しおだじょう

塩田城

長野県上田市

別名 : 古城
旧国名 : 信濃

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城跡碑
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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:塩田城 (2023/04/20 訪問)

岡城から転戦。塩田城碑前空スペース(36.341052、138.195871)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、1277年(建武3年)北条義政が信濃国塩田荘へ移り居城として築いたようです。
北条義政は鎌倉幕府の要職にあった人物で、義政、国時、俊時と三代にわたって塩田荘を治め塩田北条氏と呼ばれています。
1333年(元弘3年)北条国時・俊時父子は鎌倉幕府の滅亡に際して鎌倉へ馳せ参じ討死しました。
鎌倉幕府が滅亡すると1335年(建武2年)には村上信貞に塩田荘十二郷が与えられ、塩田城には村上氏の重臣福沢氏が代官として置かれました。
1553年(天文22年)武田氏の侵攻により村上氏の居城である葛尾城は落城、塩田城は村上氏の最後の拠点となりましたが、同年に落城しました。
信濃から村上氏を駆逐した武田氏は、塩田城に飯富氏などの重臣を置いて拠点としましたが、1582年(天正10年)武田氏は滅亡しました。

塩田城は入口の道路の所が内堀のようで、西側に曲がり南北に伸びて土塁が残っています。
攻城時間は35分くらいでした。
ここから上田駅に戻りレンタカーを返却して、次の攻城先=布施高田館(城びと未登録 長野県長野市)に向かう為、篠ノ井駅に電車で移動しました。

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山懐 (2018/02/03 訪問)

山の尾根に挟まれた谷とそこから拡がる扇状地に段々の曲輪群。小さな川の小さな扇状地で、平野部との高低差があり、眺望よし。戦闘的でなく行政、兵站基地的。散策は雪で難渋。
尾根を越えた前山寺にも駐車場あり。

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カルビン

松茸シーズンは入山禁止 (2015/05/01 訪問)

3年前のGWには長野県上田を拠点にした1泊2日のお城巡りを敢行して来ました。
その際武田信玄も北信濃攻略や対上杉謙信の拠点として使用したとされる塩田城を訪問。

松茸の取れる私有地との事で、秋のシーズンは入山禁止になっている模様ですが、それ以外の時期もある程度奥に入った場所から先、立入禁止の札が沢山あって、どうやら期間関係無く山上の方にある遺構は残念ながら見学出来ない様になってました。
(おそらく松茸の生育に良く無いからかと思われ。。。仕方ないね(汗))

立ち入る事が出来るのは登りの緩やかな地域までなのですが、それでも立ち入り禁止区域の手前には結構な規模の石垣群が見られます。
ここは自然と同化して、個人的にはものすごく好みの場所で御座います。

緑が多く湿度の高い場所なので、夏場は藪蚊と藪化が凄そう・・・しかも蛇も出そうな雰囲気ありますので、松茸シーズンを回避しなければならないとなると、やはり12月下旬・丁度今頃から3月くらいの訪問がベストかと。
しかしこの時期、雪の可能性もあり、しかも路面凍結の危険もあるので、訪問にはくれぐれもご注意下さい。
(GWの訪問ではちょっと緑が多過ぎた感がありましたので)


車で真田郷を見学に来られる方、ついでにちょっと足を延ばして、ここ塩田城や、村上vs武田の合戦場・上田原古戦場にも立ち寄られてはいかがでしょうか?
(地元の観光PRみたいw)

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オダリン

別所温泉に行く途中見つけた (2009/05/23 訪問)

国宝八角三重塔の安楽寺に行く途中前山寺の三重塔も重要文化財なので見に行ったら直ぐそばにあった。鎌倉時代と古くからあり塩田北条氏の築城という。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 北条義政
築城年 建治3年(1277)
主な城主 北条氏、福沢氏(村上氏家臣)、村上義清、飯富虎昌(武田氏家臣)、真田氏
遺構 曲輪、石積、横堀(空堀)、虎口
指定文化財 県史跡(塩田城跡)
再建造物 石碑、説明板
住所 長野県上田市前山309他
問い合わせ先 上田市文化振興課
問い合わせ先電話番号 0268-23-6361