福岡市博物館で黒田家の名宝展を見た後、今度はその足で福岡城を訪れてきました。
実は最近また話題になっている事があり気になったので。
以前私は、小倉藩主の細川忠興が息子の忠利に宛てた手紙に、「長政公はせっかく建てた(福岡城の)天守を壊してしまった」と書いてあった文章が見つかり、福岡城には天守があったのでは?と論争を呼んだ事をお伝えしました。
正保の絵図には大中小の天守台は描かれていますが天守は描かれておらず、中小天守台には矢蔵跡の記述があり、大天守台には何も記述はありません。よって壊されたのは、おそらく中小天守(矢蔵)の事で、大天守は最初から建てられていないのではないかといった見方が大方の歴史家の意見でした。最近福岡では、そのありもしなかった大天守を再建させ観光の目玉にしようといった経済界のシンポジウムがあり、また新たな話題を呼んでいます。
過去にもそういったあいまいな中で建てられた模擬天守はいくつかあります。例えば九州では、取り壊した名護屋城の部材を使ったという記述だけで名護屋城の絵図に似た正保の絵図には無かったはずの天守が建てられた「唐津城」、同じく正保の絵図にもなかったのに奥平氏の子孫の呼びかけでなぜか萩城の写真に似せて建てられた「中津城」、幕末まで忠興の層塔型の天守が建っていたはずなのに地元商店街の要望で望楼型に変えて再建されてしまった「小倉城」、などなど。 しかしそれらはいずれも昭和の時代の話であり、平成以降では木造で忠実に再建されるのが主流で、そのためにはどのような天守だったかを示す明確な資料が必要です。しかし福岡城の場合はそれにも乏しく、これでは文化庁の基準にも合致していないので個人的には無理なような気がしますが・・・
数少ない資料から、想像をふくらませて議論し、夢を見るのはもちろんいい事だと思います。それは城マニアの楽しみでもあります。しかし経済利益のために、なかったものをあたかもあったように作り、歴史をゆがめようとするのはあまり賛成できません。歴史はやはり正しく後世に伝えていくべきではないかなと、私はこの名宝展で400年前の本物の正しい歴史の資料を見た後にこの話題を聞き、ついそう思ってしまいました。勝手な意見ですいませんでした。(長政公はどうお考えであろうか?・・・🤔)
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