みんなの投稿

検索結果・・・「」を含む投稿

小城小次郎

めまぐるしい (2022/10/10 訪問)

伯耆国の真ん中なのに東伯郡というのが境目らしいというか尼子・毛利が争奪戦を行った挙句に織豊期にも毛利の飛び地だったのを南条が掠め取ったとかいろんなことがあって中村、市橋、池田、津田でやっと落ち着いたという・・。

+ 続きを読む

にのまる

阿波青石パラダイス (2023/01/05 訪問)

徳島駅から路線バスで「一の宮札所前」下車。
帰りのバスまで2時間半あるので時間を気にしないでゆっくり見てまわることにしました。
登城口から縄張り図のコースどおりに、まずは倉庫跡方面に向かいました。山道ですが整備された歩きやすい道でありがたかったです。しばらく登ると神宮寺跡、経筒出土地、神宮寺谷道の案内板があったので、コースからは外れますが行ってみることにしました。どこまでも続くかに見える石敷き道と随所に渋めの石積み。自然の中で芸術鑑賞をしているような気分を味わえました。石の道を抜け出たところは登城口のすぐそばだったので登城リスタートとなりましたが、それも全く苦にならないくらいの満足感でした。

コースに戻って左手の倉庫跡、竪堀、右手の上下二段(縄張り図を見ると三段のようでした)の曲輪跡を見学しつつ進みます。メイン会場にはまだ到達していませんが既に曲輪の数が多いなという印象です。その先進むと二つ目の倉庫跡の案内がありましたが、そちらは行けそうにありませんでした。さらに登るとダイナミックな堀切が見えて才蔵丸に到着。船戸谷川の景色を展望できました。
ここから分岐している外側の道へ進み城内最大の堀切を見て、本丸、明神丸へとまわりました。
はじめて見る緑泥片岩の野面積み石垣。想像していた以上の別天地で、唯一無二の個性の中に人の手による温かさを感じます。本丸を守る頑強な石階段を下り明神丸へ。本丸・明神丸・帯曲輪に三位一体の強さを感じました。

本丸に戻って小倉丸方面へ向かいましたが、この時点で10:30。帰りのバスは11:09発。
ここから後半の見どころだというのに、前半ゆっくりしすぎたせいで既に2時間が経過し、タイムアップまで残り40分を切ってしまいました。来た道を戻るのではなく一周する予定なのでこのあとどのくらいかかるかの見当もついていません。
……まっ、いいか。

小倉丸は虎口が崩落対策中ということでしたが行くことができて、湾曲した土塁や櫓台跡を見ることができました。才蔵丸も細長かったですがここはさらに細長かったです。青々と茂る羊歯に水場の近さも感じました。
空堀、竪堀を見つつ進むと、難所ありの椎丸経由で水の手丸へ行くか、椎丸を通らずに向かうかの二択を迫られました。時間もあまりないし、どちらにしてもこの先避けて通れない鎖場が待っているので椎丸には寄らずに進むことにしました。難所がないとは言え、登城口から小倉丸までの整備された道とは違い自然のままの山道を歩く感じでした。
水の手丸への分岐に着いたのが10:48。水の手丸に寄るとバスに間に合うかかなり微妙。「椎丸に寄らなかったついでに水の手丸にも寄らない」という意味不明な理由付けをして水の手丸はパスして貯水池と堤跡の方へ進みました。
ドキドキの鎖場は思ったほど大変ではなくて(でも鎖がないと降りられなかったです)ホッとしました。ここから登城口まで300メートルの表示があったのでダッシュして無事にバスに間に合いました。

このたびの四国7城めぐりのなかで一宮城がいちばん不安でしたが、楽しんで歩きまわることができました。もし一箇所だけ再訪できるとしたらここを選ぶと思います。(椎丸・水の手丸にも行きたいし。)
御城印収集は最近は積極的にはしていないのですが、整備の一助になればと缶バッチ2個とあわせて(500円硬貨しかなかったので^^;)購入させていただきました。
ここに限らずほぼすべてそうなのですが、城郭協会さんが100名城・続100名城の選定とスタンプラリーという一大企画を立ち上げてくださらなかったら知ることも行くこともきっとなかったので、城郭協会さん、それから何十年もお城に情熱を注いで険しい山道を登城し後進に道をひらいてくださったマニアの皆さまに感謝です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

モト

空堀や郭が確認できました (2023/01/31 訪問)

城跡は片倉城址公園になっておりある程度整備されておりますので見学しやすかったです。
城跡は公園の小高い山の上にあります。
神社がある方と奥の沢の方からの登城ができます。
私は奥の沢の方から登りました。
登り切ると二の丸が下の方から臨め、空堀がしっかり守ってます。
二の丸に入ると出丸のような郭と本丸の間にも空堀を確認できました。
本丸には櫓跡の遺構や下の帯曲輪には神社が建っています。
神社からの本丸、櫓跡の眺めは城跡の雰囲気が漂っておりました。

