江戸初期に徳川家康が江戸と京都の往還の休泊施設として造営した屋敷で、家康のほか大坂夏の陣の後に徳川秀忠が利用しましたが、寛永年間には役割を終えて大半の建物が取り壊されました。現在では西半分は中学校になっていますが、東半分は牡丹園として公開され、主郭の土塁や堀が良好に遺っています。
北隣の無料駐車場から登城開始。駐車場近くの北側に入口が設けられていますが、後世の改変によるもののようです。入口の両脇には土塁が続き、土塁沿いに東に進むと古井戸跡がありました。古井戸跡の奥、北東隅の土塁上には櫓台が建てられていたようです。櫓台から南に進むと東向きに開口した虎口があり、虎口の南側には水堀(?)、北側には土塁と横堀が続いています。虎口を出て外側から北東隅櫓台を確認すると、引き返して今度は主郭の南辺へ。南辺の土塁にも開口部(立入禁止)が設けられていますが、これも後世の改変でしょうか。南辺の土塁上に丸太のベンチ(らしきもの)が見えたので、登ってみると土塁の外側に横堀が続いていました。主郭内部は牡丹園として整備されていて、満開の時季には大いに見応えがありそうです。
屋敷とはいっても徳川将軍専用ともなると、さすがに見事な防御の備えのある城郭でした。ただ、整備された庭園ということで油断して半袖・短パンの軽装で歩いていると、ヤブ蚊にまとわりつかれて往生しました。夏場でも長袖を着るか虫よけ対策をしたほうが良さそうです…。
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