なかくきじょう

中久喜城

栃木県小山市

別名 : 亀城、栃井城、中岫城、岩壺城
旧国名 : 下野

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城址碑
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しんしんちゃん

なんだか評判のよくない国の史跡。 (2019/11/03 訪問)

写真が古くてゴメンなんだけど中久喜城の投稿です。城址はJR水戸線によって分断されており本丸は線路の南に位置し土塁らしきものが残るのですが主要部は畑地になっていて、その他は藪になっています。国の史跡なのに藪なんですね。
城址碑は線路の北側にあり、北西部は西城と呼ばれていたようです。かつては泥田、湿地に囲まれた要害の地であり小山政光が先祖藤原秀郷の由緒のある当地に築いたとされています。天正18年(1590)には結城秀康に家督を譲って隠居した結城晴朝が越前に移るまで居城としたとされています。

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チェブ

400年続いた小山氏の居城。 (2023/01/03 訪問)

1月3日、この日の最後のお城攻めが「中久喜城」でした。
お正月から1人で、こんなに遠くに来てしまって、日が傾きかけてきた頃に、急に帰りが心配になってきました。
と、言い訳。

「中久喜城」は小山氏の居城です。
いろいろあって、結城氏のお城になります。結城氏が越前に転封になり「中久喜城」は廃城しました。
この、いろいろが、本当にいろいろあって凝縮できません。小山氏は400年も続いたお家です。

Googleの示す「中久喜城」で石碑と説明板の前に到着しました。
石碑がある場所は堀のようです。
そして、土塁があります。
どこか車を停めようとキョロキョロすると、ビニールハウスで作業されている方が帰り支度してました。
手作りの『順路←』の看板があり、ちょっと時間がかかりそうと、またしても言い訳。

ここで退陣しました。
もう一つ、言い訳すると、『防犯パトロール』や『痴漢に注意』やらの幟が目につきました。
不審者に思われたら嫌だしな~。
帰ろっと、潔く退陣しました。

小山氏の歴史に触れると、「中久喜城」をじっくり歩きたくなる お城攻めでした。

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赤い城

水戸線で分断されている (2020/12/12 訪問)

水戸線の小田林駅から徒歩で25分くらい。
県道から細い道を入ったところに説明板が立っています。
そばに藪となった堀と土塁があります。
この土塁は物見台でしょうか。
近くの踏切を渡って線路南側に主郭があります。
こちらも藪。
虎口ぽい部分も見られます。
こちら側の遺構は良好に残っていいます。
他の曲輪は畑となっていました。
小山城の支城とされ、国の史跡にも指定されていますが・・・。

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カズサン

夏草茂り近づけず、案内板で退散 (2020/10/04 訪問)

 水戸城木造復元大手門探訪後宇都宮の孫たちにチョイ寄り顔を見て、小山のホテルでGoTo割引地域クーポンを得た翌日、小山城と連なる国史の中久喜城を訪ねる。
 カーナビは城郭放浪記さんのGoogleMap案内図で史跡マークの有る所を目指す、そこに案内板と駐車エリアが有るとの情報を頼りに出発、東には4~5km程なのですが県道264号線から南に入る所を指示されましたが入るにあまりにも狭い、通り過ぎ又引き返し県道264号線に「中久喜城」との道路標識が有りそこを南入する、細い道を約400m程、太陽パネルの前に駐車エリア、すぐ東に案内板発見。
 案内板が有る所は二の丸?物見土塁?周囲には堀、藪の中、水戸線沿いに東行、踏切を渡って本丸方向へと思いしや数人で踏みつけた後は有るが夏草が茂り進入をはばかる、余湖図コレクションさん古城盛衰記さんの俯瞰図、案内地図を頼りに田圃あぜ道から眺める、曲輪城塁?虎口土塁?、濠跡か?想定する、あぜ道も軽四の轍は有るが草が深いぐるっと南東から南西に回り登城路が有りそうなのですが草が深く撤収しました。
 国史でも探訪は難しい状態です草が枯れたら良いのかも?

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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 小山政光
築城年 久寿2年(1155)
主な城主 小山氏、結城氏
遺構 土塁
指定文化財 国史跡(小山氏城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 栃木県小山市中久喜字城の内
問い合わせ先 小山市教育委員会文化振興課
問い合わせ先電話番号 0285-22-9668