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うさ

勝幡城 (2021/11/16 訪問)

御城印目当てで出かけて来ました。石碑はひっそりと立っていました。
2度目の清洲城にも行って御城印ゲット。

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イオ

明智光秀の改修 (2021/11/06 訪問)

詳細は不明ながら、南北朝期に地元国人の須知氏が築いたと伝わり、明智光秀の丹波攻めにより落城。光秀によって改修され、丹波支配の拠点となりました。

先人の投稿を参考に、玉雲寺の駐車場に車を駐めさせてもらって明石側から登城開始。本格的な山城は半年ぶりのため、身体がなまっていないか懸念もありましたが、特に問題なく20分程度で西曲輪群の西端に到着。一部急斜面もあるものの、こちらのルートはよく整備されていて歩きやすい道でした。

西曲輪群の西端には土塁があり、櫓台状の土壇を越えて東に進むと、階段状の曲輪群の上に石塁が見えてきます。石塁の南側にはスロープ状の虎口が開口し、虎口脇の櫓台から横矢が掛かる構造になっているようです。スロープを下りた一段下の帯曲輪にも石積みが見られ、厳重な造りになっています。虎口を入るとまたも石塁が立ち塞がり、南側には喰違い虎口が設けられている…ようですが、石塁が崩れていて、そのつもりで見てようやくそう見える、という感じでしょうか。喰違い虎口を入った先が主郭です。この朝の下界は霧に沈んでおり、主郭からは一面の雲海を見ることができました。主郭の東辺は高さのある土塁がめぐり、北東部から主郭の裏手に回ってみると……こんな山中に4mもの高石垣が! 苔むした野面積みの石垣が主郭の東半分を覆っています。下調べで存在は承知していましたが、これほどの規模だったとは。高石垣南東下の二条の堀切の先は東曲輪群で、一部に石垣も見られますが、基本的には土の城で、階段状の曲輪の土塁と南側斜面に竪堀が数条見られるくらいでした。

下山して玉雲寺に参拝。玉雲寺は須知氏の懇請により島津氏出身の梵清禅師が開いた寺で、須知城落城時に焼失するも明智光秀が再興したとされ、見頃にはまだ少し早いものの、色づきつつある紅葉と山門と高石垣はなかなか絵になる景色でした。

主郭部を中心に石垣造りの虎口を設ける改修は黒井城を、山中の苔むす高石垣は周山城を連想させ、現地に立ってみて明智光秀が改修したとされる理由を実感することができました。「青天を衝け」も終盤に向かう中、今さらながらの「麒麟がくる紀行」ですが、下調べしていながらコロナ禍のため未訪の地もまだまだありますので、もうしばらく紀行を続けたいと思います。
 

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まーやん

夕暮れに佇む大谷吉継の居城跡 (2021/09/20 訪問)

金ヶ崎と天筒山城を素通りし、日が暮れるまでの間にと敦賀城址に行ってみた。
跡地には浄土真宗大谷派の眞願寺が建つって、なんてドラマティックな‼️
境内には城の礎石が残っており、周囲には掘の跡かと思われる水路が巡っている。
敦賀市内の史跡を廻ってみたが、城域内に建つ敦賀西小学校には石碑があったがそれ以外分からなかった。秋の深まりとともに日没も早くなり時間切れ。。。次は敦賀全体をゆっくり廻りたい。

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赤い城

23区内の遺構を廻る⑤ (2021/11/06 訪問)

自由が丘駅から徒歩で10分。最寄りは九品仏駅。
九品仏駅から浄真寺の参道となっています。
浄真寺山門脇から土塁が主郭を囲んでいます。
山門左手の土塁にひっそりと石碑。
紅葉はまだでした。
このお寺には九体の阿弥陀如来像があり、文化財ウィークで何体か公開されていました。

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まーやん

鯖街道を見下ろす優良物件! (2021/09/20 訪問)

光秀の大河ドラマ縁の地に名乗り出ていたからか、友人の評価がえらく高かったので行ってみた。
ここは、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている熊川宿にある山城。白石神社を突き抜けて登る。
登山道は整備されており軽い散歩程度、片道20分程で山頂に着く。
江戸時代には鯖街道としても栄えた熊川宿を見下ろす山城は、櫓台や本丸、堀切など綺麗に残す優良物件だ‼️

