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しんちゃん

幕末の英雄 勝海舟ゆかりの台場 (2033/05/07 訪問)

神奈川台場は江戸末期に勝海舟が設計して伊予松山藩が建造した台場です。
日本でも数少ない蝙蝠が羽根を広げたような形状をしていたようで
コウモリ台場とも呼ばれていたようです。
そのコウモリ部分は現在道路と高架になっており
一部 石垣が現存しており国の史跡に認定されています。

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赤い城

冬が良かったかも (2023/05/28 訪問)

果樹園の中に城跡があります。
南東側の虎口に説明板と石碑が立っていました。
駐車スペースも有りです。
単郭で周囲を土塁が囲み、その外側には空堀が巡っています。
ただやはりこの時季、下草の勢いは半端無く歩くのは断念しました。
堀底道歩き隊としては冬季に再訪したい城かな、と思いました。

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小牧長久手の戦い(小牧) (2023/06/01 訪問)

 小牧長久手の戦いというと長久手の戦いの方が規模も大きく激戦であったため有名ですが、今回は小牧周辺の古戦場を散策しました。
八幡林の戦いは小牧山を狙った森長可の軍勢を酒井忠次、榊原康政、奥平信昌、松平家忠らの軍勢が打ち破った戦いです。名鉄羽黒駅から徒歩約5分の成海神社近くに案内板が立っています。
姥ヶ懐古戦場は小牧山城から徒歩10分くらいの場所に石碑が立っています。ただ石碑の文字は読むことが困難になってきていました。徳川軍と羽柴軍と小競り合いがあったとネットにありました。小競り合いでも石碑があるのはおもしろいですね。

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小牧山歴史館リニューアルオープン (2023/06/01 訪問)

 小牧山城の小牧山歴史館(模擬天守)がリニューアル(2023年4月1日オープン)となり久しぶりに行って来ました。この天守閣は西本願寺の飛雲閣を模して建てられていますので、他の天守閣とは少し趣が違いますね。内部展示も以前は小牧市の歴史民俗資料を展示していましたが、戦国時代の小牧山を中心とした展示に全面改装されていました。また主郭周辺の石垣が復元整備されていました。大手道は安土城を彷彿させる一直線の道で以前より好きな遺構です。模擬天守からは濃尾平野がよく見えます。曇っていたので見にくかったのですが、金華山(岐阜城)も見ることができます。
石垣は織田信長が築いたと推定されています。自分としては織田信長の城のイメージが強いのですが、「徳川家康本陣の地」と書かれたのぼりが多く立っていました。大河ドラマ「どうする家康」の影響ですね。
 名鉄小牧駅から徒歩15~20分くらいで登城口まで行けますが、WESTさんも利用されていたこまき巡回バス「こまくる」を利用しても行くことができます。10分くらいで「小牧山前」もしくは「小牧市役所」で下車すると大手口が近くにあります。

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トク

㊶【関ケ原の26人】(18)大谷吉継 (大谷吉継と敦賀城) (2022/11/30 訪問)

(18人目)は「大谷吉継」です。
関ケ原当時の居城「敦賀城」を訪れてきました。

敦賀城は、秀吉の家臣だった蜂谷頼隆が三重の天守を築いたのが始まりで、その後に入った大谷吉継が水城に大改修しました。

敦賀駅からバスに乗り10分、市立病院前で下車するとこの辺一帯が城跡です。確かに海に近いです場所です。ちょっと歩くと海が見え、湾の向かい側には突き出た金ヶ崎城があり、当時はなかった金ヶ崎城の前には埋立地があって、苫小牧行きのフェリー乗り場になっていました。川もあるので水運にはかなり恵まれた場所だったようです。

そういえば(まだここに敦賀城がない頃)、金ケ崎の退き口で、ここは金ケ崎城から国吉城へ通じる道なので、家康はこの道を命かながら必死で逃げて行ったのではないだろうか?・・・とバスの中からふと想像してしまいました。

