1521年菅沼定信が築城。武田信玄の三河攻めの際この城を攻められるが、菅沼氏は戦わず開城し、武田氏の家臣となる。信玄の死後、武田勝頼が明知城を攻め、調子が良かったものの長篠合戦で大敗。最初は田峰城へ敗走するが、田峰城の居役の今泉道善が織田、徳川からの報復を恐れて入城を拒否。その後、この武節城に入城し、梅酒を飲んで一泊すると、その後信濃へと逃れた。
5つの曲輪からなり、3つほどの空堀が設置されています。土塁がとても多いです。本丸には石碑が立っています。また狼煙台の跡も確認できます。小規模な山城ではありますが、気になる城でありました。
評価
遺構:3
建物:-
行きやすさ:4
全体:2
駐車場は近くの道の駅であるどんぐりの里に止めました。
攻城時間
20分ほど 駐車場から徒歩5〜10分ほどで本丸に着きます。
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