じょうじょうじょう

上条城

愛知県春日井市


旧国名 : 尾張

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ぴーかる

じょうじょうじょう (2024/05/25 訪問)

【上条城】
<駐車場他>駐車場はなし。城跡碑がある月極駐車場フェンス前に停車しました。
<交通手段>車

<感想>日帰り濃尾平野ちょこ城巡りの旅、第3弾9城目。上条城の築城は1218年に小坂光善という鎌倉時代の武将によって築城されました。築城した後に小坂光善は近江国に移り住みましたが室町時代に子孫が上条城に戻り林氏に改称します。織田信長の時代に林氏は領地を信長に献上して帰農します。城は信長の家臣の尾張吉田城主である小坂雄吉に与え城の大改修を行います。小牧長久手の戦いでは林氏は池田恒興軍の道案内等を務めますが、秀吉の撤兵条件として取り壊す諸城うち上条城も含まれていて城は廃城となります。廃城後林氏は大庄屋として明治まで残ります。
 城跡地の本丸跡は現在月極駐車場になっています。土塁や天守台が残されているようですが、ガードフェンスが立てられていてほとんど見ることができません。林氏の末裔で明治の農民運動家、林金兵衛重勝の石碑があります。

<満足度>◆◇◇

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しんちゃん

JOH・JOH・JOH~♪ (2024/04/06 訪問)

上条城は鎌倉時代の武将で今井兼平の孫・小坂光善によって築かれたとされています。室町時代に子孫の林重之が戻ってきて林姓に改めたそうです。林家は豊臣秀吉により廃城になった後も、15代に渡って庄屋を務め明治時代を迎えたそうです。
現在本丸の中心部は駐車場になっており、周囲に土塁が残ります。石垣を備えた天守台も築かれていたようです。駐車場の脇には林家屋敷跡の石碑が有るのですが雑木が生い茂って読めません。正直に感想を述べますと「なんてこったい」です。

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キンヤ

市街地に土塁と空堀が良く残された大変貴重な城 (2023/05/04 訪問)

鎌倉時代の1218年に小坂光善が築城したとされます。
その後、小坂光善は近江へ移り住みましたが、子孫の林重之の代に上条城に戻り、名字を「小坂」から「林」と改姓したと云われます。
1584年 小牧・長久手の戦いでは、羽柴秀吉軍に付き、池田恒興らが三河中入りの足掛かりとして上条城へ入城したとされます。
その後、1586年に廃城となりましたが、林重登が上条城跡に屋敷を構え、林金兵衛の代まで大庄屋として務めたそうです。

現在、本丸は月極駐車場となっており、南側に林金兵衛の碑があります。
周囲は立入り禁止となっていますが、駐車場や周りの道から土塁と空堀を見ることができます。
草ボーボーでしたが、土塁が南西から北西角の櫓台で曲がり北東にかけて残り、その土塁に沿って外側に空堀が巡っています。
本丸以外は市街地となっていますが、かつては本丸の周りを二の丸・三ノ丸の土塁・空堀で三重に巡らされた大規模な城だったようです。

尾張の平城では市街地に遺構が良く残された大変貴重な城だと思います。

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林金兵衛屋敷跡 (2020/02/07 訪問)

 春日井駅から徒歩にて登城しました。駐車場になっていました。土塁、空堀が一部残っていますが、フェンスで近づくことができません。

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城郭情報

分類・構造 輪郭式平城
天守構造 不明
築城主 小坂光善
築城年 建保6年(1218)
主な改修者 小坂雄吉
主な城主 小坂光善、林重之、林盛重、小坂雄吉
廃城年 天正14年(1586)
遺構 櫓台、石垣、土塁、横堀、母屋、井戸跡
再建造物 石碑
住所 愛知県春日井市上条町2、4
問い合わせ先 春日井市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0568-33-1113