おとはたじょう

乙畑城

栃木県矢板市

別名 : 乙幡城、小幡城
旧国名 : 下野

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しんちゃん

二重堀切 (2026/01/03 訪問)

乙畑城は平安時代末ごろに乙畑兼房によって築かれたのが始まりとされています。現在遺構の残っている山城(平山城)の乙畑城は文亀元年(1501)ごろに喜連川城の出城として塩谷氏によって築かれたとされています。
城めぐりの城と思ってリア攻め目的で寄りましたが、以前訪れた「城びと」の城でした。せっかくなのでもう一回訪問しました。主郭の手前に掘があり竪堀となって下へ続いています。
その手前にも二重の堀切が有り、土塁も残っています。今回はリア攻め目的だったのでここで引き返しましたが、主郭にも土塁が残っているようですね。今回栃木は訪問する予定が無かったので下調べが足りていません。体調も良くないし、いずれ挽回したいですね。

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しんちゃん

乙畑孫四郎 (2024/09/18 訪問)

乙畑城は平安時代の末期から鎌倉時代の初めにかけて乙畑六郎兼房によって築かれたとされています。現在残っている遺構は16世紀の初めごろに喜連川塩谷氏によって築かれたものとされ、堀切などが確認できました。塩谷氏の流れを汲む城主・乙畑孫四郎は、永禄2年(1559)城を包囲した結城晴朝の軍と戦い、壮絶な討死を遂げています。
城址は住宅地に近い丘陵上にあり、不審者と思われても嫌なので、ほどほどに散策して引き揚げています。

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カズサン

乙畑城寄ってみました (2023/11/13 訪問)

 御前原城2度目の登城を終えて、R4号線沿いで5~6km程南の所に乙畑城が在り、城びと赤い城さんの投稿で駐車場の存在、登城も簡単そうな投稿でしたので寄ってみました。

 駐車場:熊野神社砂利駐車場(36°44'15"N 139°59'31"E)数台は可能、トイレ無し
 住所:栃木県矢板市乙畑1091-2
 参考資料:古城盛衰記さん、余湖図コレクションさん、グーグルマップ、城びと

 熊野神社駐車場から神社に参内し参拝、左上の方に城域の曲輪の稜線の様な地形を見るが、登城路、人踏道らしき痕跡も無く、草も茂って登れない、神社の右手東側に人踏道が有り登って行くが右手は崖で下は畑の様、左手西側へは入りたいが樹木が密集して入り込めない、断念して神社へ戻る。
 民家の方が畑仕事などで表に出て居たら尋ねようと裾野の道を西へ移動、城域らしい地形は北側、手の届く所に在るのにと思いながら民家と城域稜線を見ながら動くが人は誰も表に出ていない、廻り込むように北に移動したら、上段の畑、田圃の畦から入り込めそうな所がありそう?、私有地で立入禁止の所も有るとの情報も聞き、麓から城域稜線を眺めただけで今回断念。
 今後の城跡整備と登城路案内新情報が出て来た処で挑戦してみたい、駐車場も有り比高も低く私には適宜な城跡です。

 この後は宇都宮の娘宅により家内をピックアップ、孫達の別れを惜しんで浜松へ高速370km程、時間約5時間半、圏央道が一部渋滞して居ました。
 
  

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赤い城

熊野神社の裏手に (2023/02/18 訪問)

熊野神社に駐車場があります。
神社向かって左手から登って行きます。
この時季は藪もなく下草も刈ってあるので歩きやすいです。
本丸直下に堀があり、その東側には二重の堀切があります。
本丸下の堀は本丸を囲むようになっています。
西側は広めの堀があり、その外側にも堀のような地形がありました。
説明板や石碑もありませんが遺構は残っている城でした。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 乙畑兼房
築城年 平安時代後期
主な城主 乙畑氏、塩谷氏、小幡氏
廃城年 天正18年(1590)
遺構 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)
住所 栃木県矢板市大字乙畑