ふたみじょう

二見城

奈良県五條市


旧国名 : 大和

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五條新町通りを東に向いて
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カズサン

五條新町通り重要伝統的建物群保存地区 (2026/07/19 訪問)

 松倉重政修築二見城城下町は五條新町として現在も栄えて居り、重要伝統的建物群保存地区として大切に守られている、吉野川舟着き場跡の辺りに、平成20年4月27日竣工した、五條新町通り新町公園、公園内に松倉豊後守重政之碑と傍に碑文石板が設置されて顕彰されている。これは松倉候二見城入城400年を記念したものだそうです。島原では苛政でしたが五條市五條新町通りの方々には感謝されております。
 当日は気温33℃34℃の日中でしたが、顕彰碑を中心に撮影しました、顕彰碑の前の伝統的建物黒漆喰のうだつの在る建物柿本家は立派な造りです。暑く人通りは有りませんでした。

 駐車場:五條代官所駐車場を利用、国道24号線北側で五條代官所長屋門東端下に成ります。10台位は可能。

 駐車場より国道24号線を渡り約150m南に五條新町通りが紀州街道伊勢街道として約600m連なっています。

 柿の葉すしが有名でしたが、暑さの中気温にさらされるので購入は断念しました。
 
 続に、五條代官所駐車場を利用しましたので五條代官所を投稿します。
   

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カズサン

松倉重政候、肥前島原城築城前の居城 (2026/07/19 訪問)

 二見城は中世二見氏館を前身にて、松倉重政は改易された筒井氏重臣の出身、関ケ原合戦戦功で1万石の大名に取り立てられた松倉重政が二見城を改修し五條藩を立藩。吉野川蛇行した河岸段丘東端に本丸(東西40間、南北30間)、二の丸を南北に連郭式、周囲に吉野川から水を引き水堀を廻らし、南に馬場、西に外郭を設けた。(二の丸北に在る、史跡二見城址の説明文による)
 現状は本丸に浄土山妙佳寺が鎮座、南二の丸に製材会社が営業、西側の水堀跡は本丸北から二の丸南まで埋めててられて製材部材、駐車場に成っている。
 約8年在城し、大阪夏の陣大和郡山城戦で更なる軍功を立て元和2年(1616年)肥前日野江城へ4万3千石で国替え、着任後島原城を築城し二見城は廃城となった。
 島原築城は4万石にしては過ぎたる城塞、立派な石垣造り白亜の天守、建物群、苛酷統治が後の島原の乱を誘発された。松倉重政は寛永7年(1630年)に暗殺されて、後を継いだ勝家は寛永15年の島原の乱の責任で徐封改易、津山藩お預けで斬首と成っている。

 先に訪ねた今井城から南西に約2km、本丸跡の浄土山妙佳寺の前に路駐し、周辺を探訪撮影、案内板が唯一の救い、言われて見ると内堀跡かなと思われる高低差、吉野川の河岸段丘の崖?土手の法面が東の護りか?
 松倉重政が作った城下町が五條新町通り重要伝統的建物群保存地区として残り現在の繁栄を築いており、住民には現在も感謝されて顕彰碑も出来ている。

 続く「五條新町通り重要伝統的建物群保存地区」の投稿をします。
 

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昌官忠

公共交通のみで(東海&関西遠征)8日目:二見城 (2024/09/29 訪問)

五條代官所(城びと未登録 奈良県五条市)から徒歩15分ちょっとで、説明板前(34.342582、135.690729)に着きました。

築城年代は定かではないようですが、二見氏によって築かれたと云われています。
筒井順慶の重臣松倉重政は関ヶ原合戦で徳川家康に味方したことから、五條に10,000石を与えられ二見城を居城とし五條藩となりました。
1616年(元和2年)大坂の陣の功により肥前国日野江43,000石で転封となり廃城となりました。

二見城は現在の妙住寺一帯に築かれていたようです。説明板と縄張図を確認しました
大和二見駅にはICカード読み取り機がなかったので、記念に三日市町駅までのキップを購入しました。(ワンマン電車にICカード読み取り機がついています)
攻城時間は10分くらいでした。次の攻城先=烏帽子形城へは、大和二見駅から電車で三日市町駅に向かいました。

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しんちゃん

二見する? (2024/02/24 訪問)

二見には二度見する、振り返ってもう一度見る、みたいな意味もあるようです。じゃあ、その辺にセクスィ~なお姉さんが‥(いません!)
あついっすねー! 最近、あまりの暑さに言動が少し怪しくなって来ています。そう、全ては暑さのせい。
二見城は吉野川にせり出した台地の上に築かれていました。妙住寺のあたりが本丸跡で、南側は二の丸跡になります。妙住寺の御勝手口から入っていくと、吉野川が見え、城址跡としての雰囲気を味わうことが出来ます。
二見城の始まりは南北朝時代に南朝に味方した二見氏の居城とされています。戦国時代、筒井氏三家老の一人であった松倉重政が豊臣秀吉に仕え8千石を領し、慶長13年に1万石に加増され、現在の二見城を築いたとされています。
松倉重政は五條では良政を敷きましたが、大坂夏の陣の功績で肥前日野江に4万3千石で移封すると、石高に似合わない島原城を築いたり、領民から過酷な取り立てを行いました。また、キリシタンの弾圧を幕命により徹底したため、後の「島原の乱」の原因を作ったとも言われています。五條市では今でも名君「豊後様」として称えられ、江戸時代には「松倉祭り」が行われていたようです。島原との落差が半端じゃないっすね。




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城郭情報

分類・構造 平城
築城主 二見氏
築城年 元弘年間(1331〜1334)
主な改修者 松倉重政
主な城主 二見氏、松倉重政
廃城年 元和2年(1616)
遺構 堀跡
再建造物 模擬天守(ミニチュア)、説明板
住所 奈良県五條市二見5