関ケ原の戦いの後、旧領に復した高木貞利が築いた陣屋で、牧田川の段丘上に位置し、東下に東高木家、北東下に北高木家の陣屋と隣接しています。西高木家は東家、北家とともに交代寄合美濃衆として、明治まで木曽三川の治水行政にあたる水行奉行を務めました。
陣屋跡に建つ上石津郷土資料館の駐車場に車を駐めて登城開始。資料館の奥には下屋敷の長屋門が移築され、説明板が建てられています。東下に下りていくと東辺斜面には高石垣が施され、石垣の下には井戸跡も見られました。高石垣から東に続く見事な石垣は埋門跡で、時季的に草が茂っていたものの状態良く遺っており、一番の見どころです。北側に回り込むと、北辺斜面上部にも石垣が遺っているのが見えました。また、西側には西高木家の墓所が設けられ、歴代領主と一族の墓石群が祀られています。
東下の東高木家陣屋跡にはなまこ壁が施された白壁造りの土蔵が現存しています。土蔵の北側、北高木家陣屋との間の切通道(伊勢街道)には石垣が遺っていますが、北高木家陣屋跡は住宅地や農地になっていて、遺構らしきものは見当たりませんでした。
なお、上石津郷土資料館には上石津地域の考古遺物や民俗資料、動植物の剥製や標本などが展示されているほか、高木三家に関する史料はもとより、明智光秀生誕地と伝わる多羅城の候補地とされる城ケ平城や樫原城についての解説(縄張図付きリーフレットあり)、島津の退き口についての史料など、入館料100円とはとても思えないほどの充実ぶりでした。
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