岡城から転戦。塩田城碑前空スペース(36.341052、138.195871)に駐車しました。
築城年代は定かではないようですが、1277年(建武3年)北条義政が信濃国塩田荘へ移り居城として築いたようです。
北条義政は鎌倉幕府の要職にあった人物で、義政、国時、俊時と三代にわたって塩田荘を治め塩田北条氏と呼ばれています。
1333年(元弘3年)北条国時・俊時父子は鎌倉幕府の滅亡に際して鎌倉へ馳せ参じ討死しました。
鎌倉幕府が滅亡すると1335年(建武2年)には村上信貞に塩田荘十二郷が与えられ、塩田城には村上氏の重臣福沢氏が代官として置かれました。
1553年(天文22年)武田氏の侵攻により村上氏の居城である葛尾城は落城、塩田城は村上氏の最後の拠点となりましたが、同年に落城しました。
信濃から村上氏を駆逐した武田氏は、塩田城に飯富氏などの重臣を置いて拠点としましたが、1582年(天正10年)武田氏は滅亡しました。
塩田城は入口の道路の所が内堀のようで、西側に曲がり南北に伸びて土塁が残っています。
攻城時間は35分くらいでした。
ここから上田駅に戻りレンタカーを返却して、次の攻城先=布施高田館(城びと未登録 長野県長野市)に向かう為、篠ノ井駅に電車で移動しました。
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