黒田城から車で20分くらいで、案内板(35.084571、135.047607)を経由して、長慶院付近(35.086195、135.047298)に着きました。
久下氏は清和源氏の祖源満仲の弟・武末の孫である基直が武蔵国大里郡久下郷(埼玉県熊谷市久下)を本領としていました。
1180年(治承4年)頼朝が旗揚げをした時、大庭景親に属していた久下直光・重光父子は、頼朝のもとに馳せ参じます。
重光の代に源平の争乱で先行をあげ、1221年(承久3年)承久の乱の後に、恩賞として丹波粟作郷の地頭職に任じられ重光の孫・直高がこの地に移り住みました。
室町時代は丹波守護代をつとめた久下氏でしたが、1493年(明応2年)細川政元による「明応の政変」をきっかけに勢力を失います。
戦国末期には黒井城の赤井氏に従属しており、1579年(天正7年)の明智光秀を中心とした丹波攻略によって落城しました。
長慶院が改装工事中でした。長慶院は久下氏の菩提寺です。
長慶院裏の墓地で直登ルートを捜しましたが、自分には無理と判断して撤退しました。
攻城時間は20分くらいでした。次の攻城先=豊地城へ車で向かいました。
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