。山荘へ降りて行く手前に堀もしくは堀切かと思われるような地形がありましたが、当時のものか否かわかりません。春は桜がきれいだそうです。桜も見たいのですが、城跡を見るときは花見のシーズンを避けています。
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2023/01/19 20:08
細尾根に堀切、そして畝状竪堀 (2023/01/04 訪問)
浄福寺の駐車場に停めさせて頂き登城。
墓地の中の白山神社裏手から登って行きます。
少し登ると観音堂があります。
ここからが大変、尾根道を登って行きます。
前回もそうでしたが落ち葉で滑る。
途中に落ちる竪堀を見ながら登ると山頂部には小さな祠があり、これが主郭。
登ってきたものを含め4本の尾根に展開されていますが今回も東の尾根に進んで行きました。
途中、尾根上には深い堀切があり、先端部には南関東では稀な畝状竪堀もありました。
他の尾根もチャレンジしたかったですが藪っぽく時間もなかったので撤退しました。
東京にも味のある山城がありますよ。
ただし体力は必要ですかね。
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2023/01/19 11:51
加藤忠広公配流の地・出羽丸岡城跡 (2018/04/16 訪問)
朝田辰兵衛さんがtodo94さんへ「この城はどこ?」と瞬殺希望の1月16日投稿(1月14日訪問)と成って居ましたが、todo94さん、にのまるさんも夫々反応が1回有りましたので、皆さんで投稿交流もいいのかな?と割り込んだ形ですが推定回答いたします。
投稿写真は出羽丸岡城の北側水堀を西から俯瞰した写真と推定します。
この出羽丸岡城へは5年前の平成30年(2018年)4月16日訪問して居ます、出羽未踏の城廻りで15日は70歳の誕生日、山形駅前のスナックで同年のママとお客さんで祝ってもらい、翌日月山麓の道ではみぞれ交じりでノーマルタイヤの愛車で冷や冷やした思い出が過って来ます。
朝田辰兵衛さんの写真を見て、出羽丸岡城と佐久の伴野城が頭をよぎましたが13重の石塔が目に入り、出羽丸岡城の脳内メモリーには石塔のイメージが無く、城びとの昌官忠さんの投稿写真で石塔を確認、私の撮影写真でも石塔を確認し、此処だなと推定に至りました。
出羽丸岡城は加藤清正公の嫡嗣忠広公の配流先、曇りで雨模様気味と物悲しい気持ちにも成った所でした、でも桜は綺麗に咲き出羽山地の残雪に相まって物静かでも綺麗でした。
割り込んで申し訳ない、でも出羽丸岡城跡を5年振りに振り返る事が出来て楽しい事でした。
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2023/01/19 07:07
新上五島町 (2022/12/27 訪問)
2022年最後の旅は長崎県。世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産の1つ、頭ヶ島の集落を目的に新上五島町を訪れました。泊をとって朝駆けで攻めた魚目城は離島の山城としてはなかなかのレベルでした。なんちゃって展望台はご愛敬で、郭や石垣などの遺構がしっかり残っています。中通島に行く機会がありましたら攻城をお薦めしたい城です。2023年3月31日までの国境の島★離島カードキャンペーンで期間限定版の離島カードをたくさんゲットできて満足です。
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2023/01/19 04:42
お城めぐりとソロツーリング (2022/11/09 訪問)
ひと月前にスーパーカブ110で目指したが辿り着けず、今回はGB350で、そのリベンジとなった。
奈良まで往復201kmは、それまでの最高距離だった。街を走ってるとあちこちからお香の香りが漂ってきて、奈良に来たんだなぁと、独特の雰囲気を感じた。
城跡は綺麗に整備されていて、天守台に上がると眺めがとても良い。遠くに若草山や東大寺などが見えた。
お城の作りが竹田城と似ている工法だそうだ。
