ぶせつじょう

武節城

愛知県豊田市

別名 : 地伏城
旧国名 : 三河

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武節城の紅葉
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しんちゃん

武田勝頼延命の城。 (2025/11/16 訪問)

この日のスタートは武節城です。相変わらずいい紅葉ですね。本丸背後の櫓台が城山神社になっているので主郭まで車で行けるけど麓から歩いて行った方が良いですよ。5分も有れば主郭まで到達できます。
長篠の合戦の後の武田勝頼は田峯城に逃げ延びたものの入城を拒まれ、なんとか武節城に落ち延び一命を取り留めました。もともと勝頼さんは武田家の跡取りとして帝王学を学んでいたわけではないので、当初はゴリゴリの武将だったイメージはあります。
こののち、いろいろと計略を用いるようになり武田氏の最大版図を得るようになりますが、北条氏との関係回復がかなわなかったのが残念ですね。
武田信玄も存命中に国許で若衆のお尻を狙っているヒマがあったら他にすることがあったのではなかろうか・・
武節城は主郭の南に大きな堀切があり、その先に郭群がありました。腰郭もけっこうあるみたいで、見た目以上の防御力はあったのではないでしょうか。

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T-Shionoya

南側が見逃せない武節城 (2024/09/28 訪問)

今回も道の駅を併設した三河山間部の城。
翌週の講演会&武節城ウォークの予習で訪れた愛知県豊田市の武節城。

美濃・信濃との国境エリアで、街道の交差点となる三河の山里。
その平地部へ南から突き出た比高約50mの尾根の先端部に築かれた城で、狼煙による情報伝達を担った模様。

1500年代初期に田峰城主の菅沼定信が支城として築き、1575年には長篠の戦いに敗れた武田勝頼が落ち延びたと伝わります。
その後、徳川方の奥平氏の城となり、1590年の奥平信昌の関東移封に伴い廃城とのこと。

現在は農地や墓地、そして本丸物見台には城山神社が鎮座。
訪問時、雨が降ったり時々日が射したりの空の下、北西側の登城路からスタート。中腹のゲートボール場跡地の平地は道の駅の案内図になく、後から削平されたものでしょうか。
全体的に要塞感は薄いものの、本丸南側の空堀は大きく、本丸東隅部や外曲輪の南側は横矢を掛ける構造にも見える興味深いポイント。

南側が見逃せない印象の武節城が、私の城郭巡りの187城目となりました。

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武節城 (2023/07/30 訪問)

豊田市史跡

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しんちゃん

隠れ紅葉の名所 武田勝頼ゆかりの城 (2021/11/14 訪問)

ちょうど今 大河ドラマ「どうする家康」が長篠の合戦で盛り上がっていますが
その長篠の合戦で敗れた勝頼が甲斐に戻る際に立ち寄った城です。
この時期でも紅葉している木がありますが、この武節城は隠れた紅葉の名所であります。
本丸まで車で登ることが出来るようですが私は少し離れたところに車を置いて登城道を歩いて登りました。
比高もそれほど高くなくすぐに本丸にたどり着きます。
最高所は神社になっており物見台 狼煙台の看板が立っています。
本丸のすぐ後ろは堀切になっており外郭との間を隔ててあります。
投稿の写真はいずれも秋の物です。
少し離れたところにお住いの方も、秋に豊田 三河の紅葉の隠れ名所の城を訪問してみませんか?

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 菅沼定信
築城年 永正年間(1504〜1521)
主な城主 菅沼氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(武節城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県豊田市武節町シロ山194他
問い合わせ先 豊田市教育委員会教育行政部文化財課
問い合わせ先電話番号 0565-32-6561