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ぴちょまる

松本城 夜桜 (2023/04/01 訪問)

今年は松本城も、染井吉野と枝垂れ桜が満開で、両方を見ることが叶った。

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ぴちょまる

高遠城 (2023/04/01 訪問)

記録的に早かった桜の開花、当初予定より1周間前倒しに変更して高遠へ。
少し早いかとも思ったら丁度満開の時期となった。
染井吉野よりもピンク色で、一般に桜色としてイメージするのは、高遠桜が一番近い気がする。
当日はやはり大変な賑わいとなり、高遠閣と桜雲橋は人が絶えることもなく。それならばと五郎山の白山観音へ挑戦。
条件が良かったので軽装で登れたものの、泥濘んでいたりすると途中危ない場所が何箇所かある。運が良かった。
ライトアップも行っているが、地元の人か近隣に宿泊した人でないと夜間は厳しそう。

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ぴちょまる

杵築城 (2023/02/18 訪問)

河岸段丘からなる町で、段丘崖を上り下りする坂と、古風な町並みが有名な場所。
城があった場所は、段丘崖の絶壁の縁というかなりインパクトのある場所。
坂以外にも、八坂川の堤防沿いを歩くと段丘がよく分かるので楽しい。

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シャンシャン

春の烏城灯源郷2023 (2023/05/04 訪問)

岡山城の春のライトアップイベントを4年ぶりに開催!
隣にある岡山後楽園の「春の幻想庭園」も同時開催。
天守閣は再現だけど、漆黒ボディーに8つの金チャチが映えててかっこいい。
現存する月見櫓も見所。
新しく発売されたばかりの城カードもGETできて大満足(^^)

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ぴちょまる

小倉城 (2023/02/17 訪問)

大分から中津~小倉へ移動。ソニックが便利。
40年ぐらい前に訪れたことがあったのだが、名前の印象と模擬天守だったことから、小さかったように
思っていたが、かなり大きく、至る場所から見ることができる。

天守は、最上段に縁側を巡らせ黒塗りの戸板で覆うことで下階よりも大きく見せたり、白漆喰とのコントラストを描いたり
当時としてもかなりインパクトのある層塔型の天守だったようだ。
現在の模擬天守にある千鳥破風や唐破風は、無いと天守っぽくないということで足してしまったらしい。
今となっては無かった方がインパクトがあったような気がする。

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ぴちょまる

中津城 (2023/02/17 訪問)

姫路城の黒田時代の石垣が野面積みなのに対し、中津は、打込ハギっぽい石垣が黒田時代で、
野面積みの方が後の細川時代のもの。
黒田時代の石垣の形が整っているのは、川上の古代山城「唐原山城」から持ち出したためとのこと。
江戸時代に描かれた「中津城下図」には、天守はなく鉄門付近に三重櫓が描かれているのみだったらしい。
鉄門跡は確かに絵図面通りの形で残っているものの、現在は埋められていた。石の種類、積み方が異なるので
辛うじて見て取れる。

というわけで、現在の天守がある場所は、本来は隅櫓のあった場所で、萩城をモデルにした模擬天守ということらしい。
ハミ出ているようにも見える模擬天守の形が面白い。

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ぴちょまる

明石城 (2022/11/27 訪問)

本当は、築城400周年の時に訪れたかったが、コロナ禍となり断念し、ようやくこの2022年に訪れることができた城。
有名な本丸の巽櫓・坤櫓は良く紹介されているが、実は、その東側に二の丸、北側には北の丸が広がっており、
かなり広い城郭となっている。
特に本丸から二の丸まで続く長い石垣が圧巻。

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JPN-AZE

The festival and parade (2023/05/03 訪問)

2023年5月3日、神奈川県小田原市にて開催された「第59回小田原北條五代祭り」を見ました。その時、小田原城も見ました。湘南新宿ラインで行きました。小田原駅西口にある北条早雲公銅像は、この日のみ、陣羽織などが付くようです。天守閣は、恐らくこの日だけかと思いますが、大混雑でした。他の日なら私も入ったかもしれないですが、祭りの日は入らないです。北條五代のパレードの経路上で、剣舞・火縄銃演武、忍者演武がパレード通過前に数ヶ所で開催だったので、その内の一ヶ所、なりわい交流館近くで見ました。プログラムによれば、今回は、銅門ステージでの出陣式はなかったそうです。パレードは、早雲公に合田雅史氏、氏政公に高嶋政伸氏、氏直公に柳沢慎吾氏が扮しての行列でした。北條五代以外の方々も参加してました。

