はこやなぎじょう

箱柳城

愛知県岡崎市


旧国名 : 三河

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)1日目:箱柳城 (2024/09/22 訪問)

豊橋駅で荷物をコインロッカーに預け、名鉄全線2DAYフリーきっぷ購入し、今日と明日はこのきっぷで交通費を少しでも浮かせます。
豊橋名物の3色稲荷寿司を購入しましたが、自分には味が少し濃いめでした。
豊橋駅から名鉄名古屋本線で東岡崎駅に向かい、そこで名鉄バスに乗り換えて猫沢池前バス停に着きました。
猫沢池前バス停から20分弱歩き、石碑前(34.969211、137.204887)に到着し写真を撮った後、登城口付近(34.968230、137.205940)に向かいました。

桓武平氏の流れを汲む中根平右衛門盛清が正長年間(1428~1429)に築いた城です。
8代・中根肥後守忠良の次男、平左衛門正照は徳川家康の家臣として二俣城の城主をつとめましたが、「三方ヶ原の戦い」で討死しました。

石碑の前の橋を渡ると城跡200mの看板があり、200m先には石垣が有りましたが、その先は藪になっていて、進めませんでした。
石垣も遺構かどうかは不明のようです。
攻城時間は20分くらいです。次の攻城先=奥殿陣屋を目指す為、猫沢池前バス停から名鉄バスで名鉄東岡崎駅(北側)バス停に向かい、そこで名鉄バスを乗換え奥殿陣屋バス停に向かいました。

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しんちゃん

平家の末裔の城! (2019/03/09 訪問)

愛知県のお城を中心に扱っているサイト「愛知の城」さんを参考にさせていただくと、中根氏の先祖は平忠正(清盛の叔父)の子、正持が尾張国中根郷にひそみ、中根氏を名乗ったのが始まりのようです。何気にアピールしてますからね平右衛門忠盛とか‥
もう室町時代だし時効じゃね?みたいな感じですかね。わかります、わかります。
みなさん麓の石垣の方を投稿してますよね。普通、そうですよね‥3回も来てるのにまっすぐ山の上に向かった私はなんでしょうか?
でも地形図見ると何かあるって思ったんですよ。戦国時代には地形図なんてないのに、どの武将も地形を熟慮して城を築いています。当時の人が国土地理院の地形図を見ると目を丸くして驚くでしょう。どこが城を築くのに適しているか一目瞭然ですから。
麓の石垣のエリアはおそらく居館だと思います。戦国時代にこの状態で攻められたらひとたまりも無いですね。
山上の城らしき場所は、藪で見えづらいですが北側に竪堀が幾つか配されているようにも見えます。なんとなくですけどね。
平家の末裔の謎の城なんて少しワクワクしませんか?

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しんちゃん

平氏の末裔なの? (2024/04/13 訪問)

中根氏は築城者である平右衛門盛清や忠良の名前から見ると、平氏の流れをくんでいるか、末裔を自称しているのではないでしょうか?
ひょっとしたら山上の扁平地も1428年以前から使われていたのかもしれません。祭ってある石仏の土台も崩した石垣を転用してあるようにも見えますが、どうでしょうかね。戦国時代であれば、ここに詰の城があるのが妥当だと考えます。なんとなく雰囲気はありますね。正直、城郭大系に記載はないし、詳細がよくわからないです。三河の土豪で、家康に仕えたということは譜代の扱いで良いのかな?
平右衛門盛清で調べてみたら「平右衛門」という東小金井のラーメン屋が出てきました‥

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しんちゃん

詰の城(推定)へレッツゴー ♪ (2024/04/13 訪問)

箱柳城は麓の方に石垣の城があるんだけど、久しぶりに行ったら勢いで山の上の方に行ってしまいました。地形図を見ると城址の雰囲気があるんですね。石仏遊歩道が通じているんだけど、登れるところから登ります。途中に竪堀と見張り台のような岩がありました。
麓の居館に対して、山上は詰めの城になっているようで、限定的ですが石垣や堀切のようなものがあります。なんと矢穴石まであるんですね。どうやら詰の城&石切場でもあるようです(推測)。ここで石を切り出してせっせと麓に運んで行ったんじゃないでしょうか。城址を生かして、仏像やらエビスさんやらを祀って有るようです。上は案外広いんですよ。
箱柳城は室町時代正長年中(1428~29)に中根平右衛門盛清が築き、中根肥後守忠良は、城を拠点に道根六郷(箱柳・小呂・田口・板田・岩谷・中畑の六村)を支配したとのことです。忠良の次男、平左衛門正照は徳川家康の家臣として二俣城の城主となり、三方ケ原の合戦で壮絶な討死を遂げたと石碑の裏側に刻まれています。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 中根盛清
築城年 正長年間(1428〜1429)
主な城主 中根氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県岡崎市箱柳町字日陰