宿泊先ホテルの朝食前に、武水別神社駐車場(36.517733、138.103005)に駐車し、松田家館跡(36.519004、138.101852)に向かいました。
松田氏は藤原姓で鎮府将軍藤原秀郷の子孫が相模郡松田郷におり、その子孫が松田氏を称しその子孫が当地に来て八幡七郷を領し八幡宮に仕え「八幡の松田氏」となりました。
村上氏が滅んだ後、武田氏につかえ、その後上杉に仕えました(民部助と名乗る⇒織部佐)。1598年(慶長3年)上杉景勝が会津に移封した際、織部佐は随い神職は弟縫殿助に譲りました。
以後神主にて人民を支配するを停められ、神領200石を社僧等分して受領、明治維新まで続きます。明治6年以後は神宮寺の関与がなくなり、松田家と社家により神社の運営がなされているそうです。
朝早いので、松田家館は開いていませんでした。
武水別神社に「川中島の戦い初戦の地」の碑がありました。
攻城時間は15分くらいでした。次の攻城先=屋代城に向かいました。
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