いつか行ってみたい。
ランチはすぐ横にあるパン屋カフェにて。オススメを聞いたら、エビフライが人気だと。冷えてもサクサクの大きいエビフライが3尾もあり、美味しくて大満足❗️
まだ食べたいからヤマト城に来ようと思うほど。
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2023/01/18 22:59
2023/01/18 21:50
⑩【関ケ原の26人 】(5)島左近 (島左近と杭瀬川) (2022/12/01 訪問)
(5人目)は「島左近」です。
初戦で一矢を報いた「杭瀬川合戦の地」を訪れてきました。
大垣から養老鉄道に乗り北大垣駅で下車、川の土手沿いを10分程歩いた所です。それから、関ケ原の笹尾山にある「島左近陣跡」も訪れてきました。
岐阜城を落とした徳川家康は、1600年9月13日(関ケ原決戦前々日)清州城を出て岐阜城下を迂回し、美濃赤坂(岡山)に陣を張ります。大垣城にいる西軍諸将は、14日夜明けとともに、家康の金の馬印が背後の赤坂に見えた事に動揺します。この動揺を鎮めるべく、島左近は500の兵をもって杭瀬川にいる(東軍)中村一栄隊に一撃、そして逃げるふりをして誘い出した所を明石全登(宇喜多家臣)の鉄砲隊が一斉射撃! 初戦に勝利を収める事で動揺を鎮め、逆に味方を鼓舞する事に成功しました。逆に家康は、ここ大垣で戦をするは不利と判断、その夜に関ケ原へ移動する事を決断します。
「治部少には過ぎたるもの、島左近と佐和山城」
と石田三成は自ら語ったように、家禄の半分を左近に与え、左近を最も頼りとしていました。
私は、杭瀬川合戦の地から、徳川家康が陣を張る「赤坂」の地を眺めてみました(写真①)。この杭瀬川で一矢を報いた時、島左近はどんな気持ちでここから同じように赤坂の地にいる徳川家康の陣を眺めていたのでしょうか? (どうだ! と家康に自慢する気持ちだったのでしょうか? それとも・・・)
そして翌9月15日、島左近は笹尾山の石田三成を守るように三成陣の前に馬防柵を設け、最前線に陣を構えます(写真⑥⑦⑧)。そして、この「島左近」が関ケ原で最大の激闘(死闘)を繰り広げます。
次は(6人目)に続きます。
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2023/01/18 21:18
池田城 (2022/12/24 訪問)
【小坊子城】
<駐車場他>登城口北側<33.945940, 135.130228>道路脇に2台程駐車できる。
<交通手段>車
<見所>堀切・眺望
<感想>初投稿いただきます。Googleマップには池田城とあるのでここは池田城と。現地説明板によると池田城は1522年秋、阿波の三好義長が由良港に上陸しこの城を根拠地として築城し畠山氏の鞍賀多和城を攻め落とした。冬、畠山高国が湯川氏と共にこの城を攻めて三好氏を阿波へ追いやった。とあります。
登城口は<33.946168, 135.130737>のポイントから山に入ります。虎ロープ沿いに尾根上まで登って尾根を上がって行きます。途中に空堀や畝堀等の立て札がありますが自然地形にも見え判然としません。一旦登り切ったら何故が車1台が通れる広い砂利道に出て電柱もあります。どうやら南の池田集落からの山道で途中の分岐普門院方向から車で登って来れるようです。上に出たら城跡の方へは行かず砂利道を200m程下った所に展望所がありますので必見です。城跡の登っていくと広場に着きます。広場から北方向の山道に入り堀切を超えると主郭にたどり着きます。登城口から30分程度かかります。
城跡は楕円形の主郭を中心に東西南北の4方向にそれぞれ伸びる尾根上に曲輪を設けて堀切で仕切っています。南は広場も含めて南出曲輪、東出曲輪は主郭からの段曲輪になっており、北出曲輪は堀切を挟んで2つ大きな削平地があります。途中の尾根から由良湾が見えます。西出曲輪は少し行くと灌木が激しく難渋しそうなのでやめました。
<満足度>◆◆◇
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