ぶせつじょう

武節城

愛知県豊田市

別名 : 地伏城
旧国名 : 三河

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武節城 (2023/07/30 訪問)

豊田市史跡

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しんちゃん

隠れ紅葉の名所 武田勝頼ゆかりの城 (2021/11/14 訪問)

ちょうど今 大河ドラマ「どうする家康」が長篠の合戦で盛り上がっていますが
その長篠の合戦で敗れた勝頼が甲斐に戻る際に立ち寄った城です。
この時期でも紅葉している木がありますが、この武節城は隠れた紅葉の名所であります。
本丸まで車で登ることが出来るようですが私は少し離れたところに車を置いて登城道を歩いて登りました。
比高もそれほど高くなくすぐに本丸にたどり着きます。
最高所は神社になっており物見台 狼煙台の看板が立っています。
本丸のすぐ後ろは堀切になっており外郭との間を隔ててあります。
投稿の写真はいずれも秋の物です。
少し離れたところにお住いの方も、秋に豊田 三河の紅葉の隠れ名所の城を訪問してみませんか?

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宗春

武節城 (2023/05/02 訪問)

愛知県に帰省するにあたり、地元の友人と城攻めしてきました。その①武節城です。

車を道の駅どんぐりの里いなぶに停めて、道路の上の山をぐるっと歩きました。

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POYO58

勝頼が敗走した時に寄ったという。 (2022/06/04 訪問)

1521年菅沼定信が築城。武田信玄の三河攻めの際この城を攻められるが、菅沼氏は戦わず開城し、武田氏の家臣となる。信玄の死後、武田勝頼が明知城を攻め、調子が良かったものの長篠合戦で大敗。最初は田峰城へ敗走するが、田峰城の居役の今泉道善が織田、徳川からの報復を恐れて入城を拒否。その後、この武節城に入城し、梅酒を飲んで一泊すると、その後信濃へと逃れた。

5つの曲輪からなり、3つほどの空堀が設置されています。土塁がとても多いです。本丸には石碑が立っています。また狼煙台の跡も確認できます。小規模な山城ではありますが、気になる城でありました。

評価
遺構:3
建物:-
行きやすさ:4
全体:2

駐車場は近くの道の駅であるどんぐりの里に止めました。

攻城時間
20分ほど 駐車場から徒歩5〜10分ほどで本丸に着きます。

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城郭情報

分類・構造 平山城
築城主 菅沼定信
築城年 永正年間(1504〜1521)
主な城主 菅沼氏
遺構 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財 市史跡(武節城址)
再建造物 石碑、説明板
住所 愛知県豊田市武節町シロ山194他
問い合わせ先 豊田市教育委員会教育行政部文化財課
問い合わせ先電話番号 0565-32-6561