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赤い城

小森城 千葉県白井市 (2023/02/09 訪問)

白井第二工業団地の中にあります。
登城口のところに駐車スペースがあり、微妙な階段を登ります。
正面に謎の小屋というか倉庫というか。
いずれにしても現在使われている感じではありません。
左手に空堀、先の方には土橋のようになっています。
小屋の裏手には土塁も残ります。
この辺りが主郭で少し散策すると土塁もありました。
ここも那津かなりの藪のような気がします。
都心から近くの城なので少し整備されると行きやすいですね。

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カズサン

8年振りの登城本丸編 (2023/02/08 訪問)

 三島佐野美術館で本多忠勝所持の日本三名槍の一つ蜻蛉切を鑑賞し、同食事処「松韻」で昼食を頂き、目も脳も腹も満足堪能し、8年振りに成りますが西行拾数kmの県道22号線沿いに在る興国寺城を目指しました。

 駐車場:本丸東側駐車エリア(他にも二の丸、三の丸の東側エリアが駐車可能です)、トイレは有りません。

 昼からの天気予想は曇りから雨模様でしたので暗く曇り富士山は見えず、沼津港、海は見通せず、しかし本丸を囲む西、北、東の高土塁は見事に聳えています、草も刈られて歩き易く観察も出来、見応えも有ります。
 穂見神社、最後の城主「天野康景之碑」、最初の城主「北条早雲之碑」は8年前と変わりません、令和2年10月製の興国寺城跡解説板、以前も有った平成7年3月製の歴代城主一覧付き解説板、解説板下にパンフレットボックス、一枚頂く、同隣に続百名城のハンコがボックスに入って居ました。
 本丸より撮影した写真を投稿します。

 天守台編に続きます。
 
 

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名塚砦と稲生原古戦場 (2023/02/11 訪問)

 織田信長が弟である末森城主織田信勝(信行)に備えるために築いたとされる砦で、佐久間盛重が守っていました。城びとは未登録の砦です。白山神社が跡地とされ案内板があります。場所については諸説あるようです。
近くには信長と信勝方である柴田勝家や林美作守らが戦った稲生原の戦いの戦死者を祀ったともいわれている庚申塚があり案内板もあります。

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松平竹千代織田信広人質交換の地 (2023/02/11 訪問)

 名古屋市南区の笠覆寺、通称笠寺観音は織田方に人質になっていた松平竹千代(徳川家康)と今川方が捕らえた織田信長の兄織田信広との人質交換の地とされ、敷地内には石像があります。人質交換の地は諸説あるようですが、現在はここが定説となっているようです。
境内には宮本武蔵の碑もあります。巌流島の戦いからしばらくして尾張に滞在していたとのことで、弟子によって建立された顕彰碑とのことです。

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侍ホリタン

姫路城2023年冬の特別公開「菱の門・2階櫓部」 (2023/02/11 訪問)

普段は公開されていない「菱の門」の内部が本日より期間限定(2023年2月11日〜3月12日)で公開されています。2階の櫓部は初公開になります。菱の門は姫路城内の玄関口、入城ゲート入ってすぐの所にある現存する姫路城内最大の門です。入場料の他に別途拝観料(200円)が必要になります。

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小荷駄

箕作城跡 (2023/02/08 訪問)

近江鉄道河辺の森駅から徒歩で30分程で城跡北側の貴船神社横の登山口に着きました。駐車場とトイレは有りませんでした。登山口からは約30分から40分程で頂上の城跡に着きました。登山道は少し雨も降っていたせいか滑りやすくなっていましたが整備されていたので楽しく散策させていただきました。遺構は少ないですが主郭からの眺望は素晴らしく観音寺城や回りの支城など良く見え楽しかったです。また主郭北西側に残っている石垣は少しですが見学しやすいようにして頂いてあり非常に有り難かったです。整備している方々に感謝します。

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赤い城

かつては五重の堀があった (2023/01/29 訪問)

