やぎじょう

八木城

京都府南丹市


旧国名 : 丹波

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まーやん

【家×お城】登城したお城しりとり[80]

待ってましたー(*´∇`)
「や」なので「八木城(京都府南丹市)」でお願いいたします。
ここは歴史から抹殺されたキリシタン武将内藤ジョアン縁の地で、私のイチオシ山城です。
大河ドラマ「麒麟が来る」で出るかなーと思って期待しておりましたが、エリカ&コロナの影響で終盤の丹波あたりが削られそうで寂しい限り(T^T)

内藤ジョアンは
①落城しても足利義昭に随行していたので生き延びて鞆に逃れた
②朝鮮の役で小西行長と明と一年にわたり和平交渉にあたり秀吉に嘘ぶいたが何故か生き延びた
③主 小西行長が関ヶ原で討ち死にしたが留守守で難を逃れた
④信仰篤いジョアンはバテレン追放によりマニラに渡り、高山右近は2年で亡くなったが、その後十数年に渡り生き延び日本人町を形成し天寿を全うした
という点で私の心を打つ武将です(*^-^)

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ぴーかる

八木城 (2020/01/13 訪問)

【八木城】
<駐車場他>八木春日神社駐車場6台程度
<交通手段>車

<見所>曲輪・堀切
<感想>日帰り京都城攻めの旅5城目。内藤氏・松永氏の城でここも丹波攻めの光秀によって落城した。落城後は光秀が亀山城の支城麓の登城口から少し行くと、居館跡が広がり、山頂の城跡は中世の連郭式の山城です。山頂までは合目の表示はあるが、距離表示はない。私の感覚では居館跡から600~700㍍くらいかと思います。整備されているので苦ではないです。
 本丸跡に縄張り図の案内板があり、見れる遺構は登山道があるルートは整備されているようだが、道が無い郭群は樹木で未整備な箇所もある。本丸⇔金の間という郭への本丸虎口には石垣遺構も見られた。
 これにて光秀に絡んだ京都城攻めの旅終了。141㎞無事走破

<満足度>◆◆◆

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まーやん

八木城大河ドラマ出るかなー② (2020/02/11 訪問)

麓や人物の話を少し。

昔、暴れ川であった大堰川(桂川)は麓の龍興寺(りょうこうじ)前の道路辺りを流れていたらしく、多くの寺院や塔中が配され、尼寺までも抱える妙心寺派の大寺院であった。現在もおびただしい石垣が残され、内藤氏の居館跡と伝わる東雲寺の入口は枡形となっている。
有事は居館から真っ直ぐの道を駆け城に詰めたと伝わっている。
山頂からは北部が見えないが鶴首山城が配され監視できる体制であったらしい。

さて、内藤家だが、細川の被官であり丹波を支配していたが、松永久秀の弟が養子で入り内藤宗勝を名乗り版図を広げたが、若狭攻めで失敗し、黒井城攻めで討死したことで没落していく。

家督争いに敗れたジョアンは八木城落城の難に遭わず将軍足利義昭に帯同し京から堺を経て鞆の浦に逃れる。ここで小西行長に出会う。

小西に遣えることとなったジョアンは朝鮮の役(文法の役)で共に外交官として活躍し停戦交渉に臨むが秀吉に嘘がばれ怒りを買うがなぜか生き延びる。

その後、主君小西行長は関ヶ原の戦で討死するがジョアンは難を逃れ有馬、加藤の後に前田家の客将となる。この時高山右近とともに高田にいたのではと言われている。

徳川家康がキリシタン追放令ひ発すると高山右近とともにマニラに渡り、右近は2年で亡くなったがその後12年に渡り日本人町の発展に尽くし天命を全うしている。

キリシタンということで家系図からも抹消されていたが近年の研究で様々なことが判明してきており、ジョアンの甲冑は二代将軍秀忠がイギリスに贈りロンドン塔に現存している。

八木城は昨年赤色航測図を作成した成果などを園部城域内にある南丹市文化博物館で3/29(日)まで展示している。

命が軽んじられていた時代に四度の難を逃れ海外を股にかけ信仰に生き抜いた人生は習うべきものがある。是非大河ドラマで取り上げていただきたい。

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まーやん

八木城大河ドラマ出るかなー① (2020/02/11 訪問)

地元の方々が遊歩道などを整備されたと伺ったので久々に登ってきた。
春日神社に車を置き内藤ジョアンの碑を左へ曲がると京都縦貫道下の隨道が城門風となっておりそこを抜けると登山口だ。
麓エリアに武家屋敷群があり階段状の平地が見られる。
城山登山道はかつて地元小学生が城山の合目標柱を建ててくれていたが、間隔が驚く程適当だった。(かわいい笑)今は山頂からしっかり計測され標柱が立てられている。
山頂の少し手前に対面所という番所の役割を果たしたと言われる曲輪がある。
石垣が見えてきたら馬屋を上がり左に曲がれば本丸だ。本丸には金之間と呼ばれる一段高い曲輪があるほか東側は三段になっている。
本丸からは京と丹波の境西山山系から愛宕山系、大堰川(桂川)など亀岡盆地が一望できる。
急峻な地形を生かし竹に油を塗り立て掛けて滑って登れないようにして明智軍をかわしていたが火を放たれ炎上したと伝わる。
また、妙見宮辺りに地下道の出口があり難を逃れられるようになっていたという伝承も。(ほんまかいな)

山陰道を眼下に見下ろし、篠山街道へも近接し、船井郡と桑田郡に跨がる広大な城域は、武将名のついた曲輪が多数あり一般的な名称ではなかなか説明しにくい(笑)

馬屋から二之丸の間には堀切があり、亀岡市神前(こうざき)方面には竪堀も見られるとのこと。

烏嶽曲輪を見た後、妙見宮から降りようとしたが倒木により通行が規制されており、来た道から下山した。

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城郭情報

分類・構造 山城
天守構造 不明(天守台あり)
築城主 内藤入道
築城年 室町時代
主な改修者 明智光秀
主な城主 内藤氏、松永氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、石垣、土塁、櫓台、井戸
再建造物 説明板
住所 京都府南丹市八木町八木内山他、亀岡市宮前町神前大谷他
問い合わせ先 南丹市役所
問い合わせ先電話番号 0771-68-0001