織田方の伊勢侵攻、賤ヶ岳の戦い、小牧長久手の戦いといった重要局面で必ず攻め落とされるという苛烈な運命を辿ったお城。切岸は圧巻で伝・天守台から見下ろすと何で落とされるのかが不思議。もう少し整備が進めばなお良いと思う。
+ 続きを読む
✕
人が「いいね」しています。
2026/01/06 21:55
2023/07/09 12:56
山城の雰囲気を強く持っている平山城。売りは枡形虎口と天守台の高土塁。 (2023/06/25 訪問)
峯城は関盛忠の五男・峯政実によって築かれたと伝わります。
信長亡き後、織田氏の勢力争いに巻き込まれたびたび戦火にさらされますが
羽柴秀吉は数日でこの堅城を落としています。
信長存命のときは兵糧攻めやら水攻めばかりやっていたのに実は結構
力攻めも得意なのですね。なかなか小憎い御仁です。
峰城は比高も40m程度で平山城に分類されています。
主郭にはおそらく当主の館があったと推測されます。
よく山城と平山城の違いを高さで区別しようという風潮がありますが
私はそんな単純なものではないと思います。
平山城にはやはりある程度の居住性が必要なのではと考えます。
用途(詰めの城など)や地形、居住性や城の構造など比高が50m程度でも山城と呼んで
差し支えない城はけっこうあります。
小牧山城のように平山城とよばれながら山城の機構を持っている城もあります。
麓に居館がありますからね。平山城と山城の間に明確な区分は無く、その中間に
当たる城も多いので、実際に自分の眼で見て判断するしかないというのが私の持論です。
話はそれましたが峯城は平山城でありながら山城の雰囲気を非常に強く持っている城です。
北の入り口からはいり、かんざし井戸を見てから枡形虎口を抜け南に向かいます。
途中、いくつか郭がありますが日当たりの良い場所は草ぼうぼうで
見学には適しません。主郭の北の郭と西の郭は土塁も残っているので見ておいたほうが良いと
思います。さらに南下していくと主郭の北と西側を守る土塁が見えてきますがかなりの高さです。
この高い土塁の上に櫓台と天守台が配置されている珍しい構造です。
南側から回り込めば虎口をぬけ主郭から土塁を伝って天守台までたどり着けますが
私は天守台に直登しました。登ってから主郭へ降りていきますが
主郭はかなり広いです。ただ東側の防備が手薄なのが気になります。
ここにも土塁が欲しいところですね。
+ 続きを読む
♥ いいね
11人が「いいね」しています。
2023/01/23 20:36
峯城 (2022/12/30 訪問)
【峯城】
<駐車場他>峯城北登城口からスロープを上がった所に駐車出来ます。私は柴崎公民館に駐車しました。
<交通手段>車
<見所>曲輪・土塁・伝天守台跡
<感想>峯城の築城は正平年間(1346 - 1370年)に関盛政の5男関政実が峯氏を名乗り築いたといわれます。峯氏は以降6代続きましたが1574年、当主の峯盛祐が長島一向一揆で討死(関氏はこの時信長に従っていた。支族の峯氏も同様と思われる)すると後継者が幼小であったため、信長家臣の岡本良勝が峯城主となりました。1583年、柴田勝家に味方した滝川一益、その甥の滝川益重(一説にあの前田利益とされる人物)が攻めて落城しましたが、秀吉の包囲軍に兵糧攻めにされ奪い返され織田信雄の領地となります。小牧長久手合戦の前哨戦で再び秀吉軍に攻められて落城し1590年、岡本良勝の亀山城移封により廃城となったようです。
北の登城口から墓地を通り入城しました。墓地辺りが北東の虎口的な感じになっています。墓地脇にかんざし井戸、墓地奥からが仕切り土塁があり曲輪になっています。送電線の鉄塔や綺麗に杉が植林された曲輪跡を過ぎると虎口があり通路側に高土塁のある段曲輪があります。屋敷跡といった感があります。次に伝天守台の西側下段の広い曲輪に出ます。曲輪南側虎口付近には仕切り土塁があり、段が石積みであったような石が多く落ちています。帯曲輪南東側の登城道?と合流して南側から主郭に入ります。主郭虎口も石積みであったようで石が多く落ちています。左手の土塁上スロープを登っていくと伝天守台に着き、ここも石積みであったようです。主郭は広い楕円状で土塁と曲輪の間に深い堀がある珍しい防御遺構があります。伝天守台のある土塁と主郭は空堀で仕切り、西側下段の曲輪と一体としていた形状だったろうと思われます。
平山城表記となっていますが、北からの台地の南端に位置して周囲からは比高もあり、縄張りも山城の様相があります。しかし臨時制の詰城ではなく居住感を残した見ごたえある城跡でした。
<満足度>◆◆◇
+ 続きを読む
♥ いいね
20人が「いいね」しています。
2022/10/06 17:18
佐久間正勝 (2022/10/06 訪問)
北登城口より登城して南の森側出入口から帰ってきました。入口に未調査、未整備の遺跡であり気を付けて通るようにと注意喚起されています。北側入口を進むと、すぐに「かんざし井戸」があります。土塁、空堀、切岸など遺構が見られますが、確かに未整備なでもったいと思いました。しかも順路を進んでも、気が付くとズボンには「ひっつき虫」が多く付いていました(笑)。天守台と伝えられる付近には案内板にあるように石積みの痕跡がありました。
+ 続きを読む
♥ いいね
16人が「いいね」しています。
| 分類・構造 | 平山城 |
|---|---|
| 築城主 | 峯政実 |
| 築城年 | 正平年間(1346〜1370) |
| 主な城主 | 峯氏、岡本氏、滝川益重、佐久間正勝 |
| 廃城年 | 天正18年(1590) |
| 遺構 | 曲輪、天守台、櫓台、土塁、横堀(空堀) |
| 指定文化財 | 県史跡(峯城跡) |
| 再建造物 | 碑、説明板 |
| 住所 | 三重県亀山市川崎町森4155 |
| 問い合わせ先 | 三重県教育委員会事務局社会教育・文化財保護室 |
| 問い合わせ先電話番号 | 059-224-2999 |