北登城口より登城して南の森側出入口から帰ってきました。入口に未調査、未整備の遺跡であり気を付けて通るようにと注意喚起されています。北側入口を進むと、すぐに「かんざし井戸」があります。土塁、空堀、切岸など遺構が見られますが、確かに未整備なでもったいと思いました。しかも順路を進んでも、気が付くとズボンには「ひっつき虫」が多く付いていました(笑)。天守台と伝えられる付近には案内板にあるように石積みの痕跡がありました。
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2022/10/06 17:18
佐久間正勝 (2022/10/06 訪問)
北登城口より登城して南の森側出入口から帰ってきました。入口に未調査、未整備の遺跡であり気を付けて通るようにと注意喚起されています。北側入口を進むと、すぐに「かんざし井戸」があります。土塁、空堀、切岸など遺構が見られますが、確かに未整備なでもったいと思いました。しかも順路を進んでも、気が付くとズボンには「ひっつき虫」が多く付いていました(笑)。天守台と伝えられる付近には案内板にあるように石積みの痕跡がありました。
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2022/10/06 14:25
明智光秀公ゆかりの地を訪ねて(その3) (2022/03/12 訪問)
明智光秀公の築いた城、安土城に次ぐ規模の城であったようですが、城の遺構は殆ど残っていません。駅からの場合、徒歩で30分ぐらいかかるので観光案内所でレンタサイクルを借りるのがオススメです。
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2022/10/06 08:12
平泉寺城(南谷坊院跡) (2022/09/11 訪問)
(続き)
拝殿のあたりから南へ脇道を下って行くと南谷に至ります。南谷にはかつて三千六百坊もの坊院が設けられていたとされ、白山神社所蔵の平泉寺の絵図にも多数の坊院が軒を連ねる様子が描かれていますが、平成の発掘調査では階段状に造成された多数の平坦地(坊院跡)が確認され、石垣や石畳道が発掘・整備されています。
奥に謀反岩と呼ばれる岩壁のある神社のあたりから南に続く脇道に「南谷発掘調査地」の案内表示があり、案内に従って進むと発掘調査で発見された石畳道にたどり着きました。石畳道には南側を流れる女神川の河原石が敷き詰められており、坊院は石畳道によって縦横に区画されています。両脇の石垣には坊院への出入口が設けられ、排水路側の出入口には石橋まで架けられていました。石垣には矢穴の跡も見られます。石畳道をさらに上って行くと、発掘調査の成果に基づき土塀と門が復元されています。石畳道や石垣の整備だけでも充分満足でしたが、こうして土塀や門を復元してもらえると、往時の姿が一目瞭然でなお嬉しいですね。
復元土塀・門で引き返して、今度は分岐を南側(若宮神社)へ。こちらにも石畳道と石垣が続いていますが、石畳道沿い(西側)に幅広い横堀が! しかも横堀の向かい側にも石垣が施されています。おいおい、マジかよ…。ちょっと寄り道くらいのつもりが、こちら側にもこんな見どころがあったとは。城郭寺院は数あれど、これほど大規模かつ明瞭に復元された遺構はそう滅多に見られないんじゃないでしょうか。
…白状しますと、白山平泉寺を訪れたのはニッポン城めぐりのイベントのスポットに指定されていたからで、せっかく訪れるんだから一応ひと通り見て回ろうか、程度でしかなかったんですが、思いがけない収穫でした(続日本100名城公式ガイドブック巻頭の山城マニアックで写真付きで紹介されているのは帰宅してから知りました)。平泉寺も苔むす参道などなかなか見応えがありましたが、城好きとしては何と言っても南谷坊院跡がおすすめです。
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2022/10/05 22:46
KING of 山城 (2022/10/03 訪問)
さすが「日本の城ベストランキング」(晋遊舎)の「山城」部門で1位に選ばれただけあり、見学中に出会う観光客の数が一番多かったように感じた。
さて苗木城はどこから何を撮っても写り映えが良いですが、私のお勧めフォトポイントは、「足軽長屋」の曲輪部を本丸部に向かって2分ほど歩いて登ったところ!!