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刑部

堀のクセが凄い! (2021/11/07 訪問)

竪堀・横堀・堀切で各々の曲輪を防御、見所盛り沢山。本曲輪が目の前でもぐるっと周らないと虎口に行けない縄張りなので大変楽しませてくれます。きっと本曲輪から攻撃されてたどり着くのは困難でしょう。 1時50分の攻防良かったです!
帰りは酒蔵で新酒の地酒を。山城登った後なのでここの酒を造っている地下水を頂きました 美味い!

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朝田 辰兵衛

河後森城,大正解です! (2021/05/03 訪問)

カズサンさん,瞬殺でしたね。
さすが,日々全国を行脚されているだけあります。

さて,解説ですが…
河後森城のメイン登城口の風呂ヶ谷を挟み,新城からスタンプ設置場所の西第十曲輪を眺望しています。
スタンプペッタンが気になると思いますので,本郭⇒古城⇒新城という散策順が王道かと思います。
宇和島市内で前泊し,始発の電車に乗車しました。日祝日の始発はホビートレイン。電車の模型展示があり,地味ですがラッピングもされてました。また,車内には専用ポストもあり,オリジナルスタンプのサービスもありました。わかっていれば,自分宛の絵ハガキを用意してたのに…。
早朝にもかかわらず,大勢の鉄オタくんたちが乗車していましたが,JR松丸駅降車は私を含めてたったの2名。その方とは風呂ヶ谷で再び…。感染リスク軽減のため,お互いに会話を避けました。
復路は,松野町役場前から路線バス。というのも,愛媛県内は知事からの協力要請で,飲食店等の強力な閉鎖措置が取られていました。バーターであてにしていた“ウナギを食すプラン”が頓挫してしまったため。

にのまるさん,東京コンプリート楽しみに待ってます!
いよいよ大島に上陸ですか!
次のクイズの準備に入りたいと思います。
甲府城の石画像ですが,お尻に見えちゃいました。
右のほうに「クイッ」とした感じで…。

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にのまる

四国…∑(゚Д゚)

カズサンさん、早い‼︎
ありがとうございます。
みなさまの河後森城のご投稿と写真をじっくり拝見させていただきました。

朝田さん、素晴らしい景観のお城を教えてくださってありがとうございます。
出題写真を見ていろいろ想像してみました。結果、1ミリもかすらずに大はずれでしたが🤣、すごく楽しかったし、まだまだ全然何もわかっていないなぁということがわかったし、何より今後の楽しみが増えました‼︎
いつか絶対に行くので、その時は必ずや同じアングルの写真を撮ってご報告させていただきます♪

昨年の怒涛の【眺望クイズ】でお城巡りの視野が広がり、素晴らしい世界があることを知れたので、大切な写真を提供して出題くださった方々にはとても感謝しています。
西日本出身なのに西日本は空白地帯だらけなのでがんばりますᕦ(ò_óˇ)ᕤ

東京都の城びと登録城制覇まであと1城です。コンプした暁には是非【超ムズ眺望クイズ】で祝ってください‼︎


昨日11月14日はいい石の日だったそうなので、お礼に「途中まで彫ったけどやめちゃった〜」な感じの下書きの残る矢穴の写真をどうぞ‼️
さて、どこのお城でしょう?

…甲府城です(o^^o)

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AJ

そこに愛はあったのか (2021/09/30 訪問)

一気に春日山城を攻めたい気持ちを堪えて途中下車。直江津。ご存知のとおり、越後の地は200年間上杉家のものでした。住民の殿様への愛着も相当で、その推しぶりは、逆説的ですが、秀吉が上杉景勝を会津に移した後に造られた城の縄張にも滲み出ているのだから興味深いものがあります。