季節によってツツジや桜が綺麗なようです。
駐車場も公園のがあり停める事ができます。
また、駅からも徒歩で5分くらいですので行きやすい城跡かと。
八王子城へ行った際になど立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

赤い城

冬枯れで土塁が出現 (2023/02/12 訪問)

峰上城の七重堀切を諦めて帰陣途中に立ち寄りました。
請西(じょうざい)藩の陣屋跡です。
霊園の向かいに広い空き地があり、前に説明板が立っています。
投稿にあるように以前あった石碑はなくなったままでした。
空き地隣の藪に遺構が残るとのことだったので入って見ました。
陣屋を囲むように綺麗に残っていました。
周辺は住宅地でおそらくこの空き地も造成用なのでしょうが前回訪問時とそんなに様子は変わってませんでした。

クイズの答えは次のレポートとします。
出題の仕方も頭使いますね。
勉強になります。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

nm

醤油の香り (2022/09/08 訪問)

JR引田駅を降り、城跡までの道のりが楽しい。昔ながらの街並みを通ると讃州井筒屋敷に100名城スタンプがある。近くに醤油醸造所があり、歩きながら香ばしい匂いが郷愁を誘う。蛭子神社を横切り海沿いを歩く。あちこちに引田城の看板があり、テンションが徐々に上がる。登山口には詳細な登り方の立て看板。ちょうど下山した人に会う。伺うと左回りに登るのが良いとのこと。ありがたい。本丸まで季節の花木や鳥たちの鳴き声が楽しめる。小さなかわいい灯台もあり、写真を撮りたい。北の二の丸の石垣は感動して何枚も写真を撮った。思い出の攻城になった。

+ 続きを読む

朝田 辰兵衛

<再>赤い城さんのクイズ… (2022/02/13 訪問)

赤い城さん,ヒントありがとうございます。
房総・上総で行ったことのある,万喜城よりメジャーな城は,忠勝公の居城とくるりんぱの二択。
忠勝公の居城は整備が行き届いているか,開発の手が入っていて,写真のようなワイルド感ナシ。
とすると,くるりんぱ…。
あの時は残雪があり,しかも次第に雨が強くなってきました。弥陀曲輪まで下りたところで,さらに続く尾根道を見つけましたが,ぬかるんだ足元に危険を感じ断念しました。
ということで,久留里城弥陀曲輪より先の尾根道の景色かと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ぴーかる

仁王山城 (2023/01/29 訪問)

【仁王山城】
<駐車場他>廣野神社駐車場<34.428767, 135.540322>2台程度可能。
<交通手段>車

<見所>土塁
<感想>仁王山城は現地案内版も見付けられず、サイト情報も少ないので詳細が記述できませんが、城びと情報によると1332年に楠木正成によって築城されました。
 廣野神社に参拝し、南に真っすぐ進むとGoogle地図ではまず日の谷城跡に着きます。日の谷城跡手前には堀切、左手は1段低い細長い削平地が並行してあります。日の谷城跡は広い主郭と思われる削平地があります。そこからすぐ奥に切通しがあり仁王山城に入ります。井戸跡がある付近は尾根上のやや広い削平地がありその先に谷の扇状地があります。この辺りが一帯が城跡遺構がはっきりとしていて主要部と思われます。山道が土塁上を歩くような感じでさらに両脇に土塁、その先に土橋、土橋下の谷にははっきりしませんが竪土塁のような感じに見えたものもありました。ちょうど日の谷城跡手前で獣捕獲檻を仕掛けられていた方に井戸跡と切通しがある他は何もありませんよ。と教えて下さいましたが、なかなかどうして土塁、曲輪、土橋がはっきりしていてちゃんと城跡でした。廣野神社からほぼ高低差なしでたどり着けるので登山はありません、楽です。

<満足度>◆◆◇

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

牲川義春 (2023/02/18 訪問)

 牲川氏が築いた城とされています。東の城、西の城、出城が尾根で結ばれた縄張りとなっています。尾根には堀切があります。東の城、西の城付近の別の尾根にも堀切がありました。
 橋本市城山団地三丁目の奥にある給水塔が目印です。その奥に城山台三丁目集会所の左に登城路があり標識が立っています。こちらから登城して東の城→西の城→出城と散策しました。出城の下にも別の登城路があり、そこを下山しました。道は迷うようなことはありませんが、急坂があり倒木もあり少し難渋しました。またこの季節は枯れ葉が堆積していて滑って歩きにくかった。特に下山時の急坂は怖かったですね。それでも堀切、竪堀、曲輪、土塁等が残っていて散策していて楽しい城址だと思います。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

三箇氏の居館 (2023/02/18 訪問)

