【岩尾城】
<登城ルート>3つあります。①南東側の稲荷神社から約2.1㎞ ②親縁寺墓地の左手奥、防獣柵の扉をあけて入山し稲荷大明神・達磨岩を通過し和田小学校ルートと合流する。約1㎞ ③和田小学校内から北へ登城する。休校日以外は入校禁止。未調査
<駐車場>①稲荷神社前の道路脇<35.092413, 134.986685> ②親縁寺の南に防火槽の隣の空き地<35.093502, 134.980013> ③小学校側は未調査(公民館に駐車できるようです)
<交通手段>車
<見所>堀切・石垣・曲輪
<感想>北はりま攻城の旅1城目。この日と週を空けて2日間に渡り北播磨の城々を攻略しました。この岩尾城といくつかは丹波地方になりますがご了承を、まずは行きたかった岩尾城です。
登城ルートの状態を説明しますと、私は登城路は①、駐車も①で行きました。でも①のルートは行かない方がいいです。100m毎に距離板があり迷うことはないですが、途中道が無くなっていて羊歯ゾーンをかき分けて登り、2つも山を越えて3つ目が岩尾城の北側搦手から登りとにかくキツイです。下山は②の親縁寺から抜けました。大手門跡から少し下って和田小学校ルートと分岐します。休校日は小学校側からがベターかと。平日と敬遠される方は達磨岩の巨岩の見所がある親縁寺からのルートが良いかと。
岩尾城は1516年和田斉頼によって築城し、1574年明智光秀の丹波攻めにより落城、1586年豊臣時代に佐野栄有が入城し石垣建築に改修した。1596年城壊し令によって廃城となった。
城跡は主要部の南半分は天守台を含めて総石垣造りになっていて豊臣時代に改修された時に出来たものだと思われます。瓦片が落ちており、石垣の隅角部は算木積み未発達だが崩れることなく綺麗に遺構が残っていて見応えがあります。主要部の中心に土塁の物見台があり北側半分が改修前の遺構となっています。土の広い曲輪、北西部には2重堀切があります。小学校ルートの大手道主要部から少し下ると井戸跡とかなり崩れてはいるが法面に石垣が残っています。ここから下ると改修前の遺構で竪堀、大堀切、尾根上の曲輪群、大手門跡は折れ曲り虎口となっています。
戦国時代の山城遺構と織豊時代の石垣遺構が混在し、私好みの石垣遺構、見所多い百・続百名城に負けてない城跡でした。大満足vv
<満足度>◆◆◆
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