ぶせつじょう

武節城

愛知県豊田市

別名 : 地伏城
旧国名 : 三河

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二の丸
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キンヤ

大きな空堀が見応えあり、城山全体に曲輪を多数配置した城 (2021/08/30 訪問)

9年ぶりに行きました。
田峯城の菅沼氏の支城として築かれ、美濃・信濃との国境に近い要衝の地で、道の駅「どんぐりの里いなぶ 」の直ぐ東側に城山があります。

武田勝頼が長篠の戦いで敗れた後、落ち延び、梅酢湯を飲み一泊したと伝わります。

本丸背後には土塁の櫓台があり、城山神社が祀られています。

本丸の南側は自然地形も活用しているかもしれませんが大きな空堀で分断されており見応えがありました。

城山全体に曲輪を多数配置した規模が大きな城でした。

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イシテル

本丸を囲む曲輪群が面白い (2021/02/24 訪問)

武田勝頼が長篠の戦いで田峯城の城主と敗走し辿り着いたが、田峯城を守る家臣から反逆に合い入城を拒絶され、田峯城の支城である武節城まで逃げ込み、一夜明けて勝頼は甲府へ逃れた。命からがら敗走している武田勝頼がひと時の安堵を得た城、歴史を感じます。
本丸、二の丸、三の丸その周りは整備されています。この城は、周りを囲む曲輪群に面白さがありますが、まだ整備途中で木々に囲まれ、入り込むことが難しく、遠目で見ました。これからの整備を期待します。
道の駅「どんぐりの里」の駐車場が利用でき、駐車場から歩いて数分のロケーション。道の駅にある「いなぶ観光協会」で御城印の購入が可能です。

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橋吉

武田勝頼ゆかりの城 (2013/10/06 訪問)

武節城があった愛知県豊田市武節町は、長野県・岐阜県との県境です。
したがって、ここは信濃・美濃の侵攻を防ぐ三河の国境の城だったわけです。

国道153号にある「道の駅 どんぐりの里」北にトンネルがあります。
このトンネルの上に武節城はあります。

山城ではなく、小高い丘に建てられた平山城ですので、5分ほど坂を登れば到着します。それでも、息は切れ切れですが・・・

武節城は3つの曲輪が階段状に作られています。
一番低いところにある三の丸
一段高いところに二の丸があります。
さらに、その上にある本丸


1571(元亀2)年、信長包囲網に呼応した武田信玄は2万5千の大軍を率いて三河侵攻を開始しました。
この際、武節城はなんと戦わずして武田の軍門に下ってしまいました。
しかし、この後信玄は体調を崩したため、退くこととなりあげくのはてに病死してしまいます。

1575(天正3)年、信玄の息子勝頼は三河に侵攻し、徳川・織田連合軍と激突することとなります。長篠の戦いですね。
敗れた勝頼は田峯城主菅沼定忠に伴われ撤退しますが、すでに田峯城では謀反が起こっており入城できず、命からがら武節城にたどり着き、梅酢を飲んで一息ついたとの言い伝えがあります。

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姫街道

凄い数の曲輪群 (2020/12/05 訪問)

十数箇所の曲輪が四方八方に作られている珍しいお城だと感じた。縄張り図にも曲輪だらけ。城自体はこじんまりとしているが、曲輪群のおかげで大きく見える。驚く事に城をトンネルが抜いている。しかも、道の駅が隣接しており、国境の城として戦火に明け暮れた城にしては、どこか明るさすら感じる。城の麓を塩の道「中馬街道」が通り、情緒あふれる地域だ。
さて武節城と言うと、長篠の戦いで敗北した勝頼が、田峯城主菅沼定忠と田峯城に逃げ帰ろうとしたら、家臣の裏切りによって入城出来ずに、武節城に逃げ込んだ事は有名だ。この山深い三河の最北端とも言える城までの田峯城からの道中、さすがの勝頼も辛かっただろう。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 菅沼定信
築城年 永正年間(1504〜1521)
主な城主 菅沼氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(武節城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県豊田市武節町シロ山194他
問い合わせ先 豊田市教育委員会教育行政部文化財課
問い合わせ先電話番号 0565-32-6561