「小山 三箇城址」という石碑が立っています。堀も残っていますが藪になっていてよくわかりません。

+ 続きを読む

松倉重政 (2023/02/18 訪問)

 妙住寺付近が本丸であったようです。近くに案内板がありました。遺構は残っていないように思われます。

+ 続きを読む

ひろし

地元に愛されている城跡 (2023/02/18 訪問)

このサイトを情報源に、石碑のあるところへ訪問しました。
ちょうどその角のお宅の前に、小学生向けでしょうか?簡単な説明文もあり、もう1つの石碑のことも書いてありました。

またそのお宅の方がたまたま外に出てみえて、親切にいらいろ教えてくださいました。

遺構はなくとも、地元の方に大切にされてるお城なんだと感じました。

+ 続きを読む

赤い城

峰上城 千葉県富津市 (2023/02/12 訪問)

環小学校から少し入ったところに公園があり、説明板が立っています。
この公園に車を置き、登って行きます。
峰上城といえば七重の岩盤堀切です。
危険との情報もあるので不安と期待が半分。
しかも先日発症した坐骨神経痛で足の状態も万全ではなかったのですが行きたかった。
登城路の途中にも堀切が三条。
深さもありこれだけでも十分な感じです。
さらに進むと民家があり、ちょうど住人の方が庭にいらしたので声掛け、主郭方面に進んで行きました。
2つの虎口を越えて主郭の環神社へ。
見下ろすと落ちたら即死の堀切が。
流石にここは降りられない、で少し戻って左手の曲輪から降りて、というか滑り落ちて行きました。
搦手の虎口も岩盤を削った堀切状。
期待は高まりましたが足がここで限界でした。
七重堀切は諦めて撤退。
リベンジを誓うしかありませんでした。
帰りに尾崎曲輪を見学。
本当に落ちたら即死の崖を見ながら先にある岩盤堀切を見学しました。
房総の城はやり過ぎ感が大ですがここも狂ってます。
また来ます。

クイズですが難しいですよね。
朝田さんのおっしゃる通り房総、上総の城です。
万喜城よりは行ったことある方多いと思います。
朝田さんも投稿されてる城ですよ。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

朝田 辰兵衛

赤い城さんのクイズ…

写真の空気感は,房総エリアと読みました。ヒントは「ここまで行った方は少ないかも」かな…と。赤い城さんの投稿で,ガイドされながら,約1ヶ月後に再訪された「万喜城」と予想しました。
昨年の9月に外房線巡りをしました。その時に万喜城に行こうかどうか悩みました。しかし,赤い城さんの投稿を拝見し,奥深さを感じて断念しました。行ってないので写真はありませんし,自信もありませんが,赤い城さんのモチベーションを一番感じた千葉県の城ということで,「万喜城」。
いかがでしょうか…?

+ 続きを読む

POYO58

お城クイズ 第二弾!

朝田辰兵衛さんや赤い城さん、にのまるさんのクイズ見たんですが、難しくてどれも分かりません。あ、ちなみに赤い城さんのクイズについては千葉県のお城一個も行ったことないので仕方ないかな。千葉県だったら本佐倉城行きたいですね。あと明智光秀のゆかりの万喜城も行きたいですね。
さて、そんななか、僕だって難しい問題出してやる、と悔しい気持ちになったので今回難問を用意しました。あ、っていうか簡単かもしれませんけど。
では問題、この写真はどこでしょう?これは高石垣ですが、どこのものか分かりますか?わかる人はすぐわかるかもしれませんけど、隅々まで見ないとわからないかもしれません。

+ 続きを読む

チェブ

城びと未登録のお城攻め「井出沢城」。 (2023/01/15 訪問)

東京都 町田市 本町田にある「井出沢城」で、鎌倉奪還を願う 北条家に出会いました。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、鎌倉幕府の出発でした。北条 義時さん他、御家人衆で幕府を繁栄させます。
かなりざっくり、約150年後。
こちらの北条 時行さんは、鎌倉から追われ信濃から、鎌倉奪還の為に出陣
向かえ討つのは、足利 尊氏さんの弟 直義さんです。
こちらの「井出沢城」周辺は戦場になり、北条軍が勝利します。
北条家はこの後、最悪な状態になるので「井出沢城」に話を戻します。

『菅原神社』が「井出沢城」城跡との情報です。もう1段高い所に広場(?)があり、こちらに『井出の沢 古戦場』の説明板と石碑があります。「井出沢城」の物はありません。
そして、『菅原神社』を見下げるような地形で、そのまた1段下に道路が続きます。
遺構等はないですが、広場(?)が1郭で、神社が2郭のようです。
『菅原神社』の写真を写したかったのですが、たくさんの方がお参りしてます。
近くの大学が入学試験だったので、それも理由の1つかも。と、受験生に小さくエールを贈ります。