本丸、二の丸の全景が撮れます♪
紅葉時や冬化粧時は、もはや芸術レベルだと思います。
巨石を活用した山城と言うと、愛知県の松平城山城を思い出します。苗木城は、巨石に加えて石垣も見所の一つ。よくここまで整備・保存してくれたなと。感謝。
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2022/10/05 22:41
ネコがお出迎え (2022/09/11 訪問)
四ツ山神社の前に駐車スペースがあります。
神社の参道には猫が。
唐沢山城みたいですね。
登り口には杖もあり良心的です。
神社への石段の前を左に行くと犬走りがあります。
神社が建つ曲輪が主郭、見晴らしも良いです。
二郭、三郭と連なります。
間には堀切、二郭には虎口も残ります。
三郭の先の尾根道にも堀切がありました。
比企の城の中では地味な感じですが遺構もちゃんと残ってて良い城でした。
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2022/10/05 11:47
金婚式登城・石垣編 (2022/10/01 訪問)
金婚式登城・建物編に続き、石垣編を投稿します。
甲府城は小田原征伐後徳川氏関東移封後、徳川氏に対する東の要として豊臣方の浅野長政父子が手掛けた総石垣の城郭です、重層なる石垣群が圧巻の造りです。
結婚記念日50年目に登城し目に付いた石垣写真を投稿します、以前投稿の甲府城と重なる写真はご勘弁ください、終りに甲府の有名人武田信玄公像の写真で締めます。
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2022/10/05 11:23
金婚式登城・建物編 (2022/10/01 訪問)
50周年結婚記念日当日、武田氏館・躑躅ヶ埼館に鎮座する武田神社に金婚式に当たり感謝の参拝をして、南に位置する舞鶴城公園にある甲府城金婚記念登城しました。
甲府城の登城は9年前の平成25年3月末に本丸鉄門が復元再建され登城して以来です、車は山手御門東の駐車場が無料だった事も有ったので、そこを利用しましたが現在は周辺整備されて有料駐車場に代わって居ました、30分は無料で30分毎に100円追加でした。
登城探訪ルート:山手御門、中央線沿いの復元想像甲府城天守閣図を観察、中央線沿い北側エリアに在るお店街を通って、踏切より稲荷曲輪下、稲荷櫓東面を眺め、稲荷曲輪へ、本丸櫓跡から本丸へ、天守台、本丸鉄門、天守曲輪、稲荷曲輪門を上から望む、天守台下の天守曲輪周り、稲荷櫓、稲荷櫓続土塀、稲荷曲輪井戸、二の丸下、内松陰門、鍛冶曲輪門、鍛冶曲輪、坂下門跡、鍛冶曲輪から稲荷曲輪門に上がり、数奇屋曲輪、鍛冶曲輪から遊亀橋を渡り、濠外から濠、鍛冶曲輪土塀、天守曲輪石垣・本丸石垣・天守台石垣を眺める、石垣の重なりが素晴らしい景観です、東側の高石垣を眺める、鍛冶曲輪・数奇屋櫓台・数奇屋曲輪・稲荷曲輪の高石垣群は圧巻です、山手御門に戻り、甲府駅南口広場い在る武田信玄公像を妻は初めて対面、記念写真を撮って終了。
甲府駅中コーナーで甲府土産に目が留まりゲット。
建物編は平成16年復元稲荷櫓、平成25年復元本丸鉄門、平成19年復元山の手門、平成11年復元内松陰門、平成11年復元稲荷曲輪門、平成8年鍛冶曲輪門、復元再建年は良く分かりませんが稲荷櫓復元時あたりかなと思う稲荷曲輪北側の漆喰土塀、井桁修復の稲荷曲輪井戸、甲府城復元想像図「富士山と甲府城」も掲載します。
鉄門、稲荷櫓等多くの建物が復元再建されてきています、次は是非甲府城天守閣の姿を観たいものです。
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2022/10/05 08:13
平泉寺城(白山平泉寺) (2022/09/11 訪問)
平泉寺城(福井県勝山市平泉寺町平泉寺・城びと未登録)は、奈良期に泰澄が開いた平泉寺が戦国期に城郭化したもので、白山信仰の中核寺院として繁栄し、最盛期には寺領九万石九万貫、僧兵八千人を擁しましたが、朝倉氏滅亡後に越前一向一揆の攻撃を受けて全山焼亡しました。その後、羽柴秀吉らの庇護を受けて平泉寺としては再興したものの寺領は大幅に縮小し、明治の神仏分離令により平泉寺白山神社となって現在に至ります。
