みねじょう

峯城

三重県亀山市


旧国名 : 伊勢

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古城遠景
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イオ

古城(三重県亀山市川崎町) (2026/02/15 訪問)

古城(ふるしろ・城びと未登録)は、八島川東岸の河岸段丘上に位置し、築城時期等は不明ながら対岸の峯城の古城または峯氏の居館と考えられるようです。現在みられる遺構は、賤ヶ岳の戦い・小牧長久手の戦いにおいて羽柴軍が峯城を攻めた際に改修されたものとみられますが、羽柴軍の陣城とも峯城の支城ともいわれ、詳細は不明です。

峯城から徒歩で登城しました。柴崎公民館を過ぎて進むと八島川の向こうに古城が見えてきます。橋を渡り坂道を上ったところに古城跡の説明板が立てられていました。説明板の縄張図を参考に、坂道を少し戻ったところの登城口(土塁の切れ目)から城内へ。登城口から北に東辺の土塁が続いています。竹と倒竹をかいくぐって進むと竹藪の中に土塁と横堀が複雑にめぐらされています。北辺の土塁で西に折れると三重の横堀と土塁が! 土塁上を歩いたり堀に下りたりしばし土の城を堪能した後、主郭へ。主郭の外周は分厚い土塁で囲まれ、東辺の虎口南脇の土塁は櫓台状になっています。北西辺の開口部から西側に出ると、八島川に面する斜面沿いに横堀が設けられていました(草木が生い茂り見づらいですが)。

竹藪の中の小さな城ながら、縦横にめぐらされた土塁と横堀は大いに見応えがありました。15分程度でひとめぐりできますので、峯城とあわせてどうぞ。ただ、ほぼ未整備であり城内ではサルに遭遇しています。その点はご注意を。
 

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イオ

北側の登城道を推奨 (2026/02/15 訪問)

南北朝期に関氏一族の峯政実が築いたとされ、峯盛祐が長島一向一揆との戦いで討死して峯氏が滅亡すると岡本良勝が城主となりました。賤ヶ岳の戦いの前哨戦では滝川益重の攻撃を受けて落城し、大軍で奪還に押し寄せた羽柴秀吉軍に頑強に抵抗するも兵糧が尽きて開城。織田信雄の城として家臣の佐久間正勝が入りました。秀吉と信雄が不和となると秀吉の命を受けた蒲生氏郷らに攻められて落城。その後、廃城となったようです。

峯城に続いて古城に行くこともあり、ぴーかるさんご案内の柴崎公民館の駐車場に駐めさせてもらって、北側の登城口から登城開始。ソーラーパネルを横目に進んだ先の墓地から案内表示に従って山中に入ると、かんざし井戸と呼ばれる石組の井戸があります。手書きの説明板によれば、峯城の落城時に城主の奥方が金のかんざしを付けて入水したと伝わるのだとか。かんざし井戸から登城道を進んだ先に枡形虎口があり、虎口を抜けると北尾根の曲輪群が東西に連なっています。曲輪群の西端で折り返して本丸へ。

案内表示に従って南に進み、虎口を抜けたところが本丸北の曲輪群で、西辺の土塁にもうひとつの虎口が開口していました。北曲輪群と本丸との間は堀切が尾根を遮断し、堀切の先には本丸西辺の土塁が続いています。本丸西側に広がる帯曲輪から見上げる土塁はかなりの高さで、北西隅には堀切を見下ろす櫓台があり、西辺中央部の幅広くなったあたりは天守台と伝わります。(伝)天守台の周囲にはわずかに石垣が遺り、瓦片が散乱していました。本丸の東側に虎口があるようなので土塁を下りてみましたが、笹と倒木の激ヤブ状態だったため探索を断念…。土塁沿いに南から東に折れて進んだ先に南東隅の虎口があり、虎口脇の土塁突端には櫓台が設けられていました。

本丸南の曲輪群を見た後、来た道を戻るかこのまま南の登城口に向かうか迷いましたが、南の登城口脇にある説明板を見ておきたかったのでそのまま進みました。しかし、概ねよく整備されていた北側の登城道に比べて南側の登城道は藪化していて、藪を避けようと谷側に下りていくと今度は泥濘にはまり込んでにっちもさっちも…。結局、登城道に戻って藪を突破することで登城口にたどり着き、説明板も確認できましたが、この後に行くつもりの古城へは遠回りになった上に、藪漕ぎをし足もとをドロドロにしてまで説明板を見なければならなかったのかというと…。登下城には北側の登城道からの往復をおすすめいたします。2月でこの状態ですからね。

…と、本丸や南登城道など整備が追いつかない箇所もありつつも、それ以外はおおむね良く整備され、高く急峻な土塁、虎口と虎口脇の櫓台など見応えのある城でした。
 

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小城小次郎

切岸が圧巻 (2025/03/30 訪問)

織田方の伊勢侵攻、賤ヶ岳の戦い、小牧長久手の戦いといった重要局面で必ず攻め落とされるという苛烈な運命を辿ったお城。切岸は圧巻で伝・天守台から見下ろすと何で落とされるのかが不思議。もう少し整備が進めばなお良いと思う。

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しんちゃん

山城の雰囲気を強く持っている平山城。売りは枡形虎口と天守台の高土塁。 (2023/06/25 訪問)

峯城は関盛忠の五男・峯政実によって築かれたと伝わります。
信長亡き後、織田氏の勢力争いに巻き込まれたびたび戦火にさらされますが
羽柴秀吉は数日でこの堅城を落としています。
信長存命のときは兵糧攻めやら水攻めばかりやっていたのに実は結構
力攻めも得意なのですね。なかなか小憎い御仁です。
峰城は比高も40m程度で平山城に分類されています。
主郭にはおそらく当主の館があったと推測されます。
よく山城と平山城の違いを高さで区別しようという風潮がありますが
私はそんな単純なものではないと思います。
平山城にはやはりある程度の居住性が必要なのではと考えます。
用途(詰めの城など)や地形、居住性や城の構造など比高が50m程度でも山城と呼んで
差し支えない城はけっこうあります。
小牧山城のように平山城とよばれながら山城の機構を持っている城もあります。
麓に居館がありますからね。平山城と山城の間に明確な区分は無く、その中間に
当たる城も多いので、実際に自分の眼で見て判断するしかないというのが私の持論です。

話はそれましたが峯城は平山城でありながら山城の雰囲気を非常に強く持っている城です。
北の入り口からはいり、かんざし井戸を見てから枡形虎口を抜け南に向かいます。
途中、いくつか郭がありますが日当たりの良い場所は草ぼうぼうで
見学には適しません。主郭の北の郭と西の郭は土塁も残っているので見ておいたほうが良いと
思います。さらに南下していくと主郭の北と西側を守る土塁が見えてきますがかなりの高さです。
この高い土塁の上に櫓台と天守台が配置されている珍しい構造です。
南側から回り込めば虎口をぬけ主郭から土塁を伝って天守台までたどり着けますが
私は天守台に直登しました。登ってから主郭へ降りていきますが
主郭はかなり広いです。ただ東側の防備が手薄なのが気になります。
ここにも土塁が欲しいところですね。


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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 峯政実
築城年 正平年間(1346〜1370)
主な城主 峯氏、岡本氏、滝川益重、佐久間正勝
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、天守台、櫓台、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 県史跡(峯城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 三重県亀山市川崎町森4155
問い合わせ先 三重県教育委員会事務局社会教育・文化財保護室
問い合わせ先電話番号 059-224-2999