町田市は、神奈川県に食い込みぎみの、東京都です。
以前、NHKの『ブラタモリ』で紹介してました。
水です、水。玉川上水の管理で揉めたようです。
近くの『境川』が氾濫して、境が分からなくなった、なんて理由もありました。

どの方々も、願いが届いて欲しい「井出沢城」攻めでした。

+ 続きを読む

カズサン

二度目の登城で陣屋に潜入 (2023/02/12 訪問)

 岩津城跡、岩津天神を終えて一山越えて北北東約3km程の奥殿陣屋へ、此処へは平成22年2010年10月4日月曜日に訪れましたが内部は休館日でした、今回初めて内部へ潜入しました。無料です。

 駐車場:東側の第一駐車場と第二駐車場、西側の第三駐車場、今回東側は満車で第三駐車場を利用。

 登城順:第三駐車場、陣屋入城門冠木門の亜流か?、資料展示室、ここで資料を頂き勉強させて頂きました、書院門から書院へ、内部は売店と喫茶コーナー、現在雛さんが所狭しと飾り付けされて居ました、売店で奥殿陣屋の小冊子を購入、庭に回って散策見学、金鳳亭横から庭園上段を散策見学、南側奥に登り土塁と堀を観察見学、南側東側に約200m程延びてるとの看板、更に登って最近整備されたとの歴代藩主の御廟所参拝見学、4段に分かれて廟所がある、初代藩祖真次公は五輪塔、2代以降は笠塔婆で10代まで、最簿の藩主11代乗謨公(大給恒)は東京の墓所、最後の藩主は幕末に陸軍奉行、老中を務めて飛び地である信州佐久の田野口へ五稜郭の龍岡城を築城移転、維新後は恭順して名前も松平から大給に代えて大給恒と改名して明治政府要職を務め、日本赤十字社を創設し大きな仕事をしています。

 探訪中サイレンも鳴り昼食頃、食事処に成ってる金鳳亭で庭園を観ながら食事を頂きました、食事処はほぼ満席、家族連れ、ペアーがほとんど、墓、土塁見学者は私だけ?混んでましたので約1時間ゆっくりしました。

 駐車場の行き帰りでは、菜園に菜花の黄色と背景に植栽文字でジンヤ、花キャベツで今年の西暦と干支のウサギ、うさぎの姿は描かれて居ました。ほっこりともします。
 
 

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

侍ホリタン

「徳川御三家」のひとつ紀州徳川家の居城を訪ねて (2022/08/16 訪問)

豊臣秀吉公が紀州平定後に弟の秀長公に築城を命じたのが始まりで、藤堂高虎公が普請奉行を務めました。秀長公の郡山移封後は桑山家、浅野家が城主を務めました。1619年徳川家康公の10男、徳川頼宣公が城主となり紀州徳川家が設立され、八代将軍吉宗公、十四代将軍家茂公を輩出しました。天守は昭和10年に国宝に指定されますが、昭和20年7月の空襲により焼失しました。現在の天守は昭和33年市民の要望により鉄筋コンクリートによって再建されたものです。
アクセスは徒歩の場合、JR和歌山駅改札出てけやき大通りを真っ直ぐ進めば迷わず行けます。徒歩で20分ぐらいです。天守の展望は和歌山市内を360度見渡すことができます。場内の動物園は祝日以外は火曜日が休園なので注意が必要です。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

小城小次郎

妖怪で賑わう町 (2022/10/10 訪問)

鳥取藩が藩内に建造した台場の中では最大規模を誇るが故に現地に行くとお台場というより野球場の跡地かなにかに見える。付近にはお魚の美味しいお店が点在し、なにより水木しげるロードがこれでもかという賑わいを見せている。

+ 続きを読む

侍ホリタン

「NAKED2022夏祭り世界遺産・二条城」を訪ねて (2022/08/14 訪問)

実施期間2022年7月22日〜8月21日、
唐門のライトアップ、内堀石垣に映し出される花火のプロジェクションマッピングが印象に残りました。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

侍ホリタン

太閤秀吉公が築いた名城を訪ねて (2022/08/14 訪問)

現在の天守は豊臣時代、徳川時代に次ぐ3代目で、昭和6年市民の寄付により復興されたものです。石山本願寺のあった場所に豊臣秀吉公が築城しますが、1615年大坂夏の陣により落城、焼失してしまいます。その後、徳川秀忠公により再築されています。豊臣時代の遺構は殆どが埋設されてしまっている為、現在の櫓、石垣、堀は殆どが徳川時代のものです。アクセスはJR利用の場合、環状線の「大阪城公園駅」もしくは「森ノ宮駅」が最寄り駅になります。 城内には石垣として使用されている巨石が数多くあり、その大きさには圧倒されます。

+ 続きを読む

+ すべての写真を見る

ページ652