敦賀西小学校の校門には、ここに城があった事を示す石碑がありました。石碑にはかつてあったとされる三重の天守の絵も刻まれていました(写真①②)。そこから少し歩いた真願寺は、敦賀城の北西隅とされ、城の礎石が残っています(写真③④)。また八幡神社には吉継が寄進したとされる石灯篭・石鳥居・龍の木彫も残っており、吉継の肖像画も奉納されていました(写真⑤⑥⑦⑧)。川を渡った所にある来迎寺の山門は、かつての敦賀城の中門が移築されたと伝わっています(写真⑨⑩)。

吉継は会津征伐に加わるため北陸諸将を束ね、ここ敦賀城から出陣、家康のいる伏見城へと向かいます。しかしその途中で佐和山城に立ち寄ると、三成から家康を討つ計画を打ち明けられました。血気にはやる三成に対し、「無謀である、三成に勝機なし」と説得します。平塚為広と相談し共に再度説得するも、最後にはその熱意に打たれ、会津行きを取止め三成に加担する事を決意しました。そして他西軍諸将とともに伏見城攻めに加わり、鳥居元忠と戦います。

私は八幡神社の肖像画の前に立ち考えてみました。吉継はなぜ三成と共に家康を攻める事を決意したのでしょうか? 秀吉に小姓の時代から共に仕え気心の知れた仲、文禄慶長の役では同じ文治派として苦労を共にした親友。しかし吉継の容態はこの時かなり悪化してきていました。よって吉継は、懇意であった家康より、三成との友情に自分の残り少ない命を賭けたのではないでしょうか?・・・

次は関ケ原(大谷吉継 陣跡)に続きます。
 

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イオ

ハイキングコースの道中 (2023/02/11 訪問)

飯盛山から南西にのびる支尾根上の八幡山に位置し、西麓に迫る深野池との間を走る東高野街道を抑える交通の要衝で、南北朝期には四条畷の戦いで北朝方の陣が置かれていますが、野崎城は室町中期に河内国守護・畠山氏の内紛に際して築かれたものと考えられ、その後、飯盛城の支城として機能し、飯盛城の廃城に伴って廃されたようです。

慈眼寺(野崎観音)の駐車場に車を駐めて登城開始。まず本堂にお参りして、左手奥の鐘楼の脇を抜けるとハイキングコースに入ります。登り始めてすぐに石造九重層塔の建つ郭があり、このあたりからが城域のようです。そこから階段状に曲輪群が設けられていますが、ハイキングコースや休憩所、展望所などにより改変を受けていると考えられ、旧状はよくわかりません。

西端の郭から15分ほどで本郭に到着。本郭には城址碑と説明板が建てられ、西方向の眺望が開けています。本郭から南東に下りて行くと飯盛城へと続く尾根筋が堀切で断ち切られていました。堀切から岩盤の切通道を抜けて南西に下りた先につり橋があり、その南西下には郭が広がっている…はずですが、藪に沈んでいてよくわかりませんでした。

…ということで、明瞭な遺構は堀切くらいのものですが、飯盛城へのハイキングコースの道中にありますので、ついでに訪れる価値はあるかと。

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todo94

2012年3月11日以来の再訪 (2023/04/29 訪問)

前夜に家を出、SAで仮眠をとりつつ、和歌山へと向かいました。紀ノ川SAにて朝食をとってからの朝駆けです。前回訪れたのは東日本大震災からちょうど一年たった2012年3月11日。城攻めの後、帰路に就く車中で14:46のサイレンを聞きました。今回はゴールデンウイーク前半の4月下旬で樹木の葉が茂ってしまっていました。この城のように美しい土の城は冬枯れの季節に訪れるのがベストだと思います。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:小室城 (2023/04/27 訪問)

虎御前山城からの転戦です。日吉神社付近の空スペース(35.458182、136.306867)に駐車しました。
田根小学校の南側の県道265号を東に進むと、説明板前(35.456991、136.306970)に着きます。そこを左折すると日吉神社付近の空スペースに着きます。

