かようじょう

萱生城

三重県四日市市


旧国名 : 伊勢

投稿する
髪伸びの井戸
口コミ・画像を投稿する

みんなの写真投稿

投稿する

みんなの口コミ

投稿する

しんしんちゃん

伊勢六人衆の一人 春日部俊家の城 (2023/06/24 訪問)

萱生城は織田信長の長島一向一揆鎮圧に先立ち永禄11年(1568)に攻撃を受けました。
当時の城主は北勢三家衆(土豪)の勢力頭の春日部俊家で
攻め手は豊臣秀吉(このころは木下)と瀧川左近の軍勢で天正元年(1573)に城は落城します。
(現地案内板による)
たしかこの年に秀吉は羽柴性に改性しています。
なかなかの堅城のようですが、今は別の意味で守りが固いです。
誰か近くにいたら撮影の許可を取りたいところですが誰もいません。
そそくさと退散しますが、この近くの崖は雑草が生い茂っていますが、なかなか急峻です。
確かに守りは固そうですが落城までに5年はちとかかり過ぎなのではと感じました。
案内板には城内の兵糧も尽き‥とあるので力攻めから兵糧攻めに切り替えたのでしょうか?
後の三木の干殺し。鳥取の餓え殺しと言われた秀吉独自の城攻めの
はしりだったということなのでしょうか?


+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

カズサン

伊勢未踏の城廻Ⅺ 城は暁学園内 (2023/03/21 訪問)

 伊勢未踏の城廻、茂福城を終えて、北西に約5km程の所にある萱生城を目指す。

 情報ガイドは古城盛衰記さんグーグルマップに依ります。

 この城は暁学園高等学校の北裏の隅に在ります、当日彼岸の中日21日で休みでしたが校門は開いていましたので、そのまま周回道路を登って行くと来客用駐車場がありすぐ傍に萱生城関係の標柱など立っております、当日は工事業者の方が入っており校門が開いてい居たのか? 雨も降っておりそそくさと数分の探訪で引き上げました。

 萱生城の低い城塁上の一角には萱生城址/髪のびの井戸案内板、萱生城殉難者供養碑、髪のびの井戸があります、北側は崖で20~30m落ち込み朝明川へ北側の水堀です。ここも信長の伊勢侵攻での攻防戦場跡です。
 
 許可も得ず入り込み申し訳ございません。
 
 この後は伊勢志摩未踏の城廻12城と再登城の4城を終えてすぐ近くに東名阪道四日市東IC経由帰路へ。
 再登城の鳥羽城、田丸城、松坂城、津城はこの後ぼちぼちと投稿させていただきます。
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

todo94

髪のびの井戸 (2023/01/04 訪問)

青春18きっぷでのアプローチ。三岐鉄道三岐線の切符は硬券でした。暁学園の敷地内と云うことで勝手な立ち入りは出来ないのですが、正月休み中で人気もなかったので駐車場に続く舗装道路を進ませていただくと、駐車場の手前の一角に髪のびの井戸と萱生城殉難者供養碑がありました。説明板には、髪のびの井戸の由来、落城秘話が記されていました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

暁学園 (2021/07/10 訪問)

 暁学園の敷地となっています。「髪のびの井戸」などの遺構があるようですが、門の近くには関係者の姿もなく敷地内へ入ることはしませんでした。

+ 続きを読む

城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 春日部宗方
築城年 不明
主な城主 春日部氏
廃城年 不明
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸
再建造物 碑、説明板
住所 三重県四日市市萱生町字城山