鬼城山ビジターセンター前に数十台停めれる無料駐車場ありますが、途中の山道で道幅狭い箇所がありますので運転に注意が必要です。100名城スタンプはビジターセンター内に、御城印は販売されていませんでした。
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2022/12/17 00:38
2022/12/16 23:24
宝満山~有智山城 (2022/12/03 訪問)
紅葉が綺麗な竈門神社から正面登山道で宝満山に登る。
山頂からの下山は人も少なく静かなうさぎ道を下り、かねてから一度訪城したかった有智山城を探訪する。
有智山城は「うさぎ道」を下ってきた先、標高310m付近に位置し、『筑前国続風土記』では、南北朝期の少弐氏の館と認識されていたようである。現地には、石垣跡と二重空堀跡の表示があるが、幅約10mの横堀が1本確認でき、その中央に土橋と石垣を設けた虎口がある。その背後に土塁のついた曲輪が確認できる。
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2022/12/16 22:44
2022/12/16 22:38
2022/12/16 22:32
2022/12/16 22:20
2022/12/16 21:59
2022/12/16 21:48
2022/12/16 21:12
首は飛んだか (2020/08/28 訪問)
掛川城(静岡県掛川市)は来月末まで修復中のため、現在は天守を拝めません。待ちきれない方々のために蔵出しです。
市民がこよなく愛する古式な復興天守。近世城郭化は山内一豊によります。当時の資料がないため、後に一豊が高知城を建てる際に掛川に倣ったという記録をもとに国内で初めて木造再建されました(1994年)。歴史を紐解いてみると、武田と徳川の駿河侵攻で城域には両軍が入り乱れたそうですが、結局どちらも城主にならなかったという珍しいケース。
天守以外の見どころは、なんと言っても二の丸御殿。日本に4つしかない現存御殿のひとつです。ここで問題:あとの3つはどの城のどの御殿でしょうか?
さて、おまけ。町内に珍しい地名を見つけました。
「十九首」。
10世紀後半の承平・天慶の乱で敗死した平将門らの首は坂東から京に運ばれる途中、この地で朝廷の使者に検分され、郎党19人分の首がこの地に埋められたそうです。弔いの首塚が立っています。
都大路で晒されて三日。その晩、首は突如夜空に舞い上がり、故郷に向かって飛び去った、、、。
将門の首にまつわる伝承は、その落下地点を含め諸説あるようです。そして、千年以上経った今も各地で献花が絶えません。
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2022/12/16 20:29
宇都宮城 (2022/12/16 訪問)
駐車場無料
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2022/12/16 20:25
ここも難攻不落であったか… 堀切編 (2022/12/03 訪問)
さあここは何と言っても見どころ。これ見ないと損ですよ!山を登って細い道を歩き、石垣跡を見た後、本丸への道がありますが、その道を行かないで真っ直ぐ行くと堀切跡に辿り着きます。この場所のポイントは3つ。一つ目は堀切がかなーり深いこと。こんなの堀切と言えるのだろうかと言えるくらいかなり深いです。私たちはその堀底を見ることができます。二つ目、堀切に低石垣が用いられていること。これは織田信長のものと考えられますが、野面積みの石垣が良好な状態で残っています。三つ目、転用石が用いられていること。これは疑問ですが、堀切の石垣にはお地蔵さんが一緒に積まれています。結構はっきりわかります。転用石はここにもあったので、福知山城を築いた明智光秀がここで石垣の創造に用いたのかなと思いましたが、本当はどうかわかりません。堀切の先には、城ではあまり見ない連郭式曲輪が残っています。これも見たほうがいいですよ。
さあ、本丸へと向かいましょう♪続く
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2022/12/16 10:23
徳川四天王榊原康政生誕の城 (2022/12/11 訪問)
井田城を終えて北西に約5km程の所に城びと登録で未踏の上野上村城が在り、初登城しました。
車は同城域の上野区民会館の南前が駐車場、県道239号線の北沿い、同駐車場を利用、トイレは一段低くなった西隣の藪間公園にあります。
情報源は古城盛衰記さんグーグルマップに依ります。
駐車場より東正面に城山稲荷の赤い鳥居、徳川四天王榊原康政生誕之地の石碑が新しく目を引く、正面右の開館横に上野上村城の解説板が有り、諸国古城之図より三河上野の縄張図(広島浅野文庫)が描かれて解説がされて居る、赤い鳥居を潜って櫓台?へ2段の櫓台に社が夫々鎮座し参拝見学、櫓台と土塁が東から北に残っている、樹木が密集して良く見えない、写真写りも今一、上野区民会館の北の広場には西側に護国神社が鎮座、北側の高まりは土塁の残りか?忠魂碑が建っている、北側から東にかけては、川が流れて水堀の様子、西側は低く成って空堀か沼跡か、現在は藪間公園と成って居る、藪間公園からは土塁が高く見える。
諸国古城図上野城と比較すると本丸が残り周囲の水堀の北側東側は現在の河川、南側は開発で道や住宅、西の水堀は現在の藪間公園の様です、西と南の曲輪は開発で消滅、本丸だけでも良く残って呉れたものです。
歴史は2番目に掲載の写真をご覧下さい、ただ榊原康政生誕の地はここより南約300mの会下城(上野下村城史跡マーク有)とも言われてるとも書いてある。
