松江城は堀尾吉晴公が関ヶ原の合戦の功績により、遠州浜松から出雲・隠岐24万石の大名として月山富田城に入城しましたが、家臣を住まわせる広大な城下町を形成するには土地も狭、交通も不便等の理由から宍道湖のほとり標高28mの亀田山に築城を計画。1607年に着工し、約5年の歳月をかけ1611年に完成しています。城郭の広さは、東西360m、南北560mあり、周囲に幅20mから30mの内堀を巡らしています。南を流れる京橋川を外堀とする輪郭連郭複合式平山城で、宍道湖湖畔に築かれており、日本三大湖城の一つでもあります。
構造は、本丸を中心に、北に北の丸、南に二の丸上段、東に二の丸下段、二の丸上段のさらに南側には、三の丸が配されています。
望楼型天守は4重5階、地下一階で天守の南側に地下一階を持つ平屋の附櫓が付属しています。地下の井戸は城郭建築では唯一の現存例で、天守石垣は、「牛蒡積み」と言われる崩壊しない、技術が使用されています。
昨年、12月に実父が他界、その一週間後に初孫誕生という出来事があり、悲しみと喜びの複雑な心境のもと新年を迎えました。昨年から今まで、平日は仕事、休みは孫の世話でどこの城にも行けていません。
先週、娘と孫が金沢に帰ってしまい、虚脱感というか心にぽっかり穴が開いたようで((+_+))これほど、孫が可愛いものだと思っていませんでした。孫を撮りためた映像を見返しながら、もう少しの間、余韻に浸りたいと思っています。
この松江城は、約9年前に行ったもので古いものになりますが、投稿させていただきます。
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