平泉寺は三頭山から西にのびる尾根上に主要伽藍を設け、南北両側の谷に六千坊と呼ばれる坊院を配し、周辺には6か所の砦が確認されています。発掘調査では坊院跡から数十万点に及ぶ土器や陶磁器などが発見されており、山中の巨大宗教都市だったことが窺えます。
参拝者駐車場に車を駐めて登城開始…の前に、白山平泉寺探遊館まほろばへ。白山平泉寺旧境内の総合案内施設(入館無料)で、平泉寺の歴史や白山信仰について映像を交えて紹介されており、発掘調査の出土品も展示されています。この日訪れるまで平泉寺についてはほとんど知らなかったので、まほろばで予備知識と散策マップ(おススメです)を仕入れてから参道に向かいました。
泰澄大師廟に手を合わせ、精進坂を上って一の鳥居をくぐると、左手に国名勝の旧玄成院庭園があります(入園料50円)。管領 細川高国の作庭と伝わる枯山水庭園ですが、あまり手入れされていないのかやや寂れた感じがありました(それが良いのかもしれませんが)。参道から左手の脇道を下って行くと御手洗池があり、泰澄はこの地で白山神のお告げを受けて平泉寺を開いたと伝わります。御手洗池は「平清水」「平泉」とも呼ばれ、平泉寺の名の由来となっています。
二の鳥居をくぐると青々とした苔が一面に広がり、その先に拝殿が建っています。拝殿の裏手に回って大石垣の石段(写真を撮りそびれました…)を上った先には、本社を中心に、右に別山社、左に越南知社が建てられており、それぞれ白山の三つの峰の神を祀ったものなんだとか。
本社からさらに奥に続く参道を進んだ先には三之宮があり、その手前には楠木正成公墓塔が建てられています。どうして越前の山中に楠公さんが? と疑問に思って説明板を見ると、平泉寺の衆徒だった大楠公の甥が騎馬姿の大楠公が夢枕に立ったのを不思議に思っていると、その日に湊川の戦いで討死していたことを知り、石塔を建てて供養したとのこと。楠公さんも日本中至るところにゆかりの史跡がありますね。
三之宮の奥は白山へと続く越前禅定道の起点となりますのでここで引き返して、今度は南谷坊院跡に向かいます(続く)。
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2022/10/05 05:08
2022/10/05 00:02
駅から徒歩なら… (2022/09/24 訪問)
JR上総一ノ宮駅から徒歩なら,わざわざ西側の大手門方向に廻り込む必要ナシです。国道128号線に出たら,実本寺ワキの小道を入っていくと,加納久宜公の墓へ案内する石段があります。墓を越えてしばらく進むと振武館裏に出て,模擬塀が目に入ってきます。
カズサンさんへ。
台風15号の被害が最小で安堵いたしました。
直峰城ですが,冬場にスタッドレスタイヤに替えるようでしたら,散策は12月に入ってからがイイかと思います。妙高山初冠雪の時季が狙い目。しかし,太平洋側に居住していると冬場にスタッドレスタイヤに替える習慣がないと聞いておりますので,その場合は11月中旬が安全策かと思います。
ただし,これは通常シーズンです。今シーズンはラニーニャ現象の影響で,11月下旬頃にドカッとひと降りするんじゃないかと予想されてます。例年ですと,12月10日頃にドカッとひと降りします。
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2022/10/04 18:55
長野旅行PART3 小諸城 天守台 (2022/08/18 訪問)
二の丸を見た後、本丸へと向かいました。小諸城は門も重要ですが、天守が気になります。小諸城の天守は仙台秀久によって大規模ななものを築き上げましたが、1626年に落雷で焼失し、徳川の政策により再建されませんでした。天守台は野面積みの石垣ですが、少し発達した算木積みが使われていることも特徴の一つです。天守台の高さは結構あり、登るのは不可能な気がします。また、小諸城は天守台からさらに高石垣が続き、横矢掛けとなっています。おそらくこの石垣の上に多聞櫓があったのではないかなと思います。石垣の上を歩いていくと富士見櫓跡にたどり着きます。でも富士山は雨で見えませんでした。本丸には小諸神社が立っています。
では大手門に向かいます。
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2022/10/04 13:43
第三回駿府城お散歩講座を開催しました!
