萱生城は織田信長の長島一向一揆鎮圧に先立ち永禄11年(1568)に攻撃を受けました。
当時の城主は北勢三家衆(土豪)の勢力頭の春日部俊家で
攻め手は豊臣秀吉(このころは木下)と瀧川左近の軍勢で天正元年(1573)に城は落城します。
(現地案内板による)
たしかこの年に秀吉は羽柴性に改性しています。
なかなかの堅城のようですが、今は別の意味で守りが固いです。
誰か近くにいたら撮影の許可を取りたいところですが誰もいません。
そそくさと退散しますが、この近くの崖は雑草が生い茂っていますが、なかなか急峻です。
確かに守りは固そうですが落城までに5年はちとかかり過ぎなのではと感じました。
案内板には城内の兵糧も尽き‥とあるので力攻めから兵糧攻めに切り替えたのでしょうか?
後の三木の干殺し。鳥取の餓え殺しと言われた秀吉独自の城攻めの
はしりだったということなのでしょうか?
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