後任として春日山に入った秀吉の功臣堀氏は1607年、日本海を背負った平野部に福島城(福嶋の表記も)を築きます。鉄砲使用で山城の機能が失われたことに加え、時代はすでにポスト関ヶ原。戦乱の世でなければ、山に拠り続ける必要もなく、国政の中心としての適地に大規模な平城をつくるのはある種の流行でした。ところがこの福島城、海だけでなく川も巧みに利用したガチの水城。天然の要害という点では山城となんら変わりありません。一体何をそんなに警戒したのでしょうか。

堀家の越後支配は難渋したようです。住民からすれば、上杉以外の藩主は全てよそ者。要は気に入らないのです。ことあるごとに一揆が起き、城下町経営どころか、領民との交流もままならないーー。わずかな遺構や縄張図からはそんな地域の歴史が読み解けます。結局、7年で廃城となりました。一方、旧領復帰を目論む上杉が裏から一揆をそそのかしたという疑惑が晴れません。謙信公以来の「義」とは相容れない気もしますが、これも直江兼続の地元「愛」だと言われれば、まあそうなのかもしれません。
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余談ですが堀氏はその後、お家騒動で領地召上げ。同家を断絶しようと考えていた家康にとっては渡りに船で、これを機に自身の六男、「鬼っ子」松平忠輝(伊達政宗の娘婿)を投入。越後を一族で固め、加賀の前田、出羽の上杉を牽制するという北陸方面の警戒態勢が一応の完成をみますが、後にこの選択が家康の“終活”にノイズをもたらすことになります。その話は別の機会に。

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小城小次郎

山梨に残る徳川の城 (2021/08/29 訪問)

旧牧丘町は安田義定が早くから根を下ろした場所で別名は中牧城とも。甲武を繋ぐ主要街道を扼し良質な馬を産したであろうこの場所は武田騎馬隊の成立にも重要な意味を持つと思うが、肝心の浄古寺城は徳川の城だったりする。

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カズサン

朝田さんの眺望クイズの回答・・河後森城

河後森城の新城から10曲輪と本曲輪を眺めた写真です。
10曲輪の建物と次曲輪への木階段と写真の右に微かに写って曲輪が馬蹄形中心の本曲輪と見ました。

今日は福島県の大鳥城、桑折西山城を登城、後日帰ったら投稿します。

朝田さんとにのまるさんのやり取りが終わり、にのまるさんから回答権を譲る旨の投稿が有りましたので僭越ながら回答投稿しました。

河後森城の投稿写真に同じ様な写真が過去に投稿されてます。

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じゅんじん

除草活動 (2021/11/07 訪問)

地元の方々が活動していました。

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じゅんじん

徒歩圏内 (2021/11/03 訪問)

自宅から歩いて40分ぐらい。よいウォーキングになりました。巴川沿いに説明板がありました。

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にのまる

眺望クイズ返し、ありがとうございます( ◠‿◠ )

写真をズームして見ています。
第一印象は山陰地方っぽい⁉︎です。
他の登城者さんがいらしたということはある程度メジャーで、これだけお手入れが行き届いているということは史跡登録されていて、標高は300mくらい?山頂に連郭式の曲輪がはっきりと捉えられ、真ん中の建物は何だろう?写真の右側から階段で上がってきて、木の陰に隠れているのが鳥居だとしたら神社かなぁ?中央の階段は仮設ではなさそう。ベンチもあるではないですか!階段の先には自前の岩盤で積みました的な石垣…。そして西側からのアングルでしょうか?

ハイ(^O^)/
全然見当もつきません!

深読みすると勝頼くん関係⁉︎
だとしたら東美濃か?

解答権、お譲りしますm(_ _)m

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todo94

県内の城めぐり・その13 春日城(長野県伊那市) (2021/10/09 訪問)

今年は3月に出雲春日城、9月に佐久春日城を攻略しており、この1年で3つめの春日城になります。ところが、この伊那の春日城だけ、城びとに登録されていません。こんなに立派な空堀が残っている城をなぜ、登録から外すのか、さっぱり理解できません。大学時代に伊那文化会館でコンサートをしているのでこの地には足を踏み入れているのですが、当時は全く、土の城に興味を持っておりませんでした。

