上条城は鎌倉時代の武将で今井兼平の孫・小坂光善によって築かれたとされています。室町時代に子孫の林重之が戻ってきて林姓に改めたそうです。林家は豊臣秀吉により廃城になった後も、15代に渡って庄屋を務め明治時代を迎えたそうです。
現在本丸の中心部は駐車場になっており、周囲に土塁が残ります。石垣を備えた天守台も築かれていたようです。駐車場の脇には林家屋敷跡の石碑が有るのですが雑木が生い茂って読めません。正直に感想を述べますと「なんてこったい」です。
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2024/04/10 21:34
JOH・JOH・JOH~♪ (2024/04/06 訪問)
上条城は鎌倉時代の武将で今井兼平の孫・小坂光善によって築かれたとされています。室町時代に子孫の林重之が戻ってきて林姓に改めたそうです。林家は豊臣秀吉により廃城になった後も、15代に渡って庄屋を務め明治時代を迎えたそうです。
現在本丸の中心部は駐車場になっており、周囲に土塁が残ります。石垣を備えた天守台も築かれていたようです。駐車場の脇には林家屋敷跡の石碑が有るのですが雑木が生い茂って読めません。正直に感想を述べますと「なんてこったい」です。
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2023/05/08 21:39
市街地に土塁と空堀が良く残された大変貴重な城 (2023/05/04 訪問)
鎌倉時代の1218年に小坂光善が築城したとされます。
その後、小坂光善は近江へ移り住みましたが、子孫の林重之の代に上条城に戻り、名字を「小坂」から「林」と改姓したと云われます。
1584年 小牧・長久手の戦いでは、羽柴秀吉軍に付き、池田恒興らが三河中入りの足掛かりとして上条城へ入城したとされます。
その後、1586年に廃城となりましたが、林重登が上条城跡に屋敷を構え、林金兵衛の代まで大庄屋として務めたそうです。
現在、本丸は月極駐車場となっており、南側に林金兵衛の碑があります。
周囲は立入り禁止となっていますが、駐車場や周りの道から土塁と空堀を見ることができます。
草ボーボーでしたが、土塁が南西から北西角の櫓台で曲がり北東にかけて残り、その土塁に沿って外側に空堀が巡っています。
本丸以外は市街地となっていますが、かつては本丸の周りを二の丸・三ノ丸の土塁・空堀で三重に巡らされた大規模な城だったようです。
尾張の平城では市街地に遺構が良く残された大変貴重な城だと思います。
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2020/02/07 22:09
分類・構造 | 輪郭式平城 |
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天守構造 | 不明 |
築城主 | 小坂光善 |
築城年 | 建保6年(1218) |
主な改修者 | 小坂雄吉 |
主な城主 | 小坂光善、林重之、林盛重、小坂雄吉 |
廃城年 | 天正14年(1586) |
遺構 | 櫓台、石垣、土塁、横堀、母屋、井戸跡 |
再建造物 | 石碑 |
住所 | 愛知県春日井市上条町2、4 |
問い合わせ先 | 春日井市教育委員会文化財課 |
問い合わせ先電話番号 | 0568-33-1113 |