ぶせつじょう

武節城

愛知県豊田市

別名 : 地伏城
旧国名 : 三河

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堀切
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POYO58

勝頼が敗走した時に寄ったという。 (2022/06/04 訪問)

1521年菅沼定信が築城。武田信玄の三河攻めの際この城を攻められるが、菅沼氏は戦わず開城し、武田氏の家臣となる。信玄の死後、武田勝頼が明知城を攻め、調子が良かったものの長篠合戦で大敗。最初は田峰城へ敗走するが、田峰城の居役の今泉道善が織田、徳川からの報復を恐れて入城を拒否。その後、この武節城に入城し、梅酒を飲んで一泊すると、その後信濃へと逃れた。

5つの曲輪からなり、3つほどの空堀が設置されています。土塁がとても多いです。本丸には石碑が立っています。また狼煙台の跡も確認できます。小規模な山城ではありますが、気になる城でありました。

評価
遺構:3
建物:-
行きやすさ:4
全体:2

駐車場は近くの道の駅であるどんぐりの里に止めました。

攻城時間
20分ほど 駐車場から徒歩5〜10分ほどで本丸に着きます。

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徳川信康初陣の城 (2022/02/26 訪問)

徳川信康が初陣で攻め落としたと伝わる城です。現地の案内板には山岡荘八の小説「徳川家康」にそのときの様子が詳しく書かれているとありましたが、昔読んだのですが全く覚えていません。時間があれば読み直したいと思います。また武田勝頼が長篠の戦いで敗れ甲斐へ帰る途中に立ち寄った城としても伝わっています。
道の駅「どんぐりの里いなぶ」から武節城の看板が見えます。上の方まで車で行けますが、歩いても5分くらいで城域に入れます。本丸と外曲輪の間の堀切(空堀と表示されています)が見どころです。どこまで当時ののかわかりませんが曲輪と思える削平地があります。

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キンヤ

大きな空堀が見応えあり、城山全体に曲輪を多数配置した城 (2021/08/30 訪問)

9年ぶりに行きました。
田峯城の菅沼氏の支城として築かれ、美濃・信濃との国境に近い要衝の地で、道の駅「どんぐりの里いなぶ 」の直ぐ東側に城山があります。

武田勝頼が長篠の戦いで敗れた後、落ち延び、梅酢湯を飲み一泊したと伝わります。

本丸背後には土塁の櫓台があり、城山神社が祀られています。

本丸の南側は自然地形も活用しているかもしれませんが大きな空堀で分断されており見応えがありました。

城山全体に曲輪を多数配置した規模が大きな城でした。

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イシテル

本丸を囲む曲輪群が面白い (2021/02/24 訪問)

武田勝頼が長篠の戦いで田峯城の城主と敗走し辿り着いたが、田峯城を守る家臣から反逆に合い入城を拒絶され、田峯城の支城である武節城まで逃げ込み、一夜明けて勝頼は甲府へ逃れた。命からがら敗走している武田勝頼がひと時の安堵を得た城、歴史を感じます。
本丸、二の丸、三の丸その周りは整備されています。この城は、周りを囲む曲輪群に面白さがありますが、まだ整備途中で木々に囲まれ、入り込むことが難しく、遠目で見ました。これからの整備を期待します。
道の駅「どんぐりの里」の駐車場が利用でき、駐車場から歩いて数分のロケーション。道の駅にある「いなぶ観光協会」で御城印の購入が可能です。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 菅沼定信
築城年 永正年間(1504〜1521)
主な城主 菅沼氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(武節城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県豊田市武節町シロ山194他
問い合わせ先 豊田市教育委員会教育行政部文化財課
問い合わせ先電話番号 0565-32-6561