まつだいらじょうやまじょう

松平城山城

愛知県豊田市

別名 : 大田城
旧国名 : 三河

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大手側石垣
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しんちゃん

充実している大手側の遺構 三日月堀もある (2024/03/17 訪問)

松平城山城は遺構に富んだ城です。街道を挟んで大給城と敵を挟撃するために改修を施されているようで趣向を凝らした遺構が残っています。主郭の南西には巨石が積み上げられたような遺構が残ります。南側は腰郭になっており、下からよじ登ってくる敵を迎撃するのに役立ったと思います。主郭内は堀切で分断され土橋がかかっています。主郭北東部には他の三河の城でも見ることが出来る三日月堀が有ります。その先の大堀切を越えていった先にも三日月堀を二つ逆手につなげたような遺構があります。
さらに北上すると土橋の分岐点があり、東に大手の石垣、西に郭が有るようで、大手から主郭に向かってくる敵や、逆に主郭から大手に北上してくる敵の両者とも迎撃することが可能なようです。

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しんちゃん

搦手側はワイルドな巨石が来るものを威圧する (2024/03/17 訪問)

松平城山城は太田道灌が築いたという伝承がのこっているようです。本当かな~
松平宗家3代信光によって改修がなされ、子の光親が城主となったそうです。小牧長久手の合戦の後、羽柴秀吉の侵攻に備えて改修がなされたようで、この地域の山城としては高度な縄張りや遺構が残っています。国道301号線で豊田から新城に抜けるルートに幾つもの防衛線が築かれています。多くは挟撃を目的としており(加藤先生の講義を参考にしています)大給城、松平城山城、松平城にて羽柴軍を挟撃し、先の古宮城、亀山城でも敵を挟撃することが可能です。東海道(国道1号)を進んでくる敵には岩略寺城と長沢城で挟撃を行う予定だったようです。
野田城や岩略寺城にも見られた三日月堀がいくつか見られます。主郭北東部に一つと、大手側の大堀切を北上した先にS字状の三日月堀が見られました。二つ目の三日月堀は本丸の方を向いているようにも見えます。三日月堀の先は土橋が3方向に分岐しており伏兵を忍ばせておくことが可能なように見受けられました。街道側から主郭を落とされた後にも、まだ抵抗する力を残しているように思えます。
ぴーかるさんが書かれているように主郭から北東側が大手と見られ洗練された遺構が見られます。北西側が搦手のようで、こちらは巨石などワイルドな見所が多いですが、堀切や石垣などの遺構も残っています。

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ぴーかる

松平城山城 (2024/01/27 訪問)

【松平城山城】
<駐車場他>そのまんま公園駐車場数十台あり。
<交通手段>車

<見所>巨岩・曲輪・虎口跡・堀切・横堀
<感想>日帰り松平郷の旅2城目。松平城山城は太田道灌が築城したという伝承がありますがそれはさすがに信憑性に欠けます。松平宗家三代信光が築城または改修を行い、子の光親(能見松平氏の祖)を城主としたと伝わります。更にその後は大給松平氏の支城となったようです。
 城跡へはそのまんま公園の東の登り階段途中から左手に「これより先は登山道‥‥」の札が木に付けてある場所から山に入ります。途中の城山城跡付近の巨岩は見所で巨岩の上に登れば絶景が見られます。登山道を少し進むと巨岩2つを利用した折れ曲がり虎口のような道になっています。
 城跡の縄張りはおおまかに尾根上に沿って凵字状になっており、公園から登ると凵字の左側の尾根から入ります。左側尾根は2段の連段になっていて堀切で仕切っています。上の段の曲輪壁に石積みが残っています。主郭は凵字状の底部中心にあり東西を堀で区切っています。主郭に磐座と思われる巨岩が置いてあります。主郭の南下段にも巨石があります。主郭主要部の東端に堀切があり凵字の右側に行きます。右側が大手になるようで、全面に堀を配置した虎口跡や横堀を廻らした大曲輪が数か所あり見応えがあります。曲輪壁にも僅かに石積みが残存しています。凵字状の左側は搦手側のようで、奥に進むにつれてだんだんと見応えが増してきて楽しかった。

<満足度>◆◆◆

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太田道灌の伝承 (2023/02/09 訪問)

 太田道灌が築いて、後に松平和泉守信光が修理して子の光親に守らしめたという記述が「松平町誌」にあるようです。いくらなんでも太田道灌はないでしょうと思いますが、なぜ別名太田城かなという疑問はあります。
 「松平山城そのまんま公園」から登城しました。道は、それなりに整備されていて歩きやすかった。巨岩を過ぎるとすぐに最初の堀切が現れ城域に入ります。城址は堀切、土塁、横堀、虎口、石積みなどが残っていています。桝形虎口のような地形もありました。思っていたより城域は広く遺構もそれなりに残っていて愛知県内の山城では見ごたえのある城址だと思います。城址を先まで行くと林道と思われる場所に抜けました。他にも登城口はあるのだと思います。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 不明
築城年 不明
主な城主 松平氏
遺構 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡
再建造物
住所 愛知県豊田市大内町寺沢、城山、トトロ