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JPN-AZE

Under Construction (2023/04/16 訪問)

2023年4月16日、長野県長野市松代町の、松代城へ登城。行ってみると、堀の水がかなり水抜きされていました。そして、太鼓門の前の橋がありませんでした。工事に関する看板があり、見てみると、今年二月から、来年三月半ばまでの期間となってました。あと、去年暮れに、近くの真田邸前に、ここを治めた名君の真田信之公の銅像が、設置されました。その信之公の従兄弟に当たる、真田信正(真田昌幸公兄の、真田昌輝公の嫡子)公が、不定期にはなりますが、おもてなしをしてます。芝生広場にお出ましになるそうです。

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ぴちょまる

姫路城 (2022/11/26 訪問)

漆喰が白いうちに、と前回訪れたのが、2015年。
それから7年経ち、だいぶ落ち着いた感じになってきたな、と思っていたが、ライトアップではやはり真っ白。
とはいえ、このあと、LED照明に変更されたので、案外貴重なタイミングだったのかもしれない。

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ぴちょまる

龍野城 (2022/11/26 訪問)

南北に長いたつの市で、そうめんの揖保乃糸を作っている街でもあり、薄口醤油のヒガシマルもある。
復元ではあるものの埋門の他、本丸御殿、隅櫓が建てられている他、小学校の水練場(プール)も
隅櫓から続く土塀、門となっていたりと洒落っ気のある街。

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ぴちょまる

府内城(大分) (2023/02/16 訪問)

隅櫓はかなりの数が復元されている城で、廊下橋もあって、濠の外を巡るのが楽しい。
また、かなり多くの種類の鳥が集まる場所でもあるようで、野鳥を見に来る方も多いとか。



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にのまる

1泊2日の大阪遠征最後に。 (2023/03/05 訪問)

移動効率優先で、いつも大阪遠征の最後に持ってきていた大阪城。時間がたりなくて、駆け足でまわる・少しだけ見る・行くのをあきらめるということが3回続いていました。
今回も千早城→烏帽子形城をまわったあとの訪問で、閉城(17時)までに許された時間は約2時間。
いつもより長めではありますが、とても2時間で見尽くせる城郭ではないので、心のままに歩きまわるのはやめて、あらかじめ見学ポイントを絞ってコースを決めてまわることにしました。
JR線移動だったので下車したのは森ノ宮駅です。
まずは外すことのできない南外堀越しの一番櫓と六番櫓。長大な石垣と2基の現存櫓は遠目で見てこその美しい景観。5基の仲間を失いながらも堂々としたその立ち姿に感慨も一入です。
続いて大手門と多聞櫓、千貫櫓。枡形内の個性的な石垣たちは眺めているだけで楽しいです。
太鼓櫓跡の近くに石山本願寺跡の説明板が立っていました。正確な位置や伽藍跡は未確認だそうですが、大阪城の歴史を繙くときに欠かせない石山本願寺。この地に拘った信長と秀吉の野望を垣間見た気がしました。
秀吉公・秀頼公・秀長卿をご祭神とする豊国神社は人がいっぱいで、やはりここは徳川ではなく豊臣の大阪城なんだなあと実感しました。
そしていよいよ桜門から本丸へ。枡形の蛸石をカメラに収め天守へと向かいました。荘厳な天守外観はカメラと記憶にしっかりと収めましたが、入館はかなりの行列だったので諦めました。再建天守シリーズの城カードもゲットできずです。
江戸幕府の金庫、金蔵は建設中の豊臣期石垣公開施設に埋もれるようにありました。あまり人目に触れることもないのかなという感じですが、これも今しか見られない光景なのでがっかり感はありません。石垣公開施設の完成後(来秋に再延期されているようです)、このあたりがどのようになるのか楽しみです。
ここから、梅林を見下ろす内堀沿いの馬印櫓跡、月見櫓跡、糒櫓跡を歩きました。大阪城にも“誰もいないエリア”が存在するんだなぁ……。銃眼や刻印石と静かに触れ合うひとときを過ごしました。
山里丸に抜け出て、石垣の機銃掃射痕、隠し曲輪、秀頼と淀殿の自刃の地の碑と忠霊塔、刻印石広場とまわり、極楽橋から京橋口へ向かいました。焼け跡の残る石垣など気になるところもありましたが、もうタイムアップ寸前、西の丸庭園は諦めざるを得ず、焔硝蔵も遠くからちらりと見るにとどまりました。
京橋口から退出後は西外堀から乾櫓の鑑賞を。名残惜しくもありましたが、夕日を浴びて水鏡に映る櫓がとてもきれいで、また来たいなと思いました。(今度は朝イチで!!)

