「秋月城」の紅葉と「黒田長興」
(2022/11/24 訪問)
城人特集で「紅葉が美しい城(西日本編)」に紹介されていた「秋月城」を訪れてきました。
ちょうど紅葉が見頃を迎えそうな時期だったので、平日にもかかわらず、多くの人が訪れていました。紹介の内容にあった黒門と紅葉のコントラストは確かにすばらしく、しばらく見とれてしまいました(写真①)。
秋月は、秋月氏が鎌倉時代より約400年治めた地でしたが、江戸時代に入り福岡藩黒田家の所領となり、黒田長政は三男の長興(ながおき)に5万石で分け与えます。そして長興は幕府に願い出て秋月藩を立藩し、その秋月氏の館跡に秋月城を築城しました(天守は無く、館と周りを門と石垣と堀で囲んだ城でした)。
実は長政は、長男の忠之の性格が傲慢わがままである事を憂い、もし忠之と黒田本家に何かあった場合に備え、黒田の家名が絶える事のないように、布石としてこうした対応をとったようです。そして長政死後、忠之は福岡藩を継ぎますが、その予感は見事的中! 忠之は勝手に軍船を作り幕府転覆まで計画、福岡藩存続の最大危機となった事件「黒田騒動」を起こします。しかし結局は、家老の栗山大膳が切腹覚悟で単身江戸に赴き幕府に直接嘆願、この結果、徳川家光は福岡藩と黒田家の存続を許し騒動は収まりました。
その後、島原の乱が勃発。幕府より秋月藩にも出陣命令が下ります。長興は2,000の兵で秋月城より出陣します。門の前の杉の馬場とその広場に軍勢が整列し、ここで出陣式があったようです(写真③④)。そしてこの島原の乱での長興と秋月藩の活躍を描いた出陣屏風・陣図屏風と、長興が着用した鎧兜などが隣接する秋月博物館(写真⑤)に展示されていました。
黒門と紅葉をくぐった先には、長興を祀った垂裕神社(すいようじんじゃ)があり(写真⑥)、館跡は、現在は秋月中学校の敷地になっていました(写真⑦:何と今どき珍しいレトロな木造校舎でした)。現在の杉の馬場には土産屋や露天が並び(写真⑧⑨)、確かに「筑前の小京都」と呼ばれるだけあって、落ち着いたたたずまいの街並みでした。私は、黒田長興の時代を空想しながら、ゆっくり楽しく散策させていただく事ができました(写真⑩:城下町散策MAP)。
〈アクセス〉
甘木鉄道または西鉄甘木線「甘木駅」下車、駅前からバス「秋月行き」で20分です。
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