令和4年9月25日(日)に駿府城公園にて、お散歩講座を開催しました。
清水御門からスタートし、二ノ丸、三ノ丸周辺を歩きながら、駿府城跡各所の見どころを発掘調査員が説明しました。
石垣を見ながら当時はどのような場所であったのかこれまでの発掘調査の成果も交えながら、駿府城跡各所を約1時間でお散歩しました。
ご参加いただいた皆さんありがとうございました。
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2022/10/04 12:10
2022/10/04 08:32
城下町めぐり (2022/09/11 訪問)
越前を平定した織田信長から大野郡を与えられた金森長近が居城として築いた城で、長近が飛騨高山に移った後は青木一矩や織田秀雄が城主となり、関ケ原の戦いの後は福井藩領として土屋正明らが城代を務め、松平氏を経て入城した土井氏が八代続いて明治を迎えました。
美濃街道を見下ろす大野盆地中央部の独立丘(亀山)に本丸、東麓に二の丸と三の丸を梯郭式に配し、西麓の赤根川を天然の堀とする平山城で、東側に短冊状に設けられた城下町は北陸の小京都と呼ばれています。
結ステーション多目的広場駐車場に車を駐めて、亀山を見上げると天守が青空のもとに聳えています。しかしながら本丸周辺は前回(4年ほど前)に訪れているので、今回は亀山には登らずに折りたたみ自転車で城下町めぐりです。
まずは百間堀(外堀)沿いに北に向かい、武家屋敷旧田村家へ。旧田村家は大野藩の家老を務めた田村又左衛門家の屋敷で、江戸後期築の主屋が公開されています。庭園東辺の築山は外堀沿いに築かれていた土居の一部で、外堀の土居は現在ではここにしか遺っていないようです。また、式台や庭園には風車棚が設置されていて、映えスポットになっていました。
旧田村家から東に回り込むと石燈籠地蔵尊があります。城下町の縄張の基点となった石燈籠通り一番町に測量用具を埋めた地に石燈籠地蔵尊を安置したもので、整然と区画された町並みを自転車で走っていると、なるほど小京都と呼ばれるのも納得です。
石燈籠通りを東に進むと、城下町東端の防衛線として設けられた寺町に行き当たります。寺町通りにある善導寺は藩主・土井氏の菩提寺であり、道向かいの墓地に土井氏歴代の墓所があります。
結ステーションに戻って、越前おおの結楽座の隣の藩主隠居所でひと休み。土井利忠の隠居所を移築復元したもので、無料休憩所として開放されています。建物内には越前大野城と城下町の模型や、移築前の隠居所に使われていた瓦や柱、大野藩にまつわる品が展示されていました。
最後に大野市内の移築門めぐりを。西に約2kmの真乗寺には不明門が移築されています。真乗寺は藩主・土井氏の休憩所だったそうで、そのご縁によるものでしょうか。北北西に約600mの光明寺には鳩門が移築されています。立派な山門になっていますが、二階部分は改築されたもののようです。
そしてお土産は噂に名高い伊藤順和堂のいもきんつばです。前回は午後に訪れて売り切れだったので、今回は早めに確保しました。小豆に替えてさつまいも餡によるきんつばと言えばその通りなんですが、和菓子というよりスイートポテトですね、これは。程よい甘さが絶品でスイートポテト好きの子どもと家内にも大好評。帰って食べるなりもっと買っておけばよかったと後悔したほどでした。要冷蔵のため持ち帰りには保冷バッグがあったほうがいいと思いますが、甘党ならば大いにおすすめです。
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2022/10/04 06:41
2022/10/03 23:00
実にやっかいで面白いお城だ (2022/05/21 訪問)
「重ね馬出のような遺構」に先進性を感じ取って後北条氏の改修を視野に入れる考え方と、発掘成果が示す16世紀初めまでという年代観に伊勢宗瑞×伊東氏との抗争時期を重ねる考え方とが対立する、実にやっかいで面白いお城だ。
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2022/10/03 22:36
比企能員館 埼玉県東松山市 (2022/09/11 訪問)
鎌倉殿の13人でお馴染み、比企能員の館跡です。
大河ドラマでは佐藤二朗さんの好演が光りました。
宗吾寺周辺が館跡とされ、境内には石碑もあります。
館跡を示す位置は少し離れた場所、霊園の奥にあります。
遺構はなくソーラーパネルが並んでいました。
今まで鎌倉時代はあまり興味も無かったのですが今年の大河でしっかりはまりました。
縁の城を再訪している感じです。