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スミヤキ

山陰の巨大山城に感動する。 (2023/04/07 訪問)

山陰の覇者尼子氏に相応しい巨大な山城です。様々な曲輪群に削平段、土塁、堀切、石垣等多くの城郭遺構がみられる素晴らしいお城です。
月山山頂部の曲輪群を詰の城として、七曲りの急坂を高さ90m程下った中腹部に堅固な防御網を敷いた山中御殿を配置、西北方向に馬蹄状に延びる丘陵部に多数の曲輪が列なる複郭式山城です。
月山富田城は、尼子氏が骨格を築き、その後毛利吉川氏、1600年に堀尾氏が入城、総石垣造りの近世城郭に改修されて、松江城ができるまで、出雲支配の中心でした。1615年の一国一城令で廃城になります。

現在も発掘調査や復元、景観整備作業が施されて、麓の資料館から山頂の本丸までの登城コースも案内板やパンフレットで紹介され、たっぷり満喫できるルートになっていました。久びさに疲れも忘れてワクワク感が止まらない気持ちで歩きました。距離にして往復 3.4km、1時間から1時間半くらいの所要時間になります。

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カズサン

伊那路城散歩の行き掛け駄賃 (2023/05/02 訪問)

 今年の連休前々から行きたかった上越市の城跡、天候、気温の予想を見ながらホテル予約、日程の調整と思案しながら中々条件が付かず諦め連休に入り、日帰りで伊那路の城廻を急遽計画しました。
 三年来武漢コロナ禍で行き来出来なかった遠江と信濃の国境新野峠越え国道151号線を使った信濃伊那路へ、行き掛けの駄賃と平成28年来の再登城でした。
 以前に比べて国道151号線前に新しき標識出来て幟旗も多く立っており入口が分かり易くなっています、狭いですが集落の道をそれなりに約200m程坂道を進むと駐車場に着く、遊歩道が付きよく整備されて登りやすい、が小さく熊注意の標識有り、鈴を鳴らしていざ登城。

 駐車場に案内板が三枚、縄張り図、俯瞰図がよく設楽城の構造遺構を表してる、登って大手口、手前に二の丸と次の曲輪間の大堀切左右竪堀につながる、大手口を入ると二の丸と本丸が在りその高低差は1m程、二の丸の南端の三日月形の土塁、本丸間にも東側に土塁が残って居る、本丸北側にも土塁跡、崖で大千瀬川に落ち込んでいる、二の丸には休憩所なる建物、二の丸の南には大堀切を挟んで次の曲輪の様な平場がある、踏み込んで居なくその先の様子は良く分かりません。いろいろ城跡の構造残っております。
 自宅から約50km程で国道151号線経由と中々行きにくい城跡ですが伊那路への行き来には途中下車が楽しい城です。
 

 

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ヒロケン

【かるた】金沢城の読み札 (2023/05/05 訪問)

「金沢城 石垣巡って 一万歩」

金沢城の石垣巡り コースは城内ルート①~⑩箇所1.5km 城内外連絡ルート①箇所0.4km 城外周ルート①~③箇所2.1km遠回りしながら巡ってきました(*^▽^*)
ただし、城内ルートの⑧三十間長屋の石垣は、瓦の葺き替え工事のため立ち入りが出来ず(2024年4月まで)今回は撮れませんでした(>_<)

画像は後程投稿させていただきます。

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美夢

【かるた】丸亀城の読み札

一二三では 足りぬ石垣 丸亀城

丸亀城 日本一の 石の城

亀山を 石で囲んだ 丸亀城


杖装備 覚悟し登る 丸亀城




一句目〜三句目
丸亀城と言えば高石垣
どのように表現したら魅力が伝わるかなと
楽しく悩みながら、詠んでみました


四句目
平山城とはいえ、流石の高石垣
山城同様に杖を持って、よいしょこらしょと登城致しました

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まにまに

石垣が見処 (2023/05/02 訪問)

念願の安土城へ行ってきました‼️

大手道を麓から見上げるだけで、滾る滾る。今でもそうなんだから、当時はもっと凄かったんだろうなぁ。

武将の屋敷跡もじっくり。石垣の野面積みに間詰め石が丁寧に嵌め込まれていて、さらに栗石もしっかりと仕込まれていて、どれだけ見ていても飽きなーい。
どうしても大手道の石段にに注目しがちだけど、屋敷地の石垣も見てほしいっ。

