なかくきじょう

中久喜城

栃木県小山市

別名 : 亀城、栃井城、中岫城、岩壺城
旧国名 : 下野

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にのまる

小山氏城跡 (2024/08/28 訪問)

JR水戸線の小山駅と小田林駅の間の線路沿いです。何とか線路伝いに行く近道はないかと乗車中に目を凝らして見たのですが無理そうだったのでGoogleナビさんに従って小田林駅から県道沿いを歩きました。片道30分くらいでした。
途中の川(西仁連川)に古い県境標があり、栃木県と茨城県を行ったり来たりしていることにようやく気づきました。電車と徒歩で県境越え2往復です。
県道から左に折れて少し進んで見えてきた小さな森が中久喜城で、城址碑と説明板の奥に大きな空堀がありました。ここは曲輪Ⅰの北側にあたるようで、お城はその外側の曲輪Ⅲと西側の曲輪Ⅱで構成されていたそうです。
見学させていただいた曲輪Ⅰは私有地のようでしたので、先に畑でお仕事をしておられた方にお断りを入れました。
「←順路」に従って進むと水戸線の城山踏切。電車で城内を駆け抜けたところにやっと戻ってきました。単線なのもあってか“分断された”という雰囲気は感じませんでした。踏切を超えると大きな空堀跡。さらに進むとこのお城の見どころである桝形虎口。外からは想像できなかった土塁に囲まれた広い曲輪に“何もない”うれしさを思いました。
帰りも小田林駅に戻って水戸線で小山へ出ます。ここで〈電車内から城山踏切を撮る〉ミッション発令。
ワンマン電車だったので後方の窓からパシャパシャやってミッションクリアしました。わりと一瞬でしたがテンション↑↑でした。

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しんちゃん

なんだか評判のよくない国の史跡。 (2019/11/03 訪問)

写真が古くてゴメンなんだけど中久喜城の投稿です。城址はJR水戸線によって分断されており本丸は線路の南に位置し土塁らしきものが残るのですが主要部は畑地になっていて、その他は藪になっています。国の史跡なのに藪なんですね。
城址碑は線路の北側にあり、北西部は西城と呼ばれていたようです。かつては泥田、湿地に囲まれた要害の地であり小山政光が先祖藤原秀郷の由緒のある当地に築いたとされています。天正18年(1590)には結城秀康に家督を譲って隠居した結城晴朝が越前に移るまで居城としたとされています。

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チェブ

400年続いた小山氏の居城。 (2023/01/03 訪問)

1月3日、この日の最後のお城攻めが「中久喜城」でした。
お正月から1人で、こんなに遠くに来てしまって、日が傾きかけてきた頃に、急に帰りが心配になってきました。
と、言い訳。

「中久喜城」は小山氏の居城です。
いろいろあって、結城氏のお城になります。結城氏が越前に転封になり「中久喜城」は廃城しました。
この、いろいろが、本当にいろいろあって凝縮できません。小山氏は400年も続いたお家です。

Googleの示す「中久喜城」で石碑と説明板の前に到着しました。
石碑がある場所は堀のようです。
そして、土塁があります。
どこか車を停めようとキョロキョロすると、ビニールハウスで作業されている方が帰り支度してました。
手作りの『順路←』の看板があり、ちょっと時間がかかりそうと、またしても言い訳。

ここで退陣しました。
もう一つ、言い訳すると、『防犯パトロール』や『痴漢に注意』やらの幟が目につきました。
不審者に思われたら嫌だしな~。
帰ろっと、潔く退陣しました。

小山氏の歴史に触れると、「中久喜城」をじっくり歩きたくなる お城攻めでした。

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赤い城

塚田館 栃本県小山市 (2020/12/12 訪問)

間々田駅から徒歩で1時間以上。
歩いて行っても達成感は味わえません。
車でどこかのついでに立ち寄るのが妥当です。
館館には氷川神社が建っていて鳥居の側に石碑もあります。
遺構はなさそうですが神社裏側は何か雰囲気も感じました。

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 小山政光
築城年 久寿2年(1155)
主な城主 小山氏、結城氏
遺構 土塁
指定文化財 国史跡(小山氏城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 栃木県小山市中久喜字城の内
問い合わせ先 小山市教育委員会文化振興課
問い合わせ先電話番号 0285-22-9668