岡本駅から徒歩で30分くらい。
正規の登城口に辿り着かず稲荷神社から登城しました。
神社の奥にいきなり深い堀を見ることができます。
この部分には折れもあり、深さもあるので見どころです。
堀の向こうは本丸。
木が伐採されていたりで整備の跡が伺えました。
北側の切岸も鋭く、高さもあります。
西側の堀はやや浅めで少々藪。
南側の虎口は斜めに入る感じで傍らに説明板が立っています。
二郭から外側は畑や宅地。さらにはソーラーパネルが並んでいて想像力を働かすしかありません。
かつては五重の堀があったとされる城。
もう少し痕跡を探そうと思いましたが電車の時間が気になったので退却しました。
帰路は正規の登城口から、公民館が目印となります。

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ぎりょう

南門の復元が完了! (2023/02/09 訪問)

2020年6月に着工され、工事が続いていた多賀城跡南門の復元がこのほど完了した。高さ約14m、幅約11mの木造で、政庁第二期(762~780年)の姿を再現しているという。現在は門全体の姿を見ることができるが、一月後には両脇に築地塀を復元する工事が始まりフェンスで覆われる予定だ。朱色の柱と白壁がとても美しく、多賀城創建1300年にあたる2024年の一般公開が楽しみである。(2月3日付河北新報記事より)

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侍ホリタン

信濃・駿河・遠江・三河の名城を訪ねて、松本城 (2022/07/17 訪問)

上田城からの転戦です。
現存十二天守の一つ、国宝五天守の一つです。
1590年豊臣秀吉公の小田原攻め後に小笠原氏に代わり入封してきた石川数正・康長父子によって天守が築かれました。
現在、太鼓門は令和5年2月28日の予定で耐震対策工事中でした。一部養生はされてますが今のところ通行は可能です。

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侍ホリタン

信濃・駿河・遠江・三河の名城を訪ねて、上田城 (2022/07/17 訪問)

小諸城からの転戦です。
1583年上田昌幸公によって築城された上田城は、二度も徳川軍の大軍を退けたことで名を馳せた名城です。特に関ヶ原合戦の前哨戦「第二次上田合戦」では、中山道を西進する徳川秀忠軍3万8千の兵を上田城に誘き寄せ、5日間の足止めを余儀なくされた秀忠軍は関ヶ原合戦に間に合う事が出来ませんでした。この時の上田城に籠る昌幸、幸村軍の兵力は僅か2500でした。関ヶ原合戦後、上田城は廃城、その数年後東軍に属していた嫡男上田信之公は松代へ移封、その後小諸より入封した仙石氏によって上田城は再建されます。仙石氏が但馬国へ移封となると松平氏の居城として明治まで続く事になります。
駐車場は上田城跡駐車場が駐車場は上田城跡駐車場が無料なのでおすすめです。

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侍ホリタン

信濃・駿河・遠江・三河の名城を訪ねて、小諸城 (2022/07/17 訪問)

高島城からの転戦です。
小諸城跡がある懐古園には遊園地、動物園、藤村記念館等が併設された市民公園となっています。また日本さくら名所100選にも選ばれています。
武田晴信公により拡張整備され、その後入城した仙石秀久公による大改修によって現在の姿になりました。城の玄関口である大手門よりも低い位置に本丸が築かれた「穴城」という縄張りとなっています。この場合、本丸の守りが弱くなりますが、本丸先の千曲川の断崖が弱点を補っています。
懐古園入り口付近に有料駐車場ありますが、城訪問だけなら2時間無料の大手門公園駐車場がオススメです。 小諸城跡がある懐古園までは徒歩5分程度です。公園内にある大手門2階は無料の資料館になっています。

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にのまる

日本民家園と。 (2023/02/10 訪問)

くろもりさん、こんばんは。
お久しぶりのご投稿に、おーっ!てなりました。
お子さまのご誕生、おめでとうございます。お健やかにお育ちになられますようお祈り申し上げます。

七尾城、登りましたよ。お天気もよくて気持ちよかったです。

くろもりさんといえば、長谷堂城⇄山形城往復慶長出羽合戦行軍、観音寺城の雪中行軍など、伝説の城巡り人というイメージを(勝手に)持っております。

宮後城訪問の機会がありましたら「東京から城跡碑を撮りに来たのに…( ; ; )」とならないようご投稿を参考にさせていただきます。

山形や観音寺城の雪とはくらべものになりませんが、本日は東京でも積雪がありましたので、雪の山城登城気分を味わいに近くの枡形城に行ってきました。海抜84メートル。登城口から山頂まで5分とかからないところですが。
みぞれまじりの雪で、あっという間にべちゃべちゃのぐちょぐちょになってしまいました。