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モト

本丸、二の丸の遺構にも満足ながら中館、西館も行くべき城跡 (2021/08/10 訪問)

空堀や角虎口や本丸の建物の跡がわかるように案内板が要所要所に設置されており、わかりやすく見学できるようになってました。
訪れた時は夏、草木が生い茂っており空堀を覆ってしまってはおりましたが、形、様を確認できる遺構達です。
時間が既に夕方で暗くなりかけた時間だったので入り口の猪注意の看板を見たこともあって臆した私は本丸と二の丸のみの見学で戻りました。
しかし、中館、西館にも見どころが多くある模様です。
そこに行かなければ、半減してしまうのかもしれません。
ぜひ、皆さまにはそちらも見学して満喫いただきたいと思います。

本丸につながる入り口には駐車場があり7台くらい停められるスペースがありました。

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朝田 辰兵衛

にのまるさんへ~眺望クイズ返し~

眺望クイズは,実際に現地に訪れた時に「あっ,ここからか!」と,普段とは違った感動をもたらしてくれました。
私は,籠城戦で1度も眺望クイズを出題はしませんでしたが,解答側としてその価値を認めてるひとりです。
たぶん,にのまるさんは訪城されていないであろう,西日本の名城から出題します。
眺望しているほうも眺望されているほうも,総じて同じお城です。

私が訪れた際,他にも登城者が2名おられましたが,ここまで来ることはありませんでした。
この城に訪城された際は,ぜひここまで足を運んでいただきたいという思いも合わせての出題です。

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ぴーかる

柳生藩家老屋敷 (2021/10/23 訪問)

【柳生藩家老屋敷】奈良県奈良市柳生
<駐車場他>駐車場はなし。市立観光駐車場を利用
<交通手段>車

<見所>主屋・長屋門
<感想>柳生藩幕末の家老小山田主鈴の旧邸宅です。主鈴が隠居後藩主より賜ったこの土地に1847年に邸宅を建てたそうです。廃藩後は土地の手に渡りましたが昭和に米蔵等が取り壊されたのち、作家山岡荘八氏所有となり執筆活動の場所となりました。山岡氏死後は遺族が奈良市に寄贈され一般公開されています。内部は有料で主屋内に藩時代の物と山岡氏の展示物があります。

<満足度>◆◆◇

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いんげん丸虫

尾野山城 長野県上田市 (2021/10/31 訪問)

武田勢に属した尾山氏が拠ったそうです。武田氏滅亡後は真田昌幸が陣して、
あの上田合戦の重要拠点となりました。
主郭西部の2重堀切が見どころです。主郭東部の堀切は北下に伸び屈曲してます。
城跡は整備されていて藪漕ぎはありません。愛宕神社への看板があり小型車なら
登城口に駐車可能ですが、かなり細い道なので注意が必要です。

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T-Shionoya

駿河湾の北条水軍基地 長浜城 (2021/10/30 訪問)

前回の沼津城に続き、先月末は静岡県沼津市の長浜城に行ってきました。

伊豆半島西側の付け根、波風が穏やかな内浦湾に発端丈山から伸びる尾根の先端部。
海岸は水深があり、現在もヨットの係留地であるこの場所は、北条水軍が配備された城。

駿河湾に侵攻してきた武田軍との海戦では、里見水軍戦で功績を挙げた梶原景宗が大将となり、安宅船を10艘配備していたとか。
また秀吉の小田原征伐では土豪の大川兵庫らが立て籠もったものの、戦わずして廃城となったのかな?

史跡公園となった現在は登城口等に説明板が設置され、小さな城にもかかわらずビックリするほど整備が行き届いていました。
昭和に別荘が建っていたようですが、堀切や主要曲輪には土塁が残存。その土塁は時を経て低くなっているものの曲輪の南西側につくられており、敵の重須地区上陸阻止が役割の城でしょうか。
第2第3曲輪間の虎口付近や、第1曲輪へ上がるための復元櫓には、城のおもしろさが見られ、そして富士山と淡島が浮かぶ内海湾の眺めは、大きなキャンバスに描かれた日本画の様。

城びとで知った長浜城が、私のお城巡りの112城目となりました。

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