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2022/10/03 22:00
小野陣屋 (2022/09/11 訪問)
【小野陣屋】
<駐車場他>小野市立好古館駐車場入館前提で
<交通手段>車
<感想>日帰り西摂津東播磨ちょこ城巡りの旅5城目。小野藩の前史は山中城の戦いで討死した一柳直末の弟直盛が伊予西条と播磨加東郡を領していました。次男の直家に加東郡5000石を分地しましたが、間もなく直盛が死去したので伊予国の遺領2郡も分け与えられ28000石の大名となりました。直家は伊予の川之江藩を立藩し分地の小野には規模の小さい敷地陣屋を置きます。
1642年に直家は嗣子が無く没したので小出家から末期養子を迎え2代目藩主一柳直次としますが当時は末期養子は認められなかったので伊予国の所領は没収され播磨国加東郡1万石が与えられます。直次は1653年に現在あった位置に小野陣屋を築きました。一柳家は小野藩主として明治まで続きます。
現在陣屋跡は好古館と隣の小野小学校の場所となります。南側と東側の駅より台地状で歩道橋から見ると1段高くなっているのがわかります。好古館(有料)内の展示品で城に関する物は金鑵城や豊地城の出土品が展示されています。
<満足度>◆◇◇
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2022/10/03 18:51
公共交通機関の隙間 (2022/10/02 訪問)
4回目のワクチン接種も行い、油断は出来ないですが体力戻す為に歩く事を目的としてお城巡りを再開しております。
人混みがまだまだ怖いので、人出の少ない早朝出発で午前中に帰る・・・手段で訪問したのが未訪問だった源範頼館跡。
大河で頼朝(初代善児により暗殺)に亡き者にされる前に訪問したかったなぁ・・・
とはいえ、ここは公共交通機関での訪問が難しく。。。
マップを調べて先日ようやく2km弱はなれたところをバス(東松山-鴻巣)が通っているのを確認したので行ってきました。
東松山駅からバスで武蔵松山城を左手にスルーしつつ久保田バス停で降り、そこからゆっくり25分歩いて到着した息障院が伝源範頼館とされている場所になります。
遺構は山門手前左側の堀と思われる地形しか見当たりませんでしたが、解説や城碑が充実しておりました。
個人的には山門の凝った造りの彫刻がきになったかなぁ・・・と。
遺構がほぼ無いので見所も少なかったですが、この後鴻巣に向かい、ついでに源範頼の祖先となる(伝)源経基館も見学して帰宅しました。
(源経基館は投稿済なので今回はスルーします)
以前鎌倉殿の13人に関するネタ投稿してましたが、ここに来て結構なネタ仕入れているので、ぼちぼち投稿して行こうかなと思います。
(城びとに登録していない場所が多いのが勿体ないところですがorz)
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2022/10/03 11:45
結婚記念日登城と金婚参拝 (2022/10/01 訪問)
結婚記念日50年当日、妻の希望で甲州シャインマスカットとシャインマスカットタルトを食べたいと甲州山梨入り、先に希望は南巨摩郡南部町道の駅なんぶで達成したので、未走行の中部横断道を走り武田神社へ金婚お礼参拝と同神社は武田氏館跡・躑躅ヶ埼館でも在り、13年振りに躑躅ヶ埼館を登城探訪しました。
武田神社参拝の後、東側の大手門跡側に廻り、発掘復元した大手ゾーンの復元石塁、説明板で三日月掘跡を想像俯瞰して見る、周囲が高土塁で囲み壮大さが有る、東曲輪・中曲輪を通り西曲輪へ、案内解説板に天守台と記載されてるが天守台跡に入る事が出来ない、西曲輪北奥に入り天守台らしき方向を見るが樹木が茂り良く分からない、西曲輪の南虎口、枡形、高土塁を観察、濠も良く残って水をたたえてる。
車は神社南西の武田神社参拝者専用駐車場を利用、無料ですが駐車券を社務所で検印しないと出庫出来ない。
50年に当たる結婚記念日金婚式当日武田神社でお礼参拝出来てありがたい。結婚前も城廻り50年経っても城旅よく付き合ってくれて居ます、感謝です。
朝田辰兵衛さんへ
先の台風15号静岡県豪雨被害に当たり当方へのご心配お気遣いを頂き有難うございます、西部の浜松市は山間部、谷間筋の中小河川で被害は有りましたが、当自宅周辺は中小河川から離れ微高地との条件で側溝の越水冠水で済みました。
中々新潟の山城に出向けません、直峰城には何時行けるやら?と10月11月の好シーズンが狙いですが?
城びと投稿引き続き楽しみ見て居ります。
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