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小城小次郎

「風の陣」クライマックスシーンの舞台となった古代城柵 (2022/09/25 訪問)

陸奥按察使の紀広純が蝦夷出身の伊治呰麻呂(あざまろ)に討ち取られるという大事件(宝亀の乱)の舞台であり、それは同時に高橋克彦「風の陣」におけるクライマックスシーンの舞台でもある。それだけでももう感動もの。

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くろもり

埋もれゆく古城 (2023/01/29 訪問)

訪問時、宮後城址は発掘調査をしており、案内看板と城名の標柱は撤去されていました。

後日、江南市に問い合わせると、
1.案内看板は宮後八幡社(城址の南東)へ令和5年度中に移設予定(調査内容の記載もする予定)
2.標柱は撤去
3.発掘調査の現地説明会は行わない
4.発掘で出土した物については、調査し資料館等に展示する可能性あり
5.発掘調査後は分譲住宅の建設が予定されている

「福岡から来たっちゃけど、案内看板ないやん!」とか
「東京から城跡碑を撮りに来たのですが、ありません!」等、困る方がいると思ったので、久しぶりに投稿しました。

城址周辺をよく見ると、城址の東側は一段低くなっており、小川も流れているので堀跡だったのかもしれません。
城址の南東隅とされる宮後八幡社の本殿は、寛永元年(1624)9月に徳島城主蜂須賀家政が再建したもので、県指定の文化財となっています。

案内看板と標柱があった城址は私有地とのことなので、なくなってしまうのは仕方ない。
というか、今まで城址としてくれていた地主の方に感謝です。

※次いつ投稿するか分からないので捨て台詞残しておきます。
COVID-19禍と子供が生まれたこともあり、全然投稿してませんが、細々と城巡りは行ってます。
チェブさん、「小六ランド」は建設されませんが、小六のような元気な子が育つ住宅地になってくれると思います。
にのまるさん、七尾城は私も七尾駅から歩いて行きましたよ~。違ったかな?手柄は足にあり!
イオさん、めちゃ遅くなりましたが、備中松山城の投稿はしびれました。ブラヴィッシモ!
おっちゃんさん、他サイトの二条城のイベントでおっちゃんさんに会うの目当てで申し込んだら、まさか退会されてましたが、素晴らしい投稿ありがとうございました(私もあのサイトはすぐ退会しました)。

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POYO58

石垣編 (2023/01/29 訪問)

前回武者走りの話をしましたが、今度は石垣全般について紹介したいと思います。浜松城で一番残っている遺構は石垣ですよね。
浜松城は本丸にたどり着くのは早いのですが、ここから天守曲輪へいくとき大きな高石垣がガードしています。ここから本丸にいる敵を撃ち落とせますよね。本丸は北側から東側まで石垣が伸びていて城兵が歩けそうなので、本丸を集中攻撃できるようになっているようです。
あともう一つ、堀尾吉晴が築いたのは理由だと思いますが、二俣城の天守台と浜松城の天守台がすごく似てます。浜松城の天守台は一部復元されていますが、そっくりです。石材も同じだと思います。

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尼崎城(公式)

尼崎城の城熱カレーパン (2023/02/01 訪問)

【尼崎城の城熱カレーパン発売中!】
★尼崎城とOisisが共同で開発した「尼崎城の城熱カレーパン」が登場。
近畿・中国(山口県除く)・四国の主要スーパーとドラッグストアで販売中。
尼崎城でも土日祝は尼崎城でも先着販売。
マイルドな味で子どもから大人までが大満足な味とボリューム。
※3月末までの期間限定販売。

★2大特典
食べた後の袋を尼崎城に持参すると!
①オリジナルキャラ「カレーパン侍」缶バッチプレゼント
②お城への入城料が2割引き
※共に一袋1名様

城熱カレーパンを食べて尼崎城へ!