現地説明板によると、小室城は、1647年(正保4年)に、千利休・古田織部とともに三大茶人として、また、江戸幕府の作事奉行をつとめた小堀政一(遠州)の遺領を継いだ政之によって1648年(慶安元年)に築かれた居館だそうです。
以後、政垣・政房・政方と継いだが、政方の代に伏見奉行在職中の苛政を理由として、1788年(天明8年)に改易されたそうです。
小堀家の居館や家臣の住居などは、1789年(寛政元年)に大津代官所によって競売され、城は廃されたそうです。
そして、同年には跡地の荒地を開墾して畑とするように命ぜられました。

現在、遺構はなく杉林になっており、 石碑があるだけです。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=三田村城に向かいます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:虎御前山城 (2023/04/27 訪問)

下坂氏館からの転戦です。展望台先の駐車場(35.434899、136.260343)に駐車しました。

虎御前山城は織田信長が浅井長政の居城である小谷城を攻略するための前線基地として築いた付城です。
1570年(元亀元年)6月の「姉川の合戦」で織田・徳川連合軍に敗れた長政は小谷城に籠城したため、 信長は最初、横山城を前線基地にしましたが、1572年(元亀3年)7月に小谷城からわずか500mに位置する虎御前山に築城しました。
翌年の小谷城総攻撃で浅井氏が滅亡したことにともない廃城となりました。

現在城址はハイキングコースとなっていますが、土塁、堀切や曲輪跡などの遺構が残されており、山の最高所にある「伝織田信長陣」をはじめ、木ノ下秀吉・滝川一益・柴田勝家など家臣のものと伝わる陣跡が残っています。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=小室城に向かいます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:下坂氏館 (2023/04/27 訪問)

太尾山城からの転戦です。下坂氏館駐車場(35.365690、136.284654)に駐車しました。

説明板によると、下坂氏は南北朝時代から湖北地方で活躍した国人領主で、戦国時代には京極・浅井両氏に仕えていたそうです。
浅井氏滅亡後は帰農したが、江戸時代になると郷士として彦根藩と関わりを持ち、現在も子孫が館跡に居住し、管理されているそうです。

本日は平日&早朝なので、閉まっていて中に入れませんでした。
フェンス越しから堀と土塁を確認しました。
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=虎御前山城に向かいます。

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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)10日目:太尾山城 (2023/04/27 訪問)

前日の熱も薬と休養で微熱程度まで下がってきました。残り2日間なので無理せず遠征を続けます。
朝早く起きて、宿泊先の東横INNホテルの朝食前に徒歩で太尾山城を攻城しました。
攻城は湯谷神社(35.312836、136.295478)の右側から登り南城➡北城➡盗人岩➡青岸寺に下りるルートで攻城しました。

湯谷神社右より登り、左に大きく曲がって上り詰めると尾根に北城と南城の間の堀切があります。
南へ登るとすぐ南城があるようですが、ぼーとしていて確認せず北城に向かってしまいました。
北の尾根を伝って北に進むと、ここにも堀切があり、腰郭、虎口を経て北城主郭に着きます。

案内板によりますと、北条高時の時代(1316年)京極髙氏の支城となり、その後京極氏と六角氏の勢力争いが繰り返された境目の城だったようです。
1561年(永禄4年)6月、浅井長政が六角氏方の吉田安芸守の守る太尾山城を攻めたが、失敗し引き返したそうです。
1572年(元亀3年)1月、織田信長の兵2万が佐和山城を攻め、次いで朝妻城、太尾城を攻撃し太尾城はついに灰燼に帰したと記されていました。

南城を見逃したのは残念ですが、北城にも堀切や土塁が残っており、堀切好きの自分としては満足しました。
攻城時間は55分くらいでした。次の攻城先=下坂氏館攻城の為、一旦ホテルに帰り朝食を取ります。

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ぎりょう

現代によみがえった為信最後の居城 (2023/05/20 訪問)

