おみじょう

麻績城

長野県東筑摩郡


旧国名 : 信濃

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大堀切
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昌官忠

(長野県&岐阜県方面城巡り)3日目:麻績城 (2023/04/20 訪問)

屋代城から転戦。搦手の北山口付近空スペース(36.469533、138.041515)に駐車しました。

築城年代は定かではないようですが、服部氏によって築かれたと云われています。
服部氏が虚空蔵山城(麻績古城)の守りを固めるために、背後の山に築いたのが始まりだそうです。
服部氏の後は、武田氏に属した青柳城主青柳清長が麻績氏を称して麻績城主となりました。
武田氏滅亡後、上杉景勝と小笠原貞慶によって争奪戦が繰り広げられ、最終的には小笠原氏の所領となりました。

狭い尾根の登り下りはちょっと怖く、へびにも遭遇しビビりました。
遺構として堀切、空堀、竪堀を確認しました。
攻城時間は60分くらいでした。次の攻城先=麻績古城(城びと未登録 長野県麻績村)に向かいました。

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麻績古城 (2023/04/22 訪問)

 麻績氏は最初に居館の詰城として麻績古城(虚空蔵山城)を築き、その後戦国時代に山上の麻績城を築いたとされています。
 麻績城から急斜面を下れば行けそうでしたが、急がば回ろうと一度地上へ戻り登城しました。観月苑方面から登城しましたが、主郭周囲は露出した岩盤でロープを使っての軽いロッククライミングとなります。ちょっと難渋しました。見どころは何といっても主郭南北の堀切です。特に北側の堀切は圧巻で堀底部に土塁があり二重堀切のようになっているように見えました。写真では迫力が伝わらないことが残念です。ただ両方の堀切とも上り下りには少し苦労しました。石積みがありましたので写真を添付しましたが、当時のものではないと思います。

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交通の要衝 (2023/04/22 訪問)

松本と善光寺を結ぶ街道を眼下に見下ろす要衝の地にある城です。
尾根に築かれた城で堀切をおいて防御しています。南北は急斜面となっています。主郭周囲の西側は南北に比べると比較的斜面が緩いのですが数段の腰曲輪で守られています。東側はのろし山に続く細尾根です。堀切がよく残っていて楽しいのですが、縄張り図で示された竪堀は浅くなっていてわかりにくい所もありました。

麻績城は麻績城(新城)とその尾根に築かれている麻績古城(虚空蔵山城)があります。
まずは新城に登城しました。JR篠ノ井線聖高原駅を降りると正面に見える山が麻績城です。徒歩にて麻績氏居館跡を経由して歩いて行くと、所々に麻績城址道標があり迷うことなく城址へ行くことができます。途中で地元の人から「こちらから行くといいよ」と教えていただき尾根伝いの道を行きましたが、道なりに行っても辿り着けます。駅から30~40分ほどで城山とのろし山の間の鞍部に到達し、そこに案内板がありました。道は整備されていますが、枯れ葉が堆積していたりして少し歩きにくい所もありました。

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todo94

県内の城めぐり2022㉟ (2022/10/30 訪問)

県境を越えての移動禁止という理不尽な職場の足枷が外されましたが、前日に献血の予約を入れてあったのでこの日も県内の城めぐり。2021年に搦め手からの登城口を見つけたものの雨に濡れた草が生い茂っていて登城を断念した城です。登城口近くは登城路をチカラシバが塞いでいましたが、その先は歩きやすい登城路が伸びています。迷いそうになるスポットに道標が立っているのは非常に良心的だと思います。のろし山にはピクミンブルームのハロウィンきのこがあったので壊しておきました。石の祠が目印です。くっきりとした堀切の先の主郭はそれなりの広さに削平された郭になっていました。主郭の先には帯郭が数段連なっています。

次に向かった稲倉城は主郭にたどり着くことに失敗してしまったので、この城が2022年10月唯一の攻城となってしまいました。

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城郭情報

分類・構造 山城
築城主 服部氏
築城年 戦国時代
主な城主 服部氏、青柳氏、(麻績氏)
廃城年 慶長元年(1596)
遺構 曲輪、帯曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財 県史跡(麻績城跡)
再建造物 碑、説明板
住所 長野県東筑摩郡麻績村麻次柳8009
問い合わせ先 麻績村役場総務課
問い合わせ先電話番号 0263-67-3001