来年の大河ドラマ「どうする家康」での榊原康政の活躍と、上野上村城が賑わう事が心待ちです。
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2022/12/16 07:58
いかにして「全国唯一」になったのか (2022/06/26 訪問)
「自衛隊が駐屯する全国唯一の近世城郭」として知られるが、どうやら鎮台兵が駐屯できる場所が本来の駐屯地である新潟になかったのと、戦後米軍が一時的に利用していたことがその要因になっている・・らしい。
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2022/12/16 07:10
2022/12/16 02:25
壮大な景色 (2016/06/10 訪問)
家族で行った思い出深いお城
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2022/12/16 00:13
金ヶ崎要害 (2022/11/27 訪問)
重要伝統的建造物群保存地区の町並みと合わせて散策しました。
金ヶ崎城址として公開されている広場は二の丸にあたり、北上川の美しい景色を望めます。
諏訪公園へ渡る谷はかつての役割を彷彿させる豪快さがあり、金ヶ崎神社や諏訪小路沿いの堀跡にもいにしえの姿を感じることができました。
道案内は何箇所かありましたが、みなさまのご投稿写真にもれなく掲載されている説明板はなくなっていました。それならばと、カズサンさんのお写真の「金ヶ崎城跡」碑をさがしたのですがこれも見当たらず……。諦めかけていた時に目についたのが写真⑦の石です。多分ここだったんじゃないかな?
☆お城EXPO、今年は前売り券も指定券も買ってなくて検定も申し込んでいないです。
ですが、興味のある厳選プログラムがあるのと、お城EXPO先行発売の「城カードフォルダー」をゲットしたい😍 あと入浴剤♨も欲しいので。。。
前夜祭は、仕事が17時上がりなので『行けたら行く』で、17日(土)は『行く気がする』で、18日(日)は『行けない』です。
ではニアミスで🫡
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2022/12/15 22:17
再訪することもないけれど (2022/12/03 訪問)
北浦和駅から徒歩で15分くらい。
前回の訪問時にあった説明板はなく、近所の公園に針ヶ谷三山と天神山の説明板が立っていました。
周辺は住宅地になっていて遺構はありません。
今回は説明板にある針ヶ谷三社に行ってみました。
が、天神山は双恵幼稚園になっていました。
針ヶ谷三社も敷地内に。
休日だったので門の外から写真撮りましたが平日なら明らかに不審者ですね。
お昼、浦和なのでうなぎにしようと思いましたがお手軽なスタミナラーメンを頂きました。
熱かった。
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2022/12/15 22:10
赤鬼の城 (2022/12/15 訪問)
久しぶりの彦根城です。国宝の天守閣だけでなく太鼓門、天秤櫓、三重櫓、多聞櫓等が重要文化財となっていてすばらしいのですが、自分が好きなのは高石垣と登り石垣です。水堀もよく残っていて、以前は城の周囲も散策したのですが、今回は、外は回っていません。
有名な城址を見学するなら葉が落ちていて城が見やすく、また観光客も少ない12月~2月頃がいいと思っています。この日の観光客は数人はいましたが、かなり少なく人が写りこまない写真を撮ることができました。久しぶりにひこにゃんにも会いました。
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2022/12/15 21:45
ここも難攻不落であったか… 伝二の丸、石積編 (2022/12/03 訪問)
さて山の坂をどんどん登っていきます。整備はされていてよかったですが、くねくね道できつい。獣柵も付いていました。熊には気をつけて。
10分ほど登ると伝二の丸に着きます。そこには土づくりの食い違い虎口が残っています。小高い土塁で虎口を隠し、少し曲がった瞬間に砲撃できるような仕組みになっていました。またその前にある土塁の上から横矢掛けができるのでなかなか堅固です。
二の丸探訪を終えて更にいくと広い場所に出ますが、道が細くなります。そこを気をつけて歩くと右手に石積があります。こちらも埋め立てられていますが、はっきりと見えます。野面積みの石垣で高く積み上げるのではなく低く積み上げられていました。これはなんの意味があるのでしょうか?疑問です。知っている人がいたら教えて欲しいです。
さあでは一番の見どころ堀切へ向かいましょう♪続く
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2022/12/15 21:45
佐々木道誉 (2022/12/15 訪問)
勝楽寺から登城路が整備されています。といってもトラロープが張られている所もあり、歩きにくい所もありました。尾根に曲輪を配置した縄張りですが堀切などはないように思われます。主郭の案内板を見ると「ところどころに縦堀りがあり、全国的に珍しい「うね状縦掘り山城」として、、」と書いてありました。畝状竪堀がどこにあるのか探してみましたがわかりませんでした。主郭の南面と北面には多くは崩れていますが、石垣がみられます。勝楽寺の山門は勝楽寺城の上藹屋敷の城門を移築したものと伝わっています。
勝楽寺には佐々木道誉の墓があります。
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