歴史好きの仲間との東北周遊の旅、その五回目は青森県。城館探訪の一ヵ所目は弘前市の堀越城とした。ここは弘前藩の初代藩主津軽為信の最後の居城という。昭和60年に国指定史跡となり、弘前市が平成10年から同25年にかけて発掘調査を行い、平成24年から令和元年まで整備工事を実施、令和2年4月から全面公開が始まった。
かつての堀越城跡は小ぶりな本丸だけのイメージだったが、今回の訪問では発掘調査後の復元整備のすごさに驚かされた。この城は津軽平野南部に築かれた平城であり堀と土塁が主要な防御施設なのだが、国指定以後に城域を公有地化して、埋まった堀跡を掘削し、低くなっていた土塁も本来の高さに復元している。二代藩主信牧によって高岡城(後の弘前城)が築かれる前の為信時代の津軽氏本拠地の有様を目にすることができるようになった。また北の曲輪跡に移設された旧石戸谷家住宅が堀越城ガイダンス施設となっており、復元模型や映像で判りやすく紹介している。現代によみがえった「土の城」を多くの方々に御覧になっていただきたいと感じた。
東北自動車道大鰐弘前ICから3.7km、6分。

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しんちゃん

東播磨を統べる堅固な城郭 (2023/05/28 訪問)

羽柴秀吉による三木の干殺しで有名な別所長治の居城です。
支城である新城、鷹尾山城、宮ノ上要害や別所夫妻の首塚のある霊龍寺なども含めると
かなりの城域を有する巨城であり、織田軍といえども容易には落とせないであろうと思いました。
主郭は公園や神社、二の丸は博物館、新城は宅地化しており、かつての面影は薄いですが
鷹尾山城には土塁や堀が残されておりますので、ぜひとも訪問していただきたいところです。

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にのまる

【かるた】武田氏館の読み札

・60余年 強かに在り 武田氏館



訪問した92城、全部投稿できたと思います。
不出来なのもたくさんありますが楽しかったです。
最後は絵札ありませんが、過去の投稿にupしてありますので!

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にのまる

【かるた】根城の読み札

湧き出ずる 歴史の舞台 根城跡

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美夢

【かるた】首里城の読み札

大パノラマ 東(あがり)のあざな 首里城跡

甦れ 琉球王國 首里城跡

赤い城 首里城公園 またやーさい

すいむいに 復活誓う 首里城正殿

首里城へ 期待高まる 御開門(うけーじょー)

首里城を 優しく護る 大龍柱

首里城の 龍樋見ていた 500年 

 
読み札のみの投稿です
締め切り前の最後の投稿は、No.100の首里城にしました
火事の前に訪問した思い入れもあり
沢山作ってしまいました

楽しかった読み札作りも今日で最後
後から編集で入れたものもあるので
結構作りました
とっても楽しかったです
ありがとうございました
(⁠^⁠∇⁠^⁠)⁠ノ⁠♪

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しんちゃん

ただの兵を置くための陣所にあらず。 (2023/05/28 訪問)

山腹に多数の段状の平坦地群を有する三木城攻めの中心となる羽柴秀吉の陣所です。
土塁はそれほど多くは無く 多数の兵を留め置くための陣城に見えがちですが
意外と守りが固く 別所勢の襲撃を退けており、その際に別所長治の弟 治定が戦死しています。
近くには竹下半兵衛の墓所もあるので合わせて訪問していただきたいです。
最高所まで道が続いてはおりますが途中から直登しなくてはいけません。
大した距離ではないので訪問は自己責任でお願いします。

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にのまる

【かるた】飫肥城の読み札

飫肥名物 飫肥天 飫肥杉 飫肥城址

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にのまる

【かるた】岡城の読み札

大パノラマ 巡る石垣 岡城址

かまぼこ石 大手へいざなう 岡城址

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にのまる

【かるた】大分府内城の読み札

廊下橋 殿様気分 大分府内城

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