上に登るにつれて石段や石垣の石が大きくなっていく。これをここまで上げたことが凄い。当然人力で持ち上げてるんだから、どれだけの人が携わったのと思うと信長様の最盛期の力は本当に天下人に等しいぐらいなんだな。
特に本丸を囲む石垣の巧みさは素晴らしかった。当時はこんなに樹がなかっただろうから、下から見上げた時の要塞感で攻める意欲を削ぐ意味もあったのかな。

汗だくになってぐるっと巡り、麓で食べたマンゴージェラートが美味しかった!!!!

安土駅から時間貸しのレンタサイクルで行ったんだけど、思ったより見学に時間がかかってしまって延滞料金を払う羽目に(⁠ ⁠;⁠∀⁠;⁠)
お店の人が勧めるより長めにしたけど、それでも足りなかったーーー。
城好きなら最初からかなり長めの時間で借りる事をおすすめします(苦笑)

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ぴーかる

飯久保城 (2023/04/01 訪問)

【飯久保城】
<駐車場他>①城飯久保公民館 ②竹ドーム入口横の空き地<36.805205, 136.958580> ③高速道路高架下<36.805470, 136.952191>
<交通手段>車

<見所>堀切・尾根曲輪・枡形虎口
<感想>1泊2日北陸山城攻めの旅4城目。飯久保城は加賀の在地領主であった狩野氏によるもので、加賀の一向一揆から落ち延びてこの越中国氷見に定住した1488年以降に築城したと思われます。氷見の南部を支配して詰城の鞍骨山城(城びと未登録)・惣領砦(城びと登録城)を築いて拠点としていました。狩野氏は守護代の神保氏に仕えていたようで、その後は佐々成政に仕え秀吉が越中国に攻め込んでいた時に落城しその後廃城となったようです。
 登城された投稿が無いのでここは拙文ながら頑張って詳細に。登城口は飯久保八幡宮横からと東方向の上記の竹ドーム(公会堂)からの2か所あります。私は八幡宮から登城し、尾根を通って竹ドームに出ました。八幡宮の鳥居から進み、右手の階段を登ると八幡宮、直進の山に入ると登城道となります。比高が60m程しかないので少し登ると土塁が見えてきて大手の枡形虎口があります。虎口から先が鬱蒼としてきて、湧き水地がありますが笹薮化しています。湧き水地のある谷のような小さい曲輪のような鬱蒼とした斜め地の上の段がもう主郭になります。主郭は15×30m程の小さな曲輪で東と南に高土塁があります。土塁の北東端が櫓台になっています。主郭内部と周辺も鬱蒼としてあまり整備されていません。城びとのポイントが主郭の南側に置かれていたので、主郭の南側が気になりましたがここも行ける状態ではありませんでした。主郭の東側土塁の東側が深い堀切になっており、堀切先に曲輪があります。ほぼ笹で埋まって踏み跡道しかないですがやや広めな曲輪と思います。そこから尾根曲輪と薄くなっているが連続堀切が続いて鉄塔の建てられている削平地の手前に明瞭な堀切がありますのでここまでが城跡かと思いました。現地説明板にも東西400mとありましたので合致するかと。その堀切を北に下っていくと地元の集会で使われるような竹組の屋外公会堂があり麓に出ます。
 鬱蒼としていたので明瞭さには欠けているが、この城が狩野氏の本城とする意見もあるようだが、主郭をはじめ広い曲輪が見受けられなかったので私の意見はこの城は砦レベルの規模で惣領砦も1㎞程しか離れていないことから東方向を守る惣領砦と連携した砦と感じました。

<満足度>◆◆◇

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シェル

かなり頑強な館 (2023/04/29 訪問)

杉山城跡から武蔵嵐山駅を経由して、徒歩で約1時間。
搦手門跡→三ノ郭→嵐山史跡の博物館→畠山重忠像→二ノ郭→出枡形土塁→本郭の順で見学。
嵐山史跡の博物館の入口でスタンプを押印。
土塁と空堀は規模が大きく、かなり頑強です。
また一部の堀は、水堀や泥田状の堀も見受けられました。
畠山重忠の館があったとされていますが、遺構は戦国期のもののようです。
大河ドラマの影響なのか、訪問時は、観光客がかなり多かったです。

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