いわおじょう

岩尾城

兵庫県丹波市

別名 : 和田城
旧国名 : 丹波

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石垣マニア絶賛の丹波の山城 (2023/11/23 訪問)

初投稿です。拙い文章になるかとは思いますが、読んでいただけますと幸いです。

記念すべき最初の投稿は、私の地元兵庫県丹波市から岩尾城跡になります。
小学4,5年生くらいの頃に父と2人で訪れて以来、約15年ぶり2回目の登城です。
当時と比べて山頂付近がきれいに整備されており、見映えがかなり良好な印象を受けました。
記憶が曖昧ゆえ、登り切ってまず最初に「こんなに石垣残ってたっけ?」と感じてしまいました。

井戸跡を通過して少し歩いたところで視線を上にやると、一気に石垣が見えてきます。
ここら辺りで、石垣マニアの血が騒ぎ始めます。
場内に残る石垣は、積石に加工を施さない野面積で築造技術としては最古のものであり、その未熟さがうかがえます。
当日は天気もすこぶる良く、絶景でした。

登城路は全部で3つあるらしいのですが、2つ確認済です。
山登りに慣れていない方、初登城の方は初級コースをおすすめします。
初級コースは和田小学校の裏手にあり、校内を通る必要があります。
そのため、登城前後に学校に一報を入れてくださいとのことです(休日・祝日はこの限りでない)。
もうひとつが上級コースです。
実は2回目の登城前日に挑戦したのですが、4分の3まで登ったところで断念しました。
道なき道を只管に進まないといけないので、特に帰路は戻れるか不安になりますし、往復で4kmほどあるそうです。

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流紋岩質凝灰岩の山体と石垣 (2023/05/05 訪問)

城びと先人の投稿を見て、行きたい城にノミネート。麓から見上げる写真がまだなかったので投稿します。
頂上付近の木が伐採されており、麓から石垣がよく見え、気持ちが高まります。
本曲輪南面は、もとの岩と石垣の組み合わせで、石率大です。加工しやすい凝灰岩の山体であり、石は、現地調達できます。裏手は土造り。
和田小学校裏手から登り、親縁寺・郵便局方向に降りるルートをとりました。南の曲輪手前で両ルートは合流します。南の曲輪から、本曲輪まで、比高はないが、距離はあります。平日は、進入NGですが、小学校ルートがいちばん整備されててかつ楽な道のようです。

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るるパパ

5回目です (2022/10/30 訪問)

山頂の西の丸の石垣周辺の木が切り取られ石垣のスケール感がわかるようになりました。地元の皆さんに感謝。丹波最高の山城です。1597年に廃城ということで、そのままに残っています。ここまでリアルを感じる城は他にありません。木の根っこに侵食されて崩れた石垣の姿も自然です。キレイすぎる竹田城(後世の人の手がかなり入っている)より価値があると思います。また黒井城よりも土木量が多く壮観です。瓦の数もすごいです。車がないと厳しいですが、和田地域づくりセンターの駐車場に止めて和田小学校経由で、ぜひチャレンジしてください!

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ぴーかる

岩尾城 (2021/10/30 訪問)

【岩尾城】
<登城ルート>3つあります。①南東側の稲荷神社から約2.1㎞ ②親縁寺墓地の左手奥、防獣柵の扉をあけて入山し稲荷大明神・達磨岩を通過し和田小学校ルートと合流する。約1㎞ ③和田小学校内から北へ登城する。休校日以外は入校禁止。未調査
<駐車場>①稲荷神社前の道路脇<35.092413, 134.986685> ②親縁寺の南に防火槽の隣の空き地<35.093502, 134.980013> ③小学校側は未調査(公民館に駐車できるようです)
<交通手段>車

<見所>堀切・石垣・曲輪
<感想>北はりま攻城の旅1城目。この日と週を空けて2日間に渡り北播磨の城々を攻略しました。この岩尾城といくつかは丹波地方になりますがご了承を、まずは行きたかった岩尾城です。
 登城ルートの状態を説明しますと、私は登城路は①、駐車も①で行きました。でも①のルートは行かない方がいいです。100m毎に距離板があり迷うことはないですが、途中道が無くなっていて羊歯ゾーンをかき分けて登り、2つも山を越えて3つ目が岩尾城の北側搦手から登りとにかくキツイです。下山は②の親縁寺から抜けました。大手門跡から少し下って和田小学校ルートと分岐します。休校日は小学校側からがベターかと。平日と敬遠される方は達磨岩の巨岩の見所がある親縁寺からのルートが良いかと。
 岩尾城は1516年和田斉頼によって築城し、1574年明智光秀の丹波攻めにより落城、1586年豊臣時代に佐野栄有が入城し石垣建築に改修した。1596年城壊し令によって廃城となった。
 城跡は主要部の南半分は天守台を含めて総石垣造りになっていて豊臣時代に改修された時に出来たものだと思われます。瓦片が落ちており、石垣の隅角部は算木積み未発達だが崩れることなく綺麗に遺構が残っていて見応えがあります。主要部の中心に土塁の物見台があり北側半分が改修前の遺構となっています。土の広い曲輪、北西部には2重堀切があります。小学校ルートの大手道主要部から少し下ると井戸跡とかなり崩れてはいるが法面に石垣が残っています。ここから下ると改修前の遺構で竪堀、大堀切、尾根上の曲輪群、大手門跡は折れ曲り虎口となっています。
 戦国時代の山城遺構と織豊時代の石垣遺構が混在し、私好みの石垣遺構、見所多い百・続百名城に負けてない城跡でした。大満足vv

<満足度>◆◆◆

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城郭情報

分類・構造 梯郭式山城
天守構造 不明(天守台あり)
築城主 和田斉頼
築城年 永正13年(1516)
主な城主 和田氏、佐野栄有
遺構 曲輪、出丸、石垣、天守台、堀切、土塁、井戸、虎口
指定文化財 県史跡(岩尾城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 兵庫県丹波市山南町和田
問い合わせ先 丹波市教育委員会文化財課
問い合わせ先電話番号 0795-70-0819