まつねじょう

松根城

石川県金沢市


旧国名 : 加賀

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小城小次郎

加越国境に跨る佐々氏のお城 (2023/04/22 訪問)

加越国境に跨って築かれ、前田方の切山城と対峙する形で小原越を封鎖・監視していた。加越両面に眺望が効く立地は申し分ないが街道を切断した堀切が象徴する怜悧な縄張は隙がないとも言えるし余裕がないとも言える。

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しんしんちゃん

佐々流築城術の傑作。ブラボー!(野太い声で) (2021/11/19 訪問)

松根城は佐々成政の築いた山城の中でも、かなりの傑作と言って良い城だと思います。
小原道が大手まで続いていて、そこから先は枡形のような虎口(喰い違い虎口)が
本丸に向かって幾つも続き、途中に馬出しも備えているようです。大軍の侵入を頑なに拒む
佐々流築城術は健在で、城域の左右に深い堀が南北にめぐり、堀切や竪堀も郭ごとに
配されているようです。一乗寺城や和田山城、源氏ケ峰城も素晴らしかったですが、
松根城はさらに輪をかけて素晴らしいですね。あえて言うならブラボー!です。(野太い声で)
古くは寿永2年(1183)木曽義仲がここに布陣したと伝わります。倶利伽羅峠古戦場はここから
北に6km弱の距離になります。15世紀後半~16世紀中ごろまでは一揆方の城とされ、
天正12年には佐々成政が松根城・朝日山城を手中に収めており、前田利家との戦いでは両城が
緒戦の舞台になったが利家重臣・村井長頼に落とされたとのことです。

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キンヤ

テクニカルな縄張りで佐々成政の築城技術が凄い城 (2022/11/20 訪問)

1584年、越中の佐々成政と加賀の前田利家が対立した際、佐々成政が国境を守るために改修したとされます。
今も富山県と石川県の県境にあります。

城の南側は街道の小原道が通っており、前田利家が築いた切山城からの小原道を大堀切や櫓台などで守られています。大堀切は幅広で圧巻です。
南側の大手虎口から主郭への登城ルートは何度も折れ巧妙です。特に馬出は二段構成で複雑に折れてます。
主郭から北側のニノ丸・三ノ丸は、南側ほど厳重ではないですが、喰違い虎口や竪堀・堀切で防御されてます。
主郭から馬出の西側の横堀は長大で見応えがあります。

規模が大きくテクニカルな縄張りで、佐々成政の築城技術が凄いと思いました。
良く整備され見学し易い城でした。

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昌官忠

2022夏の青春18キップ11日目:松根城 (2022/07/30 訪問)

切山城からの転戦です。城址公園分岐点(36.614466、136.782986)を左側へ進めば駐車場が有ります。広い道はゴルフ場に行きます。

築城年代は定かではないようですが、1183年(寿永2年)に木曽義仲が陣を張ったと伝えられています。
正平年間(南朝暦1346~70年)桃井直和が城主となり、一乗寺城を管理下に置きました。
1369年(応安2年)桃井直和が加賀国守護富樫昌家の居城である富樫城を攻めるも吉見氏の援軍により一乗寺城は落城し、直和は越中国千代ヶ様城へ退却しました。直和はこの翌年、斯波義将の軍勢と交戦し敗死しています。
1488年(長享2年)に一向一揆衆徒の城となり、1550年(天文19年)には一向一揆衆の洲崎兵庫が城主となりましたが、織田信長が一向一揆を平定し、織田氏の属城となります。
1584年(天正12年)前田利家と敵対した佐々成政が家臣杉山隆重を置いていましたが、前田利家の家臣・村井長頼に攻略され、村井長頼の本城となり一乗寺城は支城となりました。
1615年(慶長20年)の一国一城令により廃城となりました。

現在、城跡は公園として遊歩道が整備されています。三の丸より北側は草が深いですが、その他は草が刈られており見学し易かったです。
本丸東側の横堀は郭4から本丸方面まで続いており見ごたえあります。
登城口や本丸跡に「松根城址」の石碑が建てられ、説明板があります。
攻城時間は25分くらいでした。次の攻城先=一乗寺城に向かいます。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な改修者 佐々成政?
主な城主 一向一揆勢、杉山氏(佐々氏家臣)、村井氏(前田氏家臣)
廃城年 慶長20年(1615)
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 国史跡(加越国境城跡群および道)
再建造物 石碑、説明板
住所 石川県金沢市松根町/富山県小矢部市
問い合わせ先 金沢市都市政策局歴史遺産保存部文化財保護課
問い合わせ先電話番号 076-220-2469