一乗谷に行く前に、一乗谷から西にひと山越えた東大味地区を訪れました。
美濃から越前に逃れた明智光秀は、まず称念寺門前で浪人時代を過ごし、朝倉氏に仕官した後は一乗谷の大手筋にあたる東大味に移り住んだとされます(そのため、称念寺も明智玉(後の細川ガラシャ)の生誕地とされますが、東大味地区でもガラシャ生誕地をうたっていました)。明智神社は光秀の屋敷跡と伝わる土居ノ内にある祠で、墨で塗りつぶされた小さな木彫りの光秀坐像が祀られており、「あけっつぁま」と呼ばれています。明智神社の向かいには東大味歴史文化資料館があり、無人ながら光秀や東大味地区、一乗谷についての様々なパネルが展示されていました。資料館の裏手にはハート苔なんてものもあり、明智神社は恋愛スポットなんだそうです(笑)
また、明智神社から西に徒歩3分の西蓮寺には柴田勝家の坐像が安置され、勝家・勝定の二通の安堵状が寺宝とされています。これは勝家らが越前入りして越前一向一揆と戦う際に、光秀が自らと家族が数年間を過ごした東大味の人々を戦火から守るべく勝家らに依頼して出させたものとされ、その恩からこの地では今なお光秀は慕われているんだとか。
明智神社と西蓮寺に行くには、県道沿いに設けられた明智神社臨時駐車場を利用するのが便利です。一乗谷朝倉氏遺跡広域周遊バスの乗降場所にもなっていますので、公共交通機関利用の場合にも起点となります。県道を東に進むと、車道から朝倉街道(大手道)が分岐して山を越えて一乗谷まで続いているようです。
…麒麟がくる紀行の一環として、東大味地区はぜひ来てみたかったので仕方ないんですけど、こんな風にあちこち寄り道してるから、肝心の一乗谷をめぐる時間が足りなくなってしまうんですよね。
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