きしおかじょう

岸岡城

三重県鈴鹿市

別名 : 鬼神岡城
旧国名 : 伊勢

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①岸岡山緑地公園入口
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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)4日目:岸岡城 (2024/09/25 訪問)

千代崎駅から徒歩7~8分くらいで、岸岡山緑地公園階段前(34.852580、136.604897)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、佐藤中務大輔によって築かれたと云われています。 佐藤氏は藤原秀郷の子孫で下野国より移り、戦国時代には神戸氏に従っていたそうです。
1557年(弘治3年)近江六角氏が神戸氏の属城である柿城を攻めた際、神戸城主神戸利盛が救援に赴いた隙に佐藤中務・又三郎父子は謀叛を企て、六角氏の部将小倉三河守の兵を神戸城に迎え入れました。
しかし、佐藤氏の家臣古市与介が佐藤氏に叛いて神戸利盛を岸岡城に迎え、長野藤定とともに神戸城を奪還し、佐藤父子は捕らえられたそうです。

現在は公園となっており公園の案内板には古墳は記されていますが、城址に関する記述はありませんでした。
電車に間に合わせる為、展望台に行かず速攻で引き返しましたが、タッチの差で間に合わず40分近く次の電車を待ちました。
攻城時間は5分くらいでした。次の攻城先=伊勢上野城を目指す為、千代崎駅から電車で豊津上野駅に向かいました。

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しんちゃん

岸岡城の案内板とか欲しかったりする。 (2023/10/07 訪問)

岸岡城は岸岡山丘陵に築かれていますが遺構の大半は失われているようです。岸岡山七号墳
あたりが主郭のようで、すぐ近くにわずかに高台となる扁平地があり、櫓台ではないかと
考えます。城郭大系によれば丘陵南麓から北西部に深さ3mの幅広い空堀が円形状に
残っていると記載がありますが確認できていません。

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todo94

岸岡山緑地 (2023/01/05 訪問)

近鉄千代崎駅から徒歩にてアプローチしました。古墳としての形状はとてもはっきりしているのですが、空堀となるとちょっと微妙な感じです。岸岡山緑地の南側のエリアも恐らく城地なのでしょうが、ちょっと踏み込んでみて遺構を見つけられそうな気配が感じられなかったのでこれにてこの日の攻城を完了といたしました。

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ぴーかる

岸岡城 (2022/09/25 訪問)

【岸岡城】
<駐車場他>岸岡山緑地駐車場無料
<交通手段>車

<感想>岸岡城の築城年は定かではないが築城者は佐藤中務大輔という。佐藤氏は神戸氏の家臣で1557年近江六角氏が侵攻してきた際に六角氏へ寝返るが家臣の内通により殺害されます。
 城跡は古墳群一帯に築かれていたようで、まず駐車場の北側の城びとポイントの4号墳に行きました。途中に整備された削平地があります。城びとポイントは普通の丘のピークで特に目立った遺構は見受けられませんでした。6・7号墳のピークは整備されていました。遺構に空堀が記述されていますがよくわかりませんでした。もの足りないので駐車場の南側の岸岡山緑地の方へも行ってみました。こちらの丘陵地の方が面積が大きいので攻めてきた時こちらに陣取られたら終わりなのでこちら側も城跡で主要部だったようにも感じます。展望台からは眺め良く知多半島がうっすら見えました。

<満足度>◆◇◇

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城郭情報

分類・構造 丘城
築城主 佐藤中務大輔
築城年 不明
主な城主 佐藤氏
遺構 曲輪、横堀(空堀)
住所 三重県鈴鹿市岸岡町字雲雀山