さいくしょじょう

細工所城

兵庫県丹波篠山市

別名 : 細工所館、荒木城、井串城
旧国名 : 丹波

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駐車場
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駐車場ができました (2023/01/22 訪問)

2022年2月のぴーかるさん登城、同年3月のイオさん登城後も整備が進んでいるようで、公民館駐車場と兼用の登城者用駐車場が作られてました。積雪はなかったですが、氷点下で駐車場全体に霜柱が。
頁岩の山体は、頂上付近が切り立っており、城びと先達レポートのとおり、ロープや鎖が設けられています。「あと何分」と書かれた表示が頻繁にあり、最初、鬱陶しさがありましたが、急勾配の頂上近くではコメントにほっこり。
下草刈りは万全のうえに、眺望確保のための木の伐採も大規模になされてます。西側の八上城、東側の籾井城がよく見えました。城びと先達のレポートのおかげで見処をしっかりおさえられました。

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イオ

荒木氏綱の城 (2020/03/01 訪問)

戦国中期に波多野氏家臣の荒木氏が築城。八上城の支城として多紀郡東部の守りを担いました。明智光秀の丹波攻めの際には城主・荒木氏綱のもと、激戦が繰り広げられましたが、水の手を切られて落城したようです。

山頂部に主郭とその周囲の曲輪群、そこから北西、南東、南西に伸びる尾根に曲輪群を配した連郭式山城で、主郭群には切岸、竪土塁、虎口、竪堀が見られ、北西尾根、南東尾根との間は堀切で遮断しています。主郭群の東下には畝状竪堀群があるようですが、藪化していてよくわかりませんでした。北西尾根は、土橋状のやせ尾根の先に小さな曲輪群が連なっており、北西端の曲輪には土塁や竪堀が残っています。南東尾根も堀切の先に小さな曲輪群が連なり、南端には土塁や竪堀が見られます。南西尾根は登城口から続くルートで、遺構はよくわかりませんでしたが、ところどころにトラロープが張られた急峻な斜面で、ここを攻め上るのは大変だろうな、と。

…と、この日は金山城、八上城、細工所城とそれぞれ主郭まで30~40分を要する山登り続きに加えて、各城ともに隅々まで歩き回ったため、ここで体力と気力が限界を迎え、この後行く予定だった籾井城はあきらめて帰途につきました。でも、ハードではありましたが、丹波の山城は実に見応えがありました。
 

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ぴーかる

荒木氏綱 (2020/02/11 訪問)

【細工所城】
<駐車場他>駐車場はなし。ハートピアセンター・JA丹波ささやま多紀支店に駐車
<交通手段>車

<見所>曲輪・堀切
<感想>日帰り光秀丹波攻城の旅2城目。日帰り光秀の攻め城の旅2城目。この城も光秀が丹波攻略の時、波多野氏の旗下で荒木氏綱という武将の本城です。光秀攻撃の際には何度も撃退するほどの剛勇ぶりだったそうです。

登城口に現在はのぼりがあるのですぐ分かると思います。少し登ると祠があり、その先に大堀切があります。ここら一帯の麓近くも長い曲輪があったようです。山の中腹程に広い曲輪がひとつあります。山頂から残り3分の1くらいから、ロープづたいのまあまあな上り道になります。
城跡は主郭を中心に三方に伸びる曲輪群があります。南西方向はおそらくⅡ郭Ⅲ郭ですぐ下段にある。東南方向は連郭になっており途中から切岸がきつくて行けませんでした。北方向は主郭から10㍍程の切岸の下に曲輪があったが、添付写真のように雪が積っていて、降りれるが登れなくなる心配があったので行かなかった。
主郭周辺は綺麗に木が伐採されていました。また曲輪の段差が明瞭になっていたので見易かったです。南西方向から八上城が見えました。

<満足度>◆◆◇

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城郭情報

分類・構造 連郭式山城
築城主 荒木氏香
築城年 天文年間(1532〜1555)
主な城主 荒木氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、井戸跡
再建造物 碑、説明板
住所 兵庫県丹波篠山市細工所字北カイチ