おがわじょう

小川城

奈良県吉野郡

別名 : 春戸城、鷲家口城
旧国名 : 大和

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小川古城など (2026/04/02 訪問)

 小川城近くにある小川古城も寄ってきました。石碑がありました。現在、愛宕神社がある場所が主郭のようです。背後にはいい感じの堀切がありました。
小川城を東吉野村役場方面には下りずに南へ下山し天誅組吉村寅太郎一行が休んだと伝わる家の前の石舟橋を渡ります。県道220号線に出て少し歩くと城への案内はありませんが、原裕句碑への案内がありここが登城口です。

 東吉野村は尊王攘夷派の志士が決起した天誅組の終焉の地です。関連した史跡がありました。全部は巡ることはできませんでしたが、バスの時間まで散策しました。
 かつては東北地方から九州まで広く分布していたニホンオオカミですが、狂犬病などの家畜伝染病や人為的な駆除、開発などにより減少しました。明治38(1905)年1月に奈良県東吉野村で捕獲された記録を最後に、絶滅したとされています。高見川沿いにはニホンオオカミの等身大ブロンズ像があります。

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小川弘光 (2026/04/02 訪問)

 丹生川上神社神主でもある小川氏が築いたとされる城です。ハルトヤ山(標高約410m)にあり現在は稲荷神社の境内となっています。曲輪、土橋、竪堀などを観ることができます。城址をさらに北へ歩いて行くと少し下った場所に2段になった広い削平地がありました。居館跡にも思えますが、それにしては高い場所にあります。

 近鉄榛原駅からバスにより東吉野村役場バス停で下車。正面の山が城址です。東吉野村役場正面の道を上って行きますが、登城路は整備されて歩きやすい道でした。

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しんちゃん

居館跡の遺構 (2024/11/09 訪問)

主郭から南へ尾根沿いに登って行くと扁平地があり、その先に謎の石積が続いています。どう見ても中世のものではないのですが、いったいこれはなんだろう? とりあえず尾根沿いに北に戻って南東にある居館跡を目指します。
この居館跡ですが、標高は主郭に近く、居館跡としてはかなりの高所にあります。相当の広さがあり、南北に幾段かに分かれており、東側に切岸はかなり急峻です。切岸に土塁は無く、逆に尾根側に土塁と堀が設けられています。尾根側から敵が攻めてきた時の備えかな? 変わった縄張りになっていますが、それだけ切岸の守りに自信があるということでしょうか。

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しんちゃん

堀切と土橋の遺構が多く残り、切岸は険しい。 (2024/11/09 訪問)

三の郭の先に堀切が有り土橋がかかっています。この城は尾根上に堀切と土橋の組み合わせが結構多く配置されており、いずれも遺構や形状が良く残っています。切岸は急で土塁などは残っていないようです。よほど切岸の守りに自信があるのか、南の中腹部にのこる居館も同様に切岸の側には土塁が有りませんでした。二の郭の先に土盛り(石垣)があって、その先が主郭になります。奥の石積みの上は櫓台と見られますが、石垣はいつの時代のものか解りません(おそらく後世)。櫓台の上には城址碑がありました。
主郭の背後は堀切で仕切られ、その先の尾根にも堀切があり土橋がかかっています。その先を南西に降りていくと居館跡になりますが、勘違いして南の尾根をまっすぐ進みました。とはいえ、そのあたりも城址には違いないと思うのですが。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 小川氏
築城年 戦国時代
主な城主 小川氏
遺構 曲輪、土塁、堀切、竪堀、土橋
再建造物 説明板
住所 奈良県吉野郡東吉野村鷲家口字ハルトヤ山