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カズサン

【駿河・佐野美術館】静岡県三島市 名槍「蜻蛉切」鑑賞 (2023/02/08 訪問)

 日本三名槍の一つ、本多忠勝所持の名槍「蜻蛉切」が展示されているとTVで放映され展示期限も迫って居り新東名を飛ばして出掛け鑑賞して来ました。

 展示美術館:静岡県三島市中田町1-43 佐野美術館
 展示期間:令和5年1月7日~2月12日
 展示名:乱世を駆け抜けた名刀ー戦国の動乱から徳川の時代へー
 展示名物:Ⅰ 徳川四天王の一人、本多忠勝所持、日本三名槍の「蜻蛉切」穂先が鋭く細く確かに蜻蛉が止まったら切れ落ちそう!
      Ⅱ 織田信長が長篠合戦の褒美として奥平信昌に与えた「長篠一文字」国宝の大刀
      Ⅲ 豊臣秀吉から藤堂高虎に与え、藤堂家から徳川将軍家へ献上した名物の刀「大兼光」
 展示内容: 大刀、刀、脇差、短刀、戦国の武将名が並び豪華な展示でした、武田信玄、上杉謙信、伊達政宗、毛利家、蜂須賀正勝、黒田官兵衛、池田輝政、前田家伝来、片桐家伝来、刀剣以外に書画、茶器、能面等約60数点以上の展示でした。
 
 久しぶりの刀剣展示会で展示物を一つ一つ順番に観て回り、観客が多く順番数珠つなぎ状態での鑑賞でした、一番の目的が名槍「蜻蛉切」鑑賞、日本三名槍は他に「日本号」「御手杵」と言われて居ます。
 鑑賞に約2時間ちょっと過ぎ、昼を過ぎましたので館内敷地にある回遊式庭園を見学し、敷地内のお食事処「松韻」で沼津港も近く海鮮も名物であり。お任せ握り寿司セットを家内と頂きました。

 写真は展示物撮影禁止の為、佐野美術館正面玄関わきに展示されて居た今回の展示大パネルを投稿し、写ってる三名槍「蜻蛉切」をご確認ください。
 佐野美術館外観、回遊式庭園の寸景、お食事処「松韻」玄関の紅白の梅盆栽を合わせて投稿します。

 この後西に拾数km程に在る興国寺城を8年振りに訪ねました。
 
 

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イタさん

佐倉千葉氏の居城 3/3 (2023/02/02 訪問)

 本佐倉城の外郭に寄ってみました。内郭の奥ノ山から南に下り、妙見神社前から向根小谷の根小谷の館に向かう。上に浅間神社があり、踏み跡程度の道があると、案内の人が言っていたが、車道を先に行き左折すれば神明大神社入り口に着く。
 入口の先に馬出の土橋、両側に堀跡が確認され、内側には土塁が残る。先には郭内への土橋・堀があり、左側には高い土塁がある。神社周囲以外は馬出同様に農地になっている。北端は崖となり台地なのが分かる。
 車道に出て吉祥寺前から根小屋の台地に上がり、細い道を北へ行くと畑地の先に森が見え出す。森に見えた場所は空堀で、横矢を掛けられる出っ張りにあたるが、木々が多く目視でやっと分かる程度。私有地・畑地の為、自由に動き回らなかったが、堀向かいの荒上地区側は行けるのだろうか。

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イタさん

佐倉千葉氏の居城 2/3 (2023/02/02 訪問)

 内郭の残り、セッテイ山西の堀・セッテイ虎口・セッテイ山・倉跡境の堀・南奥虎口・東光寺ビョウ・東山を散策。

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イタさん

佐倉千葉氏の居城 1/3 (2023/02/02 訪問)

 国史跡・本佐倉城跡案内所で戴いたパンフレットが冊子仕立で立派でした。5人程ご年配の方が案内をされていた。幾つか質問したが、的確に答えてくださった。例として「東光寺ビョウ」の名の由来は。パンフレットに記載通り、ビョウとは「突出した」と言う意味があると。東光寺がここにあった記録はなく、近くにもなく、匝瑳市(言っていたと思う)にあるが全く関係がないとのこと、等々。

 城跡はあまりにも広大で、投稿も3回に分けました。まずは、東山・東山馬場・Ⅳ郭・倉跡・奥ノ山・城山

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