一乗谷城は一乗谷の東側に聳える一乗城山の頂部に築かれた山城で、朝倉館の詰城にあたります。築城時期は不詳ながら室町中期には史料に見られ、朝倉氏の本城として一乗谷の繁栄を支えましたが、織田信長の侵攻を受けて朝倉義景は大野郡に落ち延び、一乗谷は焼き払われ、一乗谷城も廃城となったようです。
この日は一日かけてとことん一乗谷をめぐる! ということで、一乗谷史跡公園センターの駐車場に車を駐めて、馬出ルートからまずは一乗谷城を目指します。住宅地の先の八幡神社の麓に馬出ルートの案内表示があり、案内に従って進むと登山道入口の脇に馬出の石垣がみられます。馬出ルートは大手道とされ、出城にあたる小見放城を経て山上御殿群と呼ばれる居住区域に至りますが、道中には首を切られた石仏や岩壁に線刻された磨崖仏、石板に彫られた狛犬などが点在し、宗教施設の存在を感じさせます。
登山道入口から約40分で山上御殿群に到着。千畳敷跡の下段には不動清水と呼ばれる水場があり、不動明王の石仏の足元からこんこんと水が湧き出しています。千畳敷跡は本丸とも呼ばれる城内最大の曲輪で、大きな建物礎石が多数現存し石製の鬼瓦や棟瓦も発見されていることから、山麓の朝倉館に劣らぬ巨大な御殿が建てられていたと考えられます。千畳敷跡に南接する観音屋敷跡と観音屋敷跡上段の赤淵神社跡は、一乗谷城には珍しく土塁で方形に区画された曲輪で、観音屋敷跡の中央部には建物礎石が見られる土壇があり、建物の存在が想定されます。千畳敷跡には多数の破壊された石仏が集められていますが、観音屋敷跡や赤淵神社跡にはその名の通り宗教施設が設けられていたのでしょうか。観音屋敷跡南西隅から宿直跡に続く通路には石垣を施した土塁による虎口が設けられています。宿直跡からは一乗谷越しに福井平野を見渡す眺望が開けていますが……電線が邪魔! かなり近くを走っているため、どのアングルから撮っても電線が入ってしまいます…。宿直跡を見下ろす月見櫓跡にも登ってみましたが、ほぼ自然地形で雑木林と化していました。
山上御殿群北東の尾根は居住区域の防塁の役割を果たしており、尾根上にいくつかの曲輪を配し、堀切(切通)で尾根を分断し、尾根の外側(北東下)には一乗谷城の特徴であるおびただしい数の畝状空堀群が設けられています。下城戸・三万谷ルートに続く切通道を抜けたところに説明板があり、そこからも数条の畝状空堀が見えていますが、もっとあるはずだと畝と堀を乗り越えながら進んでいくと、あるわあるわ、藪化していたり浅くなっていたりでわかりづらい点はあるものの、これまでに見たことのない光景が広がっていました。さすがは一乗谷城で一番の見どころと言われるだけのことはありますね。畝状空堀群の効果を実感(横移動が大変!)しながら切通道に戻って、下城戸・三万谷ルートを下って行くと小さな曲輪があり、その下には空堀(と切岸)が掘られていました。登城道の片側だけなので堀切とは言えないにせよ、防衛施設のひとつではあったようです。
ここで切通道まで引き返して、今度は南東にのびる尾根上の連続曲輪群に向かいます(続く)。
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