おおしまじょう

大島城

長野県下伊那郡

別名 : 台城
旧国名 : 信濃

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二重三日月堀馬出
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カズサン

南信濃城廻りⅢ 二重三日月堀に大空堀 (2016/05/02 訪問)

 平成28年5月連休に松岡城を終えて北に約6km程の大島城へ初登城する、国道153号線を北上し松川町の台城公園を目指し同駐車場に停める、当日はつつじ祭りで人出は多く、いろんな色のつつじは満開、鯉のぼりは数多く泳いで居り賑わいの中での探訪は久し振りです。
 天竜川東に迫り出した舌状台地に築かれて居り西虎口に二重三日月堀の丸馬出が有名で見所、各堀も深くて広い流石武田流築城術恐るべしすっかり堀に土塁に曲輪に惚れ惚れ酔いしれ、満開のつつじ、藤、鯉のぼりが更に趣を増して呉れました。
 じっくりと探訪、観たい城郭です。

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山口駿河守幻夢斎

武田流の築城術、遺構の規模のデカさに度肝を抜かれる大島城跡 (2018/09/30 訪問)

大島城跡は、台城公園として整備されているので、駐車場も完備、また、JR飯田線の山吹駅から徒歩圏内だと思います。
この日は、9月下旬のまだ残暑の厳しい時期でしたが、下草も少なく見学しやすかったです。暑さの中、吹き出す汗にまみれながら、夢中で駆け回ったことが思い出されます。
おかげで、駐車場わきに残されているという、三日月堀を見落とすという大失態をやらかしました(笑)
大島城は、信州の南側の拠点として、重要な役目を果たしましたが、織田軍の甲州侵攻の際、城主は戦わずして城を放棄、そのまま、廃城になったようです。

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巨大な三日月堀は県下随一 (2018/12/16 訪問)

下伊那郡松川町にある大島城は、平安時代末期に片桐宗綱が天竜川の右岸に築いたのが始まりで、簡素な砦程度の規模だったようです。宗綱は大島の地に知行を得て大島氏を称し、以後400年間大島氏の居城として機能しました。戦国時代、甲斐の武田信玄が伊那谷に侵攻した際、大島氏は武田氏に属しました。元亀2年(1570)武田氏は三日月堀や馬出などを備えた大城塞に改修しましたが、天正10年(1582)織田軍が伊那谷へ攻め入り、城将だった武田逍遙軒信廉(信玄の弟)は戦わずして甲斐へ退却、大島城は落城しました。本丸跡からは当時の焼米が見つかっています。

大島城の東側三方は天竜川が大きく蛇行した断崖に面した要害で、防備の手薄な西側の平坦地に馬出と三日月堀が築かれていました。その大島城最大の見どころである三日月堀。二重構造の大規模なもので、その立体感からかなりの威圧感を受けます。 現在残る大島城の構成は2期に大別され、天竜川に面した断崖の突端部分の本丸が、平安時代の末に大島氏が築いた最初の砦で、その後約400年の時を経た戦国時代、甲斐の武田氏が伊那谷を攻略した際に、本丸から西方向へ城域を拡張し大規模な改修を行いました。近年遺構の整備が行われたようで、三日月堀や馬出、土塁などが良好に観察できます。

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三日月堀 (2016/04/29 訪問)

 山吹駅から徒歩で登城しました。以前から気になっていた城址でした。三日月堀が大きく深くすばらしかった。城址は公園化されていています。行ったときは、ツツジ祭りという看板があり、城址には多くのツツジが咲いていました。縄張りもわかりやすく、井戸もありいい城址です。

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城郭情報

分類・構造 連郭式平山城
築城主 片桐氏
築城年 12世紀後期
主な改修者 秋山虎繁
主な城主 秋山虎繁(武田氏家臣)、武田信廉(武田氏家臣)
廃城年 天正10年(1582)
遺構 曲輪、土塁、横堀(三日月堀)、馬出
指定文化財 町史跡(大島城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 長野県下伊那郡松川町元大島古町
問い合わせ先 松川町商工観光係
問い合わせ先電話番号 0265-36-7027